御船神社(みふねじんじゃ) 〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 牟弥乃神社(むみのじんじゃ) (内宮末社)〉は 2社ともに゛倭姫命が祝ひ定め給ふ所゛と伝わります ともに中世に廃絶してしまいますが 御船神社は寛文三年(1663)の再興 牟弥乃神社は 御船神社の附近にあったとされますが確定されず明治四年(1871)に 御船神社に御同座奉祀されました
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
御船神社(Mifune shrine)
〈御同座 牟弥乃神社(Mumino shrine)〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県多気郡多気町大字土羽字南出505
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
御船神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》大神御蔭川神(おおかみのみかげかわのかみ
〈御同座 牟弥乃神社(内宮末社)〉
《主》寒川比古命(さむわかひこのみこと)
寒川比女命(さむかわひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社(御船神社)
・〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御船神社)
・〈皇大神宮(内宮)末社〉(御同座 牟弥乃神社)
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮要綱』〈昭和3年〉に記される内容
【抜粋意訳】
御船神社
鎭座地 三重縣多氣郡西外城田村大字土羽
殿舎
正 殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉 垣 連子板打・・・壹重
鳥 居 神明造・・・壹其
右神宮司廰造替御船神社も亦、延喜大神宮式及び神名式に載す。但し神名式には大神乃御船神社に作る。
倭姫命 皇大神を奉じて御宮地を覓め給ひし時、伊蘇宮より寒河を遡りて此の地に至り、御船を留めて御船社を定め給ふこと太神宮本記に見ゆ。是れ本社の起源なり。寬文三年現地に再興す。此の社、神名式に度會郡に入れり。今多氣郡に属するは、郡界の移動によるなり。明治二十五年上地官林一段六畝三步を復舊し、又同四十二年同村民より接續地ー畝七步を献納して、現狀を為すに至れり。牟彌乃神社
鎭座地 攝社御船神社御同座
牟彌乃(ムミノ)神社も亦、倭姫命の祝ひ定め給ふ所にして、大水上神の御子寒川比古(サムカハヒコ)命・寒川比女(サムカハヒメ)命を奉祀す。中世以後 社地明かならず。神名略記に御船神社の附近にありとし、攝社参詣記・倭姫命世記講述抄等之を襲へり。又勢陽五鈴遺響には、御船神社の北四丁の處にありとす。是れ両宮攝社記の所謂 若宮神社に當る。猶神宮典略には四郷村中村のカヤの森楠部のサカリの森。コサムが淵等を本社の舊址となせり。然れども、未だ定説と認むべきもの無し。明治四年以後は、御船神社に御同座奉祀す。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『神宮摂末社巡拝』下〈昭和18年〉に記される内容
【抜粋意訳】
御船神社(みふねじんじゃ)
棒原神社を拜し終り省線の線路を越えて、西外城田村に入ると大字土羽(とば)の中に御船(みふね)神社の社叢が拜まれて来る。本社は皇大神宮の攝社で、その御社名は、延喜大神宮式には御船社(みふねのやしろ)、延喜神名式には大神乃御船(おほかみのみふねくら)ノ神社と、見えてゐる。社頭に天保十四年の常夜燈や、文政六年に土羽村中から寄進した石階等が残されてゐる。御鎭座地は多氣郡西外城田村大字土羽(とば)の中で、今は多氣郡に属してゐるが昔は度會郡で此の邊りは昔の城田郷(きたのさと)の中に属する地方である。
御祭神は、儀式帳に大神乃御蔭川神(おほみかみのみかげかはのかみ)と記されてゐる。御社地の邊りは外城田川の上流地方で、外城田川は神社の東の邊りを流れてゐる。叉、本社御鎭祭の由緖は、倭姫命世紀によると垂仁天皇の御代、倭姫命が皇大神を奉戴して坂手(さかて)の國から今の外城田川を遡っておいでなされたとき、この邊りにて河の水盡き、その水寒かりしかば、この川を寒川(さむかは)と名附けられ、そこに、御船を留めさせ給ひしを以て、御船神社を祝ひ定められたといふことか傳へられてゐる。
以上の所傳と、末社鎭座地の字名を土羽(とば)といふこと 土羽と鳥羽と同じく泊(とまり)で、船の留る所であるといふことなどを基として考へて見ると、この社の邊りは外城田川の最後の終点地であって、船路交通の最後に留まる地なるを以て船路航路の守り神とし、祭られた神であることが分る。かうした時代から引きつヾいて、この地方が荒木田氏の開拓することによって、神宮の御耕地と相成り、大神宮信仰を蒙ること厚く成るに及んで、この社は更に大神(おほかみ)の御蔭(みかげ)頂き奉る社となった。御社名の大神乃御船(おほみかみのみふねの)神社といひ、大神乃御蔭川神(おほみかみのみかげかはのかみ)の御祭神名の因って以て起る所以ではなからうかと拜察するものである。
儀式帳には、御正殿は二宇と見えてゐる。ー殿は、大神乃御蔭川神を祭り、他のー殿は御前神をお祀り申し上げてゐたものであるが、中世退轉後 ,寬文三年御再興のときは、ー殿のみ再興せられ、御前神は今末社の中に合祀されてゐる。御社地は二町と見えてゐる。
牟彌乃神社(むみのじんじゃ)
牟彈(むみ)乃神社は皇大神宮の末社で、儀式帳に未官帳の田社として本社の名が挙げられてゐる。もとは御船神社の附近に祭られてゐたものであるが、中世社地を失ひ、永くその紀典の絶えてゐたのを、明治四年再興の節、御船神社の御社殿の御内に御同座御再興遊され、今日に至ったものである。垂仁天皇の御代 倭姫命によって鎭祭されたものと傳へられてゐる。御祭神は大水上神(おほみなかみのかみ)の御子 寒川比古命(さむかはひこのみこと)と寒山比女命(さむかはひめのみこと)との二柱を御祭り申上げてゐる。今の外城田(ときだ)川を一名寒川(さむかは)と言ったといふことは御船神社の所で述べたが、本社の御祭神寒川比古命と寒川比女命とは矢張りこの川の守り神として、城田郷(きたのさと)の田野の灌漑神たる御神徳を集めてゐたものと思はれる。
〇
猶ほ同村大字笠木(かさぎ)は、御船神社の西南で、次の朽羅(くちら)神社へ行く路の途中の一部落であるが、この弛は倭姫命世紀によると、御船神社で船を下り立ち給ふた倭姫命が步ちにて陸路、この所を御通り遊されたとき、俄か雨に遭ひたるを以て、御笠を着け給ふた所からカサギといふ名を御附け遊されたのであるといはれてゐる。
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
御船神社は 皇大神宮(内宮)の摂社です
・皇大神宮(内宮)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
゛神宮の諸社が 祈年 神嘗祭に並預゛と記されます
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】
伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社 山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭
以下略
【原文参照】
国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大神乃御舩神社
[ふ り が な ](おほかみのみふねの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohokami no mifune no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)』について
延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)は 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』と豊受大神宮(外宮)に関する儀式書『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)を総称したもの
平安時代成立 現存する伊勢神宮関係の記録としては最古のものです
両書は伊勢神宮を篤く崇敬していた桓武天皇の命により編纂が開始され
両社の禰宜や大内人らによって執筆されました
皇大神宮と豊受大神宮から 神祇官を経由して太政官に提出されて
延暦23年(804)に成立しました
御船神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 牟彌乃神社(内宮末社)〉は『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)』の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に所載されます
内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR参宮線 外城田駅から南西に約950m 車3分程度
倭姫命が 寒川(さむかは)と言ったと云う 外城田(ときだ)川を遡るように進みます
御船神社は少し高台にあり 目の前には外城田川が造り出した水田地帯が広がっています
社頭には天保14年(1843)と刻まれた常夜燈 文政6年(1823)の石階等が残されています
御船神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 牟弥乃神社(内宮末社)〉に参着
社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉
正殿にすすみます お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 石段を戻ります
社頭から 外を眺めながら太古に思いを馳せると ちょうど目の前に広がる水田が湖のように見えてきました ここに倭姫命は その御船を寄せたのだろうと かつての水面であったであろう水田の中を戻ります
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【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 大神乃御船神社について 所在は 有爾郷土羽村に在す〈現 御船神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
式外社 牟彌乃神社について 所在は不明 御祭神の゛寒川゛は河之水が寒かったので号したと記しています
【抜粋意訳】
大神乃御船神社
大神乃は 於保牟伽美能、御船は美布禰と訓べし、
○祭神 大神乃神蔭川神
○有爾郷土羽村に在す、神名略記
○式四、伊勢大神宮 大神宮所摂廿四座の第廿に戴す、
○倭姫世記云、御船留給支、其處仁御船神社定給支、」
儀式帳云、稱に大神乃御蔭川神、形無、倭姫内親王代定祝、牟彌乃神社
祭神 寒川比古命、寒川比女命、
〇在所詳ならず
〇儀式帳云、大水上兒、寒川比古命、寒川比女命、形無、
神名略記云、世記云、河之水寒有支、則寒河止號、其處御船留給弖、御船神社定給支、蓋牟彌有爾之轉語、而此社在るに御船社之近乎、前件鴨神社より十五社は、儀式帳に未官帳社とあり、則内宮の攝社也、故に爰に載す、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 大神乃御船神社について 所在は 多氣郡有尓郷土羽村にあり〈現 御船神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
大神乃御船(オホカミノミフネノ)神社
今 多氣郡有尓郷土羽村にあり、延暦儀式帳、神名略記、神境紀談、
大神乃神蔭川神と稱す、倭姫命定祝奉る、延暦儀式帳、
初 倭姫命 皇太神を載せ奉、御船に乘して、寒河に至り其處に御船留給て神社を定む、即是也、倭姫世紀醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 大神乃御船神社について 所在は 多氣郡西外城田村大字土羽〈現 御船神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
大神乃御船神社
祭神
祭日
社格 内宮所攝 二十四所之一(内宮攝社)所在 三重縣多氣郡(多氣郡西外城田村大字土羽)有貮郷土羽村注東産神社域内
【原文参照】