忌部神社(いんべじんじゃ)は 平安朝に忌部神戸内鎮座の二十二社を合祀し 二十二社総権現 総社大宮大明神と称し 明治44年(1911)一村一社との政府の指示に基き「式内 村社 久多美神社(御祭神 大穴穿遲神外三神)」無格社山智神社(御祭神 事解男神外一神)無格社七次神社(御祭神 國常立尊外十四神)無格社素鵞神社(御祭神 素盞鳴命)を合祀して社名を忌部神社と改称
目次
ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます
①まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した『出雲國風土記』
➁次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)に完成した『延喜式神名帳』
➂最後に『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社(現在の神社)となっています
①【約1300年前】About 1300 years ago
【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 意宇郡(ou no kori)
神祇官社(jingikan no yashiro )
【社名】久多美社
【読み】(くたみ)のやしろ
【How to read】(kutami no) yashiro
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用
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➁【約1100年前】About 1100 years ago
【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in December 927 AD.
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 意宇郡(ou no kori)
【社名】久多彌神社
【読み】(くたみ)のかみのやしろ
【How to read】Kutami no kami no yashiro
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)
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➂【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine
【神社名】(shrine name)
久多美神社〈忌部神社(松江市東忌部町)に合祀〉
忌部神社(いんべじんじゃ)
(Inbe jinja)
【通称名】(Common name)
【鎮座地】(location)
島根県松江市東忌部町957
【地 図】(Google Map)
【御祭神】(God’s name to pray)
《主》天照大御神,天太玉神,天児屋根神
《合》久多美神社
《主》大穴牟遅神(onamuchi no kami)
事代主神(kotoshironushi no kami)
味鋤高彦根神(ajisuki takahikone no mikoto)
天御梶姫神(ameno mikatsu hime no kami)
《合》素盞嗚神,国常立尊,国狭槌尊,豊斟渟尊,泥土煮尊,沙土煮尊,大戸之地尊,大苫辺尊,面足尊,惶根尊,伊弉冊尊,正哉吾勝勝速日天忍穂耳命,天津彦火能瓊瓊杵命,彦火火出見命,彦波瀲武草葺不合命,事解男神,速玉男神
【御神格】(God’s great power)
【格式】(Rules of dignity)
・『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載社
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )』所載社
【創建】(Beginning of history)
忌部神社 御由緒
御祭神 天太玉命 天照大御神 天児屋根命 外二十二神
御例祭日 10月19日當社は明治末年まで大宮神社と称し、祭祀の祖神天太玉命を主祭神とし、天照大御神は御霊現により出雲國日御崎神社より、天児屋根命は榮国利民のため大和國春日大社より勧請し奉斎せり。
平安朝に忌部神戸内鎮座の二十二社を合祀し、二十二社総権現、総社大宮大明神と称し、忌部神戸の総社として神祇令により神戸内の官物を供進し其官祭を享け給へり。
奈良町以来朝廷の御崇敬を初め累代國守の崇敬篤く、社領寄進、社殿造営、禁制、社参代参あり藩主松平綱近は御供田一反九畝三歩を寄進せり。明治44年其筋の指示に基き一村一社として降保親睦の實行を期するため、式内 村社 久多美神社(御祭神 大穴穿遲神外三神)無格社山智神社(御祭神 事解男神外一神)無格社七次神社(御祭神 國常立尊外十四神)無格社素鵞神社(御祭神 素盞鳴命)を合祀して社名を忌部神社と改称し、神域の擴張、社殿の整備を行い、昭和6年10月郷社に昇格。同50年7月島根県神社庁特別神社に指定される。
境内案内板より
【由緒】(history)
由緒
当社は明治末年まで大宮神社と称し、祭祀の祖神天太玉命を主祭神とし、天照大御神は御霊現により出雲国日御埼神社より、天児屋根命は栄国利民のため大和国春日大社より勧請し奉斎せり。
平安朝に忌部神戸内鎮座の22社と合祀し、二十二社総権現、総社大宮大明神と称し忌部神戸の総社として神祇令により神戸内の官物を供進し、其官祭を享け給えり。
奈良朝以来、朝廷の御崇敬を始め累代国守の崇敬篤く、社領寄進、社殿造営、禁制社参代参あり。藩主松平綱近は御供田一反九畝三歩を寄進せり。明治44年其筋の指示に基き一村一社として隣保親睦の実行を期するため、式内 村社 久多美神社(御祭神・大穴牟遅神外三神)無格社山智神社(御祭神・事解男神外一神)無格社七次神社(御祭神・国常立尊外十四神)無格社素鵞神社(御祭神・素盞鳴命)を合祀して社名を忌部神社と改称し、神域の拡張、社殿の整備を行い昭和6年10月郷社に昇格、同50年7月島根県神社庁特別神社に指定される。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【境内社】(Other deities within the precincts)
・荒神社 《主》素盞嗚尊
・忠魂碑 《主》護国の英霊
・社日社 《主》天照大神,大己貴命,少彦名命,稲倉魂命,埴安姫命
・石野宮神社 《主》大国主命
・広畑神社 《主》青機佐草姫命,織布姫命
・佐陀宮社 《主》猿田彦命
・中垣明神 《主》中垣明神命
・金屋子神社 《主》鐘作大明神
・大谷明神社 《主》事代主命
・大川端総荒神 《主》素盞嗚尊
・熊山総荒神 《主》素盞嗚尊
・比婆山神社 《主》伊弉冉尊
・御崎神社 《主》祭神不詳
・沼荒神 《主》祭神不詳
・天名荒神 《主》祭神不詳
・中戸総荒神 《主》祭神不詳
・天王社 《主》素盞嗚尊
・大谷総荒神 《主》祭神不詳
・千本荒神 《主》祭神不詳
・下忌部総荒神 《主》祭神不詳
・一崎総荒神 《主》祭神不詳
・須谷荒神 《主》祭神不詳
・堀越荒神 《主》祭神不詳
・堂廻総荒神 《主》祭神不詳
・石本総荒神 《主》祭神不詳
・厳島社 《主》伊弉冊尊,市杵島姫命
・金屋子社 《主》金山彦命
・若宮社 《主》森脇一正
・清水荒神 《主》祭神不詳
・大向総荒神 《主》祭神不詳
・金屋子社 《主》祭神不詳
・大谷水神社 《主》祭神不詳
・千本水神社 《主》天照大御神
・足洗川荒神 《主》天照大御神
・小明荒神 《主》祭神不詳
・白岩荒神 《主》祭神不詳
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
再奉復興した「久多美神社(松江市東忌部町)」について
明治44年4月26日 一村一社の神社合祀策を受け 大宮神社(忌部神社)に他の諸社とともに合祀
しかし 由緒ある久多美社の社殿再奉の動きが起こり
大正12年3月29日 遂に旧社地である現在地に社殿を造営し復興する
・久多美神社(松江市東忌部町)
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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
玉造温泉駅から 温泉街を抜けて県道25号を南下 県道24を北へ 忌部神社の鳥居が建ちます
大きな石灯篭があり
久多美神社〈忌部神社(松江市東忌部町)に合祀〉に参着
細長い参道の先に 丘陵へ上がる古い石段を気を付けて上がります 階段の上には 鳥居と隋神門が建ちます
隋神門をくぐると拝殿とその奥に本殿の千木が見えてきます
右手には社務所
拝殿の扁額には「忌部神社」とあります
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
本殿の周りの境内社にお詣りをしながら 本殿を一週します
社日社にお詣りをして 境内を戻り 隋神門から階段を下ります
【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
「久多美神社」について それぞれの文献では 次のように伝承しています
『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』意宇郡 条 に記される伝承
久多美山(kutami yama)の山頂に社が祀られていたことがわかります
意訳
『 久多美山(kutami yama)郡家の西南23里の所にあります 社(久多美社)があります 』
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲國風土記』
『原文』参照
『雲陽志(unyo shi)』意宇郡 忌部 東西 にある伝承
『雲陽志(unyo shi)』では
現在の「久多美神社(kutami shrine)」が
「久多美大明神(kutami daimyojin)」として記されています
意訳
『 忌部 東西 久多美大明神(kutami daimyojin)大己貴尊(onamuchi no kami)を祀る
風土記に載る久多美社(kutami no) yashiroとある』
※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]
国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本
『原文』参照
『出雲国式社考(izumo no kuni shiki no yashiro ko)』意宇郡 にある伝承
意訳
『 久多彌神社(kutami no kamino yashiro)風土記に久多美社(kutami no) yashiro なり
又 久多美山 郡家の西南23里有りとあり 今の忌部村なり 久多美大明神(kutami daimyojin)これなり 大穴牟遅命(onamuchi no mikoto)を拝祭るといいます
盾縫郡にも久多美社が玖潭郷にありますこの地を 忌部というのは 風土記に 忌部神戸といい 国造が神吉詞(かんよごと)を唱えに朝廷に参上する時に 潔斎に用いる清浄な玉を作る地である だから 忌部というとあり
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※『出雲国式社考((izumo no kuni shiki no yashiro ko))』[選者:千家梅舎/校訂者:岩政信比古]写本 ,明治02年(1906)
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国式社考』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000040615&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『原文』参照
久多美神社〈忌部神社(松江市東忌部町)に合祀〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)