古烏神社(こがらすじんじゃ)は 現在 阿南市宝田町に鎮座する正八幡神社の境外社です 927年12月編纂の『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』には 阿波国に50座が所載されますが その内の1座「建比賣神社(Takehime no kamino yashiro)」に比定されている格式高い神社です
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
古烏神社(Kogarasu Shrine)
(こがらすじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
徳島県阿南市宝田町大字下荒井字川原64
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》建比賣命(Takehime no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 正八幡神社(阿南市宝田町)の境外社
【創 建 (Beginning of history)】
社伝によれば
創建は大宝2年(702)
式内社 古烏神社の由来
此の社はもと建比売神社と称していたが 多くの歳月を経るに従い社地に古木うっ葱と茂り静かで奥深く 普段樹木に鴉が多く棲息していたので 古老等は古烏大神宮と呼んでいたが 明治三年神社制度改革にあたり 古烏神社と改名された。
創建は幾多の災害に罹った為に其の資料を失い不詳であるが 大宝2年(702)と伝えられている。
本社は延喜式神名帳に格式古社として登録され御
祭神を建比売命と称し 竹原郷荒井下村川瀬ヶ崎に鎮座されたとある。この神は 諸説あるが大国主命の娘建比売命下照姫 或いは 豊葦建姫命と称され社務所に巫女等がいて神事を司っていたと言う。
尚 鳥居は式宮の証しとして 今も顕示され 亦 讃岐の白鳥 阿波の黒鳥との伝承は 往年の神威の一端を示すものである。
平成27年9月吉日
宮司 助石信弘
奉納 岡久照男
〃 大津弘志境内石碑文より
【由 緒 (history)】
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・三拾番神社(Sanjuban Shrine)
《主》罔象女命(mizuhanome no mikoto)
昔は川原百一番に鎮座せしを 昭和になり 当神社に遷座した
罔象女命は水の神様で 人間をはじめ あらゆる動植物の命の根源であります平成29年9月吉日
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座
…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)阿波国 50座(大3座・小47座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 7座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 建比賣神社
[ふ り が な ](たけひめの かみのやしろ)
[How to read ](Takehime no kamino yashiro)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
御祭神の「建比賣命(Takehime no mikoto)」について
「建比賣命(Takehime no mikoto)」は 謎の女神です
同じ神(同神)とされる神々です
大国主命の娘神「下照比売命(shitateruhime no mikoto)」
別名を「高姫(takahime)」「稚国玉(wakakunitama)」であるとも
武蔵国(現 埼玉県桶川市)に鎮座する
多氣比賣神社(Takehime Shrine)の御祭神
豊葺健姫命(Toyoashitakehime no mikoto)と同神ともされます
多氣比賣神社(Takehime Shrine)の記事をご覧ください
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
阿南駅から 県道130号経由 約2km 車5分程度
徳島・小松島方面に向かい桑野川を渡った先で右手に入る
古烏神社(Kogarasu Shrine)に参着
かつては「白木鳥居」であったようですが 白いコンクリート製の鳥居の奥にクリーム色のコンクリート製の拝殿が建ちます
一礼して 鳥居をくぐります すぐ右に手水舎
拝殿にすすみます
扁額には「古鳥神社」とあります
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
右手より拝殿に一礼して 境内を出ます
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『阿波志(awashi)』に記される伝承
御祭神の建比賣命(Takehime no mikoto)について 考証が記され
延喜式所載の那賀郡 7座の一座であると比定しています
意訳
建比賣祠 延喜式 又 小祠と為す
曰く 荒井下村川瀬崎 小烏祠 即ち是を云ふ建姫 おそらく 高姫 又は 下照姫と称す
又は 天探女 又は 稚國玉
神代紀に云う高皇霊尊・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・(略)(同じ 御祭神を祀る神社として)
又 いわく 恐らく
埴安比売は 勝浦郡 建島女祖神武蔵 多気比売神(豊葦建姫命)
大和 十市郡 健土安神 皆同じ 以上
延喜式所載の那賀郡 7座の一座である
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『阿波志』著者:佐野憲 文化12年(1815年)全12巻[旧蔵者]教部省 写本 ,明治
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002320&ID=M2018051415051134342&TYPE=&NO=画像利用