須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原)(『三代實録』菅神『延喜式』湏義神社)

須義神社(すぎじんじゃ)は 社伝によると「応神天皇四十年の創祀」と云う 一説には 神功皇后が熊襲征討のため出石神社に戦勝祈願をした時の創祀とも云われる 『三代實録』貞観10年(868)従5位下に叙せらた「菅神」は当社の事とされる 延喜式内社 但馬国 出石郡 湏義神社(すきの かみのやしろ)です

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須岐神社(金沢市東蚊爪町)〈『延喜式』須岐神社〉

須岐神社(すきじんじゃ)は 元正天皇 霊亀2年(716)浅野川河口付近で右岸側の地に創建と伝わり 後に聖武天皇 天平元年(729)赤澤八幡神社が須岐神社の境内地に創建されたと云う 度重なる水害によって遷座 現在の鎮座地は明治になり遥拝殿を拝殿としたとの事 延喜式内社 加賀国 加賀郡 須岐神社(すきの かみのやしろ)です

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鶴ヶ峰八幡神社(大和町宮床赤坂)〈『延喜式』須伎神社〉

鶴ヶ峰八幡神社(つるがみねはちまんじんじゃ)は 寛文3年(1663)古縁起等を焼失し創祀年代等は不祥 一説には推古天皇6年(598)一宮波神 賀茂三社を本社に合祀と云う 又 別当正善院清範は この賀茂明神社を延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)と伝えます 又 賀茂明神社は境内社との説もあります

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須岐神社(大衡村駒場下宮前)〈『延喜式』須伎神社〉

須岐神社(すきじんじゃ)は 創祀年代 鎮座 由来等は詳かでない 昔時は今の社地の西方の宮高森上に在り 建久二年(1191)に地頭 児玉弥太郎がここに遷座して 赤崎大明神と称え椚千本を植え神境としたと伝わります 延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)の論社です

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須伎神社(鈴鹿市長太栄町)〈『延喜式』須支神社・大木神社〉

須伎神社(すぎじんじゃ)は 社伝には 上古 津島の神を奉じて南下した人々が長太村に祠を建て祀ったと云う 元禄三年(1690)当地に移転鎮座した 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 須支神社(すきの かみのやしろ)とされ 又 明治40年(1907)大木神社(長太の大樟)を合祀し 同じく式内社 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社でもあります

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長太の大樟(南長太町)〈須伎神社 に合祀された大木神社の旧鎮座地〉

長太の大樟(なごのおおくす)は 嘉永4年(1851)地誌「勢国見聞集」名木之部に「河曲郡北堀江村 楠 当村の西の方にあり 是を大木神社と云 式内の社なり」と記され 楠木を御神体とした神社〈須伎神社に合祀された大木神社の旧鎮座地〉で 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社とされています

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大塚神社(鈴鹿市林崎)〈『延喜式』大木神社〉

大塚神社(おおつかじんじゃ)は 創建年代などは不祥ですが 明治以前は 西林崎村 一色村2村の産神「大塚大明神」でした 鎮座地の゛林崎゛は 神宮の「林崎御厨ノ地」であったとされ 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社とする説があります

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久々志彌神社(鈴鹿市下箕田)〈『延喜式』久々志彌神社〉

久々志彌神社(くくしみじんじゃ)は 社伝に第34代舒明天皇元年(629)創祀と云う 又 鎮座地の箕田は 伊勢神宮「箕田御厨(みたみくり)」の地であり 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 久々志彌神社(くくしみの かみのやしろ)に比定され 明治41年(1908)箕田村の村社 無格社をすべて合祀し 式内久々志彌神社と改称しました

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大木神社(鈴鹿市石薬師町)〈『延喜式』大木神社〉

大木神社(おおきじんじゃ)は 創建年代などは不祥です もと河曲郡高富村字船塚に鎮座したが 元和年中(1615~24)一村が今の石薬師へ移住 寛永年中(1624~44)当社も該地から今の地へ遷座したと云う「青木ノ明神ノ宮」又は「アヲキ」と云った 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社です

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楠村神社(四日市市楠町本郷)〈参考論社『延喜式』川神社〉

楠村神社(くすむらじんじゃ)は 社伝に「創祀については詳らかにし難い」とあり 楠城址の一部を占める「風呂屋」と呼ばれる地区に鎮座しています 明治42年(1909)楠郷総社に合祀されたが 昭和2年(1927)再び現在地に分祀されたものです 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 川神社(かはの かみのやしろ)の参考論社です

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