物部神社(高岡市東海老坂)〈『延喜式』物部神社〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 当初鎮座地は この谷の奥地氷見の庄 物部神社と称し氷見との境界の奥山に鎮座)」とされ 次に現在地の西方 鳥帽子山という山に遷座 その後に 現在地〈海老坂八幡宮のあった地〉に遷座しました 延喜式内社 越中國 射水郡 物部神社もののへの かみのやしろです

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

物部神社(Mononobe shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

富山県高岡市東海老坂宇川田1068

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》宇麻志摩遅命(うましまじのみこと)

《合》神天皇(おうじんてんのう)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代は不詳

【由  (History)】

『射水郡誌』下,1909年に記される内容

【抜粋意訳】

物部神社

守山村、大字東海老坂村に在り。村社にして、字摩志摩遲命を祀る式内神社の一なり、
〔大伴、物部兩氏は上古に於て、同く武事を掌りし縁故に因り、物部氏衰へし後、其族の一部、國守 大伴家持と共に、越中に來り、其祖 字摩志摩遲命を祀りて、氏神とせしにあらざるか〕

社記に曰く、天正年中 守山城主、神保氏張武門守護の爲、厚く崇敬し、祈願所となせり、尋て前田利長、在城の時、本郡下關村地内に於て、草高十三石五斗餘を寄進し、祠殿の修理は悉く藩費を以て支辨せり、維新前まて、大祭には郡内の神職一名つつ、交番参勤せしむる例なりしと云ふ、〔末社、八幡宮は、前田利長の守護神なりしか、後 本社に合祀せり。

【原文参照】

『射水郡誌』下,射水郡,1909. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/993770

『射水郡誌』下,射水郡,1909. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/993770

物部神社
〔物部神社〕

 本社は守山村東海老坂、烏帽子山に在り。延喜式内越中の國三十四座の一にして、物部氏の祖宇摩志麻遅命を祀る。
 創建年月等は不詳なれども、古社にして、文徳天皇仁壽元年(皇紀1511)正月正六位に叙せられし以來、屡々叙位の事あり。往昔は奥の山にあり、氷見の庄 物部神社と称し、氷見の庄百ヶ町村にて奉仕し、毎年十三石五斗の米を庄内より奉幣し居たりしも、戦國争乱の際一時其の事止みたり。然れども神保氏守山城主たるに及び、武門守護の神として厚く崇敬して祈願所となし、前田利長また相継いで尊崇し、神領草高十三石五斗余を下関村(今の高岡市下関)地内に於て寄進し、且つ社殿の造営等は悉く藩費を以て弁じ、又維新前までは大祭には郡内の神職一名つゝ交番を以て御用勤めと称し、加勤するを例とせり。今八幡宮・諏訪社を合祀して村社たり。

〔八幡宮〕

 本社は貞観3年、與力麿神託により河内國誉田より勧請、海老坂鳥帽子ヶ峰に鎭座。海老坂八幡宮と称し、二上神社の末社にして、元東海老坂大城坊の地に鎭座あり。
 神保氏厚く尊崇して、次で前田利長守山在城の砌り、鎭守の神として崇敬せしも、慶長四年(皇紀二二五九年)金澤卯辰山に遷し、藩祖前田利家の霊を合せ祀る。今の別格官幣社尾山神社之れなり。

守山村誌より

『稿本金沢市史』市街編 第4,大正5-14年に記される内容

物部神社(高岡市東海老坂)は 中古 海老坂物部八幡と稱し 八幡宮を並祀していた

この八幡宮が 後に金沢卯辰山に勧請された「卯辰八幡宮」〈現 宇多須神社(金沢市東山)の社地〉となり 相殿に藩祖 前田利家霊を祀り その後 別格官幣社尾山神社(金沢城内)となったと伝えています

【抜粋意訳】

第17章 舊蹟 八幡宮址

 八幡町 縣社 宇多須神社の社地を卯辰八幡宮の遺地とす、もと海老坂八幡と榊葉明神とを祀り、相殿に藩祖利家を祀れるにて、
卯辰八幡宮來歷に

 從前は八幡宮と神明宮と兩社の本殿並建て、前に拜殿あり、抑々當社八幡宮は海老坂物部八幡と稱し、越中國射水郡守山の麓 東海老坂村の地内に鎭座、其神靈は延喜式內物部神社なり、故に物部八幡と呼べり、
舊藩二世利長卿天正十三年〔〇紀元二二四五年〕九月加州松任城より守山城へ入城以来、彼神霊を守護神となし、尊敬し給ひ、守山にて本社神殿を造營せられ、・・・
・・・〈以下略 原文を参照下さい〉

【原文参照】

金沢市 編『稿本金沢市史』市街編 第4,金沢市,大正5-14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/951547

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈旧鎮座地〉についての伝承

物部神社(高岡市東海老坂)について
当初鎮座の地は この谷の奥地氷見の庄 物部神社と称し氷見との境界の奥山に鎮座とあり)」とされる
次の鎮座の地は 現在地の西方 鳥帽子山という山に遷座

その後に 現在の鎮座地〈海老坂八幡宮のあった地〉に遷座 と伝わります

※現在の地図で 物部神社(高岡市東海老坂)の当初の鎮座地は 西方の氷見市との境界線にある奥山を推測してみました
西方の三方峰峠がありますので 何の確証も在りませんが 参考までに地図を添付します

 

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越中國 34座(大1座・小33座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)射水郡 13座(大1座・小12座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 物部神社
[ふ り が な ]もののへの かみのやしろ
[Old Shrine name]Mononohe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載 「物部神社」の名称を持つ式内社の論社について

太古の大和朝廷では 物部氏は 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました
その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と戦い敗れ〈用命天皇2年(587)〉 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります

『延喜式(Engishiki)』(927年12月編纂)の時代となっても かつての物部氏の勢力の大きさを示すように 広範囲に物部の神社は分布しています

東海道

「伊勢國 飯高郡 物部神社」 

・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈合祀〉

「伊勢國 壹志郡 物部神社」 

・物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉

「尾張國 春日部郡 物部神社」 

・味美白山神社(春日井市二子町)〈合祀〉

・味美二子山古墳(春日井市二子町)〈旧鎮座地〉 

・諸大明神社(春日井市松本町)

・八所神社(豊山町豊場木戸)

「尾張國 愛智郡 物部神社」 

・物部神社(名古屋市東区筒井)

・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)

「甲斐國 山梨郡 物部神社」 

・物部神社(笛吹市石和町)

・御室山〈大蔵経寺山〉(笛吹市春日居町)〈旧鎮座地〉

・大石神社(山梨市西)

・大石神社(甲州市塩山赤尾)

・白山建岡神社(山梨市上栗原)

「武蔵國 入間郡 物部天神社」 

・北野天神社(所沢市小手指元町) 

東山道

「美濃國 厚見郡 物部神社」 

・伊奈波神社(岐阜市伊奈波通)

・伊奈波神社 旧跡(岐阜市赤ケ洞)

・岩戸八幡神社(岐阜市長森岩戸)

・岩戸神社(岐阜市長森岩戸)〈参考論社〉

北陸道

「越中國 射水郡 物部神社」 

・物部神社(高岡市東海老坂)

「越後國 頸城郡 物部神社」 

・物部神社(上越市清里区)

「越後國 三嶋郡 物部神社」 

・二田物部神社(柏崎市西山町)

「佐渡國 雑太郡 物部神社」 

・物部神社(佐渡市小倉)

山陰道

「丹波國 船井郡 嶋物部神社」

・荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)

「丹後國 與謝郡 物部神社」 

・物部神社(与謝野町石川)

「但馬國 城崎郡 物部神社」 

・韓國神社(豊岡市城崎町)

「石見國 安濃郡 物部神社」 

・物部神社(大田市)石見国一之宮

山陽道

「播磨國 明石郡 物部神社」 

・可美真手命神社(押部谷町細田)

・惣社(神戸市西区伊川谷町)

西海道

「壱岐島 石田郡 物部布都神社」 

・物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)〈旧鎮座地〉

・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)〈物部布都神社を合祀〉

・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR高岡駅から県道64号・R160号経由で北方向へ約6.1km 車での所要時間は13~16分程度

高岡市街からR160号〈氷見街道〉を北上して 小矢部川の守山橋を渡り そこから氷見市方面に約1.5km程で左折します

参道には社号標「延喜式内社 物部神社 大正十三年建之 氏子中」と刻字されています

物部神社(高岡市東海老坂)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

山の下に一の鳥居が建てられていて 右上に社殿が見えています

Please do not reproduce without prior permission.

一の鳥居は東向き 参道はつづら折れとなっていて 朱色の両部鳥居が二の鳥居として 南を向いて参道に建ちます

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の前に構える狛犬 座るでもなく ちょっと変わった構え方です

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

社殿は 冬の風雪に耐えられるように ガラスの覆いが社殿に施されています

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 参道を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 物部神社について 所在は゛在所詳ならず゛〈よくわからない〉と記しています

【抜粋意訳】

物部神社

物部は毛乃々倍と訓べし

○祭神 宇麻志麻治命

○在所詳ならず

類社
 伊勢國 飯高郡 物部神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 物部神社について 所在は゛今 東海老坂村にあり、゛〈現 物部神社(高岡市東海老坂)〉と記しています

【抜粋意訳】

物部(モノベノ)神社

今 東海老坂村にあり、〔越之下艸、金澤藩神社調、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 物部神社について 所在は゛東海老坂 久津呂御城坊〕(射水郡守山村大字東海老坂゛〈現 物部神社(高岡市東海老坂)〉と記しています

【抜粋意訳】

物部神社

祭神 宇摩志麻治命

祭日 三月八月並十五日
社格 (明細帳に八幡社と稱す村社)(村社)

所在 東海老坂 久津呂御城坊〕(射水郡守山村大字東海老坂

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

物部神社(高岡市東海老坂) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

越中国 式内社 34座(大1座・小33座)について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2025 All Rights Reserved.