入野神社(西京区大原野上羽町)〈『延喜式』入野神社〉

入野神社(いりのじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 入野神社(いりの かみのやしろ)の論社となっていますが 式内社として 今の所在地は適切ないとの説く 御祭神大原野神社は もともと入野の地にあったものを移したと云い 入野神社大原野神社造営の時 そこにあった現在地に移ったとする説などがあります

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

入野神社(Irino shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都市西京区大原野上羽町192

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天児屋根命(あめのこやねのみこと)
   武甕槌命(たけみかづちのみこと)
   (ひめのかみ)
   斎主神(いわいぬしのかみ)〈別名 経津主神

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

​入野神社いりのじんじゃ

御祭神 天児屋根命/武甕槌命/比売神/経津主神

鎮座地 京都市西京区大原野上羽町192

御由緒

 御創建は延暦3年(784)の式内社である。明治元年村社に指定。
『山城志』(18世紀前半)に「在 上羽村 今称 春日以二蔵王寺為神宮寺専預祭事名区也」とある、蔵王寺祭事に関係したことは不明。今の公民館はこの蔵王寺跡にある。

官幣を受けた式内社今の所在地は適切ないとの説多い。
 大原野は山の間に入り込ん形をしており『万葉集』作られた時代、 又は納野と言い、 後淳和天皇、小塩山頂に山陵を築かれた頃より大原野と称するに至ったようある。
 御祭神じである大原野神社は もともと入野の地にあったものを移したと言われている。入野神社大原野神社造営の時、そこにあった現在地に移った。あるいは宇の山の地名は御山の訛あるとすれ、そこに神社あったかも知れない。また、あるいは野神社は以前 池の西側にあったと言う。

堀河院御時、百首歌奉るけるに
さゆみ 梓弓いる野の草の深けれ朝行く人の袖露けき
修理太夫顕季(『続詞花集』十六、雑上)

嘉承2年(1107)后の宮の歌合に菫をよめる
すみれ道遠みいり野の原のつ菫春の形見に摘みて帰らむ
源 顕国(『千載集』二、春下)

正治の百首の歌奉りける時
ための手枕にせむ小男鹿のいる野の薄穂に出にけり
皇太后宮太夫俊成(『続後拾遺集』四、秋上)

式内社 大歳神社HPより
https://otoshijinjya.wixsite.com/my-site/kenmushrine

【由  (History)】

由緒

式内社である。
古地名で入野 又は 納野と云った。
古歌あり。
「剣の後鞘に納野に葛引く吾妹眞袖もち着せしむかも夏草苅るも」(万葉集巻七)
「さを鹿の入野のすすき初尾花いづれの時か妹が手まかさ」(万葉集巻十)

例祭は 2月22日で遺稱お弓と云っていた。男子15才になると烏帽子儀に入り、二人で1週間前から練習してこの日に弓の行事があった。今、弓がいたんだので中止している。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・〈(右)境内社〉道祖神社《主》猿田彦命
・〈(左)境内社〉大神宮社《主》天照大御神

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈所管社〉大歳神社〈相殿に合祀 石作神〉(京都市西京区大原野灰方町)

 現在 入野神社(西京区大原野上羽町) 大歳神社〈相殿に合祀 石作神〉(京都市西京区大原野灰方町)所管となっています

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)乙訓郡 19座(大5座・小14座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 入野神社
[ふ り が な ](いの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Iri no kaminoyashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 山城國 乙訓郡 入野神社(いりの かみのやしろ)の論社

・入野神社(京都市西京区大原野上羽町)

・大原野神社(京都市西京区大原野南春日町)
〈入野神社 旧鎮座地〉

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR京都線 向日町駅から府道733号を西へ約4.8km 車での所要時間は15~16分程度

境内の北側に社頭があります

入野神社(西京区大原野上羽町)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして鳥居をくぐり抜けると 正面に神門があり拝所となっています

にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

御垣に囲まれて 社殿が建ちます

Please do not reproduce without prior permission.

社殿の様に見えていた瓦屋根の建物は 本殿の覆い屋でした
流造の本殿が 覆い屋の中に祀られていました

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 入野神社について 所在は゛上羽村に在す、今 春日と称す゛〈現 入野神社(京都市西京区大原野上羽町)〉と記しています

【抜粋意訳】

入野神社

入野は伊利乃と訓べし

○祭神詳ならず

○上羽村に在す、今 春日と称す、山城志

 例祭 月 日

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 入野神社について 所在は゛ 上羽村にあり゛〈現 入野神社(京都市西京区大原野上羽町)〉と記しています

【抜粋意訳】

入野(イリヌノ)神社

 上羽村にあり、〔山城志、式社考証、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 入野神社について 所在は゛上羽村〔字いやの前〕(乙訓郡大原野村大字上羽)゛〈現 入野神社(京都市西京区大原野上羽町)〉と記しています
しかし 尚よく考えるべきであるとも記しています

【抜粋意訳】

入野神社

祭神
 今按 明細帳 天兒屋命とあれど 今 春日と云に據て云るならん 猶よく考べし

祭日 正月廿二日
社格 村社

所在 上羽村〔字いやの前〕(乙訓郡大原野村大字上羽)
 今按 京都府式内考證に 本社は同村の産神なれど  頗る小祠にして 境内除地に非ず 藏王院其祭を掌る入野神社の徵なし 唯 祠前の小額に入野社とあれど 古物に非れば確證としがたし而るに 他に類社もなく 山城志また明細帳にも入野神社なる由を記したれば 姑く之に從ふと雖も猶よく考へて後に定むべきなり

【原文参照】

 

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

入野神社(西京区大原野上羽町) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

山城国 式内社 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2025 All Rights Reserved.