甲斐奈神社 元宮(甲府市愛宕町)〈『延喜式』甲斐奈神社〉

甲斐奈神社 元宮(かいなじんじゃ もとみやは 2 綏靖天皇の御代 皇子 土本毘古王が 甲府盆地一面の湖水を切り開き給い 甲斐奈山(現・愛宕山)の頂きに白山大神を祀り創建されたと伝わる 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 甲斐奈神社(かひなの かみのやしろ)の古社地です

Please do not reproduce without prior permission.

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

甲斐奈神社 元宮(Former shrine site of Kaina Shrine)

通称名(Common name)

 ・御元宮

【鎮座地 (Location) 

山梨県甲府市愛宕町〈愛宕山山頂〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》白山大神(はくさんおほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

御奉賛顕彰碑

この地は古来より 甲斐奈神社鎮座地として奉祀されたが大永年間 武田信虎公の命により、ここより南方(現鎮座地)に遷座の後は、その元宮として尊崇された
昭和六十一年四月 若彦命を先使として、天神瓊瓊杵尊この地に天降り給う際の霊示により、平成二十五年十月 若彦命(高原正承命)の天帰りが果たされ、その霊験に合わせて、神威ご奉賛の誠が為され、ここに広い境内地を有する真の神域となった
この地が神霊の幸う平和の杜として、永久に栄えることを祈念かるものである

平成二十五年十一月吉日
 甲斐奈神社 第二十代宮司 高原玄

現地石碑文より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

『甲斐国式内社並国史現在社考』に記される内容

【抜粋意訳】

第二 延喜式内社 山梨郡九座

甲斐奈神社 郷社

甲府市工町 鎭

祭神
 菊理姫命
 木花咲耶姫

社記云。甲斐奈神社也。御朱印社領三。國志所載 白山権現にして 往古、社 北甲斐奈由上に鎭座せしが、永正年中 武田信虎 蔵田村に移し、天文の末更に現地に遷せしと云。

【原文参照】

赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・現在の甲斐奈神社(甲府市中央)

当初は 甲斐奈山(現・愛宕山)の頂きに鎭座〈白山大神を祀る以来 延喜式神名帳に載る甲斐国鎮守の神として尊崇され

永正年間(15041520)武田信虎〈武田信玄の父〉の築城に際し 現社地〈(甲府市中央)〉に遷座された

・甲斐奈神社(甲府市中央)

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山梨郡 9座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 甲斐奈神社
[ふ り が な ]かひなの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kahina no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 甲斐國 山梨郡 甲斐奈神社(かひなの かみのやしろ)の論社

・甲斐奈神社 元宮(甲府市愛宕町)

・甲斐奈神社(甲府市中央)

・甲斐奈神社〈守ノ宮〉(笛吹市春日居町国府)

・甲斐奈神社(笛吹市一宮町)

・吾妻屋宮(笛吹市春日居町鎮目)

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

甲斐奈神社(甲府市中央)から北上 JR見延線 金手駅を過ぎて行きます

北上して山の下まで 約900m 徒歩で20分程度です

私は車で 山梨県立科学館の裏に未舗装の道があり この道を150m程南へ下ります

Please do not reproduce without prior permission.

三峯神社が祀られています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

山の斜面は 太陽光発電基地になっていて 樹木が伐採されており 甲府盆地が一望に見渡すことが出来ます

Please do not reproduce without prior permission.

甲斐奈神社 元宮゛の案内板があり 階段の脇に小さな朱鳥居が建てられています

甲斐奈神社 元宮(甲府市愛宕町)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

階段を上がると 小砂利が敷き詰められた境内があります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

注連柱があり 社號石には゛甲斐奈神社 御元宮゛と刻字されています
一礼をしてから 注連柱に懸けられている注連縄をくぐり抜けて参道を進みます

Please do not reproduce without prior permission.

御奉賛顕彰碑の石碑には 由緒が刻まれています

Please do not reproduce without prior permission.

こちらから進むと 社殿の裏側から進んでいて 社殿の脇を通るようになります
朱色の鳥居が建ち 注連柱 透塀の中に 赤色の屋根の石祠が祀られています

Please do not reproduce without prior permission.

正面に回ると 大きな社号標があり゛甲斐奈神社 旧社阯゛と刻字されています

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

社記には「当社は、人皇第二代綏靖天皇の御代、甲斐国開拓に際し甲斐奈山(現・愛宕山)の頂きに白山大神を祀ることに始まり」とあり

第二代 綏靖天皇の御代 皇子土本毘古王が 甲斐奈山(現・愛宕山)の頂きに白山大神を祀り創建されたと云う

土本毘古王は 媛靖天皇の勅命により国造として 甲斐に入国 一面の湖水を切り開き平土を得 住民安住の地を確保した功績は偉大なるものであり 甲斐の大開祖として崇められています

上の言い伝えは この甲斐奈山(現・愛宕山)の頂きから 甲府盆地に広がった一面の湖水を切り開いたことに感謝した場所として祀られたと云う

この景色を見れば なるほど この地であろうなと想わせる景色が眼下に広がっています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

こちらの道が 徒歩で上がってくる表参道です

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 甲斐奈神社について 祭神・所在ともに詳らかではない と記しています

その上で 甲斐奈神社と称している所は何か所もあり どれかを特定できないが 各説を挙げています
府中淺間明神、相殿 白山権現を祭れり、相傳 延喜式所載甲斐名神也と゛〈現 甲斐奈神社(甲府市中央)
國府に守宮と云社あり、一説「延喜式所載 甲斐名神社也と云傳゛〈現 甲斐奈神社〈守ノ宮〉(笛吹市春日居町国府)
八代郡橋立村 神祖明神社中に大なる杉樹あり゛〈現 甲斐奈神社(笛吹市一宮町)
國府村にありと云り゛〈現 吾妻屋宮(笛吹市春日居町鎮目)

【抜粋意訳】

甲斐奈神社

甲斐奈は、假字也

○祭神 在所等 詳ならず

 甲斐名勝志云、府中淺間明神、相殿 白山権現を祭れり、相傳 延喜式所載甲斐名神也と、
予按るに、甲斐奈神社と唱來る社、いくところにもあれば、何れ是なる事をしらず、』
又云、國府に守宮と云社あり、一説「延喜式所載 甲斐名神社也と云傳、今未詳、』
又云、八代郡橋立村 神祖明神社中に大なる杉樹あり、七囲半許、實に希代の杉也、加賀美先生曰、延喜式所載 甲斐名神社是なるべし、此 和名鈔所戴 山梨郡林戸郷也、今八代郡に属す、
○日下部某が参考には、國府村にありと云り、未孰れかしらず、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 甲斐奈神社について 所在と遷座について゛舊 甲斐根嶺にあり、後 之を西郡 筋鮎澤村 長禅寺山の南麓に移す、白山権現といふ゛〈現 甲斐奈神社 元宮(甲府市愛宕町)〉から〈現 甲斐奈神社(甲府市中央)〉へ遷座と記しています

【抜粋意訳】

甲斐奈(カヒナノ)神社

舊 甲斐根嶺にあり、後 之を西郡 筋鮎澤村 長禅寺山の南麓に移す、白山権現といふ、〔甲斐國志、神名帳考証、〕

凡三月十一日初午の日、幣舊社に奉り、其望日 本社の祭を行ふ、〔甲斐國志、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 甲斐奈神社について 所在は゛甲府工町(甲府市工町)〈現 甲斐奈神社(甲府市中央)〉であるが 元の所在地は゛甲斐奈山の嶺に鎭座゛〈現 甲斐奈神社 元宮(甲府市愛宕町)〉であった

その他の説として
橋立村橋立明神なりと云へど〈現 甲斐奈神社(笛吹市一宮町)

゛一説に國府村 守宮明神と云ヘども゛〈現 甲斐奈神社〈守ノ宮〉(笛吹市春日居町国府)
があるが証拠がない と記しています

【抜粋意訳】

甲斐奈神社

祭神 菊理姫命

 今按 社傳 祭神 菊理姫命 木花開耶姫命二座なる由なれど 木花開耶姫命は文祿中 束青沼村より本社に遷座して相殿に祭られしなれば 今其主とある神にあらず 又 甲斐名勝志には夜中 淺間明神 相殿 白山権現を祭る 相傳延喜式所載 甲斐名神也と云説もあり 之によらば菊理姫は相殿神なり今孰れ是なりとも決めがたしなほよく可考 

祭日 三月十一月十五日 六月一日至十日
社格 郷社

所在 甲府工町(甲府市工町)

 今按 工町の白山大明神は今の社地より凡六七町北方 甲斐奈山の嶺に鎭座ありしを 大永年間 今の地に遷し 古社地に石祠ありて毎年三月十一日初午  日 神幸の祭を修めしこともみえ 神名牒考證にも甲斐奈神社 今在 甲斐根嶺とある 正しき證なれば之に從へり されど其山上の舊址は僅に小祠を存せるのみにて 式社の跡とも思はれぬばかりなりとぞ

一説 橋立村橋立明神なりと云へど 社記に永祿慶長の條目には林部宮朱黒印の狀には橋立大明神制札 古文書には神祖明神など社號多くあるのみにて證なく
又 一説に國府村 守宮明神と云ヘども 寛政十一年 神官金子河内より本國神官觸頭へ差出したる書狀に國府村 守宮大明神 式内には無御座候へ共云々とある時は 此後に式内神社と唱ひしこと疑なければ是亦信がたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

甲斐奈神社(甲府市中央)について 記されています

【抜粋意訳】

〇山梨縣 甲斐國 甲府市工町

郷社 甲斐奈(カヒナノ)神社

祭神
 句々理比賣(ククリヒメノ)
 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメノ)

創建年代詳ならず、延喜式に名神小 甲斐奈神社とあるは即ち是なり、

上世は甲斐奈山(今長禅寺山と云ふ)の頂上に鎮座ありしが、此地要害の地たるに依りて、永正中 武田信虎 藏田村に奉遷し「古地には小古祠を置けり云々と國志、社記等に見ゆ、「按奈輿根通峯也。今在甲斐峯」と神名帳考証に見え「又其後天文の末 晴信 巨摩郡鮎澤村長禅寺を以て 彼の山の南麓に移すに当り、本社も亦 其境内に転ず」(國志社記)故に「甲斐奈神社 旧甲斐嶺に在り、後之れを西郡筋鮎澤村長禅寺山の南麓に遷し 白山権現と云ふ、凡三月初午の日幣を当社に奉り、其月の望日本社の祭を行ふ」(神祇志料)と云へり、

其後 淺野弾正長 改甲府城を築き、復其三の曲輪内に奉遷す、此時 東青沼村なる淺間神社を合祀す、相殿の神即ち是なり、
徳川氏の時 朱印社領三石余(蔵田村の内)を寄進せらる、古は神輿にて山上の古地に御幸ありしが、九十年来は奉幣のみにて、僅に旧観を存す、
大神事は十一日の望日なり、往古は午の上刻、藏田村の古地にも御幸ありしに、今は絶えてなし、

さて相殿の淺間明は、青沼郷に鎮座の古社にして、昔時 神領三石三斗を有せり、或は貞観 八代郡の明神と共に祭られ給ひし神なりとも云へど、是はへり、然れども 其の大社たりし事は明かなりとす、
当社に配祀されしは、文禄中 府城起工の際にして、白山権現と並べ立てたり、享保十二 炎焼以來 南殿造立し難きに付、相殿造りにせし由、神宝旧記等傳はらず、今只 神主圓書喜 祖先 土屋次郎右衝門 所賜 天正年壬午三月十日 勝頼の朱印定書一通存せり、代々の朱印状六通四、奉行黒印状と併せ藏めたり、(辻記甲斐国志)
明治年社領を上地し,年郷社に列す。

社殿は本殿、拝殿を有し、境内三百三十五夕(官有地第一種)にして、幽清なる神地なり。

境内神社
 多賀社 鹿島社 山神社 神明社
 塞神社 疱瘡神社 諏訪社 天神社
 八雲社 東屋社 春日社 迦具土社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

甲斐奈神社 元宮(甲府市愛宕町) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

甲斐国 式内社 20座(大1座・小19座)について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-, ,

Copyright© Shrine-heritager , 2025 All Rights Reserved.