石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)〈『延喜式』石部神社〉

石部神社(いそべじんじゃ)は 創祀年代不詳ですが 社伝には 景行天皇21年 吾地山に社殿を造営し 勅使の参向を得 盛大なる鎮座祭を斉行 22年更に勅使参向の栄に浴し 安土山湖水に臨み其の南麓を磯辺の岡と号し社を石部神社と称すと伝える 延喜式内社 近江國 蒲生郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)の論社です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

石部神社(Isobe shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6222

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》少彦名神(すくなひこなのかみ)
   天照大神(あまてらすおほかみ)
   高皇産靈神(たかみむすひのかみ)
   大己貴命(おほなむちのみこと)
   櫛日方命(くしひかたのみこと)〈鴨王(かものきみ)〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

御由緒

創祀年代不詳。社伝によると景行天皇21年4月鎮座と伝えられている。延喜式内の石部神社ともいわれている。明治9年村社に列す。

滋賀県神社庁HPより
https://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=650

石部神社

祭神:少彦名命・天照皇大神・高皇産霊神・大己貴命

 社記には 石部神社 天神高宮と有りて 人皇第十二代 景行天皇二十一四月十五日 吾地山に社殿を造営し 勅使の参向を得、盛大なる鎮座祭を斉行す。同二十二年更に勅使参向の栄に浴す。安土山湖水に臨み其の南麓を磯辺の岡と号し社を石部神社と称す。

 人皇第六十 醍醐天皇 延長年延喜式勅撰に依り神名帳に録載せらる式内社なり。当社は人皇第四十六代孝謙天皇御宇 左大臣橘諸兄 右大臣藤原豊成 及び 大納言平時忠郷等の崇敬最も篤く櫟杓・宝剣、宝玉、榊八枝等を奉納せられしなり。

 降りて天正 織田信長公 安土山に築城するや守護神として奉祀し社殿の修復をなし祭祀を厳修せり、その後兵乱に際し社宝・文献散逸したるも之を社伝書に記し今に伝う。

当社に国宝、厨子入木造薬師如来の座像あり(厨子に明徳月の銘あり、平安時代の彫刻なり)明治四十四月国指定。京都国立博物館に出陳す。
鳥居横の案内板より

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【由  (History)】

『近江蒲生郡志』巻6に記される内容

【抜粋意訳】

巻6 神社志 第二章 各神社由緒 第七節 安土村

石部神社

石部神社は安土村大字下豐浦安土山麓に鎭座す 祭神 少彦名神 天照皇大神 高皇産靈神 大已貴命なり、社傳に景行天皇二十一年四月鎭座と傳ふ 延喜式內石部神社は當社なりといふ、然れども史料の存するものなし、寬延四年社殿を再建す 社藏 藥師如來ー軀あり、明治四十四年八月國實に編入せらる、明治九年村社に列す、祭禮古へは三月ー日より五日、五月一日より三日の兩度なりしが、今は四月一日より五日、五月三日より五日に改む。 

・・・以下略〈原文参照のこと〉

【原文参照】

滋賀県蒲生郡 編『近江蒲生郡志』巻6,蒲生郡,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965735

滋賀県蒲生郡 編『近江蒲生郡志』巻6,蒲生郡,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965735

滋賀県蒲生郡 編『近江蒲生郡志』巻6,蒲生郡,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965735

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

石部神社 本殿

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・本殿前の狛犬

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・〈本殿横 境内社〉

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石部神社 拝殿

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・鳥居

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・社号標

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈石部神社の参道入口〉安土城址 百々橋口

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)近江國 155座(大13座・小142座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)蒲生郡 11座(大1座・小10座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 石部神社
[ふ り が な ](いそへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Isohe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

近江國 蒲生郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)の論社

・石部神社〈磯部大明神〉(蒲生郡竜王町七里)

・石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)

『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について

『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています

音は「いそへ」と同じでも その要因は 様々な要素から成り立っていて 特定は非常に難しく その為 各々の神社を検証してみます

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR東海道本線 安土駅から県道199号経由で北上約1.6km 車での所要時間は5~6分程度

織田信長公の築城した安土城の西 百々橋口に鎮座します

天正(1576)織田信長公 安土山に築城するや守護神として奉祀し社殿の修復をなし祭祀を厳修した と伝わっています

安土城の百々橋口

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安土城の百々橋口から石段を上がります

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正面の石段は 鑰が掛けられて閉ざされていましたが このまま上がれば 摠見寺〈織田信長公によって安土城内に創建された寺院〉の仁王門から三重塔 摠見寺本堂跡等を経由して 安土城に至る道があります

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その向かって左手に社頭があります

石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)に参着

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一礼をして鳥居をくぐり抜けると 境内の中央に拝殿があります
2月19日の18時頃の参拝でしたので すっかり暗くなってきています
拝殿の前後の白色は 残り雪です

拝殿にすすみます

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拝所は 拝殿にはなく 本殿に設けられていますので 本殿に向います
本殿の向かって右脇には境内社が一社祀られています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をしてから境内を戻ります

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境内は 高台にあるので 安土町下豊浦の西の湖方面が見えます

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鳥居の横 手水舎の辺りは すっかり暗くなっていて 石灯籠には明かりが灯っています

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鳥居を抜けると 石段が急斜面である事がわかります

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安土城の百々橋口に戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 石部神社について 所在は゛在所詳ならず゛〈所在は良くわからない〉と記しています

又゛七里村に磯部大明神と稱する社あり、按に是ならんか、゛〈現 石部神社〈磯部大明神〉(蒲生郡竜王町七里)〉ではないだろうかとも記しています

【抜粋意訳】

石部神社

石部は伊曾倍と訓べし

○祭神 公祖神歟

○在所詳ならず

 姓氏録、左京神別下石邉公、大物主命 男久斯比賀多命之後也、與地志按に、七里村に磯部大明神と稱する社あり、按に是ならんか、

類社
 (く)

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 石部神社について 所在は゛今 下豐浦村 安土山にあり、石部天神と云ふ゛〈現 石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)〉と記しています

【抜粋意訳】

石部(イソヘノ)神社

下豐浦村 安土山にあり、石部天神と云ふ、〔神社調書、滋賀縣注進状〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 石部神社について 所在は゛七里村〔字椿山〕(浦生郡鏡山村大字七里)゛〈現 石部神社〈磯部大明神〉(蒲生郡竜王町七里)〉と記しています

又゛豐浦ノ村安土山に石部天神ノ神社あり゛〈現 石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)〉との説も挙げています

【抜粋意訳】

石部(イソベノ)神社

祭神
 今按 新撰姓氏錄 石邊ノ公大物主ノ命ノ男 久斯比賀多ノ命之後也とあるによらば 祭神 久斯比賀多ノ命ならん歟猶よく考べし

祭日 四月十日
社格 村社

所在 七里村〔字椿山〕(浦生郡鏡山村大字七里)

 今按 豐浦ノ村安土山に石部天神ノ神社あり 安土山の南麓を磯邊岡と云によりて 石部社の稱ありと云ひ 安士の舊名 磯邊の里と云る如何あらん

近江輿地略に磯部大明神ノ社 七里村にありとみえたるを 注進狀に祭神 延喜帝とあるは疑はしと云れど こは記錄ともに延喜の神名帳に石部大明神とありけむ 土人の不文にて記せるものなるべければ 之を以て疑ふべきにあらず 故今姑 志略の説に從ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

石部神社(近江八幡市安土町下豊浦) (hai)」(90度のお辞儀)

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