蚊野神社(かのじんじゃ)御同座する 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)は 第21代 雄略天皇(457~479年)が定めたと伝え 皇大神宮(内宮)の27摂社の第7位と格式があります 規定では 造替使がその任に当り 20年に1度正宮と並び正殿を造替える神社でしたが 中世には頽廃してしまいます 寬文三年(1663)大宮司 河邊精長により 現社地に再興され 現在に至ります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
蚊野神社(Kano shrine)
〈御同座〉蚊野御前神社(Kano mimae shrine)
【通称名(Common name)】
・かなもりさん
【鎮座地 (Location) 】
三重県度会郡玉城町蚊野字里中1807
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
蚊野神社
《主》大神御蔭川神(おほみかみのみかげかはのかみ)
※『神名帳考証』には 瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
〈大神御蔭川神の神名を「川に臨んで罪を祓い清浄に至る天照大神の御霊」と解釈〉
〈御同座〉蚊野御前神社
《主》御前神(みまえのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・〈皇大神宮(内宮)摂社〉
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮摂末社巡拝』下に記される内容
【抜粋意訳】
蚊野神社(かのじんじゃ)
朽羅神社を拜し終ってから、東原の熊野街道に出で、所謂蚊野の松並木に昔の熊野西國街道の名残りを偲び、蚊野の村に入って、蚊野神社(かのじんじゃ)に達す。
本社は皇大神宮の攝社で、御社名は儀式帳及び延喜大神宮式には 蚊野社、同神名式には蚊野神社と見えてゐる。御造誉は本年成りたるばかりで、木の香も新らしく、清々しいぱかりである。御鎭座地は、度會郡東外城田村大字蚊野で、神社は部落の北蚊野の森の中に鎭座してゐる。
蚊野の田野の開拓守護神として、御祭神は大神御蔭川神(おほみかみのみかげかはのかみ)を御祭り申し上げてゐる。
蚊野の田野をうるほす外城田川支流の灌漑用水の大神を御祭り申し上げたものである。これに特に大神(おほみかみ)といふ文字の添ってゐるのは、この地が荒木田氏によって開拓され、大神宮頷となつた後、天照大神の卸蔭を蒙るに至つた地方であることを物語ってゐるものである。雄略天皇の御代の御鎭座で、御正殿一宇の外に前殿一宇あり、御前神をも併せ祭られてゐたものであるが、中世社殿頽廃後、寬文三年御本殿一宇のみ御再興ありしを以て御前神は現在御同殿内に御祭り申し上げてゐる。社地は二町とあり。儀式帳によると、造宮使造替六社の一つとして攝末社の中でも特別の御崇敬を受けた神社であることが分る。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『内宮私考』〈明33年(1900)〉に記される内容
【抜粋意訳】
蚊野神社
此社は 度會郡東外城田村大字蚊野に在り
祭神は大神御蔭川神に座せり
但 皇太神宮延曆儀式帳神名秘書に據る蚊野御前神社
此社は 蚊野神社域に在り 正殿中絶せしに依て 蚊野神社に御同座
祭神は 詳ならず恐らくは 御蔭川神ノ荒魂を祭れる社ならむ
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
蚊野神社〈御同座 蚊野御前神社〉は共に 皇大神宮(内宮)の摂社
・皇大神宮(内宮)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
゛神宮の諸社が 祈年 神嘗祭に並預゛と記されます
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社
度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭。
以下略
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 蚊野神社
[ふ り が な ](かのの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kano no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
内宮・外宮の摂社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
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内宮・外宮の摂社・末社にある゛御前神(みまえのかみ)゛について
本社とする神社の御前(みまえ)にある神の意です
朝熊御前神社 (あさくまみまえじんじゃ)〈内宮域外の摂社(朝熊神社境内)〉
・朝熊神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》大歳神(おおとしのかみ)・苔虫神(こけむしのかみ)・朝熊水神(あさくまのみずのかみ)
・朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》朝熊御前神(あさくまみまえのかみ)
園相神社(そないじんじゃ) 御同座 御前神(みまえのかみ)
・園相神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》曽奈比比古命(そなひひこのみこと)〈別称 園作神(そのつくりのかみ)〉
御前神(みまえのかみ)
鴨神社(かもじんじゃ) 御同座 御前神(みまえのかみ)
・鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》石己呂和居命(いしころわけのみこと)
御前神(みまえのかみ)
田乃家神社 御同座 田乃家御前神社 (たのえみまえじんじゃ)
・田乃家神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》大神御滄川神(おおかみのみさむかわのかみ)
・〈御同座〉田乃家御前神社《主》御前神(みまえのかみ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉
蚊野神社 御同座 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)
・蚊野神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》大神御蔭川神(おおかみのみかげかわのかみ)
・〈御同座〉蚊野御前神社《主》御前神(みまえのかみ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉
湯田神社 御同座 御前神(みまえのかみ)
・湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと)・御前神(みまえのかみ)
久具都比賣神社 御同座 御前神(みまえのかみ)
・久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》久具都比女命(くぐつひめのみこと)・久具都比古命(くぐつひこのみこと)・御前神(みまえのかみ)
棒原神社 御同座 御前神(みまえのかみ)
・棒原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》天須婆留女命御魂(あめのすばるめのみことのみたま)・御前神(みまえのかみ)
田上大水御前神社 (たのえおおみずみまえじんじゃ)〈外宮域外の摂社〉
・田上大水神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)〈伊雑宮 所管社〉
・佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)《主》佐美長御前神
朝熊神社の御前神 鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)〈内宮の末社〉
鏡宮神社は 朝熊神社の御前神とされます 朝熊神社の境内に朝熊神社が建てられたため 現在地に遷座
・鏡宮神社〈皇大神宮(内宮)末社〉
《主》岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)
〈朝熊神社の御前神 岩上二面神鏡霊で御鏡を鎮祭する〉
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR参宮線 外城田駅から南下約1.6km 車5分程度
境内の南側に入り口があります
蚊野神社〈御同座 蚊野御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉に参着
入り口の左右に石柱があり
向かって左の石柱には゛神宮゛ 向かって右の石柱には゛蚊野神社 社域゛と刻字されています
一礼をして 石段を上がると 又石柱かあり゛皇大神宮摂社 蚊野神社゛とあります
大木の脇を抜けて続く縁石で仕切られた参道を進みます
正殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉
雄略天皇の御代の御鎭座で゛御正殿一宇の外に前殿一宇あり 御前神をも併せ祭られてゐたものであるが、中世社殿頽廃後、寬文三年御本殿一宇のみ御再興ありしを以て御前神は現在御同殿内に御祭り申し上げてゐる゛と伝わり
古代には 御前神を祀る御前社が存在し二殿であったと伝えます
寬文三年(1663)の再興からは一殿となり 御前神は御本社に御同座して坐ます
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 蚊野神社について 所在は田辺郷蚊野村に在す〈現 蚊野神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉とし
創建年代は 大長谷天皇御宇〈第21代 雄略天皇の御代(457~479年)〉と記しています
【抜粋意訳】
蚊野神社
蚊野は加能と訓べし
○祭神 太神御蔭川神
○田辺郷蚊野村に在す、神名略記
○式四、伊勢大神宮 大神宮所摂廿四座の第五に載す、
〇儀式帳云、稱に太神御蔭川神、形鏡坐、大長谷天皇御宇定祝、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 蚊野神社について 所在は田邊郷蚊野村 加那森にあり〈現 蚊野神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉とし
創建年代は 大長谷天皇御宇〈第21代 雄略天皇の御代(457~479年)〉と記しています
【抜粋意訳】
蚊野神社
今 田邊郷蚊野村 加那森にあり、延暦儀式帳、神祇本源、神名帳考証、
太神の御蔭川神と稱す、形鏡に坐す、雄略天皇 御世定祝奉る、延暦儀式帳、
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式、
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 蚊野神社について 所在は東外域田村大字蚊野〈現 蚊野神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
蚊野神社
祭神 大神御蔭川神
祭日 二月十一月十二月
社格 内宮所攝 二十四所之一所在 三重縣田邊郷蚊野村加奈森(度會郡東外域田村大字蚊野)
【原文参照】
蚊野神社〈御同座 蚊野御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)