子安神社(浜松市中央区白鳥町富田)〈『延喜式』子倉神社〉

子安神社(こやすじんじゃ)は 元々は天竜川左岸の集落(富田村字堤外中ノ町)に鎮座していましたが 昭和14年(1939)5月天龍川改修工事によって 堤防傍の現在地に遷座しています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)の論社です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

子安神社(Koyasu shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

静岡県浜松市中央区白鳥町富田1350

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》木花之佐久夜毘(このはなのさくやひめのみこと)

須佐之男命(すさのをのみこと)
   譽田別命(ほんだわけのみこと)
   牛頭天王(ごずてんのう)

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『遠江』に記される内容

【抜粋意訳】

第四章 神社 第一節 式内社

子倉神社 稱 子安神社

祭神 飯田村稻荷明神、齊倉稻魂命。(一)木靈。(三)詳ならず、

(五)木花開耶姫命。

祭日 三月十六日
社格 (明細帳に子安神社とあり無格社)
所在 (フ)式載長上郡、按今在 豊田郡富田村 子安明神乎、社地水害而古傳亡焉、又 大海村子倉明神社 地隔越未詳 今人謂 上飯田村稻荷明神者、地理違、 (飯田當長下郡 ) 

○大倉坐小倉明神社、「長上郡之式社轉在ニ于玆」(三)詳ならず。

(五)富田村今屬ニ豊田郡、
○今按、風土記傳に今 富田村子安明神 
卽本社にして、大海村は之より移し、飯田村も是より移せし社なりと云へば、今はこの誤によりて記せり ,尚よく考ふべし、

(十 )飯田村にある稻荷なりといへども、未詳、(七)朝日波多加社條を見よ、(八)富田村。

【原文】

太田亮 著『遠江』,磯部甲陽堂,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1176478

太田亮 著『遠江』,磯部甲陽堂,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1176478

【由  (History)】

奉納絵馬より

 子安神社に奉納する絵馬は安産を祈願し、男子が出生したときは「鎌の絵馬」を、女子が出生したときは「竹杓の絵馬」を奉納する。
 絵馬は、枠なしの杉板に文字、絵とも墨書とし大きさは適宜でよい。
 元は、鎌・竹杓(底に孔をあける)の実物を奉納したのだが変化したという。
 また、祭りには子安神社の甘酒を飲むと、乳が良く出ると昔から言われている。

現地奉納絵馬より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江國 62座(大2座・小60座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)長上郡 5座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 子倉神社
[ふ り が な ]こくらの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kokura no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)の論社について

・子安神社(浜松市中央区白鳥町富田

・稲荷神社(浜松市中央区飯田町)

・子倉神社(磐田市笠梅)

・蒲神明宮(浜松市中央区神立町)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR東海道線 天竜川駅から天竜川沿いに北上して約5.2km 東名高速が天竜川を渡る橋の手前 天竜川の土手の横になります

子安神社は 元々は左岸河原の集落(富田村字堤外中ノ町)に鎮座していましたが 昭和14年(1939)5月天龍川改修工事によって 堤防傍の現在地に遷座しています

天竜川の土手と生コン工場の間に参道入口があります

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県道344号の走る天竜川の土手沿いに境内があります

子安神社(浜松市中央区白鳥町富田に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて参道を進みます

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鳥居には扁額がないなと想ったら 多分 危険で取り外したと想われる扁額が参道の脇に置かれていました
間違いなく゛子安神社゛です

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広い境内にはコンクリート製の参道があり 境内は草も刈られていて ゴミ一つなく整備されています

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参道の途中に石灯籠があり その左側が白鳥町公民館です 正面の

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の屋根瓦に鬼瓦のような装飾がありました

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近づいてみると 逆さ立ちをしている狛犬の瓦 でした 見事な構えです

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社殿は 拝殿の奥に幣殿 その奥に石垣の上に本殿の覆い屋が建っています

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境内東側の奥には 子育観音と地蔵様

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社殿に一礼をして 境内参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 子倉神社について ゛祭神在所等詳ならず゛〈祭神 所在ともに不明〉と記しています

【抜粋意訳】

子倉神社

子倉は古久良と訓べし

○祭神在所等詳ならず

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 子倉神社について ゛社号のみ記載゛〈祭神 所在ともに不明〉と記しています

【抜粋意訳】

子倉(コクラノ)神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 子倉神社について ゛富田村〔今属 豐田郡〕゛〈現 子安神社(浜松市東区白鳥町)(※昭和14年5月天龍川対岸富田村字堤外中ノ町から〈現地〉に移転しています)〉と記しています

其の他の説として
゛長上郡飯田村字子倉にます稻荷神社゛〈現 稲荷神社(浜松市南区飯田町)〉
゛豐田郡大海村 小倉神社゛〈現 子倉神社(磐田市笠梅)※豊田郡大海村は現在の静岡県磐田市笠梅に位置していた地域〉

【抜粋意訳】

子倉(コクラノ)神社

祭神 木花開耶姫(コノハナサクヤヒメノ)命

祭日 三月十六日
社格 (明細帳に子安神社とあり 今無格社)

所在 富田村〔今属 豐田郡

 今按 注進狀に長上郡飯田村字子倉にます稻荷神社と云へど 風土記傳にこの地は長下郡なるべく思はるれば地理違へりと云は信がたし
 又 豐田郡大海村 小倉神社とも云へど
 風土記傳に今 富田村 子安明神 即本社にして 大海村は之より移し 飯田村も是より移せし社なりと云へば 今はこの説によりて記せり 尚よく考ふべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

子安神社(浜松市中央区白鳥町富田 (hai)」(90度のお辞儀)

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