
実践和學 Cultural Japan heritage
大瀧神社(おおたきじんじゃ)は 高龗神・闇龗神・水分神を祀り 犬上川上流の滝のほとりに鎮座します 古来 多賀大社の末社・奥宮とも考えられ 多賀大社・胡宮神社とともに「多賀の三社参り」の一社としても知られ 境内の犬上神社には大蛇退治の伝承があります 延喜式内社・近江国神崎郡 川桁神社(かはけたのかみのやしろ)の論社です
河桁御河辺神社(かわけたみかべじんじゃ)は 滋賀県東近江市神田町 愛知川のほとりに鎮座する古社です 社記によれば 宣化天皇4年(539)神崎郡司・玉祖宿禰磯戸彦連が神のお告げにより神崎川辺に社を建てて祀ったのが始まりと伝えられます 延喜式内社 近江国神崎郡 川桁神社(かはけたのかみのやしろ)の論社です
天神神社(てんじんじんじゃ)は 延喜式内社 美濃国賀茂郡 中山神社(なかやまの かみのやしろ)の論社の一つで 「下米田町エリアにある天神(てんじん)の名を持つ古い神社」として 諏訪神社(山本入会地)・中山神社(信友)とともに論社に挙げられ 比定地をめぐる見解は分かれています
中山神社(なかやまじんじゃ)は、岐阜県美濃加茂市下米田町信友に鎮座 延喜式内社 美濃国賀茂郡 中山神社(なかやまの かみのやしろ)の論社の一つで 諏訪神社(山本入会地)・天神社(西脇)も論社に挙げられ 比定地をめぐる見解は分かれています 鍛冶の神・金山彦命を祀り 地名「信友」には鍛冶職人の伝承が伝わっています
諏訪神社(美濃加茂市下米田町山本入会地)〈『延喜式』中山神社〉
諏訪神社(すわじんじゃ)は 岐阜県美濃加茂市下米田町に鎮座 延喜5年(905)「中山社」として創祀 延喜式内社 美濃国賀茂郡 中山神社(なかやまの かみのやしろ)の後身と伝わります 戦国時代の兵火で焼失後 同じ場所で再建したと伝わり 信州諏訪明神を勧請して諏訪社と称し 現社名に改めたと云う 明治6年郷社に列せられました
旦飯野神社(あさいいのじんじゃ)は 新潟県新潟市秋葉区朝日に鎮座します 旧称は若宮八幡宮 御祭神は誉田別尊 配祀に健御名方命(もと諏訪神社の祭神)を祀ります 延喜式内社・旦飯野神社の論社〔B〕とされ 阿賀野市宮下の旦飯野神社〔A〕とともに いずれが式内社であるかの判断は『式内社調査報告』でも難しいとされています
旦飯野神社(阿賀野市宮下)〈『延喜式』旦飯野神社・中山神社〉
旦飯野神社(あさいいのじんじゃ)は 新潟県阿賀野市宮下に鎮座する神社です 御祭神は誉田別命(応神天皇)・相殿に天照皇大神・天児屋根命を祀ります 延喜式内社・旦飯野神社の論社である一方 『特選神名牒』は当社(旧称・山浦八幡宮)を式内・中山神社の論社にもあてており 二つの延喜式内社の論社となっています
中山神社(なかやまじんじゃ)は 新潟県三条市大字西大崎に鎮座 御祭神は国常立尊・健御名方命・木花咲姫命 延喜式内社・越後国蒲原郡 中山神社(なかやまの かみのやしろ)の論社です 創立年代は不詳ながら、延暦年間に藤原淡海公の後裔が神職に任じられたと伝えられ 中世を通じて幾度か鎮座地を移しながら現在に至っています
天神宮(五泉市橋田戊 中山神社の境内)〈『延喜式』宇都良波志神社〉
天神宮(てんじんぐう)は 延喜式内社・越後国蒲原郡 宇都良波志神社の論社の一つ 御祭神は少名彦命・天穂日命です かつては字鶉橋(現・五泉市橋田丙)に祀られていましたが 明治35年(1902)橋田小学校の校地拡張に伴い新潟県五泉市橋田戊に鎮座する中山神社の境内へ遷座 昭和19年(1944)正式に中山神社に合祀されました
中山神社(五泉市橋田戊)〈『延喜式』中山神社・宇都良波志神社〉
中山神社(なかやまじんじゃ)は 主祭神は大己貴命・大山咋命で 新潟県五泉市橋田戊に鎮座 社殿には幕末の名工・石川雲蝶による龍や鯉の彫刻があります 延喜式内社・越後国蒲原郡 中山神社の論社 明治35年に中山神社へ移転 その後昭和19年 合祀された境内社の天神宮は式内・宇都良波志神社の論社 二つの式内社の論社となっています
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