國中神社(越前市国中町)〈『延喜式』國中神社二座〉

国中神社(くになかじんじゃ)は 元は 当社の北西にある三里山の山上に二座が鎮座しており 七堂伽藍を具備し 奉仕の社僧も多かったが 元天正數度の兵に罹り 悉く焼亡してしまった 当郡一の大社であったと云う 延喜式内社 越前國 今立郡 國中神社二座(くになかの かみのやしろ ふたくら)とされます

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

中神社(Kuninaka shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

福井県越前市国中町58-27

〈旧住所〉今立郡今立町国中58-27

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》越比古神(こしひこのかみ)

《配》越比咩神(こしひめのかみ)
   彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

○福井縣 今立郡 郷社

○福井縣 越前國 今立郡南中山村大字北中津山

鄉社 國中(クニナカノ)神社

祭神
 越比古(コシヒコノ)
 越比咩(コシヒメノ)

當社は延喜式神名帳に今立郡 國中神社、同考證に「儀式帳云、生神  大國玉命按國中興 國生語相涉、素戔嗚尊欺、云々、
覈録には、祭神不詳、官社考に、伊邪那岐神 伊邪那美神二座と云り、今従はず、〕北中津山村に在す、」とありて、
神位は神分云、從一位 國中大明神」とある神社にして、
即ち明細帳に、「當社は一の中央に座あり、故に國中を以て社とし、魂の神を祭る」とあり、歸雁記、繪圖記、足羽社記、類從越前志、南越風土記等に皆 當社の事を記載しあり、
 越前神社考に「祭神二座未詳、順和名抄,中山者今 中津山也」とあり、かるが故に往昔より國司郡宰 信仰厚く、神地寄附し、社領七十餘町ありて當郡第一の社なりしが、元天正數度の兵に罹り、社殿、攝社、末社に至る迄

悉く焼亡し、舊社地は字三十八社と稱し礎石を存するのみ、然れども現社地は往昔の本宮にして兵火を免れ、御神を始め千有餘年の古物今尙現存せり、當社は素より中山郷十有餘村の總社にして、郷中人民の崇敬厚し、始め敦賀縣に於て村社に列せられ、明治十二年九月二日更に郷社に列せらる。

社殿は本殿、拜殿を具へ、境内四百八十四(民有地第二種)あり、越の中山の東山麓にありて、古木參差枝を交へ巖石重なり、賽者をして自ら敬虔の意を惹起せしむ、又古人の歌什一層のを深からしむ「雁金のかへる道にやまよふら越の中山かすみへたて」右は西行法師の當山を詠せしもの也、寶物には當社社前に中の要石とするあり、古昔より著名なり、又古劍及獅子頭は古來唯一の寶物として傳はる。

例祭日 四月十一日

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)今立郡 14座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 中神社二座
[ふ り が な ]くになかの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kuninaka no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「國中神社(くになかの かみのやしろ)」と『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の式内社と論社について

延喜式内社 山城國 乙訓郡 國中神社(くになかの かみのやしろ)

・綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)

延喜式内社 河内國 讃良郡 國中神社(くなかの かみのやしろ)

・國中神社(四條畷市清滝中町)

延喜式内社 越前國 今立郡 國中神社二座(くになかの かみのやしろ ふたくら)

・国中神社(越前市国中町)

・國中神社(越前市中津山町)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

ハピラインふくい線 鯖江駅からR417号経由で東へ約6.6km 車での所要時間は11~13分程度

社頭から北東方向へ140m程の所が 参道入口となっていて「式内 國中神社」の社号標が建てられています

その傍らに「中の要石称する要石があります

社殿 境内 社頭き北東方向を向いています

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社頭には朱色の鳥居が建ち「式内 國中神社」の社号標があります

中神社(越前市国中町)に参着

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一礼をして鳥居をくぐり抜けて境内に進むと 正面に石段が見えています
右手には 社務所があります

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石段の下には 狛犬が座しています
急な上りではありませんが ちょっと長い石段です

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参道の石段の中間辺りに 山からの獣除けの柵が張られていて 神門にも板戸が設置されています

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内参道を戻ります

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鳥居をくぐり抜けます

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辺りは すかっり日も落ちて暗くなってきました

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 國中神社二座について 所在は゛北中津山村に在す、〈現 国中神社(越前市国中町)〉と記しています

【抜粋意訳】

國中神社二座

國中は久爾奈加と讃り

○祭神詳ならず

官社考に、伊邪那岐神 伊邪那美神二座と云り、今従はず〕

○北中津山村に在す、〔官社考

例祭 三月十一日、八月六日、十一日、

類社
 山城國乙訓郡、河內國讃良郡 國中神社、〔各一座〕

神位
 惣神分云、從一位 國中大明神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 國中神社二座について 所在゛今北中津村にあり、國中明神といふ゛〈現 国中神社(越前市国中町)〉と記しています

【抜粋意訳】

國中(クニナカノ)神社二座、

今北中津村にあり、國中明神といふ、

凡三月十一日、毎月八日、六月十一日祭を行ふ、〔越藩拾遺、越前古名考、神社覈録

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 國中神社二座について 二座の各々の所在を記しています
一座 北中津山村(今立郡南中山村大字北中津)゛〈現 国中神社(越前市国中町)〉
一座 南中津山村(今立郡栗田部村大字南中津)゛〈現 國中神社(越前市中津山町)〉

【抜粋意訳】

國中神社二座

祭神

今按 敦賀縣註進狀 祭神不詳とあり 官社考に伊邪那岐神 伊邪那美神二座とあれど 舊事紀に國中之御柱と云によりて 思ひよせたる說と聞ゆれば信がたし

祭日 八月十一日
社格 村社明細帳に南中津村國中神社 中津村國中神社 二社共 郷社 中津村は明治十四年月二十一日許可
(郷社)

所在
 一座 北中津山村(今立郡南中山村大字北中津)

 一座 南中津山村(今立郡栗田部村大字南中津)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

中神社(越前市国中町) (hai)」(90度のお辞儀)

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越前国 式内社 126座(大8座・小118座)について に戻る

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