延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

越中國 式内社 34座(大1座・小33座)について

越中国(えっちゅうのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 越中国には 34座(大1座・小33座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

能登國(のとのくに)の 式内社 43座(大1座・小42座)について

能登国(のとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 能登国には 43座(大1座・小42座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

森神社(天理市森本町)

森神社(もりじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載の式内社 京中 左京二条坐神 太詔戸命神(ふとのとの みことの かみ)(大月次相嘗新嘗)の旧鎮座地とも 大和国 添上郡 太祝詞神社(大月次新嘗)(ふとのとの かみのやしろ)であるともされます

越前國 式内社 126座(大8座・小118座)について

越前国(えちぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 越前国には 126座(大8座・小118座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

肥後国 式内社 4座(大1座・小3座)について

肥後国(ひごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 肥後国 4座(大1座・小3座)の神社です

国造神社(阿蘇市一の宮町手野)

国造神社(こくぞうじんじゃ)は 阿蘇神社の本宮ともされ その北方にあるので北宮と云う 第十代 崇神天皇の18年(紀元581)初代 阿蘇国造の速瓶玉命(はやみかたまのみこと)を その御子 惟人命(彦御子神)が勅により 阿蘇国造の神として 御居住の地(現在地)に鎮祭したのが創建と伝わります

陸奥國 式内社 100座(大15座・小85座)について

陸奥国(むつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 陸奥国には 100座(大15座・小85座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

上野國 式内社 12座(大3座・小9座)について

上野国(かみつけのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 上野国には 12座(大3座・小9座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

下野國 式内社 11座(大1座・小10座)について

下野国(しもつけのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 下野国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

信濃國 式内社 48座(大7座・小41座)について

信濃国(しなののくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 信濃国(しなののくに)には 48座(大7座・小41座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

備中国 式内社 18座(大1座・小17座)について

備中国(びっちゅうのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される官社です 備中国には 18座(大1座・小17座)の神々か坐します 現在の論社を掲載しています

備後国(びんごのくに) 式内社 17座(並小)について

備後国(びんごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている官社のことです 備後国には 17座(並小)の神々が坐します ここには 現在の論社を掲載しています 

丹後国 式内社 65座(大7座・小58座)について

丹後国(たんごのくに)の式内社とは 平安時代中期 「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧『延喜式神名帳』〈927年朝廷編纂『延喜式』(律令の施行細則 全50巻)の巻9・10を云う〉に所載される 丹後国65座(大7座・小58座)の神を云います

阿波国 式内社 50座(大3座・小47座)について

阿波国(あわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 阿波国 50座(大3座・小47座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

国常立神社(橿原市南浦町)

國常立神社(くにとこたちじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)の論社で 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の奥宮に相当します

天香山神社(橿原市南浦町)

天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)とされ 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の本社に相当します 畝尾坐健土安神社(うねひのます たけはにやす かみのやしろ)の論社でもあります

加賀國(かがのくに)の 式内社 42座(並小)について

加賀国(かがのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 加賀国には 42座(並小)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

益救神社(屋久島町原)

原益救神社(はるおやくじんじゃ)は 往古は旧県社 益救神社の末社であったとも 益救神社(やくじんじゃ)そのものであったとも伝わります 益救神社は 長い歴史を持ち 元々は屋久島中央部の三岳(宮之浦岳・永田岳・栗生岳)の神を祀ったものと云われます

宮浦神社(姫路市家島町)

宮浦神社(みやうらじんじゃ)は 以前は 家島白髭大明神を称していたが 明治になって宮浦神社と改称されました 社伝によれば 比叡山実相院の覚円僧都が門徒と共に坊勢島に渡海し 或る夜霊夢によって故郷の琵琶湖に準え白髭大明神を勧請したことによります

豊前国 式内社 6座(大3座・小3座)について

豊前国(ぶぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 豊前国 6座(大3座・小3座)の神社です

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