丸田神社(京丹後市久美浜町甲山亀石)〈『延喜式』丸田神社〉

丸田神社(まるたじんじゃ)は 11代 垂仁天皇の時代 川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)によって建立されたと伝わります 神体山 甲山(カブトヤマ)山上の式内社熊野神社奥宮とし 里宮として大膳職(食物)の神を祀られた 延喜式内社 丹後國熊野郡 丸田神社(まろたの かみのやしろ)です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

丸田神社(Maruta shrine

通称名(Common name)

・里宮(さとみや)

当社は神体山 甲山(カブトヤマ)山上の式内社 熊野神社(奥宮)の里宮とされます

【鎮座地 (Location) 

京都府京丹後市久美浜町大字甲山字亀石1313

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》宇氣母智命(うけもちのみこと

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

式内社 丸田神社 大字甲山小字亀石

祭神 宇氣母智命(豊受)

由緒

 当神社の創立は古く 垂仁朝の時 川上麻須の勤勧請による。
当社は神体山 甲山(カブトヤマ)山上の式内社 熊野神社(奥宮)の里宮として大膳職(食物)の神を祀ったもので、 式内社中 丸田神社と言うは当社のみである

境内社には 蛭子神社が祀られている。
当社は背後に甲山(カブトヤマ)の磐座(イワクラ)(人喰岩)を拝し 前面の鳥居 燈籠 参道は海(現在は川)に向って造られている。
神社と磐座(イワクラ)との中間に 古代祭祀遺蹟があり 正面の対岸には矢田神社の御旅所 拝岩(オガミイワ)がある。
 甲山(コウヤマ)(兜山)は神山(コウヤマ)の転訛であり 亀石(カメイシ)は神石(カミイシ)(人喰岩)の転訛と言われる。

久美浜町教育委員会
久美浜町文化財保護委員会

現地案内板より

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由緒

 当社の創立は最も古く、垂仁天皇の代川上麻須の勧請に係れりという。
大日本地名辞書にも「延喜式丸田神社は神野村字甲山に存ず」といえるはすなはち当社なり。
往古は祭礼にも神輿ありしか慶長年中その古式を廃せりと古老の口碑にいう

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

『京都府熊野郡誌』大正12年に記される内容

【抜粋意訳】

丸田神社 村社 神野村大字甲山小字亀石 鎭座

祭神 宇気母智命

由緒

 當社の創立は最も古く、垂仁天皇の朝 川上麻須の勧請に係れりといふ。大日本地名辞書にも「延喜式丸田神社は神野村大字甲山に存す」といへるは即ち當社なり。
往古は祭礼にも神輿あり、最も盛儀を尽ししが、慶長年中 其の古式を廃せりとは口碑の伝ふる處なり、拝殿の造營財産の充實せると共に、大正十一年四月廿五日神饌幣帛料供進神社として指定せらる。

一 本殿 流レ造壹間社檜松材勾欄付屋根杉クレ板葺 建坪貮坪四合
一 上屋 切妻造松材屋根萱葺 建坪七坪五合
一 籠屋 切妻造松材屋根本瓦葺 建坪六坪
一 境内坪数 千百四十九坪 官有地第一種
一 氏子戸数 八十四戸

境内神社
 蛭児神社
 祭神 火遠理命 豊玉姫命
 由緒 不詳

【原文参照】

『京都府熊野郡誌』,熊野郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/925932

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

丸田神社 社殿

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丸田神社 拝殿

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・〈本殿の両脇に境内社 各1社

左右のどちらかが・蛭児神社《主》火遠理命,《配》豊玉姫命

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・〈本殿向って右 境内社〉

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・〈本殿向って右 境内社〉

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・二連の狛犬

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・〈拝殿前〉石段

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・割拝殿

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・参道石段

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・鳥居

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・社頭

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・社頭の海からの参道口

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)

久美浜湾の北岸からみた兜山

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久美浜湾の南岸からみた兜山〈大和王朝時代の 兜の形に見えます〉

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丸田神社 神体山 甲山(カブトヤマ)山上の式内社 熊野神社(奥宮)の里宮とされます

延喜式内社 丹後國 熊野郡 熊野神社(くまのの かみのやしろ)

・熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)については この記事を参照

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹後國 65座(大7座・小58座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)熊野郡 11座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 丸田神社
[ふ り が な ](まろたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Marota no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』に「まろたの かみのやしろ」の音を持つと所載される 式内社について

延喜式内社 越後國 頸城郡 圓田神社(まろた〈えんた〉の かみのやしろ)の論社

・圓田神社(上越市名立区丸田)

・圓田神社(上越市柿崎区岩手)

延喜式内社 丹後國 熊野郡 丸田神社(まろたの かみのやしろ)の論社

・丸田神社(京丹後市久美浜町甲山亀石)

蛭子神社&奥宮〈末社〉丸田神社(京丹後市久美浜町関家ノ上)

延喜式内社 丹後國熊野郡 丸田神社(まろたの かみのやしろ)の創建について

『丹後舊事紀』巻之九 熊野郡 には

「丸田神社 甲山村 祭神 丸田大明神 日臣命 延喜式竝小社

 垂仁天皇の朝 川上麻須郎 建立と傳ふ」と記されています

つまり
11代 垂仁天皇の時代〈皇紀632年~皇紀730年〉 川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)によって建立された と記されています

『丹後舊事紀』に記される「川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)」について

【抜粋意訳】

丹後舊事紀(たんごきゅうじき)巻一

川上摩須郎(カハカミノマスラ)

當国 熊野郡 川上の庄 須郎の庄に館を造る 開化天皇より崇神 垂仁の朝に至る

古事記に曰く 旦波道主命 川上摩須郎の女を娶て 生ませる御子 比婆須媛(ひばすひめ)渟葉田瓊入媛(ぬはたのいりひめ)野媛(まとのひめ)薊瓊入媛(あざみのにいりひめ)朝廷別王(みかどのわけのきみ) 以上五柱

川上摩須郎は 将軍道主の命と共に 當国に有て 熊野郡川上の庄に 伊豆志禰神社 丸田神社 矢田神社 三嶋田神社 を祭る

【原文参照】

『[丹後旧事紀]』(国文学研究資料館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/200017524

古代 丹波國〈川上摩須郎女と丹波道主命〉について

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京都丹後鉄道 宮豊線 かぶと山駅から川上谷川を渡り 約850m 徒歩での所要時間は12~13分

久美浜駅からは久美浜湾の南岸から 甲山(かぶとやま)の南麓を目指します

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丸田神社は 甲山(かぶとやま)の南麓 川上谷川が久美浜湾注ぐ河口辺り
 ゛はす池゛から流れ出た川が 久美浜湾注ぐ河口でもあり 足の茂っている湿地帯が目の前(南側)に広がっています

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社頭の目の前が 川上谷川の河口〈往古は海であった〉で 参拝は海からの参拝であったと云う

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今も社頭には海からの石段があります

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丸田神社(京丹後市久美浜町甲山亀石)に参着

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社頭は ほぼ東向き 石灯籠が建ち 鳥居と手水舎

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一礼をしてから鳥居をくぐります
振り返ると 海からの参道口が 鳥居の正面にある事がわかります

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石段を上がるとすぐに石灯籠があり 参道石段は つづら折れになって山を上がって行きます

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つづら折れになった参道石段は ちょうど 真下が社頭になっています

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石段を上がると 割拝殿があります

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割拝殿をくぐり抜けると 平地があり その上に もう一段高い壇が設けられていて 東向きに社殿が建っています

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石段を上がって 拝殿にすすみます

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拝殿の前には 石灯籠 二対の狛犬が座しています

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拝殿には「蛭子・大黒」の絵馬が 神額のように奉納されています

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式内社 丸田神社の論社として 蛭子神社(京丹後市久美浜町関)があります
又 延喜式内社 越後國 頸城ノ郡 圓田(まるた)神社(丸田村)の祭神は「大己貴命(大黒)・少彦名命(恵比寿)」 
「まるたの 神社」と「蛭子・大黒」 この「蛭子・大黒」の絵馬 何かの関係があるのでしょうか?

又 当社も境内社に 蛭児神社があります

本殿の両脇に境内社 各1社あり
左右のどちらかが ・蛭児神社《主》火遠理命,《配》豊玉姫命

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拝殿内の扁額は「丸田神社」

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内を割拝殿まで戻ります 

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割拝殿を抜けると つづら折れの参道石段となります

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社頭の真上迄 戻ってきました

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鳥居の後ろまで戻ってきました

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鳥居をくぐり抜けると 正面には 海からの参道石段があります

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社頭の案内によれば
正面の対岸には矢田神社の御旅所 拝岩(オガミイワ)がある」とあります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 丸田神社について 所在は゛甲山村に在す゛〈現 丸田神社(京丹後市久美浜町甲山亀石)〉と記しています

【抜粋意訳】

丸田神社

丸田は麻呂多と訓べし

○祭神詳ならず

甲山村に在す〔舊事記〕

類社
 越後國 頸城郡 圓田神社の條見合すべし

【原文参照】

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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 丸田神社について 所在は゛ 甲山にあり、゛〈現 丸田神社(京丹後市久美浜町甲山亀石)〉と記しています

【抜粋意訳】

丸田(マロタノ)神社、

 甲山にあり、神社覈録、久美縣神社取調帳、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 丸田神社について 所在は゛關村〔字矢の谷〕(熊野郡田村大字關)゛〈現 蛭子神社&境内 丸田神社(京丹後市久美浜町関家ノ上)〉と記しています

別説として゛甲山村鎭座 丸田大明神と云〈現 丸田神社(京丹後市久美浜町甲山亀石)〉も挙げています

【抜粋意訳】

丸田神社

祭神

 今按 當國 加佐郡 麻良田神社 丸田村にあり同神なるべし されど麻良田神社 祭神詳ならず 越後國 頸城ノ郡 圓田神社も丸田村にあり 此 祭神 神道ノ臣ノ命と大己貴命 少彦名命なる由を云傳ふ 此神社と同神ならんも知るべからず 附て考に備ふ

祭日 九月九日
社格

所在 關村〔字矢の谷〕(熊野郡田村大字關)

 今按 豊岡縣神社取調書に關村とあり 然るに道志流倍に甲山村鎭座 丸田大明神と云 甲山は神山なり 上方なるを甲山と云 甲の體に似たるを以てなり 關村に丸田神社あれども式内とは定がたしと云り されど今は縣の注進に從て記せり尙よく考べし

【原文参照】

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丸田神社(京丹後市久美浜町甲山亀石) (hai)」(90度のお辞儀)

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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