飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〈『倭姫命世紀』飯野の高宮〉

飯野高宮神山神社(いいのたかみやこうやまじんじゃ)は 『倭姫命世紀』には 垂仁天皇22年 倭姫命が天照大神の宮処を求めて遷られた゛飯野の高宮゛と載り 『延喜式』には伊勢國 飯野郡 神山神社(かむやまの かみのやしろ)と所載の古社 明治期に櫛田神社流田神社櫛田槻本神社大櫛神社4つの式内論社を合祀しました

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

飯野高宮神山神社(Iinotakamiyakoyama shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県松阪市山添町4

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》猿田彦命(さるたひこのみこと)
   天鈿女命(あめのうずめのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

飯野高神山神社

ご祭神 猿田彦命 天鈿女命

このお宮は約二千年前皇居でお祭りしていた天照大神を日本で最も良いところに祭ろうと皇女倭姫命が各地をられた時にこの地を選ばれて四年間お祭りされていた由緒ある飯野高宮です

のちに伊勢の皇大神宮内宮へお移しされたがそのご案内役がご祭神の子孫でした
猿田彦命は私達をすべて善い方に導き守って下さる神様です
また天鈿女命は天の岩戸の前で舞をした芸能の神さまでもあります

現地案内板より

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【由  (History)】

『三重県飯南郡治要覧』に記される内容

【抜粋意訳】

神山神社

 猿田彥大神と配司 天鈿女命とを祀れる郷社にして 櫛田村大字山添にあり 一に鑰取明神と稱し 皇太神の行宮たりし 飯野高宮の跡なりとも云ふ

【原文参照】

『三重県飯南郡治要覧』 大正4年,飯南郡,大正3-8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/906222

由 緒

 当社は古来天照大神の行宮である飯野高宮として尊崇を集め、山添大明神、白髭大明神、御鑰明神、神山神社等と称されてきた。
 「倭姫命世紀」によれば、垂仁天皇22年 倭姫命が天照大神の宮処を求めて阿佐加の藤方片樋宮より飯野の高宮に移られ、そこで4年間天照大神を奉斎されたことが記されており、当社の創始は悠久の昔に遡るものと思われる。

 また「延喜式神名帳」飯野郡4座中に登載される「神山神社」にも比定される。

 当社の合祀の歴史については、明治40年1月28日に山添の三玉神社を合祀し、さらに明治41年2月11日には安楽の須賀神社ほか22社を合祀した。
しかし昭和8年 櫛田に櫛田神社、昭和28年 清水に清水神社、昭和30年 安楽に須賀神社、山下に字気比神社、伊賀に須賀神社、豊原に豊原神社を分祀し櫛田神社を除いて、飛び地境内社として現在に至っている。
平成元年9月に神山神社から現社名に変更された。

三重県神社庁教化委員会HPより
http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%e9%a3%af%e9%87%8e%e9%ab%98%e5%ae%ae%e7%a5%9e%e5%b1%b1%e7%a5%9e%e7%a4%be/

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・本殿

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・渡殿・透塀

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・拝殿

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・猿木神社跡

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・安産の神

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・参道のふみきり

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・手水舎

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頮嗽石盂(くわいそくせきう)(手水鉢)について

享保(きょうほう)十八年(一七三三)癸丑(みずのとうし)春より夏に至るも雨無く民 秋に挿(はさ)むに由(よし)なし飯野髙宮に不月大雨(ふげつだいう)を雩(あまごい)す由(よ)って賽献(さいけん)す

左の八千石十七邑史

陰陽、豊原、石川、櫛田、清水、菅生、上七見、下七見、新屋敷、和屋、立利、斎田、朝田、西野々、佐久米、宮田、古井

飯野髙宮 神山神社

現地立札より

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・締柱

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・社頭・鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

昭和八年1933)に分祀 櫛田神社(櫛田

《主》櫛玉命,天忍穂耳命,須佐之男命,市杵島姫命,大若子命

・櫛田神社(松阪市櫛田町)

昭和二八年1953)に分祀飛地境内社清水神社(清水

《主》水神,埴安神

・清水神社(松阪市清水町)
〈清水神社 に合祀された 式内論社 流田神社〉

昭和三〇年(1955)に分祀〈飛地境内社須賀神社(安楽

《主》須佐之男命,天忍穂耳命

昭和三〇年(1955)に分祀〈飛地境内社宇気比神社(山下

《主》天忍穂耳命

昭和三〇年(1955)に分祀〈飛地境内社須賀神社(伊賀

《主》須佐之男命

昭和三〇年(1955)に分祀〈飛地境内社豊原神社(豊原

《主》大歳命,大彦命,熊野大神

・豊原神社(松阪市豊原町)
〈飯野高宮神山神社に合祀された 式内論社 大櫛神社の旧鎮座地は 飯野高宮神山神社から豊原神社に遷座合祀〉

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

飯野高宮神山神社(松阪市山添町)は 一つの式内社 四つの式内社を合祀しています

 当社の合祀の歴史は 明治40年に山添の三玉神社を合祀し さらに明治41年に 安楽の須賀神社ほか22社を合祀
しかし 昭和8年 櫛田に櫛田神社 昭和28年 清水に清水神社 昭和30年 安楽に須賀神社 山下に字気比神社 伊賀に須賀神社 豊原に豊原神社を分祀し櫛田神社を除いて 飛び地境内社として現在に至っています

(伊勢國飯野郡 神山神社)〈本社 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〉
(伊勢國多氣郡 櫛田神社)合祀 櫛田神社(松阪市櫛田町)〉
(伊勢國多氣郡 流田神社)合祀 清水神社(松阪市清水町)〉
(伊勢國多氣郡 櫛田槻本神社)合祀 櫛田神社(松阪市櫛田町)〉
(伊勢國多氣郡 大櫛神社)合祀 豊原神社(松阪市豊原町)〉

(伊勢國多氣郡 櫛田神社)合祀 櫛田神社(松阪市櫛田町)〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 櫛田神社
[ふ り が な ]くしたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kushita no kaminoyashiro

(伊勢國多氣郡 流田神社)合祀 清水神社(松阪市清水町)〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 流田神社
[ふ り が な ](なかれたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Nakareta no kaminoyashiro

【原文参照】

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(伊勢國多氣郡 櫛田槻本神社)合祀 櫛田神社(松阪市櫛田町)〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 櫛田槻本神社
[ふ り が な ](くしたつきもとの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kushitatsukimoto no kaminoyashiro

(伊勢國多氣郡 大櫛神社)合祀 豊原神社(松阪市豊原町)〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 大櫛神社
[ふ り が な ]おほくしの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ohokushi no kaminoyashiro

(伊勢國飯野郡 神山神社)〈本社 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)飯野郡 52座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 神山神社
[ふ り が な ]かむやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kamuyama no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『倭姫命世紀(Yamatohime no mikoto seiki)』〈平安初期806~906頃の成立〉に記される伝承

延喜式内社 伊勢國 飯野郡 神山神社(かむやまの かみのやしろ)については 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)が比定されています

 垂仁天皇二十二年 皇女倭姫命が天照大神の御神霊を奉り 天照大神の宮処を求めて阿佐加の藤方片樋宮より飯野の高宮に移られ そこで4年間天照大神を奉斎されたことが記されています 飯野の高宮より五十鈴川上に行幸された時 佐々牟江に船を留め そのに佐々牟江宮を造営したと記されます

その他 飯野高宮・櫛田社・魚見社・眞名胡神社佐々牟江社・大與度社・礒ノ宮の創建について記されています

【抜粋意訳】

二十二年 癸丑

飯野の高宮に遷りて 四箇年奉斎す この時 飯高ノ縣(サトツクリ)の祖 乙加豆知(ヲトカツチノ)命に「汝が国の名は何そ」と問ふ賜ふと「意須比(イスヒ)飯高」と申上げて 神田と並び神戸を進る 倭姫命は「飯高 志止(シト)白す事 (キイナリ)し」と悦び賜われた

 次に、佐奈(佐那)(サトツクリ)の祖 弥志呂(ミシロノ)宿祢命に「汝がの名は何そと」問ひ賜ふと 曰く許母理(コモリ)國 志多備(シタヒ)之 眞久佐牟(マクサム)(ケクサ)ムカウクニ)」と申上げて 神田  神戸を進

 又 大若子命に「汝がの名は何そ」問ひ賜ふと 曰く「百張蘇我(モモハルソカ)乃 五百枝刺(イホエサス)竹田之國」と申上げた そのに御櫛(オクシ)を(オトシ)給(タマ)われたので そのを櫛田(クシタ)号(ヨバレ)給(タマ)われたので 櫛田社を定め賜れた

 その所から御船に乗り給い幸行(ミユキナリタマフ)と 河後の江に到り坐(マシマス)時に (マナ)が自然り出て 御船に参乗(トヒノリ)ました 倭姫命は それを見て悦び給い その所に魚見社を定め賜れた

 その幸行に従うと 御饗(ミアヘ)を奉(タテマツル)(カミ)参(マヒ)り 相支(アヒタテマツリ)「汝がの名は何そ」問ひ賜ふと 曰く「白濱(シラハマ)眞名胡(マナコノ)國」と申された その所に名胡神社を定め賜れた

 又 乙若子(ヲトワカコノ)を以て 麻神草霊(ヌサクサ ヒトカタ等を進に 倭姫命解(ハラヘ)を令(メイジ)及に 陪従(シタカヘノヒト)に弓剱(ユミ ツルギを留めるに 兵器を共に入り座(マシマス)に 飯野高宮を遂に得たまへり 五十鈴宮に向かう それ以来 天皇太子(ミカドノミコ)は 斎宮(イツキミヤ)驛使(ムマノツカヒ)國司人等に至るまで 川辺で祓解(ハラヘ)をし 鈴声を止む これその儀の所縁

 その幸行に従うと 佐々牟江(ササムエ)に御船を泊め給い その所に 佐々牟江宮を造(ツクリ)令(シメ)坐(マシマ)し給われた 大若子命は「白鳥之眞」と國保伎(クニホギ)〈寿き〉曰く その所佐々牟江社を定め賜れた

 その幸行に従う間に 風浪は無く 盬(ウミノシオ) 大與度(ヲヲヨト)〈大淀に淀み 御船が幸行できた その時 倭姫命は び給い その大與度を定め賜れた

〔天照太神 誨を〈教へ賜い〉倭姫命に曰く「これ神風 伊勢国は 即ち常世の浪の重浪(シキナミ)(ヨスル)國なり 傍国(カタヘノクニ)可怜(ウマシ)國なり このに居(ヲラント)と欲ふ」と 太神の教への其の祠を伊勢因って立てるに 斎宮を五十鈴上に興す これをといふ 天照太神の始めて天より降りしなり〕

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ 『倭姫命世紀』写本(1275~1288) 校訂者 渡会行忠[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038473&ID=&TYPE=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ 『倭姫命世紀』写本(1275~1288) 校訂者 渡会行忠[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038473&ID=&TYPE=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ 『倭姫命世紀』写本(1275~1288) 校訂者 渡会行忠[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038473&ID=&TYPE=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊勢國 多氣郡 櫛田神社(くしたの かみのやしろ)の論社

・旧櫛田神社跡(松阪市櫛田町)

・櫛田神社(松阪市櫛田町)

・飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〈旧櫛田神社跡を合祀〉

旧櫛田神社跡(松阪市櫛田町)は 明治41年2月11日 神山神社〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〉に合祀されました
昭和八年(1933)現在地に分祀 櫛田神社(櫛田)となっています

延喜式内社 伊勢國 多氣郡 流田神社(なかれたの かみのやしろ)の論社

〈二十五柱神社に合祀された流田神社〈明治23年 宇気比神社相殿に合祀された事代主神社〉(松阪市柿木原町)〉
現在は私有地の為 未参拝

〈二十五柱神社に合祀された流田神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)

・清水神社(松阪市清水町)
〈清水神社 に合祀された 流田神社〉

・飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〈清水神社を合祀〉

清水神社(松阪市清水町)は 江戸時代には 俗に午頭天王と称したが 明治41年2月11日 神山神社〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〉に合祀されました
昭和28年 清水神社(松阪市清水町)は 清水の地に清水神社を分祀して 現在は 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)の飛び地境内社となっています

延喜式内社 伊勢國 多氣郡 櫛田槻本神社(くしたつきもとの かみのやしろ)の論社

・旧櫛田神社跡(松阪市櫛田町)

・櫛田神社(松阪市櫛田町)

・飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〈旧櫛田神社跡を合祀〉

旧櫛田神社跡(松阪市櫛田町)は 明治41年2月11日 神山神社〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〉に合祀されました
昭和八年(1933)現在地に分祀 櫛田神社(櫛田)となっています

延喜式内社 伊勢國 多氣郡 大櫛神社(おほくしの かみのやしろ)の論社

・豊養稲荷大明神(松阪市豊原町)
〈飯野高宮神山神社に合祀された 大櫛神社の旧鎮座地〉

・飯野高宮神山神社(松阪市山添町)
〈大櫛神社の旧鎮座地は 飯野高宮神山神社に合祀されました〉

・豊原神社(松阪市豊原町)
〈飯野高宮神山神社に合祀された 大櫛神社の旧鎮座地は 飯野高宮神山神社から豊原神社に遷座合祀〉

延喜式内社 伊勢國 飯野郡 神山神社(かむやまの かみのやしろ)の論社

・飯野高宮神山神社(松阪市山添町)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄山田線 櫛田駅から南下して約4km 車での所要時間は7~8分程度

山添町の表示板の横に゛飯野高宮神山神社゛への標識があります

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飯野高宮神山神社(松阪市山添町)に参着

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白い金属製の鳥居をくぐると すぐに手水舎〈頮嗽石盂(くわいそくせきう)(手水鉢)〉があり その先に締柱があります

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『倭姫命世紀』垂仁天皇22年 倭姫命が天照大神の宮処を求めて阿佐加の藤方片樋宮より遷られた゛飯野の高宮゛であるとされる古社ですので 二千年祭の石柱がありました

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参道を進むと 参道の途中に踏切があります
遮断機はついていませんので要注意で

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踏切を渡った境内には 御神木と安産乃神

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長い石段があり その上に社殿の屋根が見えています

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして石段を下り 安産乃神まで戻ると 再び参道にある踏切を渡ります

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石燈籠にある御神紋は 〇の中に三日月が描かれています

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参道を社頭まで戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 櫛田神社について 所在は゛櫛田村に在゛〈現 櫛田神社(松阪市櫛田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

櫛田神社

櫛田は久之多と訓べし、和名鈔、郷名部櫛田、〔假字上の如し

○祭神 櫛玉命

○櫛田村に在考証今飯野郡に属す、儀式解、俚諺

○式四、伊勢大神宮凡大神宮年限満應に修造者、遣使〔中略〕孟冬始作之、神宮七院、社十二、櫛田社、

〇倭姫世記云、大若子命爾、汝國名何問賜、〔中略〕其処爾 御櫛落給支、其 櫛田止號給、櫛田社定賜支
又云、出雲神子 出雲建子命、一名 伊勢都彦神、一名 神櫛玉命、』
儀式帳、神宮院行事條多氣佐々牟延宮坐支、彼時 竹首吉比古乎、汝國名何問賜支、〔中略〕 櫛田根椋神 御田進支、

 伴信友云、清在神主云、井口村ノ長云、古ノ櫛田社 今ハ絶タリ、然シテ字ニ櫛田トスルアリ、近ニ小祠七ツアリ、皆 櫛田社ト称ス、
連胤按るに、然らば櫛田村なるを以て、暫く式内社として可也、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 流田神杜について 所在は゛清水村に在す゛〈現 (合祀)清水神社(松阪市清水町)〉と記しています

【抜粋意訳】

流田神杜

流田は奈加禮多と訓べし、和名鈔郷名部流田、假字上の如し

○祭神詳ならず

○清水村に在す、俚諺 飯野郡に属す、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 櫛田槻本神社について 所在は゛豊原村に在す゛と記しています

【抜粋意訳】

櫛田槻本神社

櫛田は前に同じ、槻本は都岐毛登と訓べし、

○祭神詳ならず

〇豊原村に在す、考証俚諺、〕 飯野郡に属す、

○神鳳抄云、槻本御園、

類社
 越前國大野郡 槻本神社

式内社 大櫛神社について 祭神・在所は詳らかではない と記しています

【抜粋意訳】

大櫛神社

大櫛は於保久志と訓べし

○祭神在所等詳ならず
 勢陽俚諺に、櫛田村、一説 豊原村、又 稲木村どいへり、此皆 飯野郡に属したる村々也、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 神山神社について 所在は゛神山の巽 山添村に在す、゛〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〉と記しています

【抜粋意訳】

神山神社

神山は加布夜萬と訓べし

○祭神 猿田彦大神、考証、俚諺

○神山の巽 山添村に在す、俚諺

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 櫛田神社について 所在は゛飯野郡 櫛田郷 櫛田川の西、大櫛田村にあり、゛〈現 櫛田神社(松阪市櫛田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

櫛田(クシタノ)神社

 飯野郡 櫛田郷 櫛田川の西、大櫛田村にあり、〔神鏡紀談、延暦儀式解、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

式内社 流田神杜について 所在は゛柿木原村あり、村西に千年の古樟樹あり、下に舊祠あり゛〈現 〈二十五柱神社に合祀された流田神社〈明治23年 宇気比神社相殿に合祀された事代主神社〉(松阪市柿木原町)〉〉と記しています

【抜粋意訳】

流田(ナガレタノ)神社

〔〇按 伊勢式内社検録云、雑例集、に流田郷 服村とある 服村 後世分かれて八村となる、八村の内に柿木原村あり、村西に千年の古樟樹あり、下に舊祠あり、土人傳へて 往古 洪水に流多(ナカレタ)社を此に留め祭ると、盖 里俗 流田を漂流の事に混訛しなるへしと云り、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

式内社 櫛田槻本神社について 所在は゛ 飯野郡 櫛田村にあり、槻本御櫛社といふ゛〈現 旧櫛田神社跡(松阪市櫛田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

櫛田槻本(クシタノツキモトノ)神社

 飯野郡 櫛田村にあり、槻本御櫛社といふ、〔神名帳検録、勢陽雑記、式内社検録、

式内社 大櫛神社について 所在は゛今 豊原村 袖引社 盖是也゛〈現 豊養稲荷大明神(松阪市豊原町)〉と記しています

【抜粋意訳】

大櫛神社

 豊原村 袖引社 盖是也、〔伊勢式内社検録、津藩神社取調、〕

凡 本郡五十二座の神並に斎宮祈年祭に預る、〔延喜式〕

式内社 神山神社について 所在は゛乳熊郷 山添村 神山の東半腹にあり、鑰取明神と云゛〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〉と記しています

【抜粋意訳】

神山(カミヤマノ)神社

今 乳熊郷 山添村 神山の東半腹にあり、鑰取明神と云、〔神名帳検録、勢陽雑記、伊勢式内社検録、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 櫛田神社について 所在は゛三重縣今飯野郡櫛田郷櫛田村(飯南郡櫛田村 郷社 神山神社に合併゛〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〈櫛田神社を合祀〉〉と記しています

【抜粋意訳】

櫛田神社

祭神
祭日
社格 村社

所在 三重縣今飯野郡櫛田郷櫛田村(飯南郡櫛田村 郷社 神山神社に合併

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 流田神杜について 所在は゛流田郷柿木原村の西北隅に大樟樹ある森あり 其處に祭れる社゛〈現 〈二十五柱神社に合祀された流田神社〈明治23年 宇気比神社相殿に合祀された事代主神社〉(松阪市柿木原町)〉〉と記しています

【抜粋意訳】

流田神社

祭神
祭日
社格

所在

 今按るに 清水村に在といへど 其村は流田郷に非ざれば從がたし 檢錄に流田郷柿木原村の西北隅に大樟樹ある森あり 其處に祭れる社は村内九戸の産神にして 往昔流たるを拾て祭る蛭子神なりとの口傅あり 是流田社と云を謬り蛭子をさへ附會せしなりと云り 尚下の流田上神社の條と合考べし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 櫛田槻本神社について 所在は゛三重縣飯野郡櫛田村 (飯南郡 櫛田村 郷社 神山神社に合併)゛〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〈櫛田神社を合祀〉〉と記しています

【抜粋意訳】

櫛田槻本神社

祭神
祭日 正月十一日
社格 (覈録に豊原村にありとあり就て明細帳 豊原村には当社なし 櫛田村には櫛田神社とありて村社なり 式社とせり 槻本神社 別に一社となれり 字南出なり 今決め難し

所在 三重縣飯野郡櫛田村 (飯南郡 櫛田村 郷社 神山神社に合併)

 今按 檢錄にこの社 本村南出の産神にして 南東の畠中に在り 槻木御櫛社と唱ふ 神鳳抄に槻本御園池上と傍注せる地にして 池上と稱する地も社北に存すと云ひ 式社調に村の南槻本の森と云ひ 其邊の田ノ字をつきもとと云ふとあるもの證とすべし

式内社 大櫛神社について 所在は゛三重縣飯野郡豊原村(飯南郡櫛田村 郷社 神山神社に合併)゛〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〈大櫛神社の旧鎮座地は 飯野高宮神山神社に合祀された〉〉と記しています

【抜粋意訳】

大櫛神社

祭神
祭日 六月十四日
社格 村社

所在 三重縣飯野郡豊原村(飯南郡櫛田村 郷社 神山神社に合併

式内社 神山神社について 所在は゛三重縣山添村神山半腹(飯南郡櫛田村大字山添)゛〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〉と記しています

【抜粋意訳】

神山神社 稱 神山大明神

祭神
祭日 正月十日 九月二十二日
社格 郷社

所在 三重縣山添村神山半腹(飯南郡櫛田村大字山添)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

飯野高宮神山神社(松阪市山添町)ついて 式内社 神山神社について考証が記されています

【抜粋意訳】

〇三重縣伊勢國南郡櫛田村大字山添

郷社 神山(カウヤマノ)神社

祭神 猿太彦(サルタヒコノ)大神

創建年代詳ならすと雖も神名帳考に云く「神山(カウヤマノ)神社、今在神山、俗称鑰取神、猿田彦神、鑰與員同訓、猿田毘古神於比良夫貝 其手見咋、」

神名帳考再考に云く、「神山(カウヤマノ)神社、世記に、飯野の高宮に四年奉齋と有り、先輩の論に高宮は中萬村の東の山なり、御鎮座の地 故に神山といふと、強りといふべからす、今此 神山の巽に鍵取(カギトリ)の明神とも、山添(ヤマソヒ)の明神とも称する小祠あり、里人傳へて皇太神の行宮是なりといふ、按ふに元山上に在りて高宮と云ひしを、是も浮屠氏等禍して律寺を置き、社をば山添村に移し祀りし也、地勢高宮の名義に背けり」と、

神社覈録に云く「神山は加布夜萬と訓べし、祭神 猿田彦大神、神山の巽 山添村に在す、」

神祇志料には、「神山(カミヤマノ)神社、今 乳熊郷山 添村神山の東半腹に在り、鑰取明神と云ふ」と見え、共に飯野郡明治二十九年飯野飯高の二郡を合せ飯南と改む四座の一に列し、式内小社とす、

或は云く「当社は垂仁天皇二十二 倭姫命 皇大神を奉じて、阿佐賀藤方片樋の宮より飯野の高宮に奉遷し此に齋くこと三年、即ち此宮なり」と、

大日本地名辞書 伊勢國飯南郡櫛田郷の下文に「和名鈔、多郡櫛田郷、訓久之多、今 櫛田村是なり、神山村の北、櫛田川の西岸の地なれば、全く多氣郡と隔離すば 神鳳抄には「飯野郡 櫛田河原御薗」と見ゆれば、和名抄之を多郡に属せしめたるは誤れり、東鑑文治年、伊勢 齊宮寮田、櫛田郷、云々、」

又、櫛田の條下に、「今 大字豊原に國道通過し、之を櫛田と為す古村は其北に在り、延喜式に多 櫛田神社ありて、倭姫世紀に云く、從飯野高宮幸行、御櫛落給き其地を田と号し給ひ、櫛田社と定給き、此社は今 村社に列せらる、其他 大櫛神社 櫛田槻本神社并に式に列し、今本村に遺る」と見ゆ、是に由れば 或いは当社の旧称 櫛田神社に非ざるか、追つて考ふべし、而して櫛田槻本(ツキモトノ)神社に就き、神名帳考は「今 南櫛田豊原に在りとし祭神を倉稲魂と、神社覈録は祭神詳なら、豊原村に在す、今 飯野郡に属すとし、神祇志料は今 飯野郡櫛田にあり、槻本御櫛社といふとなし、

大櫛(オホクシノ)神社に関し神名帳考は、姓氏録を引き、阿閇臣、大彦命男大稻輿命後、按 櫛與輿言通となして別に所在を示さず、神社覈録は祭神所在等詳ならすと云ひ、神紙志料には「今 豊原村袖引社蓋是也、凡本郡五十二座の神並に齋宮祈年祭に預る」と見え、共に多気郡五十二座の中に列し、而かも其所在を異にし、今俄かに熟れか正しきを知ら、記して後の考定を埃つ、殊に鑰取明神の號に至りては更に一層の検覈を要す、

明治年郷社に列せらる、
四十一 村杜 比神社三座、同 須賀神社二座、同 穂卸神社、同 熊野神社、同 大櫛神社、同 櫛田神社、同 流田神社及び無格社十三座境内社一座を合祀す。
社殿は本殿、拝殿、御供殿等にして、境内坪数九百三十四坪(官有地第一種)を有す、老樹繁茂して千古の悌を存せり。

【原文参照】

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飯野高宮神山神社(松阪市山添町) (hai)」(90度のお辞儀)

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