新潟県
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五十君神社(上越市三和区所山田)
五十君神社(いぎみじんじゃ)は 社伝には祭神 五十日帶日子命(いかたらしひこのみこと)は大賀・不盡の二臣を従へて越後国に下り 池溝開発にあたり 頸城郡高志八岐村(所山田)で崩御された 大賀・不盡の二臣はこの地に留まり 命の神霊を奉祀 第12代景行天皇の御勅により五十王神社として奉り 神亀三年(726)五十君神社と改めた 式内社 越後國 頸城郡 五十君神社(いそきみかみのやしろ)とされます
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越後國(えちごのくに)の 式内社 56座(大1座・小55座)について
越後国(えちごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 越後国には 56座(大1座・小55座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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佐渡國(さどのくに)の 式内社 9座(並小)について
佐渡国(さどのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社の一覧表です 佐渡国には 9座(並小)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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白山神社(糸魚川市能生)
能生白山神社(のうはくさんじんじゃ)は 白山信仰の開祖 泰澄大師(682-767)が 能生白山神社に仏像を安置布教し 社号を白山権現に改めたと伝えられています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の越後国 頸城郡 奴奈川神社(ぬなかはの かみのやしろ)の論社です
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奴奈川神社(糸魚川市田伏)
奴奈川神社(ぬながわじんじゃ)は 社伝では 第13代 成務天皇の御代 市入命が越後国の国造となり当地に来て 奴奈川姫命の子 建沼河男命の裔 長比売命を娶り 奴奈川姫命の社を建て 神田神戸を寄附したと伝わります『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の越後国 頸城郡 奴奈川神社(ぬなかはの かみのやしろ)の論社です
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物部神社(上越市清里区南田中)〈延喜式内社 物部神社(もののへの かみのやしろ)〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「越後國 頸城郡 物部神社」です かつては 武士(もののふ)村に鎮座し 山王権現〈日吉神〉と呼ばれていました その後 田中村新田に遷座 昭和46年4月 圃場整備事業のため現在地〈南田中〉に遷座しました
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彌彦神社(弥彦村)越後国一之宮
弥彦神社(いやひこじんじゃ)は 創建から2400年以上であるとも云われ 万葉集にも詠われる由緒ある歴史を持つ古社です 御祭神は 天照大神の曾孫の天香山命(あめのかごやまのみこと)を祀り 人々からは「おや彦さま」と呼ばれ 信仰を集めてきた越後国一之宮です
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彌彦神社 奥宮 御神廟(弥彦山頂上)
彌彦神社 奥宮 御神廟は 弥彦山の頂上に鎮座します 越後国開拓の祖神「天香山命 (あめのかごやまのみこと)」と その妃神「熟穂屋姫命(うましほやのひめのみこと)」が 祀られているとされる御神廟です 弥彦山は 7~8世紀の万葉集にも詠われている古くからの信仰の歴史を持ちます
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居多神社(上越市五智)〈越後國一之宮・延喜式内社〉
居多神社(こたじんじゃ)は 延喜式内社で 越後国一之宮とされる由緒ある古社 日本海に面する地に鎮座したと伝わり 1207年 越後へ配流された親鸞聖人が最初に参拝した地で「片葉の芦」の伝説が残ります 慶應2年(1866)海岸侵食により社地崩壊のため 社殿を神官宅地内に遷し 明治12年(1879)現在地に遷座しています
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度津神社(佐渡市羽茂飯岡)〈佐渡國一之宮・延喜式内社〉
度津神社(わたつじんじゃ)は 御祭神に 五十猛命を祀り 陸上海上の守護神として 島民から篤く信仰されています 佐渡国の一之宮と格式高い神社です ただし 1470年に大洪水があり 社地や由緒や縁起など古文書等が悉く流失したため 現在地に遷座したと伝わり その為 創立年月 その他詳かではありません
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天津神社・奴奈川神社(糸魚川市一の宮)
天津神社(あまつじんじゃ)・奴奈川神社(ぬなかわじんじゃ)は ・天神を祀る「天津神社」・国津神を祀る「奴奈川神社」が すぐ横に並んで祀られています 鎮座している土地は 富山県との境に位置する新潟県最西端の糸魚川市です 縄文期よりのヒスイの産地として名高い地です 翡翠は古代は「玉」とされて大変貴重な神器でありました 「奴奈川神社」では ヒスイの神「奴奈川姫命(nunakawa hime no mikoto)」を祀ります