鴨神社(かもじんじゃ) は 皇大神宮(内宮)の摂社で『延暦儀式帳』〈延暦23年(804)〉によれば ゛倭姫命の祝ひ定め給ふ所゛と伝わり その後 中世に頽廃しましたが 寬文三年(1663)攝社として再興され この時は 本村字竈谷の地゛氷室洞くつ゛の所に本社が造立されています 明治九年(1876)更に神宮司廳に於て 現在の地に移造されています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
鴨神社(Kamo shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県度会郡玉城町山神字岡谷1398
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》石己呂和居命(いしころわけのみこと)
御前神(みまえのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・〈皇大神宮(内宮)摂社〉
【創 建 (Beginning of history)】
『延暦儀式帳』〈延暦23年(804)〉によれば 倭姫命の御世に創建
鴨神社 皇大神宮摂社
鴨神社は倭姫命が祝い定められたお社で、御祭神は大水上の御子、石己呂和居命・御前神(いしころわけのみこと・みまえのかみ)である。
本社の傍に斎王が使うための氷を貯蔵したと伝えられる岩窟(氷室)があり,清泉がこんこんと湧出し,旱天にも枯渇しない。現地の立札より
【由 緒 (History)】
『神宮要綱』〈昭和3年(1928)〉に記される内容
【抜粋意訳】
鴨神社
鎭座地 三重縣度會郡東外城田村大字山神
殿 舎
正 殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、板扉付・・・壹間
玉 垣 連子板打・・・壹重
烏 居 神明造・・・壹其
右神宮司庁造替鴨(カモ)神社も亦 ,皇太神宮儀式帳に所謂造宮使造卷六社の一にして、延喜大神宮式及び神名式に見えたり。儀式帳によれば祭神は大水上(オホミナカミ)の兒 石己呂和居(イシコロワケ)命にして倭姫命の祝ひ定め給ふ所なり。中世 頽廃し、寬文三年攝末社再興の時 本村字竈谷の地に本社を造立す。
蓋し谷の上に岩窟あり、滾々として清泉四時湧出し旱天にも涸れず、附近に鳥居堂•明神の森等の字あり。郷人谷中の鰻を食はず、且其の地 儀式帳所載の四至に合ふ等の理由によるなり。明治九年更に神宮司廳に於て、現今の地に移造す。一説本村産土神を以て本社に擬す。果して當れりや否やを知らず。要するにカマは洞穴の方言にして、鴨神社の社名は其の泉窟さ関係あらん。猶儀式帳の所載によれば本社の殿舎は正殿二區、御垣二重どあるも、寬文の再興には一區の建造に止れり。
爾來復増建を見ずして、今日に及べり。明治二十五年上地官林九反五畝三步を復舊して、現狀を見るに至れり。
【原文参照】
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・氷室洞くつ〈寬文三年(1663)攝末社として 鴨神社が再興された地〉
〈齋宮で供する氷(斎王が神事に使う氷)を貯藏していた氷室の跡〉
寬文三年(1663)大宮司 河邊精長によって 鴨神社が攝末社として再興された時の場所です
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
鴨神社は 皇大神宮(内宮)の摂社です
・皇大神宮(内宮)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社
度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭
以下略
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 鴨神社
[ふ り が な ](かもの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kamo no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
・内宮・外宮の別宮・摂社・末社について
・お伊勢さん125社について
内宮・外宮の摂社・末社にある゛御前神(みまえのかみ)゛について
本社とする神社の御前(みまえ)にある神の意です
朝熊御前神社 (あさくまみまえじんじゃ)〈内宮域外の摂社(朝熊神社境内)〉
・朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》朝熊御前神(あさくまみまえのかみ)
園相神社(そないじんじゃ)に御同座 御前神(みまえのかみ)
・園相神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
鴨神社(かもじんじゃ)に御同座 御前神(みまえのかみ)
・鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
田乃家御前神社 (たのえみまえじんじゃ)〈田乃家神社御同座〉
・田乃家神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大神御滄川神(おおかみのみさむかわのかみ)
蚊野御前神社 (かのみまえじんじゃ)〈蚊野神社御同座〉
・蚊野神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大神御蔭川神(おおかみのみかげかわのかみ)
田上大水御前神社 (たのえおおみずみまえじんじゃ)〈外宮域外の摂社〉
・田上大水神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)〈伊雑宮 所管社〉
・佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)《主》佐美長御前神
鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)〈内宮の末社〉
鏡宮神社は 朝熊神社の御前神とされます 朝熊神社の境内に朝熊神社が建てられたため 現在地に遷座
・鏡宮神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)
〈朝熊神社の御前神 岩上二面神鏡霊で御鏡を鎮祭する〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊勢自動車道の玉城ICの入り口から 西へ約2.3km 車5分程度で山の北側の麓の駐車場に着きます
田の中に 立札の道路案内があり 的山公園へと南下します
ここから見えている正面の山中に 鴨神社は鎮座します
トンネルになっている伊勢自動車道の下を抜けると的山公園の駐車場があります
車から降りて 道を進むと道路はこの辺で終わっているようです
立札があり 的山1236mと記されています
道路から山道に一変します しかし一本道なので迷いません
途中から 登坂はきついくなり 木の根の上を歩くような 登山道のような感じになってきます
分岐点には 案内の立札があり 感謝
先程の道よりは 道らしくなってきました
参道〈おそらく参道〉の脇には 沢が流れています
おそらくこれが 境内の下を流れる沢で どんな日照りの日でも枯れたことがないと伝えられる 氷室の清水でしょうか
此処が社頭のようです
神宮司庁の立札があり 石畳みの参道があります
鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に参着
社号標には゛鴨神社 社域゛と刻字があります
ここから神域ですので 一礼をしてから 参道を上がります
境内には 砂利が敷き詰められていて 苔むした箇所がありますが
こんな山中の社なのに 落葉もなく 雑草の一本も生えていません お手入れ感謝
正殿にすすむと 社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉
正殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
御祭神は 二座〈・石己呂和居命(いしころわけのみこと)・御前神(みまえのかみ)〉
元来は 正殿は二殿が鎮座しましたが 寬文三年(1663)再興の時に 一殿のみが建てられて御同座されて坐ます そのまま現在も一殿であると伝わります
社殿に一礼をして 参道を戻ると ゛氷室洞くつ゛への案内があり 向かいます
゛氷室洞くつ゛に参着
゛氷室洞くつ゛は〈齋宮で供する氷(斎王が神事に使う氷)を貯藏していた氷室の跡〉
寬文三年(1663)大宮司 河邊精長によって 鴨神社が 攝末社として再興された時の場所です
参道の山道を戻り 先程の分岐点まで戻ってきました
上る時は気づきませんでしたが こんな道だったんです
山を下り 来た道の方向を向いて お山に 振り返り礼
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 鴨神社について 所在は城田郷山上村山上深谷中に在す〈現 鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉とし 倭姫命が定祝したと記しています
【抜粋意訳】
鴨神社
鴨は加毛と訓べし
○祭神 石己呂和居命
○城田郷山上村山上深谷中に在す、神名略記
〇式四、伊勢大神宮 大神宮所摂廿四座の第三に載す、
○儀式帳云、稱に大水上児、石己呂和居命、形石坐、倭姫内親王定祝、類社
山城國 愛宕郡 賀茂別雷神社の下見合すべし
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 鴨神社について 所在は來田郷 山神村の山頂竃谷にあり〈現 鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉とし 倭姫命が祝定奉ると記しています
【抜粋意訳】
鴨神社
今 來田郷 山神村の山頂竃谷にあり、延暦儀式帳、神祇本源、神名略記
〇按 伊勢式内検録云、此の地 加麻と鴨と相通ふを以て、牽強せるなれば、舊祠に非る事論ふに及ばず、山神村の西方なる産神社、即眞の本社にして、儀式帳の四至に叶へりと云り、
大水上兒 石己呂和氣命を祀る、形石に坐す、垂仁天皇 御世、倭姫命之を祝定奉る、延暦儀式帳、
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式、
後村上天皇 正平元年六月 御卜に、社司神事を穢すの御祟あるを以て、中祓を科す、宮主秘事口傳
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 鴨神社について 所在は來田郷 山神村の山頂竃谷にあり〈現 鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉とし 今の社は 寛文三年の再興の社と記しています
【抜粋意訳】
鴨神社
祭神 石己呂和居命 大水上神兒
祭日 二月十一月十二日
社格 内宮所攝 二十四所之一
所在 度會縣域田郷山神村南竃カ谷(度會郡東外域田村大字山神)
今按るに神社検錄に今の社は寛文三年再興の社なり 舊社は山神村の産神ならむ 社域 儀式帳の四至に合すとあり
【原文参照】
鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)