黒戸奈神社(甲府市黒平町)〈『延喜式』黒戸奈神社〉

黒戸奈神社(くろとなじんじゃ)は 創建年代は不詳です 社記には 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 黒戸奈神社(くろとなの かみのやしろ)であるとしています 金桜神社の末社百二十社の内であり 本殿内幣束に大山祇命 手置帆負命 彦狭知命 八耳皇子と共に鎮風神鎮火神と記し 文化二年1805とある と伝えています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

黒戸奈神社(Kurotona shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

山梨県甲府市黒平(くろべら)町3

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大山祇之命(おほやまづみのみこと)

山梨県神社庁の説明には
本殿内幣束に大山祇命、手置帆負命、彦狭知命、八耳皇子と共に鎮風神鎮火神

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒沿革:

 創建年代は不詳であるが、金桜神社の末社百二十社の内であり、本殿内幣束に大山祇命、手置帆負命、彦狭知命、八耳皇子と共に鎮風神鎮火神と記し、文化二年とある。金桜神社の広大な社有林の鎮護ともされたやうで、神仏混淆時代に入ってからの創祀(示はネ)であらう。下黒平地内の大山祇神社と略同年代と思はれる。明治八年村社に列せられてゐる。

山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/1019

【由  (History)】

黒平の能三番

山梨県指定民族無形文化財 黒平(くろべら)の能三番(のうさんばん)

 指定年月日 昭和三十五年十一月七日(県指定)
 所  地 甲府市黒平町
 所  者 黒平の能三番保存会

 黒平の能三番は、旧暦の正月十四日(二月十四日)小正月の道祖神祭の神事芸能のひとつとして演じられる舞である。

 祭の夕方 道祖神場に集まり神楽舞を奉納したあと、前年結婚や新築など祝事のあった家が宿元に選ばれ、その家に練り込んで露払いの舞、獅子神楽に続いて能三番が演じられる。
 太鼓、鼓、笛の囃子方に合わせ、翁、黒木尉(三番叟)、千歳と出て舞いながら取り交わす問答は、めでたいことばが続き、儀式的な祝言曲である。

 道祖神祭の一連の神事芸能として伝承されていた点において、能楽成立以前の古い様相を残し伝えている大変貴重な伝統芸能である。

昭和六十二十五

山梨県教育委員会 甲府市教育委員会

現地案内板より

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『甲斐国式内社並国史現在社考』に記される内容

【抜粋意訳】

第二 延喜式内社 山梨郡九座

黒戸奈神社 村社

中巨摩郡宮本村黒平字宮前 鎭

祭神
 大山祇

社記云。黒戸奈神社也。
國志所載 山の神にして、西野村本山修験密蔵院之を摂祀せり。 

【原文参照】

赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

本殿

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・本殿の彫刻

向かって左面

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向かって右面

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・神門

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・社殿 

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・〈社殿の背後巨岩

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・鳥居

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・社頭

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・境内全景

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

黒戸奈神社(甲府市黒平町)は 古くは金櫻神社(甲府市御岳町)の神領で 金櫻神社末社百二十社の一社です

・金櫻神社(甲府市御岳町)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山梨郡 9座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 黒戸奈神社
[ふ り が な ]くろとなの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kurotona no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 甲斐國 山梨郡 黒戸奈神社(くろとなの かみのやしろ)の論社

・黒戸奈神社山梨市牧丘町倉科

・黒戸奈神社(甲府市黒平町)

・細草神社(甲府市平瀬町)

・穴切大神社(甲府市宝)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR中央本線 甲府駅から県道104号と昇仙峡グリーンラインから 県道112号 経由で 北上して約24.3km 車で45分程度

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右手に 市民いこいの里 があり 駐車場があります

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黒戸奈神社(甲府市黒平町)に参着

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朱色の両部鳥居が建ちます
扁額には゛黒戸奈権現神社゛と記されています

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一礼をして 鳥居をくぐり 境内に進むと石垣が組まれた一段高い壇に玉垣が廻され その内に社殿が建ちます
社殿は本殿のみです

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殿にすすみます
神門があり くぐり抜けます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の背後には 巨岩がそびえています

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 黒戸奈神社について 所在・祭神は詳らかではない と記しています

参考に諸説を挙げて どちらか分からないとしています
倉科村唐土明神、祭神素戔鳴尊也゛〈現 黒戸奈神社山梨市牧丘町倉科
御嶽の奥黒平と云所に、黒戸(クロベ)明神と唱ふる社あり゛〈現 黒戸奈神社(甲府市黒平町)

【抜粋意訳】

黒戸奈神社

黒戸奈は 久侶登那と読り

○祭神 在所等 詳ならず

 甲斐名勝志云、倉科村 唐土明神、祭神 素戔鳴尊也、
参考亦同相傳 延喜式所載 黒戸奈神社は、黒尸奈の尸を誤て戸と書たるにて、黒尸奈神社也とぞ、

一説に、御嶽の奥黒平と云所に、黒戸(クロベ)明神と唱ふる社あり、
黒平を今黒ベラと云、ベラはベナの訛るにて、黒戸奈
(クロベナ)の神社なりと云、何れか是なる事をしらず、後の考を待のみ、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 黒戸奈神社について 所在は゛今 倉科村にあり、唐大明神といふ゛〈現 黒戸奈神社山梨市牧丘町倉科〉と記しています

【抜粋意訳】

黒戸奈(クロヘナノ)神社

今 倉科村にあり、唐大明神といふ、〔〇按 此村 谷間(くらあい)の里にて、此より奥西保など云ふ里に分入る谷の方なるを以て、黒戸奈とはいふなるべし、〕

 其祭四月三日 十月十八日用ふ、〔甲斐名勝志、山梨縣取調書〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 黒戸奈神社について 所在は゛倉科村〔字 神田〕(東山梨郡中牧村)゛〈現 黒戸奈神社山梨市牧丘町倉科〉と記しています

又 その他の説として ゛御獄の奧黑平と云所に黑戸明神あり゛〈現 黒戸奈神社(甲府市黒平町)

【抜粋意訳】

黒戸奈神社

祭神 素戔鳴尊

祭日 四月三日 十月十八日
社格 郷社

所在 倉科村〔字 神田〕(東山梨郡中牧村)

 今按 黑戸奈にて倉科に同じき趣に云ひ 又 御獄の奧黑平と云所に黑戸明神あり 黑平(クワヘラ)のべラはべナの訛れるにて黑戸奈神社なりと云る説もあれど 共に信がたし
黑平村は もと巨摩郡に属したれば本郡に入るべき由なし 倉科村は谷間(クラアヒ)の里にて 奥は西保など云村里ありて 此へ分入る谷の戸なれば黑戸奈は谷戸の義にて 奈は乃の助辞に同じければ 黑戸奈神社は 即この倉科村なるべしと注進狀に云るは當るに似たり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

黒戸奈神社(山梨市牧丘町倉科ついて 式内社 黒戸奈神社であるとし 郷社に列した事が記されています

又 式内社 黒戸奈神社の論社には その他の説として ゛一説に 御嶽の奥黒平と云ふ所に黒戸明神あり゛〈現 黒戸奈神社(甲府市黒平町)〉とも記しています

【抜粋意訳】

〇山梨縣 甲斐國 東山梨郡中牧村大字倉科字神田

郷社 戸奈(クロトナノ)神社

祭神 素戔鳴(スサノヲノ)

社記に云ふ
 当神社は 延喜式神名帳 山梨郡九座並小とある中の一社なりといふ、景行天皇御宇 皇子 日本武尊 東夷平定の後、当国鎮護 萬民幸福を祈る爲め、素戔鳴尊の神璽を出雲國より奉迎し奉り、唐土明神と称へ奉る、尊 曾て新羅に渡りまして種々神業ありければ、唐土明神とは称し奉つると

 文武天皇の頃 勅を奉じて社號を黒戸奈神社とし、村をも黒戸奈村と云ひしを、

聖武天皇 天平年間 甲斐國司史 廣足 米蔵置の為め、当村宇屋舗と云ふ地へ倉庫を築きしが、賊徒の爲めに  蔵米を奪はれたる事あり、怠慢の罪に因りて、村長始め十数人 嚴科に処せられたり、其倉庫の為めに重科に処せられたる故を以て、其時より黒を倉とし、尸奈を科に変じて、倉科村と改称せしならん、

 社號 黒尸奈の尸の字は、如何なる誤にや頭に一点を加へ、延喜式には遂に黒戸奈神社と記載せられたるなりと、社記及社寺明鑑等に見えたり、

又一説に
 景行天皇 四十一 皇子 日本武尊 東夷を平定し、御帰途 当國を経て、碓日嶺に至り給ふ御道筋に、宇小櫓嶽此地方第一の高山の峯に幕岩とする大厳あり、尊 此岩に登り、東を眺望せられし時、東鎮撫守護の神として、素戔鳴尊を祀らん事を思ひ出でさせられ、て御出陣の時  體に添へさせられたる御守を、此岩の上にめられたり、後世 里民 石の祠を造りて奉祭せるなりと云ふ、
今の倉科の地に遷座せらたれる年代は詳ならず、今此 幕岩を奥宮と称せり。

 因みに云ふ、此幕岩と称するは、小楢嶽の最も高きに直立し、高さ十数丈幅十数丈、上は平にして表は幕を張りたる様に見ゆ、又是より東地に凡三十町を距て的石と云ふあり、 高さ凡三丈、直して彼幕岩に向ひ相へり、此 的石の表面に、日本武尊、幕岩より御慰の為め射させ給ふ、矢尻の跡なりとて、些さき穴四五個あり、此 二岩を日本武尊の御旧跡と称せり。

延喜年間、式内に列せしより、大嘗會の度々籾を献上し、勅使参向のことあり、御代々々帝都より社殿御造営有り、
後冷泉御宇 康平 源頼義 心願に依りて造営し、新羅三郎義光の末裔 武田氏累代の鎮守と崇め、晴信は倉料の内にて二十五貫文の朱印を付し、徳川氏よりも米二石八斗四升の朱印を給せられたり、

明治初年 社領悉皆上地し、爾后遁減禄下賜せられ、同年郷杜に列す、

口碑に伝はる歌あり、
 鼓河なみのしらゆふうちかけて 音も名にたつ 黒戸奈の

永禄の番帳に大澤とあるは此社なるか、或は云ふ、成澤村 唐土明神鎮座の地を大澤と称す、未だ何れか是なるを知らず」と甲斐志に見ゆ、

又「相伝ふ、延喜式内 黒戸奈神社は無尸奈の尸を誤りて 尸を書きたるにて、黒尸奈神社なりとぞ、一説に 御嶽の奥黒平と云ふ所に黒戸明神あり、黒平を今は くろべら と云ふ、べら  べな の横なまれるにて、黒戸奈の神社なりと云ふ、何れか是なるを知らず云々」と甲斐名勝志に見え、

神祇志料には 黒戸奈を黒(クロ)べなと訓みて、神社は当社を採れり、其説に云はく「此村(倉科)谷間の里にて、此より奥西保など云ふ里に分け入る谷の方なるを以て、「くろべなとは云ふなる可し」と、此意 今少し解しかたけれど、若しは暗(クラ)く戸なしてふ心にて、暗戸奈(クラトナ)と云ふにやと思ひ寄せられしか、さては地勢の實況など見調べて、かの黒平の社よりは当社のかた見優りたるよりなるべし、黒尸(シ)奈の説はすてながら、当社を採れるは、如何なる故なるか、

又或書に「黒戸奈神社 御嶽の奥黒平と云ふ所に、黒戸明神ありと云ふ説あれども、信じかだし、黒平村は元巨摩郡に属したれば、本郡に入る可からず、倉科村は谷間(クラアヒ)の里にて、奥に西保など云ふ村里ありて、此へ分け入る谷の戸なれば、黒戸奈は谷戸の義にて、奈は乃の助辞に同じければ、黒戸奈神社は即この倉科村なるべし」とあり、「兎に角に  両社 甚しくまぎらはし、記して後考を挨つべきなり、

さて又 当社は「山梨郡倉科村 神主 広瀬隼人 祭神 素戔鳴尊 御朱印二石八斗」巡礼神祠記など見えて、式の内外は暫く措くも、古き御社とは聞ゆるなり、文禄年間 産子に於て造営を負担し、慶安年中 再建の事あり、

社殿は本殿、拝殿、渡殿、神楽殿を有し、境内二千八百七十七坪(官有地第一種)なり、

社藏古器物は
 黒木花表一暮、額面に黒戸奈神社とあり、吉田二位兼連卿の染筆一、金幣三本、但し物質銀作者詳ならず、
 一、御鏡三面、但物質銀作者同上、
 一、人体木橡一体、是は武田信玄の作にして、裏に永禄7甲子年7月22日大願成就馬場某奉之と記載あり、即末社諏訪大神の神なりと云ひ伝ふ。

徳川家康より拝領の品、
 一、鑓一筋 一、太刀一腰、但正宗の作、一、短刀一ヒ、(三日月ト云フ)
 右は関ケ原戦陣の時 神主 今澤右近 御供致し拝領せしものなり、

境内神社
 諏訪大神 神名社 愛宕社 蚕神社
 白山社 玉寄天神 稲荷社 厳島社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

黒戸奈神社(甲府市黒平町) (hai)」(90度のお辞儀)

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