市神社(津島市米町)〈津島神社の境外末社〉〈『延喜式』漆部神社〉

市神社いちがみしゃ 昔は米問屋が多く 商売の神様 大市比賣命(おほいちひめのみこと)を祀り 米之座と呼ばれた地に鎮座する津島神社の境外末社です 津田正生は『本國神名帳集説訂考』に 延喜式内社 尾張國 海部郡 漆部神社(うるしへの かみのやしろ)であるとの説を挙げています

Please do not reproduce without prior permission.

目次

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

市神社(Ichigami sha)〈津島神社の境外社地〉

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

愛知県津島市米町1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大市比賣命(おほいちひめのみこと)
   宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
   大歳神(おほとしのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 津島神社の境外末社

【創  (Beginning of history)】

『津島町史』に記される内容

【抜粋意訳】

第九編 寺社教會 第一章神社
第九項 攝末社
第三 境外末社

〇市神社

 米之座町〔大字津島字藤浪チノ割五百七十八番地〕にあり、大市比賣命を祀る、左に大歳神を配る大歳社、右に宇迦之御魂神を祀る宇迦御魂社がある。各本殿に拝殿・島居・石圍垣あり、境内九十七坪を有し弘和元年の創立と傳へる。津田正生はこの神社を以て神名式の漆部神社には非ずやとの説をなし、本國神名帳集説訂考にその説を掲げて居る。

 又 當社には十日市がある。これに関し尾張國地名考には

昔日 此處は米問屋の市活する所なれば幸ひに大市姫を齋祀りて市神と祟奉り、町名をも米の座と號くとなり、今も正月十日の曉天に初市の喜例あり、これを十日市呼べり、とあり、又尾張名所圖會には、

〔正月十日 早朝に初市でて此所にてさまざまのもて遊びを賣、その形 風流にして古雅なるもの多し、
とある如く、毎年陰曆正月十日にはこれを十日市と稱して夜半より雑露店を出し佛曉に至つて終る。その品種々あつてその最たるものは笹の葉・五福飴・西王母の桃・紙鳶等である。笹の葉は米俵・小判・桝・箕・丁子・熨斗・金箱・立烏帽子・槌・菓子袋等を笹の葉に結付けたもの、五福飴は極めて細い棒飴、西王母の桃は細き竹串の先に團子を挿し赤く彩ったもので、市中戸毎に必ずこれを買求めて神棚に供し、その年の幸福を祈った。

その市況は該夜二三時間中に擧町争つて求むることであるから實に雑踏を極めること夥しい。
例祭は右の陰曆正月十日の外に陰曆八月十五日にも行ひ、これは俗に七切祭と稱し、正德元年より笹に提燈を付け、傘鉾等を出したが、享保三年よりは津島

社の船祭を出さない舊来の町々、即ち北口・米之座・高屋敷・麩屋・小之座・池之堂・布屋より祭車一輛づつを出すごとになつたが、津島神社が國幣小社列格以来他の町々と共に一齋に十月一日祭禮を行ふこととなった。

 市神社 本殿流造、檜材、屋根銅板葺、縦一間三寸、横五尺五寸、建坪九合六勺二、〔明治三十二年七月五日修繕〕
 大歳社 本殿神明造、檜材、屋根銅板葺、縦四尺二寸、横三尺八寸、建坪四合四勺三、〔明治三十二年七月五日修繕〕
 宇迦御魂社 本殿神明造、檜材、屋根銅板葺、縦四尺二寸、横三尺八寸、建坪四合四匀〔明治三十二年七月五日修繕〕
 三社共用 拝殿大破風造、檜材、屋根瓦葺、縦一間三尺、横四間、建坪六坪一合二勺五である。

 當社は神子方堀田開田太夫の扣であつて、寛保二年寶曆十三年明和九年、寬政二年等に造營したことが見える。

【原文参照】

愛知県海部郡津島町 編『津島町史』,愛知県海部郡津島町,昭13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1230991

愛知県海部郡津島町 編『津島町史』,愛知県海部郡津島町,昭13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1230991

【由  (History)】

市神社 御社殿修復工事計画

 市神社は、弘和元年 (一三八年)の創建と伝えられ、中央に津島神社の御祭神「建速須左男之命」妃「大市姫(おおいちひめ)」、右に御子神「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」、左に御子神「大歳神(おおとしのかみ)」を祀り、名古屋から津島への上街道沿いに立ち並ぶ米之座の商家の信仰を集め、古くより旧暦正月十日に行われる「十日市」は多くの露店が出て終日賑わいました。

 旧暦八月十五日の例祭日に、正徳元年 (一七ーー年 )より笹に提灯を付け傘鉾を出しましたが、享保三年 (一七一八年 )よりは、天王祭に携わらない七切より山車の奉納が行われるようになりました。

 現在の社殿は、天保八年 (ー八三七年 )修造の後、明治三十二年と昭和二十七年に改修され、その後御屋根の葺替も行われてきたが、一八〇年余りの長き年月の風雨に晒され、損傷が激しくなってきました。

 此度大神様のご神徳を末永くいただけますよう、平成三十二年の竣工を目指し、御社殿の御造営を計画致しました。

 つきましては、造営基金捻出の為、十日市の祈祷料及び授与料を改訂させていただきますので、悪しからずご了承願います。
平成二十八年正月朔日 市神社奉賛会

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

市神社(津島市米町)は 津島神社の境外末社です

・津島神社(津島市神明)〈全国天王総本社〉の記事を参照ください

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)海部郡 8座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 漆部神社
[ふ り が な ]うるしへ かみのやしろ
[Old Shrine name]Urushihe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 尾張國 海部郡 漆部神社(うるしへの かみのやしろ)の論社

・漆部神社〈八大神社〉(あま市甚目寺東門前)

・日吉社(あま市甚目寺東門前)〈八大神社古社地〉

・甚目寺観音(あま市甚目寺東門前)〈八大神社古社地〉

・市神社(津島市米町)〈津島神社の境外社地〉

・八幡神社(弥富市荷之上町字柴ケ森)

・浅間社(名古屋市中川区下之一色町南ノ切)

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

名鉄線 津島駅から西へ約700m 車で3分程度

鎮座地は米町です 旧地名は米之座です

旧町名

 米之座(Komenoza

   (現町名  米町、米之座町一丁目、二丁目)

現在の津島市米町(つしましこめまち)、米之座町(こめのざちょう)一丁目、二丁目を総じて昔は米之座と呼んでいました。米問屋が多くあったため、こう呼ばれたと考えられ、商売の神様をまつる市神社(いちがみしゃ)があります。尾張津島天王祭の船 「米車(こめぐるま)」を出す津島五ヶ村の一つであり、また尾張津島秋まつりの山車「米之座車(こめのざぐるま)」を出す七切(ななきり)のまちの一つです。

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

市神社(津島市米町)〈津島神社の境外社地〉に参着

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

参拝時(2019/10)は 社殿の改修工事中でした

Please do not reproduce without prior permission.

本殿はなく 基壇にあるのは 御神体の石なのでしょうか?
本来は「中央に津島神社の御祭神「建速須左男之命」妃「大市姫(おおいちひめ)」・右に御子神「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」・左に御子神「大歳神(おおとしのかみ)」を祀り」とあります

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に向って左側(西側)にも鳥居が設けられています

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 漆部神社について 所在は゛在所群ならず゛よくわからない と記しています

【抜粋意訳】

漆部神社

漆部は奴利倍と訓べし

○祭神 木花咲耶比咩命、〔圖帳〇今按 三見宿命歟

○在所群ならず

○民部省帳云、仁寿月加再復、實天智天皇月之御新遷、所祭神 木花咲耶比咩也云々、元亨月所記残篇

事紀、天孫本記宇摩志麻治命四世孫三見宿禰命、漆部連等祖、

神位
 國内神名帳、海部郡從三位漆部天神、

神田
 民部省圖帳云、漆郡大明神、神田七十二束有

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 漆部神社について 社名のみが記されています

【抜粋意訳】

漆部(ウルシベノ)神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 漆部神社について 所在は゛今にては廃社なるべし゛〈廃絶したのであろう〉と記しています

諸説を挙げています

一説に津島 市神ならん゛〈現 市神社(津島市米町)津島神社の境外社地〉
゛同郡荷之上村八幡宮゛〈現 八幡神社(弥富市荷之上町字柴ケ森)〉
愛智郡下之一村なる淺間社゛〈現 浅間社(名古屋市中川区下之一色町南ノ切)〉
゛甚目寺観音は社のぜしものならんと云説゛〈現 甚目寺観音(あま市甚目寺東門前)〈八大神社古社地〉〉

それぞれの説に論拠が不足している とも記しています

【抜粋意訳】

尾張國一百廿一座
○海部郡八座 並小

漆部(ヌリベノ)神社

祭神 三見宿禰(ミツミスクネノ)

 今按 舊事紀 饒速日命四世孫 大木食命〔三河國造祖云々〕の弟 三見宿禰命 漆部連等組とある此に由あり 民部省に祭 木花耶比命と云るは疑しければ取ら

祭日
例祭
社格

所在
 按 盬尻にこの社は津島社ならむと疑ひ  一説に津島市神ならんと云へど更になし 同郡荷之上村八幡宮と云説ありて荷上はののへに へは ぬりへならんかと云へど信がたし 又 愛智郡下之一村なる淺間社の御手洗川を奉仕の祠官は漆部川なる由云へれど 探索するに古よりおけすと云えば取にたらず 甚目寺観音は社のぜしものならんと云説もあれど れば取がたし 今にては廃社なるべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

市神社(津島市米町)〈津島神社の境外社地〉 (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2025 All Rights Reserved.