松尾神社(まつおじんじゃ)は 創立については明確な記録は残されていませんが 社記には 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 松尾神社(まつのをの かみのやしろ)であると伝えています 近郷の最古社で松尾大明神と仰がれ 祭神は 大山咋神 大己貴命 若山咋神 少名彦命 中津島姫命の五神で 酒造りの神として多くの酒造家から崇敬されてきました

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
松尾神社(Matsuo shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
山梨県甲斐市中下条1839
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大山咋命(おほやまくひのみこと)
若山咋命(わかやまくひのみこと)
中津島姫命(なかつしまひめのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
大己貴命(おほなむちのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・酒造りの神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
由緒
祭神
大山咋神(酒造の神、商売繁盛)
若山咋神(家内安全 方位方向守護)
大己貴命(医学の神、学業成就の護)
少彦名命(漢方薬、交通安全守護)
中津島姫命(縁結の神、安産守護)祭典
一月一日 元旦祭 八時一月三日 五穀豊穣方位祭 十時
毎月一日、十五日 月並祭 十時例大祭
四月二十八日 前夜祭 午后六時
四月二十九日 大 祭 十一時七月三十一日 夏祭みそぎ祭 六時
十一月二十三日 秋祭新穀感謝祭 十時記
五神を祀り 旧延喜式内社で 近郷の最古社で松尾大明神と仰がれる 明治三年産土神の霊験あらたかで 近郷近在及び崇敬者多く 郷社の格式に列せられ 社地は一町歩と云われ 旧神領は七通の御朱印と黒印地三石八斗を有していた
御神殿は最も古く 随神の背に文安二乙丑年五月の作で棟板に記される 石灯籠に応永六巳卯三月之建願主敬白の文字が有り 鎮座地 宮地大下条を松尾郷と稱せられ 境内地は樹齢数百年を経る大欅の外 多数の神木が鬱蒼として森厳たるものであったが 昭和三十四年伊勢湾台風で倒木したので 整理して今はその面影はない
文化丙寅年の宮地大下条の両部落は大火により焼失したが 本神社は難をまぬがれた。主神は酒造の神 商売繁盛 家内安全 学業成就 交通安全 医学医療 安産守護 縁結びの神の五神が合祀
百三十五年前までは春秋の望の日には社中の馬場で流鏑馬(ヤブサメ)祭が行われ 満願成就の祭典が行われ賑わい 昭和三十三年 現神社より竜王町 現在の名取地区に当神社より分神して鎮座せる末社松尾社が有り 両社とも崇敬者の信仰が厚く参拝者が多く今も盛大をみている。昭和五十八年十一月十八日 松尾神社宮司 長田実 記す
現地案内板より

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【由 緒 (History)】
由緒沿革:
創立は不詳なり。
徳川家より御朱印状を以て社領高三石八斗を有し、文安二年丑年正月の作、隋神脊にあり。
明治三年郷社に列せられ 甲斐国志に曰く、社記に云ふ 延喜式所載 山梨郡松尾郷社なり。
宮地大下條の部落 古時 荒川は村西を流れて郡界を為せり。牛句以南数村は山梨郡と稱し 郡界は二三丁、北巨摩との最も狭き所本殿は桃山時代の作。山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/5016
『甲斐国式内社並国史現在社考』に記される内容
【抜粋意訳】
第二 延喜式内社 山梨郡九座
・松尾神社 村社
中巨摩郡松嶋村中下條組 鎭座
祭神
大山咋神 中津島姫命
大己貴命 少彦名命
社記云。松尾神社也。
御朱印社領三石八斗。
【原文参照】

赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555

赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・松尾神社 社殿

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甲斐市指定有形文化財(建造物)松尾神社(まつおじんじゃ)本殿(ほんでん)
所 在 地 甲斐市中下条一八三八
指定年月日 昭和四十五年十月一日松尾神社の創立については明確な記録は残されていませんが、延喜式(平安時代の法令集)神名帳の中に記載されている由緒ある神社です。
祭神は、大山咋神(おおやまくいのみこと)、大己貴命(おおむなむちのみこと)、若山咋神(わかやまくいのみこと)、少名彦命(すくなびこなのみこと)、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)の五神で、酒造りの神として多くの酒造家から崇敬されてきました。
松尾神社はもと、しきしま幼稚園の場所にありましたが、幼稚園建設に伴い現在地へ遷座されました。
本殿は一間社入母屋造り、屋根は向拝に軒唐破風(のきからはふ)を付け、屋根は銅版葺(もとは檜皮葺)となっています。
この本殿の特色は身舎の中備(なかぞなえ)につけられた蟇股(かえるまた)(組物と組物の中間に、虹梁上等に用いられた構造材)の装飾意匠で、身舎正面が「松」、西側面に「波と亀」、北側面「竹」、背面「波と鶴」と図案的な表現などに特徴がみられます。また、向拝の図案は「梶(かじ)の葉と鹿」の透(すかし)彫りとしています。
建立年代は建築構造の形式から桃山時代に建立されたと考えられます。
平成二十三年二月二十五日 甲斐市教育委員会
現地案内板より

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・〈境内社〉稲荷神社《主》倉稲魂命・その他の石祠
本殿の裏に祀られています
・松尾神社 拝殿

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・社頭・鳥居・社号標・手水舎

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈旧鎮座地〉松島さくら保育園の樟〈元々は ここに神社がありました〉
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳( Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山梨郡 9座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 松尾神社
[ふ り が な ](まつのをの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Matsunowo no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 甲斐國 山梨郡 松尾神社(まつのをの かみのやしろ)の論社について
・松尾神社(甲州市塩山小屋敷)
・松尾神社(甲斐市中下条)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR中央本線 竜王駅から北方向へ約2km 車で6分程度
松島さくら保育園の北側にあり 保育園の駐車場に停めさせていただいた

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すぐ目の前が社頭です
松尾神社(甲斐市中下条)に参着

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社頭の社号標の正面には゛松尾神社゛が刻字されています
社号標の側面には゛由緒書き゛が刻まれていますが 樹木があり判読できませんでした

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一礼をしてから鳥居をくぐると 小石の敷詰められた参道があり 正面に拝殿 左手前に手水舎があります

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拝殿にすすみます
拝殿の扁額には゛正一位 松尾大明神゛と記されています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内のすぐ脇が道路になっていますので 道路から社殿全体を眺めます

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 松尾神社について 所在は゛松尾郷小屋敷村に在す、今 六所明神と称す、゛〈現 松尾神社(甲州市塩山小屋敷)〉と記しています
【抜粋意訳】
松尾神社
松尾は末都乃乎と訓べし
〇祭神 大山咋神、若山咋神、若年神、大己貴命、素淺鳴尊、蛭児尊、(名勝志)
〇松尾郷小屋敷村に在す、今 六所明神と称す、(同上)例祭 月 日、
類社
山城國葛野郡 松尾神社の條見合すべし社領
當代 御朱印高十三石余
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 松尾神社について 所在は゛今 巨摩郡 松尾郷小屋敷村にあり、松尾六所明神といふ、゛〈現 松尾神社(甲州市塩山小屋敷)〉と記しています
【抜粋意訳】
松尾(マツノヲノ)神社
今 巨摩郡 松尾郷小屋敷村にあり、松尾六所明神といふ、〔甲斐名勝志、甲斐國志、山梨縣取調書、〕
蓋 大山咋神を祀る、〔参酌古事記、延喜式〕
凡 其祭 正月二日、三月卯日、八月十五日を用ふ、〔山梨縣取調書〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 松尾神社について 所在は゛小屋敷村(東山梨郡松里村大字小屋敷)゛〈現 松尾神社(甲州市塩山小屋敷)〉と記しています
又 一説として゛巨摩郡に中下條村 松尾明神を式社と云゛〈現 松尾神社(甲斐市中下条)〉もあるが もともと巨摩郡であるので違うであろうとも伝えています
【抜粋意訳】
松尾神社 今稱 六所明神
祭神 大山咋神
祭日 三月卯日 八月十五日
社格 郷社所在 小屋敷村(東山梨郡松里村大字小屋敷)
今按 一説に巨摩郡に中下條村 松尾明神を式社と云へども この地はもとより巨摩郡なれば本社なりと云こと信がたし
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
松尾神社(甲州市塩山小屋敷)について 式内社 松尾神社であるとしています
【抜粋意訳】
〇山梨縣 甲斐國 東山梨郡松里村大字小屋舗組
郷社 松尾(マツノヲノ)神社
祭神 大山咋命 足仲彦尊 大己貴命
氣長足姫命 天照皇大神 誉田別尊創建は景行天皇四十一年六月十三日なり、
〔社記〕延喜式神名帳に山梨郡松尾神社〔名神小〕とある是れなり、松尾縣直巻之自ら齋主となりて祀る、日本武尊東征の時、酒折宮より上武へ通するの途、此に過り休息し給ひ、巻之と歌合あり、其 舊跡 今 社中に存し、褥塚と云ふ、
文徳天皇 二年四月 小野直樹に命じて奉幣、
清和天皇 貞観元年十一月 社宇再建、
醍醐天皇 延喜中 式社に列し、大嘗会大解除祈止乞雨等の奉幣数々あり、
康平七年八月 新羅三郎義光 今の地へ遷し、並に山城國 男山より八幡大神を勧請す、祭神六座、乃ち六所明神の稱あり云々と社記にあり、松尾縣直巻之は 日本武尊の歌に和したること諸書皆 其名を伝へず、當社に之れを伝ふるは奇なりと云ふ可し、或は疑ふ 酒折の故事を誤り傅へたるものなるか、
小野直樹も亦然り、然れども小野氏は文徳實録、類聚三代格等の書に「小野貞村(或作ニ貞樹)為ニ甲斐守」など見えたれば、是を誤り傅へたるにやあらん、當社の式内社たる事は神祇寶典に「山城國 松尾社同体 大山咋神也、」
舊神祠記に「山梨郡小屋鋪村」神祇志料に「今山梨郡松尾郷小屋鋪村に在り、松尾六所明神と云ふ、蓋大山咋命を祀る云々、」覈録亦同説にて 些の疑を要せす、
甲斐國志に「六所明神〔小屋鋪〕御朱印社領十三石三斗餘、並 社地若干 鳥居場除地一畝歩、松尾明神、神明宮八幡宮等を配祀す、社記に相伝へて松尾神社なりと云ふ、社域に末社多し、
社邊に日本武尊の褥塚と云ふあり、塚上の櫻樹を褥櫻と呼ぶ、歌あり読人しらず「幾よろづ代々にかはらぬ花も咲け君がしとねのあとの櫻木、」
又 社傳七奇の中に借生檜と云ふは、六所明神出現の時 地主松尾神に七地一尺を借り、檜の苗を植うること際限なし、松尾神問うて曰く、借地一尺を借す、何ぞ樹を植うること如斯なるかと、六所神答へて曰く、先に請ふ所は 土中の深さを云ふのみと、今 合抱檜樹の如き根柢 地中に入ること僅かに二尺余と云ふ、
又 社中に二階堂出羽入道道薀が寄附の金仏あり、長一丈六尺、側に四奉行禁牘を掲げたり、
又 元録三年壬申七月 於會左京亮信安定燈定香免並七八両日の祭禮、田六貫五百文、所諸役 共に寄附の証状、其他 古物古器等枚挙に遑あらず、
恵林寺の所蔵 永禄六年の検地帳に、六所宮 九年に一度の大ツクエ祭と云ふあり、當昔の大祭と覚しけれど、更に伝はらず、
又 九社明神 六社明神の当社地にして、礎石 今に顯然たり、熊野権現神殿の後の杉樹囲三丈餘、
相伝へて日本武尊の御箸杉と云ふ、亦 七奇の一なり〔甲斐国志〕甲斐叢記に、「牧庄松尾祠松尾郷の名も、此神社より出でたるなり、社中に褥塚といふ塚存す」
又 同書郷名部に「松尾、天文永禄以来の文書に、村名を斥て妄りに郷とする事一時の風なり、」
社領に就ては、日本寺社領記に「十三石、神主云々」、又 舊神詞記にも「御朱印十三石云々」と見えたり、
尚 社記に據るに武田家世々崇敬厚く、延慶三年 花園天皇 松尾神社の扁額一面を賜り、応長元年十一月 鎌倉將軍 守邦親王 総社六所宮の扁額一面寄附、
慶長二年三月 社宇修営、同八年三月朔 徳川氏より黒印状を以て社領寄附、家光朱印状に改めらる、
明治三年社領を上地し、同六年郷社に列す、
同八年四月十一日 回禄の災あり、同九年 社号 松尾に復称し、同十二年六月十九日 社殿再建工を竣ふ。社殿は本殿、拝殿。渡殿、随神門等なり、境内二千七百二坪(官有地第一種)を有す、風致頗る佳なり。
境内神社
辨天社 巻之明神社 天神社 吉備明神社
業平社 子安明神社 蠶神社 疱瘡神社
東照宮 大歳神社 新羅明神社 荒神社
諏訪大神社 水神社 十五社大神社 水島明神社
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
松尾神社(甲斐市中下条)について 社説では 昔時 荒川は村西を流れていて 当地は山梨郡であったので 式内社 松尾神社であるとしているが 疑わしい と記しています
【抜粋意訳】
〇山梨縣 甲斐國 中巨摩郡松島村大字中下條組字冷田
郷社 松尾(マツノヲノ)神社
祭神 大山咋命 若山咋命 大己貴命
少彦名命 中津島姫命(中ハ沖ノ誤カ)創建年月詳ならず、山梨郡松尾神社即ち本社なりと云へど、諸家皆 小屋舗村なるを採れり、本社は大字下條村の鑽守なり、
社記に云ふ「延喜式に載する山梨郡松尾神社是なりと、昔時 荒川は村西と流れて、郡界を爲せり、故に其頃は牛句(ウシク)村以南の數村は山梨郡に属せり、今も山梨郡と距る事二三丁に過ぎず、永祿慶長の番帳にも共に松尾と記せり、」と而して「神門にある随神の背に文安二乙丑年正月作と記せり、石燈籠三基、其一に應永六年己卯三月立之願主敬白ともあり、又 弘安中の鰐口ありしに、文化丙寅 松尾郷 火災の時 紛失すと云ふ、天正十一年未四月十八日 大下條村長塚村にて 松尾大明 神領二貫五百六十五文の御朱印狀を始めとして、慶安以來 代々の朱印狀七通を合せ藏せり、属里名取(村名)にも松尾祠あり、本祠より勧請せるなり」と甲斐國志にあるに據りて推考するに、當社も頗る古社たるか如し、且 郡界の事に付きては「荒川金峯山の東 三繫木(ミツナギ)の南より源を發し、十里計の峡間を流れ、平瀬吉澤を出で志摩庄に至る、昔時は島上條、中下條二村の西の方を瀧坂の下に流れて、釜無川に會ひしとぞ、 (今 百々川(ドドカワ)とて川趾残れり)當時は飯田村より中下條邊迄を、凡て飯田河原と呼びしならん、今も深田多し、天正以後河道変りて巽位に向ひ、遠光寺村にて曲回し南に向ひ、西下條村にて笛吹川に合す、今は此川筋を以て巨摩山梨の郡界とす」と甲斐業記に見ゆ、社記の稱するが如く、川筋の変更はありなるなるべし、而も松尾明神は島下條に在り、是れを式社に擬するは、郡界違へり、信ず可からざるが如し。
社殿は本殿、拜殿を有し、境内七百七十五坪(官有地第一種)あり、社邊老木業生す、就中「欅樹二株各三圍許、其ー株は二幹に分る、中間の穴に處生の櫻樹あり、大さ一圍あるべし、季春季夏の望日に祀る、普時は社中の馬場にて流備馬あり、明治の初年郷社に列す。
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
松尾神社(甲斐市中下条)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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