平将門公
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阿伎留神社(あきる野市五日市)〈『日本三代實録』畔切神『延喜式』阿伎留神社〉
阿伎留神社(あきるじんじゃ)は 『日本三代實録』畔切神(あきるのかみ)『延喜式』には 武蔵國 多磨郡 阿伎留神社(あきる の かみのやしろ)と記された古社です 天慶3年(940)鎮守府将軍 藤原秀郷が平将門征討に際し戦勝を祈願 山城国の大原野明神(京春日)を勧請したと伝わり 鎌倉以降も武将の信仰が篤かった神社です
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将門神社(奥多摩町棚澤)&〈境内 式内論社〉穴澤天神社
将門神社(まさかどじんじゃ)は 日本武尊が東征の時 素戔嗚尊・大己貴命を祀った穴沢天神を創祀とし 延喜年中に鎮守府将軍 藤原利仁が八千戈命を祀り多名沢神社を起こし その後 平良門が亡父 平将門公の霊像を彫作して奉納 平将門が祀られて 平親王社と呼ばれた 穴沢天神社は 多名沢神社〈平親王社〉の奥の院となったと云う
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青渭神社 里宮(青梅市沢井)
青渭神社 里宮(あおいじんじゃ さとみや)は 社伝によれば創建は第10代 崇神天皇の御代とされ 又 天慶年間(938~947)平将門の乱の時 鎮守府将軍 源経基が青渭神社と社号を名付け社殿を建てたとします 『延喜式神名帳927 AD.』所載社 武蔵國 多磨郡 青渭神社(あをヰの かみのやしろ)の里宮とされます
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吉田 椋神社(秩父市下吉田)
吉田 椋神社(よしだ むくじんじゃ)は 日本武尊が道に迷われ時 鉾の先から一条の光が走り大きな椋の木の根元近くに猿田彦大神が顕われ導かれた この鉾を神体として大神を祀ったのが創始とされ 延喜式内社 武蔵國 秩父郡 椋神社(むくの かみのやしろ)の有力論社とされます