岩徳高神社(いわとくたかじんじゃ)は 境内に昭和50年頃まで樹齢約500年の年輪を数えたスギの大木があったという 昔から八軒の世襲の鍵取が決まっていて 当番の鍵取はその年一年は 毎月1日15日に献饌などの奉仕をし 氏子は蒜(ヒル)を栽培すると災いがおきるとの禁忌があり 今もその伝えは守られている
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
岩徳高神社(Iwatokutaka Shrine)
(いわとくたかじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
静岡県伊豆市徳永135
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大山祇命(Oyamatsumi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
岩徳高神社
祭神は大山祇命(おおやまづみのみこと)。境内に昭和50年頃まで樹齢約500年の年輪を数えたスギの大木があったということから神社の歴史が偲ばれる。
現在、古い棟札としては「天正2年(1574)霜月初2日」のものがある。
当社は、昔から八軒の世襲の鍵取が決まっていて、当番の鍵取はその年一年は、毎月1日15日に献饌などの奉仕をしている。
また氏子は、蒜(ヒル)を栽培すると、災いがおきると昔から禁忌があり、今もその伝えは守られている。由緒あるものとして、江戸芝居「市村座」名入りの太鼓の胴(外径66cm・内側に明和寛政天保の墨書あり)が保存されている。
伊豆市教育委員会現地の案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
社殿の向かって右手に 石祠が2宇鎮座
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 石徳髙神社
[ふ り が な ](いはとくのたかの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ihatokuno taka no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
式内社「石徳髙神社(いはとくのたかの かみのやしろ)」の論社
・守山八幡宮(伊豆の国市寺家)
・豆塚神社(伊豆の国市北江間)
・多賀神社(三島市谷田)
・岩徳高神社(伊豆市徳永)
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆スカイラインの冷川ICから 県道12号を南下 約850m 車2分程度
道路沿いに鳥居が建ち 扁額には「岩徳高神社」とあります
岩徳高神社(Iwatokutaka Shrine)に参着
一礼をして 鳥居をくぐると 澄んだ用水に石橋が架かり 渡ると境内地です
3段になっている境内地の 下段には石灯籠が立ち 中段には杉が生えて最上段に 社殿が建てられています
拝殿にすすみます 拝殿内の扁額には「岩徳高神社」と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿から 本殿へは更に一段高い境内地となっていて 丁度その中間の右手には 境内社の石祠が2宇鎮座します お詣りをします
振り返ると 今 歩んできた境内を眺められます
鳥居を抜けて 振り返り一礼をします
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
山ノ神と記されています
【意訳】
山ノ神 徳永村
天正2年の札に云 一貫文 地頭 勝部新六 即殿百文代官 二百文 湯川松原
〇稲荷 域内塔婆松の枯株大敷地
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
式内社「石徳髙神社(いはとくのたかの かみのやしろ)」の伝承
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
石徳高(イハトコ)神社として 記されています
【意訳】
石徳高(イハトコ)神社
〇按 徳高言 泉觱佛 今 熱海温泉 艮隅 湯前権現 これ乎 釈書垣舜博曰 舜甚宴浪遊豆州説法 温泉神祠云々 下に劔刀石床別命神社あり
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
石徳髙は 伊波登古(いはとこ)と訓じると記しています
【意訳】
石徳髙神社
石徳髙は 伊波登古と訓ずべし
〇祭神 詳らかならず
〇徳永村に在す 今 那賀郡に属す
考証に 按 徳高言 泉觱佛 今 熱海温泉 艮隅 湯前権現 これ乎と云う
〇元享釈書云 垣舜博 舜甚宴浪遊豆州説法 温泉神祠
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
雄徳山の山頂に祀られていた神であったが 諸説ある中でも その後 村里の区分の時に豆塚に遷した〈現 豆塚神社(伊豆の国市北江間)〉と寺家村の守山に遷した〈現 守山八幡宮(伊豆の国市寺家)〉の2所が 後継であろうと記しています
【意訳】
石徳髙(いはとくのたかの)神社
祭神
祭日
社格
所在
今按〈今考えるに〉
足柄縣 注進状に 石徳髙神社は 君澤郡江間村 雄徳山神社なるべし それは石徳は石床の意高は タケと訓て嵩の意と聞こえるを この山の岩壁よく石床の称にかない 山頂の旧祠の址に 宝殿平前殿殿平神楽など云称の遺るのみに非ず 山名の雄徳は石徳の訛転と聞こえるなど 証とすべし斯のて後に 社を西麓 チム野に遷し 亦 丸山に豆塚に移せり豆志に記せる如く 寺家村八幡も この雄徳山より遷してもと 此山上に石特高神社の鎮座地なりし確証と云いしも 強言に非じさるは この江間郷北條郷はもと一郷なるを 村里の区分せるより 総鎮守とある雄徳山の神を江間の郷にては チン野に遷し 北條の郷にては 寺家村の守山に遷したるより 山上の本社遂に廃絶に及び 雄徳山の称号のみ遺れる事となりしなり この他 諸説あれど この2所にて定ぬるべき事なるべし
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
地理の変更によって 二社に分祀されている
一社は〈現 豆塚神社(伊豆の国市北江間)〉
一社は〈現 守山八幡宮(伊豆の国市寺家)〉であると記しています
【意訳】
石徳髙(いはとこたけの)神社
今は 分祀して二社となり
その一は 君澤郡 北江間(えま)村鎮座の いのい明神 神階帳 今称する豆塚神社 考証注進特選
その二は 田方郡寺家村 八幡神社 社伝豆志考證の一説續攷 なりにて
蓋地理の変更に因りて分祀せる例 少なからず等しく この同神なり 何ぞ囂(かまびす)しく その本末を諍う事を為べき
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6 編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090 『伊豆国式社攷略』1 『伊豆国式社攷略』2
岩徳高神社(Iwatokutaka Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)