石部神社〈磯部大明神〉(いそべじんじゃ)は 創立年代は不詳ですが 社伝によれば 正応2年(1289)池内真清等により社殿を奉遷と云い 古くは磯部大明神と称したが 延寶七年(1679)吉田家より正一位の宗源宣旨を受け 石部神社と改称された 延喜式内社 近江國 蒲生郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)の論社です

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
石部神社(Isobe shrine)
【通称名(Common name)】
・〈旧称〉磯部大明神(いそべだいみょうじん)
【鎮座地 (Location) 】
滋賀県蒲生郡竜王町七里831
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
石部神社
主祭神 天照皇大神
境内社 春日社 八幡社
神 紋 下り藤
例 祭 四月十日
主なる神事 弓神事 一月、二月由 緒
創立年代は不詳であるが 延喜式神名帳に名神小社に列するとあり、社伝によると正応二年池内真清等により社殿を奉建されると言われ、寛文十二年、元禄十年、享十五年、延享元年改築される。古くは磯部大明神と称したが後に石部神社となる。
境内社には延喜式内の名神 春日大社の分霊を祀るほか古より、武人の軍神と崇められる八幡神の分霊をも祀る。
当社の主たる神事に弓始め弓納めの弓神事あり。現地案内板より

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御由緒
創祀年代不詳。
延喜式神名帳記載の論社であり、社伝によると、正応2年池内真清等により社殿を奉遷されるといわれ、寛文12年、元禄10年、享保15年、延享元年と改築される。
古くは磯部大明神と称したが後に石部となる。
【由 緒 (History)】
『近江蒲生郡志』巻6に記される内容
【抜粋意訳】
巻6 神社志 第二章 各神社由緒 第十一節 鏡山村
石部神社
石部神社は鏡山村大字七里に鎭座す 祭神天照大神なり、當社は延喜式神名帳名神小に列する石部神社なりと傳ふ、新撰姓氏錄に石邊公久斯比賀多命之後也と見ゆ、久斯比賀多は奇日方命とも記さる、天照大御神を祭神とせしは後世の事なるべし、.當社は 中古 磯部大明神と稱したり之れ石部(いそべ)の音に磯の字を代用せしものなり、近江輿地誌略に
磯部大明神社〔神名式蒲生郡 石部神社〕七里村に有、祭る神不詳、石部神社を遷し齋奉るか石部 磯部 訓同ければ是にや。
と見へ 當時 祭神不詳とす、延寶七年吉田家より正一位の宗源宣旨を受け 爾後 石部の古字に復せしを棟札銘文に記す、正應二年池内眞清等 社殿を造替せしより殆ど四百年を經 寬文十二年改築したり、當時 地頭 石河藏人 山林の材木を寄附したり 翌年拜殿を造管し 享保十五年改築す、元祿十年鳥居を建て 延亨元年改築する等 社殿以下造營頻々として行はれたり、境内に曆應四年二月建立せし石燈籠一某あり、古へ正月八日 弓の神事を行ふ 例祭四月十日なり、明治九年村社に列 す左に棟札及び鰐口銘文を列帰す。
・・〔以下 棟札及び鰐口銘文を略 原文を参照〕
【原文参照】

滋賀県蒲生郡 編『近江蒲生郡志』巻6,蒲生郡,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965735

滋賀県蒲生郡 編『近江蒲生郡志』巻6,蒲生郡,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965735

滋賀県蒲生郡 編『近江蒲生郡志』巻6,蒲生郡,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965735

滋賀県蒲生郡 編『近江蒲生郡志』巻6,蒲生郡,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965735
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・ 本殿・〈本殿の左右 境内社〉春日社《主》天児屋根命 八幡社《主》誉田別之命・ 神門

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・拝殿

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・石段上の大きな石灯籠

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・参道石段

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・手水舎

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・参道

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・いそべばし

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・二の鳥居

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・二の鳥居 勧請吊(かんじょうつり)〈勧請縄(かんじょうなわ)〉
村境(地域・地区の域内・外のさかい)に 呪物を付した注連縄を張る習慣で道切りとも呼ばれる

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)近江國 155座(大13座・小142座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)蒲生郡 11座(大1座・小10座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 石部神社
[ふ り が な ](いそへの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Isohe no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
近江國 蒲生郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)の論社
・石部神社〈磯部大明神〉(蒲生郡竜王町七里)
・石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)
『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について
『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています
音は「いそへ」と同じでも その要因は 様々な要素から成り立っていて 特定は非常に難しく その為 各々の神社を検証してみます
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR東海道本線 篠原駅からR477号経由で南下 約4.8km 車での所要時間は10~15分程度
琵琶湖に注ぐ日野川の支流 善光寺川を遡るようにR477号走ると 道路沿いに勧請吊(かんじょうつり)のある二の鳥居が建っています
石部神社〈磯部大明神〉(蒲生郡竜王町七里)に参着

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勧請吊(かんじょうつり)のある二の鳥居の先だからでしょうか 善光寺川に架かる゛いそべばし゛を渡るとき ここは結界で禊橋なのだろう などと想えて来ます
このちは 琵琶湖の河口にあたる゛佐波江浜゛辺りからは12km程の地点ですが 湖東平野の一角で上流を見ても 下流を見ても 高低差を感じることは無く 平野を実感しながら
゛いそべばし゛橋から下流方向を見る

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゛いそべばし゛橋から上流方向を見る

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橋を渡ると 竹垣の内に石灯籠が建ち 白砂の敷詰められた参道があり 白砂には 箒の目が美しく残されていて とても丁寧に清められている境内であると察することが出来きるので 身が引き締まるような感じです

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参道の手水舎にて清めてから 参道石段を上がります
石段の先 右手にある神楽殿の様に見える建屋は 拝殿となります

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拝殿にすすみます

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拝所は 本殿前の神門に設けられています
本殿の建つ社地は 石垣で擁壁が築かれたここよりも もう一段高い壇となっています

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神門への石段があり 上ろうとしました しかし 石段の下に 円形の石が置かれていて 木札が置かれています
字がかすれて よく見えませんでしたが「御田祭々禮石」と記されていました

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どうやら 御田祭の時に この祭禮石の周りを廻り 田植え神事を執り行うようです 神石の一種ですので 何もしらない参拝者が この祭禮石を踏みつけないようにとの配慮だと想われます
いずれにしても このように 白砂が掃き清められて 箒目の残っているような 整然とした境内の佇まいであるから 気が付くのだと想います
「御田祭々禮石」に一礼をして 本殿前の神門 拝所へと石段を上がります

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本殿の両脇には〈境内社〉春日社〈境内社〉八幡社が祀られていますので 合わせて
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 振り返って 境内を見下ろすと 石段の下には きれいに掃き清められた白砂の境内の中に 狛犬 祭禮石「御田祭々禮石」 こちらを向いて拝殿が建てられています

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拝殿の横から 参道石段を下ります

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下の境内地から 善光寺川に架かる゛いそべばし゛を渡り戻ります

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勧請吊(かんじょうつり)によって 俗世界との境となっている 二の鳥居から 再度一礼をします

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 石部神社について 所在は゛在所詳ならず゛〈所在は良くわからない〉と記しています
又゛七里村に磯部大明神と稱する社あり、按に是ならんか、゛〈現 石部神社〈磯部大明神〉(蒲生郡竜王町七里)〉ではないだろうかとも記しています
【抜粋意訳】
石部神社
石部は伊曾倍と訓べし
○祭神 石邊公祖神歟
○在所詳ならず
姓氏録、〔左京神別下〕石邉公、大物主命 男久斯比賀多命之後也、與地志按に、七里村に磯部大明神と稱する社あり、按に是ならんか、
類社
(缺く)
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 石部神社について 所在は゛今 下豐浦村 安土山にあり、石部天神と云ふ゛〈現 石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)〉と記しています
【抜粋意訳】
石部(イソヘノ)神社
今 下豐浦村 安土山にあり、石部天神と云ふ、〔神社調書、滋賀縣注進状〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 石部神社について 所在は゛七里村〔字椿山〕(浦生郡鏡山村大字七里)゛〈現 石部神社〈磯部大明神〉(蒲生郡竜王町七里)〉と記しています
又゛豐浦ノ村安土山に石部天神ノ神社あり゛〈現 石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)〉との説も挙げています
【抜粋意訳】
石部(イソベノ)神社
祭神
今按 新撰姓氏錄 石邊ノ公大物主ノ命ノ男 久斯比賀多ノ命之後也とあるによらば 祭神 久斯比賀多ノ命ならん歟猶よく考べし祭日 四月十日
社格 村社所在 七里村〔字椿山〕(浦生郡鏡山村大字七里)
今按 豐浦ノ村安土山に石部天神ノ神社あり 安土山の南麓を磯邊岡と云によりて 石部社の稱ありと云ひ 安士の舊名 磯邊の里と云る如何あらん
近江輿地略に磯部大明神ノ社 七里村にありとみえたるを 注進狀に祭神 延喜帝とあるは疑はしと云れど こは記錄ともに延喜の神名帳に石部大明神とありけむ 土人の不文にて記せるものなるべければ 之を以て疑ふべきにあらず 故今姑 志略の説に從ふ
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
石部神社〈磯部大明神〉(蒲生郡竜王町七里)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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