物部神社(名古屋市東区筒井)〈御神体の霊璽゛一塊の巨大な石゛〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 御神体の霊璽が゛一塊の巨大な石゛で 初代 神武天皇の御代に当地の凶魁を討たれ この石〈俗に要石 鎮撫石 根石とも云う〉を国の鎮めとされ 石神様とも呼ばれます 第11代 垂仁天皇の御代 初めて社殿が造営された云う 延喜式内社 尾張國 愛智郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です

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白山建岡神社(山梨市上栗原)〈上栗原村〔小市明神〕を合祀か?〉

建岡神社(たておかじんじゃ)は 江戸時代には〔白山権現〕と呼ばれていました 同じく上栗原村にあった〔小市明神〕は 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)であるとの一説もあります 現在〔小市明神〕は 建岡神社に合祀されているのか?

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大石神社(甲州市塩山赤尾)〈延喜式内社 物部神社の論社〉

大石神社(おおいしじんじゃ)は 社伝に 第21代 雄略天皇御宇 詔(みことのり)により海部直赤尾物部兎代宿禰(あまのあたいあかお もののべのとよのすくね)によって勧請されたと伝わります 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社とされ 明治時代には 物部神社と称したと云う

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大石神社(山梨市西)〈巨大な花崗岩のご神体が坐します〉

大石神社(おおいしじんじゃ)は その名の通り 巨大な花崗岩のご神体〈磐座信仰〉が坐します 社殿の周囲にも数々の巨大な石〈磐座〉があり 不思議な景観となっています 社伝によると 古くは物部神社と称していたとあり 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社となっています

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物部神社(笛吹市石和町松本)〈『六国史』物部神・『延喜式』物部神社〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷の使者として武内宿禰(たけのうちのすくね)らが東方巡察の折 物部氏の従者により創祀されたと云う 『六国史』には゛物部神゛に神階の奉授が記され 『延喜式』に甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)と所載されます 当初 御室山に鎮座し 鎌倉時代に現在地に遷座と云う

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二田物部神社(柏崎市西山町二田)〈『延喜式』物部神社〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 祭神 二田天物部命は 天香山命に奉仕て 高志国(越国)に天降りしたと云う 二田を献上する者がおり その地に居を定め その里を「二田」と称したと伝え 命は薨(こう)じて 二田の土生田(はにゅうだ)の高陵に葬られたと云う 延喜式内社 越後國 三嶋郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です

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物部神社(佐渡市小倉)〈『續日本紀』物部天神・『延喜式』物部神社〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が養老二年(722)佐渡配流の謫居二十年の間 小祠に物部氏の祖神゛宇麻志麻治命゛を祀り 祈り続けたと云う 『續日本紀』〈延暦10年(791)物部天神 従五位下〉と神位の奉叙が記されている 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 物部神社(もののべのかみのやしろ)です

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八幡社(三木市志染町安福田)&〈境内社〉御坂社

八幡社(はちまんしゃ)は 戦国期の三木合戦で羽柴秀吉が戦勝祈願の為に安福田の八幡社に出向き 帰りに麓の庄屋で休息を取ったと云い 〈境内社〉御坂社(みさかしゃ)は『播磨国風土記』「志深里(しじみのさと)三坂社の神」の伝承地にある 延喜式内社 播磨國 美嚢郡 御坂神社(みさかの かみのやしろ)の論社とされます

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御酒神社(三木市細川町垂穂)〈延喜式内社の論社〉

御酒神社(みさかじんじゃ)は 口伝に゛大己貴命が天降りし時 西南麓を流れる小川の辺りを霊地とし鎭座されたのを起源゛と云う 往古は岩宮と称し 磐座を拝し奉り社殿は無く 天應元年(781)社殿建立 天平2年(730)社殿再建の時 神告により氏子の酒造家等は祈願を籠めて美酒を釀造したので 御酒神社と改稱したと伝わる

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御酒神社(三木市別所町石野)〈神功皇后が三甕の酒を捧げた 延喜式内社の論社〉

御酒神社(みさかじんじゃ)は ゛神功皇后が三韓征伐より凱旋され この地へ御幸 天神地祇を親祭せられ 御酒神社に大己貴神坐すとお聞きになり 三甕の酒を捧げた゛と云う 第36代 孝徳天皇 白雉五年(654)創祀と伝わり 元亀元年(1570)大物主神・天太玉命・天鈿女命を勧請 延喜式内社 播磨國 美嚢郡 御坂神社の論社です

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