比比多神社〈子易明神〉(伊勢原市上粕屋)〈『延喜式』比比多神社〉

比比多神社(ひひたじんじゃ)は 創建は天平年間729~749年)相模国の守護の任にあった染谷太郎時忠当国安土・子宝を願い勧請したと云う 子宝と安産の神「子易明神」として かつては大山詣の往復に多くの参詣者があったと云う 延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)の論社です

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

比比多神社(Hihita shrine

通称名(Common name)

子易明神(こやすみょうじん)

【鎮座地 (Location) 

神奈川県伊勢原市 上粕屋1763-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》神吾田鹿葦津姫命(かむあたかしつひめのみこと木花咲耶姫命

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・子宝安産の守護神

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

比比多神社(子易明神)由緒

鎮座地 伊勢原市上粕屋一七六三一番地

御祭神 神吾田鹿葦津姫命(木花咲耶姫命)

例大祭 七月十五日

御神徳
 「天平の頃、当国守護の任にありし染谷太郎時忠(藤原鎌足の玄孫で関東総追捕使)が当国安土・子宝を願い勧請す。後、その内室懐胎に及び信仰益々篤くひたすら安産の祈祷奉るに忽ち霊験現る。依って、社頭以下設備怠りなく造営す。」と伝う。後に、醍醐天皇の勅願所となり、神階・御告文その他旧記等宝殿に蔵せられしが、天正十八年小田原落城のおり、惜しくも亡失す。爾来、神号を『易産大明神』又は『子易大明神』と称え、朝野の別なく尊神極めて篤く、安産守護神として崇敬される。

御社殿
 創立年月日不詳・ただ天平年中とのみ
 以後、
 寛文二年修築 神官・鵜川権太夫直積代
 享保二年再建(現在の社殿 工匠は荻野の宮大工)神官従五位下行・鵜川大隅守藤原朝臣直賢代

御神木 二株
 但し、一株は大正十二年関東大震災のおり倒木
    一株は現存・欅(けやき)の老木

向拝
 往年より参拝せる者 安産の符として少量ずつ持ち帰りしたる為 細りしもの。現在の柱は三代目なり

底抜柄杓
 妊婦が安産を祈願し納めしもの

美人図絵馬
 歌川国経筆 享和二年十二月吉日 荻野住人神崎氏等四名納
 昭和三十五年十一月四日付 県指定重要文化財

梛(なぎ)
 市指定保存木・当社の肌守には梛の葉が一枚入れてある。

解除の次第及び祝詞
 伏見稲荷神官 荷田宿祢信満(国学の四大人の一人)が宝永四年 門人鵜川直積に与えしもの。(現在宮司宅に所蔵)

現地案内板より

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【由  (History)】

『新編相模国風土記稿』明治18年(1885)に記される内容

三宮明神社〈現 比々多神社(伊勢原市三ノ宮)相模國三之宮〉の項に「上糟屋村。子易明神社」〈現 比比多神社(伊勢原市上粕屋)〈子易明神〉について「゛比比多神社゛と書かれた古額があったのを子易明神社の神主に貸したところ返さず、子易明神社にこれを掲げて式内社と称したとの話である」と記されている箇所があります

【抜粋意訳】

三宮明神社

・・・
・・・〈中略〉
・・・

上糟屋村。子易明神社も。式内比々多神社なる由。云傳ふれど兩社共考證なく。是非辨し難し。

〔當社 神主の話に。比々多神社と稱せる。古額ありしを。子易明神 神主某に。貸興へしか。終に返さずして。後 彼社に。比々多神社の額を掲げ。式社なる由。稱せりと云。是も正き證はなし。〕

【原文参照】

間宮士信 等編『新編相模国風土記稿』第3輯 大住・愛甲・高座郡,鳥跡蟹行社,明18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/763969

間宮士信 等編『新編相模国風土記稿』第3輯 大住・愛甲・高座郡,鳥跡蟹行社,明18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/763969

謹 言

当神社に御参拝下さる皆様方に謹んで申し上げます。

御祭神は大山阿夫利神社のご祭神大山衹の命の御娘ご天孫瓊瓊杵命の妃木花咲耶姫の命様です。

境内の欅の老樹(御神木)に起縁の昔が偲ばれると思います。子宝を授け安産をお守り下さる神様子易明神として昔より信仰篤く大山の往きに帰りにと数多の人々の御参拝が続いて居ります。向拝の左右の欅柱の細った姿拝殿内の古い絵馬、天井に張られた信者札等心願の多いことがうかがわれます。

而し勿ら当神社をお守りする氏子数は少なく神社の修復には苦慮して参りました。

篤志者の寄進に数多の御参拝者のお賽銭の累積と合せ昭和五十九年より屋根銅板葺替工事に着手し昭和六十三年をもちまして完了致しました。

茲に改めて御参拝の皆様方に氏子一同深く感謝申し上げます。
 敬白

子易明神比比多神社宮司 鵜川正氏子一同

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・板絵著色歌川国経筆美人図絵馬

神奈川県指定重要文化財

 板絵著色(いたえちょしょく)歌川国経筆(うたがわくにつねひつ)美人図絵馬(びしんすえま)

指定日 昭和三十五年十一月四日

縦 一一七.五センチメートル
横 八三.〇センチメートル

 この絵馬は厚木市上荻野出身の浮世絵師歌川国経によって描かれました。花魁(おいらん)を中心に左に新造(しんぞう)(花魁付きの若い女性)、右に禿(かむろ)(花魁に仕える十歳前後の少女)が描かれています。

 絵馬の額面右上には「東都(とうと)一陽斎(いちようさい)歌川豊国門人国経画」と絵師名が、右下には「上荻野 願主神崎半兵衛」、左下には「綱島佐七、神崎長佐衛門、斎藤伝右衛門」と奉納者の名が記されています。奉納した人々もまた、国経と同じ厚木市上荻野のひとであったことが分かります。

 歌川国経は、本名を斎藤源蔵(さいとうげんぞう)といい、安永(あんえい)六(一七七七)年に生まれました。長じて、浮世絵界で名筆といわれ、美人画、役者絵を得意とした歌川豊国(一七六九~一八二五年)の門人となりましたが、絵師としての活動は少なく、作品はわずかしか残されていません。この絵馬は、国経が二十六歳の時に描いたものといわれています。国経は、文化五(一八〇八)年に三十二歳の若さで生涯を終えています。

 日向の浄発願寺の入口には、国経を偲(しの)ぶ六角形の供養塔(くようとう)が今も静かにたたずんでいます。

へいせい十七年牟三月 伊勢原市教育委員会

現地案内板より

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・〈本殿裏の境内社〉稲荷社《主》倉稲魂命・熊野社《主》熊野大神・粟島社《主》少彦名尊・日吉山王社《主》大山咋命・八雲社《主》素盞嗚尊・天神社《主》菅原道眞公

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)相摸國 13座(大1座・小12座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大住郡 4座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 比比多神社
[ふ り が な ](ひひたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hihita no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮」について

相模國は 寒川神社と川勾神社の間で「一之宮争い」があったと伝わっています

この「相模國の一之宮争い」は 現在も国府祭(こくふさい/こうのまち)の神事 儀中の古式「座問答」で再現されています

詳細は 下記の記事を参照ください

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

小田急小田原線 伊勢原駅から県道611号経由で北東方向へ約4km 車での所要時間は10~13分程度

県道611号で「上粕屋むの交差点を過ぎて 新東名高速をくぐると 100m程で社頭になります

比比多神社〈子易明神〉(伊勢原市上粕屋)に参着

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社号標には「安産守護 比比多神社」と刻字されています

一礼をして 鳥居をくぐり抜けます

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石段を上がり

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には幣殿 本殿が祀られています

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本殿の後ろには 境内社が祀られていて 裏参道の鳥居が建っています

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裏鳥居をくぐり 社殿に一礼をします

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 比比多神社について 所在は゛白根郷三宮村に在す、今三宮とす、゛〈現 比々多神社(伊勢原市三ノ宮)〉と記しています

又゛上粕谷郷子易村比々多神社゛〈現 比比多神社〈子易明神〉(伊勢原市上粕屋)〉の説も紹介しています

【抜粋意訳】

比比多神社

比比多は假字也、和名鈔郷名部日田、

○祭神 大酒解神、小酒解神、風土記

○白根郷三宮村に在す、今三宮とす、社説

 例祭  日、

惣國風土記残云、相摸國大墨郡 比比多伊神社、天万日天皇乙巳月、所祭大酒解神、小酒解神也、神貢三十束、

○東鑑十二云、建久日、早旦以後、御所御産氣、云々、相摸國神社佛寺奉神馬、云々、三宮、冠大明神

 伴信友云、按るに、比々他伊ト伊ノ字ヲ添テイヘル也、同風土記駿河國伊穂原郡ニ 阿蘇宇伊卜云地名ヲ記シ、次ニ 阿蘇宇伊神社もあり、今 由井駅の西に阿蘇宇といふこれ也と國人云り、東國にて同例也、地名に某里と里を添て呼るがある如く、ただ何なく添へて呼ならへるなるべしと云り、

○社司大貫氏云、今社地四千五百坪ばかりありて除地也、こは、古神主の屋敷地也、古の社地は今の社の上の方にて、今は畠となる、其より一町下に御門神とて、門の雨腋の如く小社二宇あり、古例にて今も五月五日の祭禮に、神輿其御門の神社の中間を渡り給ふ也、さて其御門神の眞向三四町許下に神戸村と云あり、杜の神戸なりし処也、五月五日の大祭には、一宮二宮三宮四宮等の神輿、三里許神幸の式あり、時によりて翌日帰座の事もあり、

○又云、先年同郡 子易村に子易明神といふ淫祠ありけるを、上糟谷村に遷し、三宮神主に内談し、比々多神社のをかり、比々多神社子易大明神と二行の額を掛け、守札に相摸國十三座之内比々多神社と記せる由也と云り、さては地名記に、上粕谷郷子易村比々多神社、祭神吾多鹿葦津姫命と載たり、今暫く三宮の説に随うて再考をまつ、

社領
 當代御朱印高(缺

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 比比多神社について 所在は゛ 白根三宮村にあり、゛〈現 比々多神社(伊勢原市三ノ宮)〉と記しています

【抜粋意訳】

比比多神社、

 白根三宮村にあり、〔松屋外集、神名帳考土代〕〔〇按 本社は神戶日向村に近し、日向は和名抄日田郷是也、

後鳥羽天皇 三年八月已酉、源頼朝 神馬三宮冠大明神に奉り、妻 政子の産氣を祈る、盖是神也、〔東鑑〕

凡 每年五月五日祭を行ふ、〔神名帳考土代〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 比比多神社について 所在は゛三之宮村 (中郡比々多村大字三之宮 )゛〈現 比々多神社(伊勢原市三ノ宮)〉と記しています

【抜粋意訳】

比比多神社

祭神 大酒解神 小酒解神

 今按 社傳 祭神 大酒解神 小酒解神とするものは僞風土記なれば如何あらん されど注進状本社いと瓶二つを體とすとるによらば據なしともべからず、故今姑

祭日 四月二十二日
社格 郷社

所在 三之宮村 (中郡比々多村大字三之宮 )

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

比比多神社〈子易明神〉(伊勢原市上粕屋) (hai)」(90度のお辞儀)

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相摸国 式内社 13座(大1座・小12座)について に戻る

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