延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

松原神社(春日井市東山町)〈『延喜式』髙牟神社〉

松原神社(まつばらじんじゃ)は 元明天皇の御代 和銅四年(711)創建と伝え 社地の辺りは古来地名を高牟(たかむ)と呼び 社名も古くから高牟神社と号し 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とされます 中世に稲荷信仰が普及して合祀され 江戸時代の棟札には高牟稲荷大明神と記したものがあります

八所神社(豊山町豊場木戸)〈『延喜式』物部神社・髙牟神社〉

八所社(はっしょしゃ)は 物部氏一族により開拓されたこの地に 物部氏神〔大和の石上神宮より分神を勧請〕を斎き祀った社とされ 社伝に「和銅二年(709)創建 元 物部神社(八所太明神)と稱した」とあり延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへのかみのやしろ)であると云う 又 髙牟神社(たかむのかみのやしろ)とも云う

味美白山神社(春日井市二子町)〈『延喜式』物部神社を合祀〉

味美白山神社(あじよし はくさんじんじゃ)は 元は今より南の白山藪(味鋺字堂前898)に鎮座したが 萬治二年(1659)現在地(白山神社古墳の墳丘上)に遷座 同時に 二子山古墳の墳丘にあった物部天神〈式内論社〉を合祀し建立されたと云う 延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社です

諸大明神社(春日井市松本町)〈『延喜式』物部神社〉

諸大明神社(もろだいみょうじんじゃ)は 一説には養老年間(717~724年)又は養老2年(718)の創建とされる古社で『尾張神名帳』などは春日部郡 従三位 松原天神とします 又 一説に延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)ともされます

三明神社(小牧市林北)〈『延喜式』非多神社〉

三明神社(さんめいじんじゃ)は 承和8年(841)創建 戦国時代までは大縣神社の摂社と社伝に云う 又 江戸時代の編纂物『尾張志』『尾張地名考』『尾張名所圖會』等は「林村字平野と云所に稗田天神 又 樋田天神ありしが今廃して三明神相殿」と 延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ)てあると記しています

六所神社(名古屋市西区比良)〈『延喜式』非多神社・乎江神社〉

六所神社(ろくしょじんじゃ)は 創建年代は不祥 本殿の両脇にある2つの境内社(・非多神社・ 大江神社)が式内論社とされていて〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ) ②延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)〉 二つの式内社の論社となっています

八幡神社(瀬戸市水北町)〈『延喜式』乎江神社〉

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 創建年代は不祥 延宝四年(1676)尾張藩主乙世光友の再建と伝わり 『尾張志』に「上水野村の八幡社は境内ひろく 其地を字江の山日呼ひ 東に隣れる藥師堂法松院の山號を上(ウヘ)之山といへるも宇江の轉したる由」と延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社としています

天神神社(小牧市三ツ淵宮前)〈『延喜式』乎江神社〉

天神神社(てんじんじんじゃ)は 以前は三淵の南方にあり 古來 菅生天神と稱されたが 水害の爲め移転 明治元年再び今の地に遷座 『式内社調査報告』に「『尾張國神名帳追繼考』(明治三年)三淵村天神社(現在の小牧市三ッ淵宮前)を乎江神社とする説」があり 延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社です

熊野社〈熊野神社の五枚岩〉(小牧市岩崎独山)〈『延喜式』乎江神社〉

熊野社(くまのしゃ)は 『式内社調査報告』に「神社明細帳によれば、社傳として創祀を景行天皇十四年と傳へ『尾張太古圓』(信憑性が極めて低い史料)に岩崎の名があるとして岩崎村の熊野社を乎江神社と主張してゐる」とあり延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社です 境内の〈熊野神社の五枚岩〉が有名です

八所社(小牧市本庄郷浦)〈『延喜式』乎江神社〉

八所社(はっしょ しゃ)は 鎮座地の本庄は味岡庄の中心という意味で 味岡庄の総氏神として祀られてきました 天正3年(1575)に平戸松浦肥前守の舎弟 松浦勝政が京都の御霊社を合祀して八所社と名づけて再建したと伝えられます 延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社となっています

神明社(春日井市大留)〈『延喜式』乎江神社・大目神社〉

神明社(しんめいしゃ)は 創建年代等不明です しかし『式内社調査報告』に「根據が弱く説得力に乏しい」としながらも 二つの式内社〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)②延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)〉の参考論社と記されています

神明社・八幡宮合殿(名古屋市北区中杉町)〈『延喜式』大目神社〉

神明社・八幡宮合殿(しんめいしゃはちまんしゃあいどの)は 神明社はこの地に寛永七年(1630)創建 八幡社〈天文一〇年(1541)杉村字八幡越に勧請〉は清水小学校開校に伴い敷地に充てるため明治39年(1906)奉還合祀 又 境内社合殿の大日社は 延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社です

大目神社(瀬戸市巡間町)〈『延喜式』大目神社〉

大目神社(おおめじんじゃ)は 鎮座地が古くは「大目森」とも「御守塚」とも呼ばれていたので神社の名称が大目神社となったと云われています 創建年代は不祥ですが 奈良時代に遡るとも云い 延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社となっています

儛草神社(一関市舞川大平)〈『文徳實録』儛草神『延喜式』儛草神社〉

儛草神社(まいくさじんじゃ)は 社伝には大同2年(807)坂上田村麿によって創建と云う 又 養老二年(718)白山妙理権現が創建とも云う 六国史『文徳實録』仁寿二年(852)「儛草神」の神として神階の奉授が記される 延喜式内社 陸奥國 磐井郡 儛草神社(まひくさの かみのやしろ)とされる由緒ある古社です

鎭岡神社(奥州市江刺岩谷堂字五位塚)〈『延喜式』鎭岡神社〉

鎭岡神社(しづめがおか じんじゃ)は 称徳天皇(764~)の御代に勧請『安永風土記(1772~81年)』とある延喜式内社 陸奥國 江刺郡 鎭岡神社(しつめをかの かみのやしろ)です 又 天明5年(1784)国学者 菅江眞澄が「かしこしな あらふるとても ぬさとらば こころしつめの 岡の神籬(ひもろぎ)」と歌を詠みました

山家宝満宮(筑紫野市山家)〈『六国史』竃門神『延喜式』竃門神社〔名神大〕〉

山家宝満宮(やまえ ほうまんぐう)は 創立年代は不祥 『寳滿宮由来書』は「第二十六代 孝徳天皇(645~654)大化二年丙牛歳(646)神功皇后 應神天皇を奉祭せりと云ふ」とあり『福岡県神社誌』は「竈門山寳宮の本宮たるに依て」と延喜式内社 筑前國 御笠郡 竃門神社〔名神大〕(かまとの かみのやしろ)の本宮と記しています

宝満宮 竈門神社(太宰府市内山)〈『六国史』竃門神『延喜式』竃門神社〔名神大〕〉

宝満宮 竈門神社(ほうまんぐう かまどじんじゃ)は 天武天皇二年(673)開山心蓮上人が山中で修行中 にわかに山谷震動して貴婦人〈玉依姫の霊〉が現れ 金剛神に姿を変じ九頭の龍馬に駕して天を自在に飛行した 上人は直ちに朝廷に奏上すると 朝廷の命によって上宮が建立された 延喜式内社 筑前國 御笠郡 竃門神社〔名神大〕(かまとの かみのやしろ)です

水尾神社(佐渡市河崎)〈『延喜式』阿都久志比古神社の旧鎮座地〉

水尾神社(みずをじんじゃ)は 創建は寬和二年(986)とも貞観十五年(873)とも云い 『佐渡實録』に「熱串彥神社を一に水尾神社とも云ふ 又 河崎に在りとも云ふと記せるに因れば 當社も同神の神迹也と思はる」とあり 延喜式内社 佐渡國 賀茂郡 阿都久志比古神社(あつくしひこの かみのやしろ)の古社地とする説があります

熱串彦神社(佐渡市長江)〈『延喜式』阿都久志比古神社〉

熱串彦神社(あつくしひこじんじゃ)は 社伝に「貞観年間(八五九~七七)貞観式成立時を以て本社の創立として云」とある由緒ある古社です 当時 佐渡は大和朝廷支配下の最北端の島でした 朝廷の官社として 延喜式内社 佐渡國 賀茂郡 阿都久志比古神社(あつくしひこの かみのやしろ)として祀られていたと云います

飯持神社(佐渡市飯持)〈『延喜式』飯持神社〉

飯持神社(いいもちじんじゃ)は 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 飯持神社(いいもちの かみのやしろ)です 延宝年中(1673~1681)その時は小さき祠であった飯持神社に 橘三喜が社参したとあり「万民の みたまの水を うけ持の 神の社は かすかなれども」との和歌を奉納したとあります

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