-

鶴ヶ峰八幡神社(大和町宮床赤坂)〈『延喜式』須伎神社〉
鶴ヶ峰八幡神社(つるがみねはちまんじんじゃ)は 寛文3年(1663)古縁起等を焼失し創祀年代等は不祥 一説には推古天皇6年(598)一宮波神 賀茂三社を本社に合祀と云う 又 別当正善院清範は この賀茂明神社を延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)と伝えます 又 賀茂明神社は境内社との説もあります
-

須岐神社(大衡村駒場下宮前)〈『延喜式』須伎神社〉
須岐神社(すきじんじゃ)は 創祀年代 鎮座 由来等は詳かでない 昔時は今の社地の西方の宮高森上に在り 建久二年(1191)に地頭 児玉弥太郎がここに遷座して 赤崎大明神と称え椚千本を植え神境としたと伝わります 延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)の論社です
-

須伎神社(鈴鹿市長太栄町)〈『延喜式』須支神社・大木神社〉
須伎神社(すぎじんじゃ)は 社伝には 上古 津島の神を奉じて南下した人々が長太村に祠を建て祀ったと云う 元禄三年(1690)当地に移転鎮座した 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 須支神社(すきの かみのやしろ)とされ 又 明治40年(1907)大木神社(長太の大樟)を合祀し 同じく式内社 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社でもあります
-

長太の大樟(南長太町)〈須伎神社 に合祀された大木神社の旧鎮座地〉
長太の大樟(なごのおおくす)は 嘉永4年(1851)地誌「勢国見聞集」名木之部に「河曲郡北堀江村 楠 当村の西の方にあり 是を大木神社と云 式内の社なり」と記され 楠木を御神体とした神社〈須伎神社に合祀された大木神社の旧鎮座地〉で 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社とされています
-

大塚神社(鈴鹿市林崎)〈『延喜式』大木神社〉
大塚神社(おおつかじんじゃ)は 創建年代などは不祥ですが 明治以前は 西林崎村 一色村2村の産神「大塚大明神」でした 鎮座地の゛林崎゛は 神宮の「林崎御厨ノ地」であったとされ 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社とする説があります
-

久々志彌神社(鈴鹿市下箕田)〈『延喜式』久々志彌神社〉
久々志彌神社(くくしみじんじゃ)は 社伝に第34代舒明天皇元年(629)創祀と云う 又 鎮座地の箕田は 伊勢神宮「箕田御厨(みたみくり)」の地であり 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 久々志彌神社(くくしみの かみのやしろ)に比定され 明治41年(1908)箕田村の村社 無格社をすべて合祀し 式内久々志彌神社と改称しました
-

大木神社(鈴鹿市石薬師町)〈『延喜式』大木神社〉
大木神社(おおきじんじゃ)は 創建年代などは不祥です もと河曲郡高富村字船塚に鎮座したが 元和年中(1615~24)一村が今の石薬師へ移住 寛永年中(1624~44)当社も該地から今の地へ遷座したと云う「青木ノ明神ノ宮」又は「アヲキ」と云った 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社です
-

楠村神社(四日市市楠町本郷)〈参考論社『延喜式』川神社〉
楠村神社(くすむらじんじゃ)は 社伝に「創祀については詳らかにし難い」とあり 楠城址の一部を占める「風呂屋」と呼ばれる地区に鎮座しています 明治42年(1909)楠郷総社に合祀されたが 昭和2年(1927)再び現在地に分祀されたものです 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 川神社(かはの かみのやしろ)の参考論社です
-

廣幡神社(菰野町菰野)〈式内論社 江田神社(江田)明治41年(1908)合祀〉
廣幡神社(ひろはたじんじゃ)は 寛永七年(1630)菰野藩初代藩主 土方雄氏公が京都の石清水八幡宮より城の鎮守として勧請 明治になり神社合祀令により近隣の神社が合祀されました 明治41年には式内論社 江田神社(江田)を合祀して 延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社となっています
-

鵜森神社(四日市市鵜の森)〈『延喜式』江田神社〉
鵜森神社(うのもりじんじゃ)は 鎮座地は濱田城跡にあり 創建年代は定かではないが 文明(1469~87年)には濱田城主 依家の崇敬した社であった 一説には 元は江田神社と称していたとされ延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社となっています
-

江田神社(四日市市西坂部町)〈『延喜式』江田神社〉
江田神社(えだじんじゃ)は 祭神は日本武尊の弟君 五十功彦命 古くは奥宮 中宮 下宮があったが 天正3年(1575)織田信長配下の兵火によりすべてを焼失し 下宮〈現在地〉に遷座 明治41年(1908)に坂部町地内のすべての神社が合祀されました 延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社です
-

江田神社(宮崎市阿波岐原町)〈『續日本後紀・三代實録』江田神『延喜式』江田神社〉
江田神社(えだじんじゃ)は 社伝に「太古の御創建 この地一帯は古来 所謂 日向の橘の小戸の阿波岐原として 伊邪那岐の大神禊祓の霊跡と伝承されて 縁起最も極めて深き社ならむ」とあります 六国史『續日本後紀』『三代實録』江田神とあり 『延喜式』日向國 宮崎郡 江田神社(えたの かみのやしろ)とされます
-

邇々杵尊(ににぎのみこと)木花之開耶姫(このはなさくやひめ)『記紀神話』の伝承
『記紀神話(ききしんわ)』「天孫降臨(てんそんこうりん)の段」には 邇々杵尊(ににぎのみこと)が 笠紗御前(かささのみさき)で 大山津見神(おほやまつみのかみ)の女(むすめ)木花之佐久夜毘賣(このはなさくやひめ)と出逢い 結婚 妊娠 出産についての伝承が語られています その舞台は日向國(現 宮崎県)です
-

西都原古墳群〈石貫神社〉『記紀神話』邇々杵尊 木花之開耶姫の伝承地
西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)は 邇々杵尊 木花之開耶姫 大山津見神の墳墓とされる古墳がある『記紀神話』の伝承地です その他 姫が出産の時 周囲に火をかけたとされる産屋「無戸室」・産湯としたとする「兒湯の池」もあり 又 鬼の伝説を持つ大山津見神を祀る石貫神社(いしぬきじんじゃ)もあります
-

都萬神社(西都市大字妻)〈『續日本後紀』妻神『三代實録』都萬神『延喜式』都萬神社〉
都萬神社(つまじんじゃ)は 社傳に云く「景行天皇 日向國 土蜘蛛を征し給ふ時、兒湯縣に行幸 当社勅願し給ひしことを傳ふ 以てその太古の創建なるを知るべし」とあります 『續日本後紀 妻神』『三代實録 都萬神』『延喜式』に日向國 兒湯郡 都萬神社(つまの かみのやしろ)と記載のある由緒ある古社です
-

羊神社(名古屋市北区辻町)〈『延喜式』羊神社〉
羊神社(ひつじじんじゃ)は 群馬の多胡郡の領主 羊太夫が奈良の都へ上る時 この地(現辻町)に立ち寄った屋敷があり 土地の人々が平和に暮らせるように火の神を祀り 羊神社と名付けられたと伝えら「辻町」は「ひつじ」から「ひ」をとったとも云う 延喜式内社 尾張國 山田郡 羊神社(ひつしの かみのやしろ)の論社です
-

高牟神社(名古屋市守山区瀬古東)〈『延喜式』髙牟神社・羊神社〉
高牟神社(たかむじんじゃ)は 創建は社記に「養老元年(717)鎮座 高見と云ふ名稱を賜ふ」云々と見え 『本国帳』従3位高牟天神・『尾張本国内神明帳』従3位上高見天神とする古社で 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)と云う 又一説に延喜式内社 山田郡 羊神社(ひつしの かみのやしろ)とも云う
-

勝川天神社(春日井市勝川町)〈『延喜式』髙牟神社〉
勝川天神社(かちがわてんじんしゃ)は 正和二年(1313)無盡禅師によって創建と伝え もとは高山という所にあったが 後世 今の地に移し 神仏混淆の時代には地蔵寺が祭祀を掌ったと云う 又『又張神名帳集説訂考』には従三位 高牟天神すなわち 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とする説があります
-

五社神社(春日井市玉野町)〈『延喜式』髙牟神社〉
五社神社(ごしゃじんじゃ)は 社伝は明らかではありませんが 『張州府志』に「五社祠 玉野村に在り 明神、神明、天神、八幡、多度、の五社を祀り 永享元巳酉年(1429)村民之を建てる」とあります 一説には 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とする説があります
-

高田寺白山社(北名古屋市高田寺)〈『延喜式』髙牟神社〉
白山社(はくさんしゃ)は 創建年代は不祥ですが 社伝に「延喜神名式 髙牟天神」即ち 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)であると伝わっています 又『尾張国内神名帳』に載る「従三位 高牟天神」とも「従三位 小高薗天神」とも云われます




















