朽羅神社(くちらじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 倭姫命が祝い定めたとされ 水田の中いかにも神が坐します雰囲気の゛宮田森゛に鎮座します 社名は゛朽羅(くちら)とも久麻良比(くまらひ)゛とも云い 共に゛籠(こもる)゛の転訛りで゛神の籠る森゛であるという意味とのことです 延喜式内社 伊勢國 度会郡 朽羅神社(くちらの かみのやしろ)とされます
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
朽羅神社(Kuchira shrine)
【通称名(Common name)】
・宮田森
【鎮座地 (Location) 】
三重県度会郡玉城町原字森ノ前272
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》千依比賣命(ちよりひめのみこと)
千依比古命(ちよりひこのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・〈皇大神宮(内宮)摂社〉
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮要綱』〈昭和3年1928)〉に記される内容
【抜粋意訳】
朽羅神社
鎭座地 三重縣度會郡東外城田村大字東原
殿舎
正 殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉 垣 連子板打・・・壹重
鳥 居 神明造・・・壹其
右神宮司庁造替朽羅(クチラ)神社も、亦、延喜大神宮式及び神名式に載す。儀式帳には久麻良比神社に作り、倭姫命の祝ひ定め給ふ所なるよしを記せり。寛文三年現地に再興す。御巫清直の二宮管社沿革考には、東原の支邑庄出の産神中の宮の地を以て本社の舊地となせり。
明治二十五年上地官林八畝二十二步を復す。儀式帳に祭神 千依比賣(チリヒメ)命・千依比古(チリヒコ)命と見えたり。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『神宮摂末社巡拝』下〈昭和18年(1943)〉に記される内容
【抜粋意訳】
朽羅神社(くちらじんじゃ)
本社は大字東原の畠の眞中で、大きな森がそびえさしてゐる。皇大神宮の攝社で、御社名は、皇大神宮儀式帳には久麻良比(くまらひ)神社とあり。延喜大神宮式には朽羅社(くちらのやしろ)、同神名式には朽羅(くちら)神社と見えてゐる。御銭座地は度會祁東外城田村大字東原(ひがしはら)の地で、田圃の中の森の中に鎭まりましてゐる。社頭には天保三年の常夜燈が立ってゐる。
御社名のクマラヒはクチラの轉訛で、共に厚義は「籠(こもる)」といふ文字から出てゐるやうに思はれる。コモルといふのは神のコモツてゐる所といふ意味で、昔から非常に神聖視された大きな森であったことがうかがはれる。
神社の西隣の部落、今は多氣郡に属してゐるが、西外城田村の大字に森荘(もりのやしろ)といふ名前の残ってゐるのは、本社の森から出た名前と思はれる。御祭神は、儀式帳には、大歳神の兒である千依比賣命(ちよりひめのみこと)一柱となってゐるが、神宮司廳では、現在は、千依比賣命(ちよりひめのみこと)と千依比古命(ちよりひこのみこと)との二柱をお祭り申し上げてゐる。
森莊•束原等の城田郷の田野の農耕神である。
御鎭座は、儀式帳に、倭姫命の御世に祝ひ定められたものとあり、御正殿は一宇・御社地は二段と見えてゐる。中世殿舎頽廃せしを以て、寛文三年御再興に相成り、以て今日に至ってゐる。
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
朽羅神社は 皇大神宮(内宮)の摂社です
・皇大神宮(内宮)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社
度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭
以下略
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 朽羅神社
[ふ り が な ](くちらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kuchira no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
内宮・外宮の摂社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR参宮線 外城田駅から 約2.6km南下 車5分程度
宮川の北側を並行して流れる外城田川(ときたがわ)の中流域 玉城町原字森ノ前の水田の緑の中に゛宮田森゛と呼ばれる鎮守の杜が ぽつんと鎮座します
私は 鎮守の杜に東側から 田の畦道に車を止めて 畦道を歩き近づきました
正式な参道は 境内の西側からのようなので くるりと廻りを歩いて゛宮田森゛を眺めます いかにも神が坐します雰囲気の杜
社名の゛朽羅神社゛は ゛久麻良比(くまらひ)神社゛とも云い 「くちら・くまひら」は共に゛籠(こもる)゛の転訛りで゛神の籠る森゛であるという意味とのことです
朽羅神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に参着
境内の南面にある入り口には゛朽羅神社 社域゛と刻された小さな石柱
さらに 神宮司庁の立札と紀州藩の建てた禁殺生石 (享保甲辰建 )があります
一礼をしてから 境内へと参道を進むと 大木の切り株〈環境省資料 幹囲655cmスギ〉があります
立ち木であれば神々しい参道だったろうな~と想いつつ ゆるやかに弧を描く参道を進みます
正殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉
社殿に一礼をして 参道を戻ります
境内の入り口から 外を眺めると 一面の水田です
御祭神の゛千依比賣命(ちよりひめのみこと)千依比古命(ちよりひこのみこと)゛は 農耕の神であるとのこと ここから里を見守っているのでしょう
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【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 朽羅神杜について 所在は田邊郷東原北 俗云 宮田森 に在す〈現 朽羅神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
朽羅神杜
朽羅は久知良と讀り
○祭神 千依比賣命
○田邊郷東原北 俗云 宮田森 に在す、神名略記
○式四、伊勢大神宮 大神宮所摂廿四座の第九に載す、
○儀式帳云、稱に大歳神兒 千依比賣命、形石坐、倭姫内親王御世定祝、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 朽羅神杜について 所在は田邊郷東原村にあり〈現 朽羅神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
朽羅(クチラノ)神社
今 田邊郷東原村にあり、神祇本源、神名秘書、度會縣式内神社帳、
久麻良比神社といふ、大歳神兒 千依比賣命を祀る、延暦儀式帳、醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、
凡 己上三座、及 川原 榛原 御船社、併 太神宮所攝廿四座の神也、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 朽羅神杜について 所在は田邊郷東原村〈現 朽羅神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
朽羅神社 ー云 久麻良神社
祭神 千依比賣命 大歳神兒
今按 延曆儀式帳に久麻良比神社一處に大歳神兒 千依比賣命云々 同書に解に一本久麻良比賣神社とあり 名義は知らねど千依比賣命の別名とみゆ 當社大神宮式には見えずして 田邊郷原村なる朽羅社を加へたり 或人 久麻良比 朽羅社一社二名なるべしと云りと見ゆ 儀式帳と大神宮式と所攝の社を合せみるに 同社なること著し故 定めて記せり
寛文三年 今の地に造立すれど東原村にて 原村にありと云ふ舊社は 原庄出の産神ならむ四至儀式帳に合すと檢録に云へり祭日 同上
社格 内宮所攝廿四所之内 (内宮攝社 )所在 三重縣田邊郷東原村 (應會郡東外城田村大字東原 )
【原文参照】