名神大社〈延喜式内〉

山家宝満宮(筑紫野市山家)〈『六国史』竃門神『延喜式』竃門神社〔名神大〕〉

山家宝満宮(やまえ ほうまんぐう)は 創立年代は不祥 『寳滿宮由来書』は「第二十六代 孝徳天皇(645~654)大化二年丙牛歳(646)神功皇后 應神天皇を奉祭せりと云ふ」とあり『福岡県神社誌』は「竈門山寳宮の本宮たるに依て」と延喜式内社 筑前國 御笠郡 竃門神社〔名神大〕(かまとの かみのやしろ)の本宮と記しています

宝満宮 竈門神社(太宰府市内山)〈『六国史』竃門神『延喜式』竃門神社〔名神大〕〉

宝満宮 竈門神社(ほうまんぐう かまどじんじゃ)は 天武天皇二年(673)開山心蓮上人が山中で修行中 にわかに山谷震動して貴婦人〈玉依姫の霊〉が現れ 金剛神に姿を変じ九頭の龍馬に駕して天を自在に飛行した 上人は直ちに朝廷に奏上すると 朝廷の命によって上宮が建立された 延喜式内社 筑前國 御笠郡 竃門神社〔名神大〕(かまとの かみのやしろ)です

摩氣神社(園部町竹井)〈『文徳天皇實録』麻氣神社『延喜式』麻氣神社〔名神大〕〉

摩氣神社(まけじんじゃ)は 社伝には「嵯峨天皇御宇 弘仁二年(812) 僧空海の勧請せし所にして 摩氣郷十一ヶ村の總氏神たりといふ」とあるが『新抄格勅符抄』には「稱徳天皇 神護景雲四年(770)神封一戸を奉ず」とあり 奈良時代以前の創建と推測されます 延喜式内社 丹波國 船井郡 麻氣神社〔名神大〕(まけの かみのやしろ)です

大洗磯前神社(大洗町磯浜町)〈『延喜式』大洗礒前藥師菩薩明神社〔名神大〕〉

大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)は 『文徳天皇実録』斉衡三年(856)十二月二十九日の條に常陸国上言として 創建の由来が記され 天安元年(857)の條には官社に預っています 延喜式内社 常陸國 鹿嶋郡 大洗礒前藥師菩薩明神社〔名神大〕(おほあらひ いそさきの やくしほさつの あけのかみのやしろ)です

大川神社(舞鶴市大川)〈『日本三代實録』大川神・『延喜式』大川神社〔名神大〕〉

大川神社(おおかわじんじゃ)は 社伝に第23代顕宗天皇 乙丑年(485)3月23日に宮柱を立て鎮祭したところから始まったと云う由緒ある古社で 伝説も数多く残ります 『日本三代實録』大川神〈国史見在社〉・『延喜式』丹後國 加佐郡 大川神社〔名神大〕(おほかはの かみのやしろ)〈延喜式内 名神大社〉です

小虫神社(与謝野町温江)〈『延喜式』小虫神社〔名神大〕〉

小虫神社(こむしじんじゃ)は 延喜式内社 丹後國 與謝郡 小虫神社〔名神大〕(こむしの かみのやしろ)とされます 旧鎮座地は池ケ成という地〈現 大江山の中腹の池ケ成公園の辺り〉に 大虫神社と小虫神社が ...

大虫神社(与謝野町温江)〈『文徳天皇實録』大蟲神『延喜式』大虫神社〔名神大〕〉

大虫神社(おおむしじんじゃ)は 『文徳實録』「大蟲神」・『延喜式』丹後國 與謝郡 大虫神社(名神大)(おほむしの かみのやしろ)と所載されます 旧鎮座地は池ケ成という地〈現 大江山の中腹の池ケ成公園の辺り〉に 大虫神社と小虫神社が鎮座し「虫宮(むしのみや)」と呼ばれたが 室町時代初期頃に現在地に遷座と伝わります

阿沼美神社(松山市味酒町)〈『延喜式』阿治(阿沼)美神社(貞・名神大)〉

阿沼美神社(あぬみじんじゃ)は この地方の総鎮守で 往古 勝山の峰(現在の城山)に鎮座していました 久米氏の氏神で 延喜式内社 伊豫國 温泉郡 阿治(阿沼)美神社(貞・名神大)(あじみの かみのやしろ)とされます その後 越智氏が国司となり その氏神も祀り 慶長年間加藤嘉明により現在地に移遷され 味酒神社と呼ばれました

阿沼美神社(松山市平田町宮内)〈『延喜式』阿治(阿沼)美神社(貞・名神大)〉

阿沼美神社(あぬみじんじゃ)は 社伝に武国凝別〈第12代景行天皇の皇子〉十城別王〈日本武尊の御子〉の宮居所とあり 天明二年(1782)「阿沼美三島新宮」の古棟板 天保四年(1833)御幸橋の地下から石額「阿沼美宮」が発掘され 延喜式内社 伊豫國 温泉郡 阿治(阿沼)美神社(名神大)(あじみの かみのやしろ)とされます

小川月神社(亀岡市馬路町月読)〈『三代實録』小川月神『延喜式』小川月神社 名神大〉

小川月神社(おがわつきじんじゃ)は 延喜式内社 丹波國 桑田郡 小川月神社(名神大)(をかはつきの かみのやしろ)です また古記録は 伊勢の内宮・外宮が今の地に遷座される前の末社とされ 神代から当地に祀られていたと伝え 社傳によれば應仁の頃 大堰川洪水の為 社地を流失し一時廢絶したと云う 現在は狭少な神域となっています

生國魂神社(大阪市天王寺区生玉町)〈『延喜式』難破坐生國咲國魂神社〉

生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)は 祭神 生島神・足島神は 日本国土の神霊とされ『延喜式』には宮中神として 生嶋巫祭神 2座(並大月次新嘗)として祀られた神です 新天皇の即位儀礼の゛八十島神祭゛の主神とされました かつては現在の大坂城の地に鎮座していましたが 豊臣秀吉公が大坂城の築城の頃 現在地に遷座と伝わります

林田八幡神社(姫路市林田町) 〈『延喜式』中臣印達神社(名神大)〉

林田八幡神社(はやしだはちまんじんじゃ)は 社伝には 寛平5年(893)五月  国土安穏と子孫繁栄の為 山城国 石清水八幡宮の分霊を勧請し創建と伝わり 旧 八幡宮境内には古くから 延喜式内社 播磨国 揖保郡 中臣印達神社(名神大)(なかとみいんたちの かみのやしろ)があったが 頽廃し 八幡宮に合祀されたと云う

中臣印達神社(たつの市揖保町中臣) 〈『延喜式』名神大神 中臣印達神社〉

中臣印達神社(なかとみ いだてじんじゃ)は 宝亀元年(770)創立と伝へ 延喜式内社 播磨国 揖保郡 中臣印達神社(名神大)(なかとみいんたちの かみのやしろ)とされ 又 式内社 阿波遅神社(あはちの かみのやしろ)を合祀します 更に鎮座地(中臣山)は『播磨国風土記』揖保郡「粒丘(いひほのをか)」に比定されます

鳴神社(和歌山市鳴神)〈『三代実録』鳴神『延喜式』鳴神社〉

鳴神社(なるじんじゃ)は 古代 紀伊湊を開拓した紀伊忌部氏により創建された 延喜式内社 紀伊國 名草郡 鳴神社(名神大月次相嘗新嘗)(なるの かみのやしろ)とされます 又 境内には 二つの式内社〈香都知神社(かつちの かみのやしろ)・堅眞神社(かたまの かみのやしろ)〉の論社が境内社として祀られています

靜神社(那珂市静)〈常陸二ノ宮 延喜式内名神大社〉

静神社(しずじんじゃ)は 『常陸國風土記(713年)』には 初めて織物(綾織 しずおり)を織った「静織の里(しどりのさと)」と呼ばれたと伝えられ 『三代實録(901年)』に゛静神゛として 神位 從五位上を授かったと記載のある 延喜式内社 常陸國 久慈郡 靜神社 名神大(しつの かみのやしろ)であるとされます

高座結御子神社(名古屋市熱田区高蔵町)〈熱田神宮摂社 式内名神大社〉

高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)は 『六国史』承和二年(835)熱田の御子神〈日割御子(ひさきのみこの)神・孫若御子(ひこわかみこの)神・高座結御子(たかくらむすひのみこの)神〉三前が並び 名神を授ったと記される 延喜式内社 尾張國 愛智郡 髙座結御子神社(名神大)(たかくらむすひみこの かみのやしろ)です

若宮八幡社(名古屋市中区栄)〈名古屋総鎮守〉

若宮八幡社(わかみやはちまんしゃ)は 鎭座年代は 文徳天皇の御代(850~858年)延喜年中に再興と云う もとは那古野庄今市場〔今の三の丸の南の地〕に有ったが 慶長十五年(1610)此處に遷坐と伝わります 一説に延喜式内社 尾張國 愛智郡 孫若御子神社(名神大)(ひこ わかみこの かみのやしろ)の本社とする説があります

孫若御子神社(名古屋市熱田区神宮)〈熱田神宮の境内摂社〉

孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)は もと鎭皇門內 御田社の西に鎮座したが 明治七年(1874)現在地に遷坐 延喜式内社 尾張國 愛智郡 孫若御子神社(名神大)(ひこ わかみこの かみのやしろ)の論社で 祭神については 遷座頃までは 稚武彦王(ワカタケヒコノキミ)〔日本武尊の第七男 母は弟橘姫命〕とされていました

日割御子神社(名古屋市熱田区神宮)〈熱田神宮の境内摂社〉

日割御子神社(ひさきみこじんじゃ)は 祭神は・熱田大神(天照大神)の御子神 天忍穂耳尊とも・日本武尊の御子神 武鼓王とも・日本武尊を焼津で救った火打石の霊とも諸説あり 鎮座地は 熱田神宮境内の熱田丘陵の先端に当り 太古には水際に張り出た洲崎の名残で 干崎(ひさき)と云われていた 延喜式では名神大社とされます

穗髙神社 奥宮(松本市安曇上高地)〈上高地の聖地 明神池のほとりに鎮座〉

穗高神社 奥宮(ほたかじんじゃ おくのみや)は 上高地 明神池のほとりに祀られています 上高地明神付近は古くから〈神合地 神垣内 神河内〉(上高地)とも呼ばれ 神々を祀るにふさわしい神聖な場所とされてきました 嶺宮は 安曇族の神・穂高大明神が降臨されたと云う 穂高連峰の最高点・奥穂高岳の頂上に祀られています

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