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相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮 総社」について
相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮 総社」について 「相模國の一之宮争い」を今に伝える神事「国府祭」には 相模國の六社〔・一之宮 寒川神社・二之宮 川勾神社・三之宮 比々多神社・四之宮 前鳥神社・五之宮 平塚八幡宮・総社 六所神社〕が祭場である神揃山(かみそろいやま)・逢親場(おおやば)に 毎年五月五日に参集します
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熊野若宮三社神社(京丹後市久美浜町品田)〈『三代實録』熊野神『延喜式』熊野神社〉
熊野若宮三社神社(くまのわかみやさんしゃじんじゃ)は 『熊野郡誌』に祭神を「天熊人」とし「式内社にして其の創建最も古く 人皇第十代崇神天皇の御世 道主命の勧請に係れりと傳ふ 云々 民間に於ける伝説には弉諾二神と素盞鳴尊を奉祀せりといへり」とある 延喜式内社 丹後國 熊野郡 熊野神社(くまのの かみのやしろ)です
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熊野新宮神社(京丹後市久美浜町河梨大谷)〈『三代實録』熊野神『延喜式』熊野神社〉
熊野新宮神社(くまのしんぐうじんじゃ)は 古文書が乏しいため由緒を証するものが少なく 勧請の年代等は不祥ですが 『久美濱町誌』には「式内の古社で靈験最も著しく」と記した上で 延喜式内社 丹後國 熊野郡 熊野神社(くまのの かみのやしろ)であるとしています
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熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)〈『三代實録』熊野神『延喜式』熊野神社〉
熊野神社(くまのじんじゃ)は 『丹後旧事記』に「四道將軍の一人 丹波通主命が 河上の麻須の郎女を娶り五女を授かり 五人の娘たちが皆 垂仁天皇の皇后・妃になったことを喜び祝い 丹波道主命が熊野の神を勧請 河上の麻須によって 兜山の山頂に建立した」と云う 延喜式内社 丹後國 熊野郡 熊野神社(くまのの かみのやしろ)です
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古代 丹後國 熊野郡〈川上摩須郎女と丹波道主命に関わる〉延喜式内社について
古代 丹波國 熊野郡の延喜式内社の多くは 丹波之河上之摩須郎女(たんばの かわかみのますのいらつめ)による勧請と伝わります 例えば 兜山の山頂に鎮座する延喜式内社 熊野神社は「娘たちが皇后になったことを喜び祝い 丹波道主命が熊野の神を勧請 河上の麻須によって 兜山の山頂に建立した」と云う
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鏡作神社(三宅町石見)〈『延喜式』鏡作坐天照御魂神社〔大月次新嘗〕〉
鏡作神社(かがみつくりじんじゃ)は 社伝には「当社は延喜式内社にして 石凝姥命を祀る古社である」とあるが 荒廃していたものを昭和48年(1973)浄財をつのり造営したとしています 延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作坐天照御魂神社〔大月次新嘗〕(かかみつくりにます あまてるみたまの かみのやしろ)の論社です
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鏡作坐天照御魂神社(田原本町⼋尾)〈『延喜式』鏡作坐天照御魂神社〔大月次新嘗〕〉
鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにます あまてるみたま じんじゃ)は 第10代崇神天皇の御世 三種神器の一つ「八咫鏡」を笠縫邑〈伊勢神宮の起源〉にお祀りする際 皇居にお祀りする新たな御鏡を鋳造したのが 鏡作神社を中⼼とした鏡作の匠で この時 試作鋳造された御鏡を「天照国照⽇⼦⽕明命」としてお祀りされています
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久須夜神社(小浜市堅海)〈『延喜式』久湏夜神社〉
久須夜神社(くすやじんじや)は 久須夜ヶ岳を神と崇めた古代信仰とされ 山中に「大神岩」〈里人は狼岩といって畏怖〉があり 往古 大神がこの岩上に鎮座されたと云う 社伝に 社殿の創建は大化元年(645)・斎衡年間(854~857)現在地に社殿を建て鎮座 延喜式内社 若狭國 遠敷郡 久湏夜神社(くすやの かみのやしろ)です
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摩氣神社(園部町竹井)〈『文徳天皇實録』麻氣神社『延喜式』麻氣神社〔名神大〕〉
摩氣神社(まけじんじゃ)は 社伝には「嵯峨天皇御宇 弘仁二年(812) 僧空海の勧請せし所にして 摩氣郷十一ヶ村の總氏神たりといふ」とあるが『新抄格勅符抄』には「稱徳天皇 神護景雲四年(770)神封一戸を奉ず」とあり 奈良時代以前の創建と推測されます 延喜式内社 丹波國 船井郡 麻氣神社〔名神大〕(まけの かみのやしろ)です
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山神社(高島市マキノ町牧野)〈『三代實録』麻氣神『延喜式』麻希神社〉
山神社(さんじんじゃ)は 『高島郡誌』神社誌に 西庄村大字牧野に鎭座する「山神社」の社傳として「社傳に云、もと麻氣神社と稱し、字 眞毛野に鎭座ありしが、中古 彌馬野(ヤマノ)に移して 彌馬野神社と稱したり」とあり 延喜式内社 近江國 高嶋郡 麻希神社(まけの かみのやしろ)とされています
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冨都神社(磯城郡田原本町富本)〈『延喜式』富都神社〔鍬靫〕〉
冨都神社(ふつじんじゃ)は 創建年代等は不祥です 由緒を明確にする資料もありません 延喜式内社 大和國城下郡 富都神社〔鍬靫〕(ふとの かみのやしろ)に比定されていますが 地名「富本(とんもと」の文字が「富(ふつ・とみ)」と物部氏に通じるとの根拠としているらしく 確かな証はないとされています
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天神社(一宮市萩原町西宮重東光堂)〈『延喜式』賣夫神社〉
天神社(てんじんしゃ)は 津田正生は『尾張國地名考』『尾張神名帳集設乃訂考』に延喜式内社 尾張國 中嶋郡 賣夫神社(ひめふの かみのやしろ)と挙げており 旧鎮座地は今の宮より艮〈北東〉二三町〈218~327m程〉天神と呼んだ所 又 今の宮の北東を彌宜屋〈社人住居〉 宮北を長福寺〈神宮寺〉と云い大宮の名残の証と記します
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鏡作伊多神社(磯城郡田原本町宮古)〈『延喜式』鏡作伊多神社〉
鏡作伊多神社(かがみつくりいたじんじゃ)は 神社の東北にある池゛宮古池゛が かつて享保年間(1716~1736)迄は 字はを「伊多の坪」と呼ばれた地であったが その後 池となったと伝わり この「伊多」の地名が延喜式内社 大和國城下郡 鏡作伊多神社(かかみつくり いたの かみのやしろ)の論社の論拠とされています
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鏡作伊多神社(磯城郡田原本町保津)〈『延喜式』鏡作伊多神社・富都神社〔鍬靫〕〉
鏡作伊多神社(かがみつくりいたじんじゃ)は 本殿が二祠〔南本殿・北本殿〕があり 南本殿は伊斯許理度賣命を祀る 延喜式内社 大和國城下郡 鏡作伊多神社(かかみつくり いたの かみのやしろ)の論社です 又 北本殿は宇摩志摩遅命を祀る 延喜式内社 大和國城下郡 富都神社〔鍬靫〕(ふとの かみのやしろ)の論社とされています
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鏡作麻氣神社(田原本町小阪)〈『延喜式』鏡作麻氣神社〉
鏡作麻氣神社(かがみつくりまけじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)とされます 鎮座地の周辺には 鏡作の守護神を祭祀した式内社「鏡作坐天照御魂神社・鏡作伊多神社」などが鎮座し 古くは鏡を製作していた技術者集団が居住した古代 大和國「鏡作郷」であったとされます
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大洗磯前神社(大洗町磯浜町)〈『延喜式』大洗礒前藥師菩薩明神社〔名神大〕〉
大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)は 『文徳天皇実録』斉衡三年(856)十二月二十九日の條に常陸国上言として 創建の由来が記され 天安元年(857)の條には官社に預っています 延喜式内社 常陸國 鹿嶋郡 大洗礒前藥師菩薩明神社〔名神大〕(おほあらひ いそさきの やくしほさつの あけのかみのやしろ)です
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酒列神社(越前市牧町)〈『延喜式』麻氣神社〉
酒列神社(さかつらじんじゃ)は 神社明細帳には「創建不詳と雖も 從來 當村 稲葉山峰に安置したると村老の云、然る處 明治十年(1877)四月 類焼に罹り社殿失より該地に再建す」とあり 地名「牧」祭神「少名彦尊」の類似から延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社とされています
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麻氣神社(丹生郡越前町真木)〈『延喜式』麻氣神社〉
麻氣神社(まきじんじゃ)は 『越前官社考』に「此御社は眞木村に座す〔牧神社 牧村ならんが神龜三年(726)民部省のロ宣に依て麻気の二字を用ひしものなり〕つまり郡や郷名を二文字の「好字」で表せとの詔勅に対応して゛麻氣゛としたと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社です
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麻氣神社(南条郡南越前町牧谷)〈『延喜式』麻氣神社〉
麻氣神社(まきじんじゃ)は 創建不祥とされるが 一説として荒樫神社の伝があり「大男迹王(継体天皇)二歳にして 御生母(振媛命)と是の国に御鳳來の時 先づ麻和介命(振媛の兄)の家に御着留ありと云 此の如き御親戚の因なみに依り祭りしものなり」とあります 延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社です
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荒神神社(豊岡市日高町国分寺)〈『延喜式』賣布神社〉
荒神神社(こうじんじんじゃ)は 明治維新の際 国分寺境内から遷った神社です 延喜式内社 但馬國 氣多郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)は 往古は禰布ヶ森に鎭座 洪水で社殿が流出 中世に天神山中腹〈この地〉に遷宮 文久二年(1862)賣布神社跡地に遷座後 令和元年(2019)中世の鎮座地〈荒神神社に合祀〉遷座しました




















