國中神社(くになかじんじゃ)は 社伝によれば 当社は越前の中央にあり 越の中山と称し 和名抄に中ツ山の郷とあります 祭神は越國の御霊彦姫の二柱を祭る 延喜式内社 越前國 今立郡 國中神社二座(くになかの かみのやしろ ふたくら)とされ 往古より上宮外宮と分け祀り 当社は上宮の一座であったとされます

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
國中神社(Kuninaka shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
福井県越前市中津山町1-23
〈旧住所〉今立郡今立町中津山1-23
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》越國霊彦神(こしのくにたまひこのかみ)
越國霊姫神(こしのくにたまひめのかみ)
《合》天照皇大神(あまてらすすめおほみかみ)
松葉大神(まつばのおほかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
式内 國中神社 沿革
祭神
越國霊彦神(こしのくにたまひこのかみ)
越國霊姫神(こしのくにたまひめのかみ)
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
松葉大神(まつばのおおかみ)例祭 十月五日
由緒沿革
國中神社は、延喜五年(西暦九〇五年)醍醐天皇の勅命で編纂された「延喜式」神名帳に載る式内社で、その頃既に存在していたことが証明される歴史ある神社である。
社伝によれば、当社は越前の中央にあり、越の中山と称し、和名抄に中ツ山の郷とある。
祭神は越國の御霊彦姫の二柱を祭り、延喜式に國中神社二座とあり、往古より上宮外宮と分け祀り、当社は上宮の一座であった。往古は字中山と称する山上に鎮座され、その状況は七堂伽藍を具備して奉仕の社僧も数多く数箇の坊舎があったと伝えられる。中でも別当職正官坊は禁裏より代々法印の位を賜り、その裏付けたる法印の石造り層塔が今尚残り、現在二の宮の西方に建立されている。天正年中兵乱によって、壮麗な大社は廃絶 その後 現座の地に鎮座された。
明治十二年十一月村社に列せられ、同十四年三月郷社に列せられた。明治四十年八月福井県の許可を得て境内神社 松葉神社祭神松葉大神、神明神社祭神天照皇大神を合祀した。
明治四十四年八月福井県告示第一三〇号を以て神饌幣帛料供進神社に指定された。
現地石碑より

Please do not reproduce without prior permission.
【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
○福井縣 今立郡 郷社
○福井縣 越前國 今立郡南中山村大字南中津山
郷社 國中(クニナカノ)神社
祭神
越國靈彥(コシノクニタマヒコノ)神
越國靈姬(コシノクニタマヒメノ)神當社は越前の中央地にありて越の中山と稱し、和名抄に中津山郷と云ふ、是也、
延喜式神名帳に今立郡 國中神社とありて、往古より上宮下宮と祀り、則ち當社は上宮の一座也、始め越の中山の嶺頂に鎭座ありしも天正年中兵燹に罹り、社殿、古記録等鳥有に歸し、頗る壯麗を極めし大社も全く跡方なく、今は只暫く、耕地の字名に残るのみ、現社は字中山と云ふ麓に再建鎭座せるもの也、明治十二年十一月村社に列せられ、同十四年三月郷社に昇格す、拜殿内の扁額は正二位有長の染筆、拜殿前の扁額は福井藩主 正三位源慶永公の揮毫にかかる、
又 末社 松葉神社は往古 松尾と云ふ所に鏡座ありしを、天正中 此の地に遷座せしものなりとぞ。
社殿は本殿、拜殿、等にして、境内八百八十坪(民有地第二種)を有し、社前に假の石垣兩側の石燈籠の按配等頗る大社の形を存し、相撲場の設あり、境地は行司ヶ嶺の麓に在りて樹木多く頗る壯観也。
境内神社
松葉神社 神明神社
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・招魂社《主》護国の英霊
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
スポンサーリンク
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)今立郡 14座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 國中神社二座
[ふ り が な ](くになかの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kuninaka no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
スポンサーリンク
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
「國中神社(くになかの かみのやしろ)」と『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の式内社と論社について
延喜式内社 山城國 乙訓郡 國中神社(くになかの かみのやしろ)
・綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)
延喜式内社 河内國 讃良郡 國中神社(くなかの かみのやしろ)
・國中神社(四條畷市清滝中町)
延喜式内社 越前國 今立郡 國中神社二座(くになかの かみのやしろ ふたくら)
・国中神社(越前市国中町)
・國中神社(越前市中津山町)
スポンサーリンク
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
ハピラインふくい線 鯖江駅からR417号経由で東方向へ約7.3km 車での所要時間は15~16分程度
粟田部城跡のある行司ヶ岳の北側の麓に鎮座します
社殿 境内は北西方向を向いています
國中神社(越前市中津山町)に参着

Please do not reproduce without prior permission.
境内に鳥居が建ち そこから石段があり 石段の上に社殿が建てられています

Please do not reproduce without prior permission.
一礼をして鳥居をくぐり抜けて 石段を上がります

Please do not reproduce without prior permission.
社号標があり「郷社 式内 國中神社」と刻字されています

Please do not reproduce without prior permission.
石段の両脇には 狛犬や石燈籠があります

Please do not reproduce without prior permission.
石段の右手に手水舎があり
清めてから 拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.
社殿に一礼をして 参道石段を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.
スポンサーリンク
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 國中神社二座について 所在は゛北中津山村に在す、〈現 国中神社(越前市国中町)〉と記しています
【抜粋意訳】
國中神社二座
國中は久爾奈加と讃り
○祭神詳ならず
〔官社考に、伊邪那岐神 伊邪那美神二座と云り、今従はず〕
○北中津山村に在す、〔官社考〕
例祭 三月十一日、八月六日、十一日、
類社
山城國乙訓郡、河內國讃良郡 國中神社、〔各一座〕神位
惣神分云、從一位 國中大明神、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 國中神社二座について 所在゛今北中津村にあり、國中明神といふ゛〈現 国中神社(越前市国中町)〉と記しています
【抜粋意訳】
國中(クニナカノ)神社二座、
今北中津村にあり、國中明神といふ、
凡三月十一日、毎月八日、六月十一日祭を行ふ、〔越藩拾遺、越前古名考、神社覈録〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 國中神社二座について 二座の各々の所在を記しています
゛一座 北中津山村(今立郡南中山村大字北中津)゛〈現 国中神社(越前市国中町)〉
゛一座 南中津山村(今立郡栗田部村大字南中津)゛〈現 國中神社(越前市中津山町)〉
【抜粋意訳】
國中神社二座
祭神
今按 敦賀縣註進狀 祭神不詳とあり 官社考に伊邪那岐神 伊邪那美神二座とあれど 舊事紀に國中之御柱と云によりて 思ひよせたる說と聞ゆれば信がたし
祭日 八月十一日
社格 村社〔明細帳に南中津村國中神社 中津村國中神社 二社共 郷社 但南中津村は明治十四年三月二十一日許可〕
(郷社)所在
一座 北中津山村(今立郡南中山村大字北中津)一座 南中津山村(今立郡栗田部村大字南中津)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
國中神社(越前市中津山町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.




