水嶋磯部神社(上越市清里区梨平)〈『延喜式』水嶋礒部神社〉

水嶋磯部神社(みずしまいそべじんじゃ)は 数度の火災の爲 旧記等悉く燒失 口碑によれば 天智天皇10年12月 吉野より磯部臣(いそべのおみ)民部と称す人が来たり この地を水嶋の里と定め 先祖を祀り 白鷗2年辛未(671)社殿を創建と云う 延喜式内社 越後國 頸城郡 水嶋礒部神社(みつしまのいそへの かみのやしろ)です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

水嶋磯部神社(Mizushimaisobe shrine

通称名(Common name)

・磯部社(いそべのやしろ)

拝殿の扁額「磯部社」は磯部臣に由来する当社の別称

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【鎮座地 (Location) 

新潟県上越市清里区梨平2055
〈旧住所 中頚城郡清里村大字梨平2056番地〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》武甕槌命(たけみかつちのみこと)
   経津主命(ふつぬしのみこと)
   譽田別命(ほんたわけのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

御由緒

 天智天皇10年12月、吉野より、磯部臣(いそべのおみ)と申す人来たり。名を民部と称し、この地を水嶋の里と定め、先祖を祀り 白鷗2年辛未(かのとひつじのとし⇒671年)社殿を創建した。水嶋の里はのち櫛池里と呼ばれ、磯部臣によって開発された。

 拝殿の扁額「磯部社」は磯部臣に由来する当社の別称です。

拝殿に置かれた神社パンフレットより抜粋

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『中頸城郡誌』第4巻に記される内容

【抜粋意訳】

磯部神社〕所在 櫛池村梨平

祭神
 譽田別尊
 健御名方命
 十二神
 伊佐那美命
 菊理姫命
 天照皇大神

由緒

 延喜式内神名帳記載の社と稱す、天安三年六月、享保十一年八月、明治五年八月等數度の火災の爲 舊記等悉 皆燒失して事實を證するものなしと雖、口碑の傳ふる所によれば、天智天皇の御宇の末吉野の亂に官兵磯部臣と云ふ者逃れて當國に來りて當村を開墾し、白鳳二年當社を創立すと云ふ、往古此地を水島の里と稱し、又 磯部臣の創立なるを以て社號を水島磯部神社と稱すと云へり。從來當村の産土神なりしが、明治五年八大區六小區の村社に列せらる。

【原文参照】

『中頸城郡誌』第4巻,新潟県中頸城郡教育会,昭和16. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1042145

【由  (History)】

『越後古代史之研究』に記される内容

【抜粋意訳】

第十二章 式内神社の所在地

第六十一節 佐多神社と水島磯部神社

水島磯部神社は頗る曖昧である。

⑴筒石  磯部村と改む、能生の東北 里半、海磯なるー祠を、近年水島磯部神社なりと云ひ出で、遂に村名にも其の跡を加ふ、
とあり、村名を改めてまでも主張するには、それだけの深い典據があるのか、若し然らざれば愈々(いよいよ)後世を誤らしむる仕業と云はなければならぬ。

  • 梨平村に存す、今鹿島明神と云ふ
    (2)梨平村、今は鹿島八幡を祭る
    (3)梨平村にあり、祭神 鹿島大明神、相殿 八幡大神宮
    (4)梨平村社側有ニ磯部山、其近傍呼曰 水島里云

あり、神祇志云ふが如く、磯部山あ水島里あるとすれば梨平村定めて異議は無かろう。

【原文参照】

池田雨工 著『越後古代史之研究』,万松堂新潟支店,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/983262

池田雨工 著『越後古代史之研究』,万松堂新潟支店,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/983262

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

水嶋磯部神社 社殿

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水嶋磯部神社 拝殿

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・拝殿向拝の彫刻

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・〈境内社〉忠霊社

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・境内

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・境内 両部鳥居

写真

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・参道の脇 御池〈水草が生えているが 島と太鼓橋あり〉

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・社頭の鳥居 鎮守の杜

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越後國 56座(大1座・小55座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)頸城郡 13座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 礒部神社
[ふ り が な ](みつしまいそへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Mitsushima no isohei no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

越後國 頸城郡 水嶋礒部神社(みつしまの いそへの かみのやしろ)の論社

水嶋磯部神社(上越市清里区梨平)

・水嶋礒部神社(糸魚川市筒石)

・水島磯部神社〈青柳神社〉(上越市清里区青柳)

『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について

『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています

音は「いそへ」と同じでも その要因は 様々な要素から成り立っていて 特定は非常に難しく その為 各々の神社を検証してみます

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

上越妙高駅から県道198号経由で東方向へ約15km 車での所要時間は25~30分程度

櫛池川に沿って県道198号を 上越市清里の田園を抜けて行きます

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少し山間に入りかけた辺り 坊ヶ池湖畔の案内板があり その上に左折方向に水嶋磯部神社の案内がありました

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左側の道に進み 山を上がって行くと 再び左手に水嶋磯部神社の案内がありました

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朱色の鳥居が建っています

水嶋磯部神社(上越市清里区梨平)に参着

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参道 境内 社殿は西を向いています
参道の正面には 鎮守の杜があります

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参道の右〈南側〉には 立派な家屋があり 社家と想われます
参道の左〈北側〉には 水草が生えているのでわかり難いですが 御池があり島と太鼓橋があります

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小高い位置にある境内に通じる石段があり その先に両部鳥居が建てられています

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杉の大木に挟まれるように両部鳥居があり 一礼をしてからくぐり抜けて 境内へと進みます

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正面の一段高い社地の上に拝殿が建てられています

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拝殿にすすみます

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向拝の彫刻は見事です

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は 拝殿の奥に幣殿 本殿が一体となっています

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社殿に一礼をして境内を戻ります

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鳥居を抜けて 西に延びる参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 水島磯部神社について 所在は゛梨平村に在す、今 鹿島明神と稱す、゛〈現 水島磯部神社(上越市清里区梨平)〉と記しています

又゛謂に 青柳明神゛〈現 水島磯部神社〈青柳神社〉(上越市清里区青柳)〉とも記しています

【抜粋意訳】

水島磯部神社

水島磯部は 美都志麻乃伊曾倍と讀り

〇祭神 譽津津別尊 謂ニ 青柳明神、〔風土記節解〕

〇梨平村に在す、今 鹿島明神と稱す、〔案内〇節解云、在ニ水島里、 考証云、在ニ里五十君、今案内に従ふ

〇當國 古志郡 桐原石部神社、三島郡 御島石部神社もあり、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 水島磯部神社について 所在は゛ 梨平村水島里にあり、鹿島大明神といふ、゛〈現 水島磯部神社(上越市清里区梨平)〉と記しています

【抜粋意訳】

水島磯部(ミツシマノイソベノ)神社

 梨平村水島里にあり、鹿島大明神といふ、

五月十五日、十月朔を以て祭を行ふ、〔越後名寄、式社考証〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 水島磯部神社について 所在は゛梨平村(中頸城郡櫛池村大字梨平)゛〈現 水島磯部神社(上越市清里区梨平)〉と記しています

その他の説について
筒石村の由緖書は後人僞作にてとるに足らず゛〈現 水嶋礒部神社(糸魚川市筒石)〉
青柳村には證とすベきものなし゛〈現 水島磯部神社〈青柳神社〉(上越市清里区青柳)〉

【抜粋意訳】

磯部神社

祭神

 今按 社傅に祭神 譽屋別尊 相殿 武甕槌命 經津主命とある 屋別尊は新撰姓氏録に磯部臣 仲哀天皇 皇子 譽屋別尊之後也とある磯部臣に思ひよせて云る説にて 信難しさろは同書に布留宿禰云々 天足彦國押人命七世孫 米餅搗大使主命之後也 男木事命 男市川臣 大鷦鷯天皇御世遷幸於 倭賀布都努斯神社 於石上郷布瑠村高庭之地 以市川臣爲 神主四世孫云々 武藏ノ臣 齊明天皇御世 宗我蝦夷大臣號 武蔵臣曰 物部首  神主首云々とあるは垂仁紀に三十九年太刀一千口を石上神宮に藏めし時 言(ノリママヒキ)に春日臣族〔春日臣は布留宿禰と同祖なり〕名市河令メヨト 治是 今物部首之始祖也とみえたる同氏にて世々 石上にます布都努斯神に仕奉りしが 此族に磁部君ありて上野に遷り住て 石上神宮と同神なろ貫前神社に仕奉り磯部君姓を賜はりし 故に後世に至りても 其神主は磯部朝臣と云ひし事 績日本紀 上野 神龜三年碑羅山文集等にみえたれば 比越後の礒部神も譽屋別命にはあらずして 相殿にます武甕槌命 布都努斯命なるべき事 社殿と前件の故實に徵して著く 又 舊神官の磯部臣と云も いと明かなるを思ふべし

祭日 七月二十七日
社格 村社

所在 梨平村(中頸城郡櫛池村大字梨平)

 今按 筒石村 青柳村にも水島磯部神社ありと云へど
 筒石村の由緖書は後人僞作にてとるに足らず
 青柳村には證とすベきものなし
 唯 梨平村には古額三面あり 一而は水島磯部神社と記せるあり 又 磯部山と云あり 社地のある里を水島の里と云ひ  舊神官 綿貫氏にて磯部臣と稱するなど證とするに足れり仍て之に從ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

水嶋磯部神社(上越市清里区梨平) (hai)」(90度のお辞儀)

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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