延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

髙向大社(伊勢市御薗町高向)

高向大社(たかぶくたいしゃ)は 『高向村神社記』に 第45代 聖武天皇の御代 天平三年(731)の創建と云い 又 貞観三年(861)八月 大雨洪水があり大杉の根本に゛白羽の蓋根矢゛が流れ着いたと 山城 賀茂別雷神社の「丹塗矢伝承」と同類の伝承があり 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)であるとの説があります

雷電神社(伊勢市小俣町本町)

雷電神社(らいでんじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)の論社の一つです 雷電神社の旧鎮座地は 確定しておらず その多数の論社があり 諸書に「離宮院の坤方(ひつじさる)〈南西方向〉」にありと記されている社で 此処に祀られていた〈裏の宮・八王子〉とも称していた゛雷電神社゛ことです

湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

湯田神社(ゆたじんじゃ)は 雄略天皇朝の創立 造宮使造替六社中の一で格式も高かったが 中世に廃絶し 社地は明らかになりませんでした 産土社の境内社 湯田社に再興したもので 祭神についても大歳御祖命(おほとしみをやのみこと)御前神(みまへのかみ)とされますが 鳴宸電(なるいかつち)を祀る説があり 式内社・湯田神社 ・雷電神社の二つの論社となっています

多岐原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

多岐原神社(たきはらじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 内宮別宮の瀧原宮から宮川を約6km下ったところに鎮座します ここは倭姫命が 皇大神(天照大神)を奉じて巡幸中 宮川を渡ろうとしたが 砂も流れる早瀬があり 渡河難渋であった時 真奈胡神(まなごのかみ)があらわれ その案内で渡ることができた 故に多岐原神社が定め祀られたと伝わります

磯神社(伊勢市磯町)

磯神社(いそじんじゃ)は 倭姫命(やまとひめのみこと)の巡幸地の一つ゛伊蘇宮 或は磯宮゛とされ 旧地は宮川の氾濫によって崩壊 水没した爲 現在地に遷座したと伝わります 旧地は延喜式内社 伊勢国 度會郡 磯神社(いその かみのやしろ)とされますが 皇大神宮・豊受宮の管攝する社にはその名が見えず ゛磯宮・伊蘇宮゛と゛磯神社゛との関連性にも諸説があります

田宮寺神社〈田乃家外城田神社〉(玉城町田宮寺)

田宮寺神社(たみやじじんじゃ)は 村社 田乃家外城田神社と云い 元 田宮寺鎮守神 天神社のことで 明治四十二年 合祀されたもので この天神社が 皇大神宮摂社の田乃家神社(たのへじんじゃ)であったとも云い 境内には゛御船殿奮趾゛往昔 神宮禰宜 荒木田氏により 式年遷宮毎に御船代を奉納した遣跡もあり 神宮との深い繋がりがあります

田乃家神社〈御同座 田乃家御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉

田乃家神社(たのえじんじゃ)〈御同座 田乃家御前神社(たのえみまえじんじゃ)〉は 創建は 第21代 雄略天皇の御代(457~479年)と伝わる皇大神宮(内宮)の摂社 かつて造宮使造替六社の一つで高い格式がありましたが ここも中世に頽廃し 寬文三年(1663)に再興されました その際 御前神は正殿に御同座し〈昔は二殿あり〉 現在に至ります

蚊野神社〈御同座 蚊野御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉

蚊野神社(かのじんじゃ)御同座する 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)は 第21代 雄略天皇(457~479年)が定めたと伝え 皇大神宮(内宮)の27摂社の第7位と格式があります 規定では 造替使がその任に当り 20年に1度正宮と並び正殿を造替える神社でしたが 中世には頽廃してしまいます 寬文三年(1663)大宮司 河邊精長により 現社地に再興され 現在に至ります

鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

鴨神社(かもじんじゃ) は 皇大神宮(内宮)の摂社で『延暦儀式帳』〈延暦23年(804)〉によれば ゛倭姫命の祝ひ定め給ふ所゛と伝わり その後 中世に頽廃しましたが 寬文三年(1663)攝社として再興され この時は 本村字竈谷の地゛氷室洞くつ゛の所に本社が造立されています 明治九年(1876)更に神宮司廳に於て 現在の地に移造されています

久佐奈岐神社(静岡市清水区山切)

久佐奈岐神社(くさなぎじんじゃ)は 日本武尊が東征の途中この地に本宮を設けた旧蹟の地と云い 功績のあった副将軍の吉備武彦命が 後に廬原の国を賜った時に この地に尊を祀り社殿を造営 創祀した 又 日本武尊の東征に随伴の九万八千の諸神を祭祀奉る所として゛九萬八千社゛とも云い 古くは九万八千の幣帛を奉り 昭和までは九十八本の幣帛を奉っていたと社傳に云う

古宮(静岡市清水区草薙)〈草薙神社 創建の地〉

古宮(ふるみや)は 第12代 景行天皇が 日本武尊を偲び 草を薙ぎ払った゛天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)゛を御霊代として草薙剣(くさなぎのつるぎ)呼び この地に社を建てた草薙神社 創建の地です 故にこの辺りを天皇原(てんのうばら)と云い その後現座地に遷座したと伝わります

草薙神社(静岡市清水区草薙)

草薙神社(くさなぎじんじゃ)は 日本武尊が天叢雲の剣で草を薙ぎ払い野火を止めた草薙剣(くさなぎのつるぎ)〈三種の神器〉故事ゆかりの地です 社伝によれば 景行天皇が天皇53年(123)当地に日本武尊の霊を奉斎〈御神体として草薙剣を奉納〉したのが創建と云う この草薙剣は 朱鳥元年(686)天武天皇の勅命により熱田神宮に移されたとも伝えています

草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)は 豊受⼤神宮(外宮)の第一摂社であり その祭神は・神名祕書に草薙劔・類聚神祇本源所引の社記に標劔杖(ミシルシノツルギ)とあります 中世に頽廃しましたが 正保二年(1645)に現在地に再興されています 延喜式内社 伊勢国 度會郡 草奈伎神社(くさなきの かみのやしろ)です

大間國生神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

大間國生神社(おおまくなりじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大間國生神社(をほまの くななりの かみのやしろ)です 『倭姫命世記』に゛雄略天皇二十二年(478)の條に大若子(オホワカゴ)命の社を定む 大間社是なり゛とあります 中世に廃絶し 江戸時代に現在地に祀られました 玉垣内には 正殿が二殿〈大間社(祭神・大若子命)國生社(祭神・乙若子命)〉あります

坂手國生神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

坂手國生神社(さかてくなりじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 創建について『倭姫命世紀』に゛垂仁天皇の御時 倭姫命が皇大神を奉戴し この地に御遷幸の時 國つ神の゛高水神(たかみづのかみ)゛が この國は岳高田深坂手國(をかたかしたふかしさかてのくに)とお迎え申し゛田上御田(たのへのみた)゛を奉られたので 坂手社(さかてのやしろ)が祝い定められたと云います

狭田國生神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

狭田國生神社(さたくなりじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 『倭姫命世記』に「倭姫命が皇大神を奉じ 寒川を遡った時 速河彦命が参り゛畔廣之狹田(アゼヒロノサタ)の國゛の神田を献上し 倭姫命が゛速河狭田社゛を祝定めた」と云う 延喜式内社 伊勢國 度會郡 狭田國生神社(さたの くなりの かみのやしろ)とされます

須原大社(伊勢市一之木)

須原大社(すはらおおやしろ)は 社号の須原は「州原」 宮川の支流静川の流域で このあたりが一面の河原であったことを意味すると云われ 延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)の論社 高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉(月夜見宮の境内に祀られる)の旧鎮座地とされます

高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉(月夜見宮 域内)

高河原神社(たかがわらじんじゃ) は 豊受大神宮(外宮)の摂社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)とされます その後 応永26年(1419)に焼失し 近世には社地不明となりましたが 寛文3年(1663)現社地(月夜見宮 域内)に再興されました

月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

月夜見宮(つきよみのみや)は 古くは 高河原(たかがわら)と呼ばれ 農耕の神を祀る神社であったと云います 延喜式〈927年12月編纂〉式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)の時は 外宮摂社の首位でした その後 土御門天皇の承元四年(1210)土宮の嘉例に淮じ豊受大神宮(外宮)の別宮に昇格しました

朝熊神社&朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

朝熊神社(あさくまじんじゃ)&朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)は 五十鈴川と朝熊川の合流する東岸丘にあり 垂仁天皇27年(BC3)倭姫命が石と化した大歳神(おほとしのかみ)を祀ったのが創祀と伝える 皇大神宮(内宮)の27摂社の内 第1摂社です『延喜式神名帳』では 伊勢国 度會郡 朝熊神社(あさくまの かみのやしろ)と記されています

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