大塚神社(鈴鹿市林崎)〈『延喜式』大木神社〉

大塚神社(おおつかじんじゃ)は 創建年代などは不祥ですが 明治以前は 西林崎村 一色村2村の産神「大塚大明神」でした 鎮座地の゛林崎゛は 神宮の「林崎御厨ノ地」であったとされ 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社とする説があります

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久々志彌神社(鈴鹿市下箕田)〈『延喜式』久々志彌神社〉

久々志彌神社(くくしみじんじゃ)は 社伝に第34代舒明天皇元年(629)創祀と云う 又 鎮座地の箕田は 伊勢神宮「箕田御厨(みたみくり)」の地であり 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 久々志彌神社(くくしみの かみのやしろ)に比定され 明治41年(1908)箕田村の村社 無格社をすべて合祀し 式内久々志彌神社と改称しました

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大木神社(鈴鹿市石薬師町)〈『延喜式』大木神社〉

大木神社(おおきじんじゃ)は 創建年代などは不祥です もと河曲郡高富村字船塚に鎮座したが 元和年中(1615~24)一村が今の石薬師へ移住 寛永年中(1624~44)当社も該地から今の地へ遷座したと云う「青木ノ明神ノ宮」又は「アヲキ」と云った 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社です

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楠村神社(四日市市楠町本郷)〈参考論社『延喜式』川神社〉

楠村神社(くすむらじんじゃ)は 社伝に「創祀については詳らかにし難い」とあり 楠城址の一部を占める「風呂屋」と呼ばれる地区に鎮座しています 明治42年(1909)楠郷総社に合祀されたが 昭和2年(1927)再び現在地に分祀されたものです 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 川神社(かはの かみのやしろ)の参考論社です

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廣幡神社(菰野町菰野)〈式内論社 江田神社(江田)明治41年(1908)合祀〉

廣幡神社(ひろはたじんじゃ)は 寛永七年(1630)菰野藩初代藩主 土方雄氏公が京都の石清水八幡宮より城の鎮守として勧請 明治になり神社合祀令により近隣の神社が合祀されました 明治41年には式内論社 江田神社(江田)を合祀して 延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社となっています

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鵜森神社(四日市市鵜の森)〈『延喜式』江田神社〉

鵜森神社(うのもりじんじゃ)は 鎮座地は濱田城跡にあり 創建年代は定かではないが 文明(1469~87年)には濱田城主 依家の崇敬した社であった 一説には 元は江田神社と称していたとされ延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社となっています

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江田神社(四日市市西坂部町)〈『延喜式』江田神社〉

江田神社(えだじんじゃ)は  祭神は日本武尊の弟君 五十功彦命 古くは奥宮 中宮 下宮があったが 天正3年(1575)織田信長配下の兵火によりすべてを焼失し 下宮〈現在地〉に遷座 明治41年(1908)に坂部町地内のすべての神社が合祀されました 延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社です

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江田神社(宮崎市阿波岐原町)〈『續日本後紀・三代實録』江田神『延喜式』江田神社〉

江田神社(えだじんじゃ)は 社伝に「太古の御創建 この地一帯は古来 所謂 日向の橘の小戸の阿波岐原として 伊邪那岐の大神禊祓の霊跡と伝承されて 縁起最も極めて深き社ならむ」とあります 六国史『續日本後紀』『三代實録』江田神とあり 『延喜式』日向國 宮崎郡 江田神社(えたの かみのやしろ)とされます

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都萬神社(西都市大字妻)〈『續日本後紀』妻神『三代實録』都萬神『延喜式』都萬神社〉

都萬神社(つまじんじゃ)は 社傳に云く「景行天皇 日向國 土蜘蛛を征し給ふ時、兒湯縣に行幸 当社勅願し給ひしことを傳ふ 以てその太古の創建なるを知るべし」とあります 『續日本後紀 妻神』『三代實録 都萬神』『延喜式』に日向國 兒湯郡 都萬神社(つまの かみのやしろ)と記載のある由緒ある古社です

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羊神社(名古屋市北区辻町)〈『延喜式』羊神社〉

羊神社(ひつじじんじゃ)は 群馬の多胡郡の領主 羊太夫が奈良の都へ上る時 この地(現辻町)に立ち寄った屋敷があり 土地の人々が平和に暮らせるように火の神を祀り 羊神社と名付けられたと伝えら「辻町」は「ひつじ」から「ひ」をとったとも云う 延喜式内社 尾張國 山田郡 羊神社(ひつしの かみのやしろ)の論社です

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