岩田神社(磐田市匂坂中)〈『延喜式』入見神社〉

岩田神社(いわたじんじゃ)は 宝亀年(771) 第四十九 光仁天皇の御代 出雲国杵築宮より大国主命を勧請し 入見神社と称し奉る 以所は 当国引馬原の東に岩田ヶ原柚子ヶ浦入海あり 伊留美(イルミ)呼び 故に入見神社と称した 延喜式内社 遠江國 磐田郡 入見神社いるみの かみのやしろとされます

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

岩田神社(Iwata shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

静岡縣磐田市 匂坂中(さぎさかなか)425

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大国主命(おほくにぬしのみこと)

《配》武甕槌命(たけみかづちのみこと)
   経津主命(ふつぬしのみこと)
   天児屋根命(あめのこやねのみこと)
   姫大神(ひめのおほかみ)

〈合祀 金吾八幡
《合》品陀和気命(ほんだわけのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

岩田神社の由緒

祭神 大国主命

岩田神社創立は 宝亀年(七七一)月にして四十九代光仁天皇の御時 出雲国杵築宮より大国主命を勧請し 入見神社と称し奉る以所は 当国引馬原の東に岩田ヶ原柚子ヶ浦入海あり この入海を伊留美と 故に入見神社と称し岩田原に設立せし処 延喜年中 入見神社は岩田原に鎮座するを以て 入見神社岩田大明神と号す 遠海国延喜式内六十二座の内 式内社なり

其神領之事

合四石五斗

右如前々被下候聞可社務者也仍如件

慶長 二月十四日 伊奈備前守 忠次(花押)
岩田中村之内 大明神

亦 永享年(一四三二)室町幕府代将軍 義教は威を関東に示さんと東行した 従者は総勢六千余騎といわれ 岩田大明神はその道筋に当たるといわれている

その折 従者常光院法印孝は

打はぶき 飛び立けん白鳥の
 鴛坂山ぞやすくこえぬる

  飛鳥井中納言稚世

遠く見る じの高嶺も白鳥の
 鴛坂山を今日そこえける

と詠んでいる

現地案内板より

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【由  (History)】

『静岡県磐田郡誌』に記される内容

【抜粋意訳】

第十三章 神社及宗教

一五 岩田神社(岩田村)
【由緒】

 岩田村匂坂中字宮之越に在り。傅へて延喜式内 入見神社なりと稱す。祭神は大國主命にして、相殿に春日神社を祀る。
又 字觀音寺前鎮座 村社 八幡神社(風土記傳には金子八幡とあるも金吾八幡が正しとのことなり)を願済之上 明治二十四年十月十三日 當神社境内へ遷座せしも、更に明治四十一年十二月十八日許可の上本社に合祀したり。

境内社は山神  淡島の二神社あり。

明治六年三月郷社に列せられ 明治四十四年八月十一日靜岡縣告示第二百七十三號を以て神饌幣帛料を供進し得べき神社に指定せらる。

祭日は十月十八・九日なり。

創建は寶龜二年二月、出雲國杵築宮より大國主命を勧請し、入見神社と稱し奉る。當國引馬原と東岩田原での中間に入込みたる袖子が浦と云ふ入海あり。此の入海を伊留美と稱す。因て入見の神社と稱し、岩田原に設立せしが、延喜五年中、入見神社の岩田原に鎮座し給ふを以て、入見神社を改稱して岩田大明神と號す。

延喜式内遠江國六十二座中の神社なり。
慶長六年二月 伊奈備前守よう黒印高四石五平を賜はる。後 慶安二年二月本殿(二間に九尺)及拜殿(三間に五間半)を再建せり。同年八月寺社奉行所より達あり、右由緒取調差出せし慮、同年十月家光公より朱符に改められ、累代將軍家より何れも先規の如く下賜せられたり。王政維新に付き、明治元年十月右朱印何れも西京辨事役所へ返納し、後遞誠禄の下付あうたり。同六年三月舊濱松縣の際、第二大區二小區內二十五箇村 崇敬の郷社に定めらる。再建に就ては其後の分詳かならず。

【文書及記傳】

遠江風土記傳に云ふ

磐田明神 朱符之神田高四石五斗 (餘地高三石)式内淡海國玉神社舊跡。

【原文参照】

静岡県磐田郡教育会 編『静岡県磐田郡誌』,静岡県磐田郡,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965680

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

岩田神社 社殿

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岩田神社 拝殿

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・〈境内社〉淡島神社

《主》少彦名命《配》気長足姫命《合》大山祇命

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淡島(あわしま)神社

祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)

由緒

 本社は、和歌山県加太市に鎮座する淡島神社。

正德六年(一七六年)匂坂中村字宮え越に勧請され、明治六年に当神社境内へ移転された。

少彦名命は、神代の昔、岩田神社の主祭神でもある大国主命(おおくにぬしのみこと)と共に此の日本の国土を御経営(おつくり)になり、人々だけで無く、鳥や獣に至るまで諸病を治す薬方をお定めになると共に裁縫の道を広められた、いわゆる医薬裁縫の親神さまと称えられる神さまです。

また、一説によると、淡島様は女性で、天神の六番目の姫君として、十六歳の時に住吉明神の后となったが、婦人病を患ったため、「うつろ舟」に乗せられて堺の浜から流され三月三目に和歌山県加太浦の友ヶ島のうちの神島(淡島)に流れ着いたとされ、したがい、同情悲願によって、婦人病を始め、安産・子授けなど女性に関するあらゆることに御神徳がある神様とされております。また、本社の淡島神社では、三月三日の雛祭(雛流し)は有名。

現地案内板より

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・二の鳥居

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・社頭・鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江國 62座(大2座・小60座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)磐田郡 14座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 入見神社
[ふ り が な ]いるみの かみのやしろ
[Old Shrine name]Irumi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

※参考〈式内社 淡海國玉神社の舊跡とする説『遠江風土記傳』あり

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 遠江國 磐田郡 入見神社(いるみの かみのやしろ)の論社について

・岩田神社(磐田市匂坂中)

・府八幡宮(磐田市中泉)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR東海道本線 豊田駅から天竜川沿いに北上して約7.2km 車で15分程度

神社の西側には天竜川が流れていて 東側は河岸段丘となっていて 茶畑が広がります

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茶畑の横に駐車場があり 神社へと下っていく道が付いています

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しかし 通り抜けが出来ないとの看板がありますので 西側に廻ってみました

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西側に廻ってみると 斜面から天竜川方向が見えます

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ここにも 数台分の駐車場がありました

社号標 鳥居には゛岩田神社゛とあり 社頭の鳥居は西を向いています

岩田神社(磐田市匂坂中)に参着

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一礼をして鳥居をくぐり 石段を上がると 境内の入口に二の鳥居が建ち その先が境内となっています 高台に社殿が祀られています

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石段を上がり

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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御神紋でしょうか

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社殿は 拝殿・幣殿・本殿が一体となっています

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社殿から見て左手に 上から下りてくる道が付いていて これは境内の東側から来ている道で 鳥居の下が先程上がってきた西側からの石段が続いています

左の高台には 覆い屋の中に〈境内社〉淡島神社が祀られています

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〈境内社〉淡島神社にお参りをします

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゛式内社顕彰碑゛の石碑があります

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社殿に一礼をします

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参道石段を下ります

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社頭の鳥居から天竜川方向 濱松方面を眺めます

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 入見神社について 所在は゛在所詳ならず゛〈不明〉と記しています

【抜粋意訳】

入見神社

入見は伊留美と訓べし

○和名鈔、(郷名部)入見、

〇祭神 葉山媛、長媛、(風土記)

○在所詳ならず

○惚國風土記四十六残云、遠江國盤田郡入見神社、圭田三十八束、雄略天皇年戊戌十一月、所祭葉山媛、長媛也、有神戸入見氏、巫戸数十宇、

 式社考云、見附ヨリ十三四町西北加茂村(豊田郡也)ニ大潤寺ト云フ寺アリ、山號ヲ入目山(ニフモク)ト云フ、コレハ入見ヲ入目(イリメ)ト訛リテ、其地ヲ山トセシナルベシと云り、

類社
 尾張国知多那 入見神社

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 入見神社について 所在は゛今 豊田郡加茂村に入目山大満寺あり、之に據に、本社疑らくは本村にあり、姑附て考に備ふ、゛〈よくよく考える事〉と記しています

【抜粋意訳】

入見(イリミノ)神社

〔〇按 倭名鈔、本郡 入見郷にあり、今 豊田郡加茂村に入目山大満寺あり、之に據に、本社疑らくは本村にあり、姑附て考に備ふ、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 入見神社について 所在は゛豐田郡勾坂村岩田神社を以て 本社にあてたれど明證あるにもあらねば諾ひがたし゛〈現 岩田神社(磐田市匂坂中)〉〈よくよく考える事〉と記しています

【抜粋意訳】

入見(イルミノ)神社

祭神
祭日
社格

所在

 今按に注進狀 豐田郡勾坂村岩田神社を以て 本社にあてたれど明證あるにもあらねば諾ひがたし
 神社覈録に式社考を引て見附驛の北 豐田郡 加茂村大淵寺の山號を入目山と云ふは入見を入目と訛りしものならんと云るやと據あるに似たり 姑く附て考を俟つ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

岩田神社(磐田市匂坂中)について 式内社 入見神社であるとする説を挙げていますが 学者も未だ一定の説はない とも記しています

【抜粋意訳】

〇靜岡縣 遠江國 磐田郡岩村大字匂坂字宮ノ越

郷社 岩田(イハタノ)神社

祭神 大國主命

相殿 春日神社 祭神 武甕槌命 経津主命 天児屋根命 姫大神

 當社は、宝亀年、出雲國杵築宮を勧請、式内社入見神社なりといふ。其として、明細帳は、「西は引馬原、東は岩田原に、其の海湾を袖子の浦と云、蓋し入見は入海の義なりと云ひふ」と記したるが、入見神社の所在に就いては、學者間未だ一定の説なし。

 遠江式内社摘考に云く、「入見神社、是は見付より十三四町西北にありて、加茂村といふ所あり、村に大潤寺といふ寺あり、其寺の山を入目山といへる由、入見(イルミ)を入目(イルメ)と誤おぽえて、入目山とせしなるベし」

 遠江風土記傅に云く、「入見社、賀茂村福生院寺中、有見目松、住僧近伐此樹、有神崇而夭死、又云、於見付町、有稱に見目之社、二所一未決」

 特選神名牒に云く、「今按に注進状豊田郡匂 岩田神社を以て、本社にあてたれど、明あるにもあらねば諾ひがたし、神社覈録に、式社考を引て云々、やゝあるに似たり、云々」

 然るに風土記傳は、社を式内社 淡海国玉神社の奮跡として云く、「磐田明神社、云々、式内淡海国玉神社舊跡、云々、此神瞰臨磐田海、應に淡海國玉神社、郷人曰、以磐田社、移見付府、今惣社是也、云々」
元と朱印高四石五斗、除地高三石を有せり、明治月郷社に列す。

社殿は本殿、雨覆、幣殿其他社務所、祓殿等を具備し、境内は四百五十坪(官有地第一種)を有す。

境内神社

 山神(ヤマノカミノ)社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

岩田神社(磐田市匂坂中) (hai)」(90度のお辞儀)

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遠江国 式内社 62座(大2座・小60座)について に戻る

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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