愛媛県

鹿島神社(松山市北条辻)〈神功皇后創建の古社 瀬戸内海の海防の要衝 鹿島〉

鹿島神社(かしまじんじゃ)は 瀬戸内海の海防の要衝 北条の鹿島に鎮座します その創建は 神功皇后が三韓征討の途次 風早の浦鹿島に投錨し 武甕槌神 経津主神を勧請奉斎し 戦勝と道中の安全を祈願し出陣したと伝承があり その折 里人が神功皇后に 米の上に真鯛をのせて炊いたもの〈北条鯛めし〉を献上したとされます

國津比古命神社(松山市八反地)〈延喜式内社〉

國津比古命神社(くにつひこのみことじんじゃ)は 応神天皇の御代に物部阿佐利命が 風早の国造に任じられ 饒速日命 宇麻志摩遅命を祭祀せられたのが創建とされる 延喜式内社 伊豫國 風早郡 國津比古命神社(くにつひこのみことの かみのやしろ)です 同じ境内には 夫婦神とされる式内社 櫛玉比賣命神社が鎮座します

櫛玉比賣命神社(松山市高田甲)〈延喜式内社〉

櫛玉比賣命神社(くしたまのひめのみことじんじゃ)は 応神天皇の御代に勅令を奉じ 物部阿佐理命が風早の国造となり 天道姫命及び御炊屋姫命を奉齋したとされる 延喜式内社 伊豫國 風早郡 櫛玉比賣命神社(くしたまひめのみことの かみのやしろ)です 同じ境内には 夫婦神とされる式内社 國津比古命神社が鎮座します

三島神社(四国中央市三島宮川)〈旧市名(伊予三島市)〉

三島神社(みしまじんじゃ)は 社伝によれば 創建は 奈良時代初期 越智玉澄公(おちたまずみ こう)が 宇摩の大領に任じられ 上柏町御所に新館を建て住し 毎月 大山祇神社(今治市大三島町)に参詣していた 年老いて毎月の参詣が出来なくなり 養老4年(720)大山祇神社の神霊を〈現在地〉に勧請したのが始まりとします しかし境内には 二千年以上前の磐座(いわくら)〈古代祭祀の遺跡〉があります

別宮大山祇神社(今治市別宮町)

別宮大山祇神社(べっくおおやまずみじんじゃ)は 社伝によれば 大宝3年(703)第42代文武天皇の勅命により 和銅5年(712)大領の越智玉澄公(おちたまずみ こう)が 日本総鎮守 伊豫国一之宮 大三島鎮座・大山祇神社の別宮〈地御前(ちごぜん)〉として 越智郡日吉郷に勧請創建したことに始まります

大山祇神社(今治市大三島町宮浦)〈伊豫国一之宮〉

大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)は 社号を日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称し 歴代朝廷の尊崇篤く 延喜式 名神大社に列し 伊予国一之宮とされ 全国津々浦々に御分社が奉斎される四国唯一の大社 創建は 神武天皇御東征の時 祭神の子孫 乎知命(おちのみこと)が 瀬戸内海 芸予海峡の要衝 御島(大三島)に鎮祭したと云う

伊豫國 式内社 24座(大7座・小17座)について

伊豫国(いよのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豫國 24座(大7座・小17座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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