五十嵐神社(いがらしじんじゃ)は 口碑に「垂仁天皇の第8皇子 五十日帶日子命は 景行帝の御時 越後に來り 普く國内を巡り 民に開墾漁獵の業を教へたまへて 此地に薨去し給ふ 其陵に神祠を建てて 五十嵐明神と崇め奉れり」と云う 延喜式内社 越後國 蒲原郡 伊加良志神社(いからしのかみのやしろ)です

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
五十嵐神社(Igarashi shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
新潟県三条市飯田2283
〈旧住所 南蒲原郡下田村大字飯田2283番地〉
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》五十日帯日子命(いかたらしひこのみこと)
〈第11代 垂仁天皇の第8皇子〉
《合祀》大日孁尊 大山祇命 応神天皇 建御名方命 倉稲魂命
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『越佐名勝案内誌』〈明治33年(1900)〉
【抜粋意訳】
○五十嵐神社
南蒲原郡飯田村にあり
五十日帶日子命を祭る、命は垂仁帝の皇子にて 景行帝の御時 越後に來り、普く國内を巡り、民に開墾漁獵の業を教へたまへて 此地に薨去し給ふ、其陵に神祠を建てて 五十嵐明神と崇め奉れり、上田下田等の郷名は、皆此時の開墾地の順番なりといふ
【原文参照】

滝沢峯松 著『越佐名勝案内誌』,文華堂,明33.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764513
『南蒲原郡史』〈大正4年(1915)〉に記される内容
【抜粋意訳】
■五十嵐神社
鹿峠村大字飯田に在り、垂仁天皇の第八皇子、五十日足彥命を祭る、皇子の御名、伊加多良志の多を阿行に反へして多の音を省くと伊加良志となる、延喜式神名帳に記載する所謂 伊加良志神社が即ちこれである、後、社名を五十嵐に改めたのは天候の好順を言ひあらはせる五風十雨の語からその文字と意味とを取り来れるもので、皇子が開墾を勤め沼澤を拓いて農事を獎勵された本志に愜ひ奉らんとの意であらうといふ
廟前に對立する老杉の周園ともに三丈餘、幹は中間より折れ、梢けつ茂生し亭々鬱々、巨蓋の天を摩するが如く巨根また地に蟠つて恰も龍蛇の蟠踞するに似てゐる、風雪の際 落つる樹枝を土民はこれを白湯に煎じ薬用とし妊婦に特効があるのである、樹齢は千年以上のものだらうといつてゐる 渠の小文治吉辰が力試めしに投込んだといふ杉の樹は五十嵐神社にある、今でも樹頭に巨石の嵌入するを見るのである
蓊葱なる詞樹、巍然たる廟殿、自から神威の巖なるを覺ゆるのである、近年園池を築いて社地の風致を添へ、飯田公園となつた、然して鎮守の地を、飯田といふたのは 元と御飯田と唱ひて五十嵐邑中にあつて令の御料地であつたのだ
【原文参照】

上野柏郎 編『南蒲原郡史』,上野竹次郎,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/948221
【由 緒 (History)】
「五十嵐」姓発祥の地 五十嵐神社
五十嵐神社の由来
五十嵐神社は、飯田小学校といいだ保育園に挟まれた山林の中にあります。神社の南西側には、信濃川の支流である五十嵐川が流れています。昔から氾濫する川として知られています。
第 11 代垂仁(すいにん)天皇の第八皇子である五十日帯日子命(いかたらしひこのみこと)が祭神です。五十日帯日子命は、大和朝廷が北九州から中部地方に至る国土を統一したであろう4世紀の中頃に、天皇から越の国の開拓を任されました。頚城地方、上田郷(南魚沼)、下田郷の順に開拓を行い、治水や農耕の技術を教え、稲作を広めたと伝えられています。そして、飯田宮沢の地で生涯を閉じ、舞鶴の丘に葬られたといわれています。
この人物が、五十嵐一族の始祖ということになります。本殿右手に五十日帯日子命の陵墓が建立されています。
「五十嵐」とは、「伊賀多良志(いからし)」「伊賀良志(いがらし)」とも記され、農民の理想と希う「五風十雨(ごふうじゅうう)の天候の好順」を表す意と伝えられ、地域一帯を潤して流れる清流の五十嵐川の名称もこれに由来しています。
その後、「五十嵐・伊賀良志」神社が建立され、約 700 年後の大化の改新によってお墨付きを与えられ、五十嵐一族が宮司となります。さらに、約 400 年後、鎌倉幕府の御家人となって、五十嵐氏が地頭としてこの地を治めることになります。
新潟県小学校長会「三条 飯田小学校」PDFより抜粋
https://www.niigataken-shokocho.jp/niigata/kyoudo/kfdk012.pdf
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・境内案内図

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・五十日帯日子命陵墓

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・五十嵐神社 本殿 幣殿

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・五十嵐神社 拝殿

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・神楽殿

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・石段

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・〈境内社〉若宮神社
・〈境内社〉八幡神社《主》応神天皇

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・〈境内社〉神明社《主》天照大神

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・忠魂碑

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・大杉保存殿

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・手水舎

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・社頭・鳥居

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・南参道入口鳥居

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・五十嵐館跡(三条市飯田)〈五十嵐神社 旧鎮座地〉
五十嵐神社は 中世には 丘陵下に居館を構えていた在地豪族「五十嵐小文治の館の鬼門」の位置にあったと伝わります
現在は五十嵐川を望む丘陵上〈五十嵐館跡の北東 350mの段丘崖上 標高 50mに五十嵐要害跡「飯田城跡」〉に位置します 江戸時代初期に館が排され丘陵地〈大杉保存殿の辺り〉に遷座し 明治3年(1870)「飯田城跡」の本丸の場所に社殿を建立し 在地に遷座再建されました
詳しくは下記の記事を参照
・五十嵐館跡(三条市飯田)
〈五十嵐神社 旧鎮座地〉
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越後國 56座(大1座・小55座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)蒲原郡 13座(大1座・小12座)[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 伊加良志神社
[ふ り が な ](いからしの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ikarashi no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『富山県神社祭神御事歴』〈大正13年(1924)〉に記される゛御祭神 五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)゛の伝承について
御祭神 五十日足彦命〈第11代 垂仁天皇の御子〉について 詳細に記され 布施爪村社 布施神社に奉祀す と記されています
【抜粋意訳】
卷七 富山縣神社祭神御事歴 第十篇 皇親の神靈
五十日足彦命
名號
(日本書紀 六)五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)
(古事記 中)五十日帯日子王(イカタラシヒコノキミ)
(新選姓氏録 摂津 皇別)垂仁天皇皇子 五十日足彦命御系統
日本書紀 巻六に、垂仁天皇三十四年、先是、娶山背苅幡戸邊、生三男、第一曰祖別命、第二曰五十日足彦命、第三曰膽武別命。五十日足彦命、是子石田君之始祖也とあり、垂仁天皇の皇子にまします。
〈これより先に山背苅幡戸邊(ヤマシロノカリハタトベ)を娶り 三人の男の子を生み 第一は祖別命(オオジワケノミコト)といい 第二は五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)といい 第三は膽武別命(イタケルワケノミコト)といい 五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)は この子は石田君の始祖です〉御事蹟
此の命は、春日山君、春日部君、石田君等の祖にまします、古事記、日本書紀奉仕の神社
此の命は、下新川郡西布施村 布施爪村社 布施神社に奉祀す、
【原文参照】

書誌情報 国立国会図書館デジタルコレクション『富山県神社祭神御事歴』著者 佐伯有義 編 出版者 富山県神職会 出版年月日 大正13年(1924)https://dl.ndl.go.jp/pid/971097/1/276
五十日帶彦命が 越の国に下向にあたり 駐留されたとの伝承を持つ式内社
社伝に「垂仁天皇の皇子五十日帶彦命が越の国に下向あり、越前を圣て当地に幾星霜駐留あらせられ」とあり 越國への赴任の際の駐留先が祀られています
式内社 加賀國 能美郡 滓上神社(かすかみの かみのやしろ)
・滓上神社(小松市中海町)
式内社 布勢神社(魚津市布施爪)の由緒に記される゛五十日足彦命゛の伝承について
祭神・五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)
五十日は 厳の義なるべし 十一代 垂仁天皇の皇子なり 越の國の君となり給ひ 匠を従へて穀物農具を持たしめ給ひ 民を率ひて開墾に従事し 民に業を授け後 今の魚沼郡に移りて開拓の業を与へ また漁網を教へ國造りの大功を奉し給ふ
と社伝にあり
・布勢神社(魚津市布施爪)
由緒書きには 越後國に移ったと記されます 五十日足彦命を祀る越後國の式内社について
式内社 越後國 頸城郡 五十君神社(いそきみ かみのやしろ)
・五十君神社(上越市三和区所山田)
式内社 越後國 蒲原郡 伊加良志神社(いからしのかみのやしろ)
・五十嵐館跡(三条市飯田)
〈五十嵐神社 旧鎮座地〉
・五十嵐神社(三条市飯田)
・八木ヶ鼻(三条市北五百川)
〈八木神社 旧鎮座地〉
・八木神社(三条市北五百川)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR信越本線 東三条駅からR289号・県道8281号経由で東南方向へ約10.1km 車での所要時間は17~20分程度
県道8281号を進み 三条市立飯田小学校の隣に鎮座しています
小学校の西側には 南参道の鳥居が建てられています

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表参道の社頭は西を向いています
五十嵐神社(三条市飯田)に参着
鳥居の両側に社号標が建てられています
向かって右側には「延喜式内 伊加良志神社」
向かって左側には「縣社 五十嵐神社」と刻字されています

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて 参道を進みます
境内の案内が 掲示板に張り出されています

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参道の途中で 公道が横切っています

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ここに手水舎があり 清めます

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「北日本 一等富選遊覧地 新潟毎日新聞」の石碑があり 石段がここから始まります

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石段を上がります

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広々とした境内地があり 左手には かつて聳えていたと伝わる大杉の保存殿が設けられています

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さらに進み 石段を上がると踊り場となっている箇所の両脇に 境内社が祀られています 右手の石祠が〈境内社〉神明社です

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左手に二つ並んでいるのが〈境内社〉八幡社・若宮社です

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再び石段を上がると 社殿の祀られている境内となります 正面には 大きな拝殿があります

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すぐ左手には 神楽殿があります

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拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿はとても大きく 扉は開け放たれています

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拝殿内には自由に昇殿が出来て 配布資料なども置かれていました

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拝殿の奥には幣殿 本殿が一体となっています

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さらにその後ろは 御祭神「五十日帯日子命」の陵墓があります

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陵墓に一礼をして 境内を戻ります

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すぐ西側を流れている五十嵐川の影響でしょうか
境内の横を見ると かなりの急斜面の高台となっていることがわかります

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参道を戻ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 伊加良志神社について 所在は゛飯田村に在す、今 若一王子と稱す、゛〈現 五十嵐神社(三条市飯田)〉と記しています
【抜粋意訳】
伊加良志神社
伊加良志は假字也
○祭神 級長戶邊命、 級長津彦命、〔風土記節解○考證云、五十日帶日子王、今從はず〕
○飯田村に在す、今 若一王子と稱す、〔案内○節解云、在ニ 五十嵐郷、〕
案内云、飯田村 往古 五十嵐村卜云フ、打績キ 惡作百姓逃散ス、領主アハレミテ貢納ヲ ユルシ呼返シ、村名ヲ改メタリト云リ、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 伊加良志神社について 所在は゛下田郷、五十嵐庄、飯田村、五十嵐川の涯に在り、゛〈現 五十嵐神社(三条市飯田)〉と記しています
【抜粋意訳】
伊加良志神社、
今 下田郷、五十嵐庄、飯田村、五十嵐川の涯に在り、〔式社案内記、新發田蕃神社帳、〕
盖 垂仁天皇 皇子 五十日帶日子王を祭る .古は春日山君、高志池君春日部君の祖也、〔古事記、参酌本社由緒傳〕傳云ふ 此王 越國に下り、春日山にまし、國中を見巡りて 後 五十嵐里に宮居し給ふ、是也、〔由緒傳〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 伊加良志神社について 所在は゛下田郷五十嵐莊飯田村(南蒲原郡鹿峠村大字飯田)゛〈現 五十嵐神社(三条市飯田)〉と記しています
【抜粋意訳】
伊加良志神社〔明細帳に五十嵐神社とあり〕
祭神
今按 社傳に祭神 五十日足彥命なるか社地の奥に御廣とて高一丈餘 周圍二十間 三方絕壁にして老樹繁茂 是 皇子の御墓なりと云傳ふとみえたり こは古事記に五十日足彦命者 高志池君直租とあり 又 五十日足彦の名と伊加良志と相同きによりて 附會したる歟よく考ふべし
祭日 四月二十九日 九月十日
社格 村社
所在 下田郷五十嵐莊飯田村(南蒲原郡鹿峠村大字飯田)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
五十嵐神社(三条市飯田)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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