老尾神社(匝瑳市生尾)〈匝瑳郡の総鎮守『延喜式』老尾神社〉

老尾神社(おいおじんじゃ)は 式内社 老尾神社(をいをの かみのやしろ)です 社伝には 経津主神の御子 阿佐比古命を祭神として 崇神天皇の御宇 神田を附し恆例の祭祀はこの時より初まると云う 又『續日本後紀』に物部小事(おごと)大連が坂東を征した功勳により 鎮座地 匝瑳郡は建郡されたと記され 祭神は小事とする説があります

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蘇我比咩神社(千葉市中央区蘇我)〈『延喜式』 蘇賀比咩神社〉

蘇我比咩神社(そがひめじんじゃ)は 日本武尊が東征の際 走水海で暴風雨に遭い 后の弟橘姫が同道して来た五人の姫達と共に身を海中に投じ それを鎮めました 社伝には その一人 蘇我大臣の娘 蘇我比咩は浜に打上げられ 里人により蘇生し都に帰った これを知り応神天皇が国造に任命した蘇我氏により 春日神・比咩神を祀り創建と云う

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橘樹神社(茂原市本納)〈『三代實録』橘樹ノ神『延喜式』橘樹神社〉

橘樹神社(たちばなじんじゃ)は 『古事記』に「日本武尊の后・弟橘比賣命が走水の海に身を投じて 七日の後 后の櫛が海辺に依りき その櫛を取りて御陵を作り治置きき」と記され 社伝では 尊が后の櫛を納めた御陵を作り 橘の木を植えたのが創祀と伝える 延喜式内社 上総國 長柄郡 橘神社(たちはなの かみのやしろ)です

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姉埼神社(市原市姉崎)〈『三代實録』姉前ノ神『延喜式』姉﨑神社〉

姉埼神社(あねさきじんじゃ)は 社伝には 日本武尊が御東征の際 走水の海で暴風雨に遭い お妃の弟橘姫の犠牲によって無事上総の地に着かれ この地 宮山台でお妃を偲び 風神 志那斗弁命を祀ったのが創建と云う その後 景行天皇が日本武尊を祀った 延喜式内社 上緫国 海上郡 姉埼神社(あねさきの かみのやしろ)です

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島穴社原地碑(市原市島野)〈式内社 島穴神社の旧鎮座地〉

島穴社原地碑(しまあなしゃげんちひ)は 社伝には日本武尊が東征の時 風神 志那津比古命を祀り創建 景行天皇が日本武尊・倭比賣命を合祀 昔 この地〈この丘〉にある深坎(しんかん)から常に清風が起り 島穴の社名の由来となった 延喜式内社 上緫国 海上郡 嶋穴神社(しまあなの かみのやしろ)の旧鎮座地で天正3年に現在地に遷座

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島穴神社(市原市島野)〈『三代實録』嶋穴ノ神『延喜式』嶋穴神社〉

島穴神社(しまあなじんじゃ)は 第12代 景行天皇の御代 日本武尊が東征の時 走水の海で暴風に遭われ 弟橘姫命が大和国の風鎮神 龍田の神を拝み 海中に身を投じ暴風が止んだ 無事に上陸ができた尊は 妃のご祈誓に従い ここに風鎮の神 志那都比古尊を祀られたと云う『延喜式』嶋穴神社(しまあなの かみのやしろ)です

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飽富神社(袖ケ浦市飯富)〈『三代實録』飯富ノ神『延喜式』飫富神社〉

飽富神社(あきとみじんじゃ)は 第二代 綏靖天皇元年創建と云う 古代の中央豪族 飫富(おふ)氏にちなんだ社名「飫富神社」であったが文字の誤伝から「飯富(いいとみ)神社」「飽富(あきとみ)神社」と代わったと云う 『三代實録』には 飯富ノ神と記され 『延喜式』には 上緫國 望陀郡 飫富神社(おふのかみのやしろ)と記されます

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遠賀神社(鶴岡市外内島字明神川原)〈『延喜式』遠賀神社〉

遠賀神社(おがじんじゃ)は 中世に赤川が乱流していた所「外内島(とのじま)」に鎮座します この地名の語源は 赤川の旧称である外川と内川の間にできた島という説 名請人 戸内大夫(とのうちだゆう)(神主)と関連するとの説もあります 延喜式内社 出羽國 田川郡 遠賀神社(をかの かみのやしろ)の論社です

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遠賀神社(鶴岡市遠賀原字高間々)〈『延喜式』遠賀神社〉

遠賀神社(おがじんじゃ)は 遠賀神社と云ふ額面が殘っていたとあり これを説として 稻荷は「タウガ」と読み 遠賀も亦「タウガ」と訓む 故に中世には 遠賀神社を稻荷神社とし 延喜式内社 出羽國 田川郡 遠賀神社(をかの かみのやしろ)であるとされていました

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遠賀神社(鶴岡市井岡字和田)〈『延喜式』遠賀神社〉

遠賀神社(おかじんじゃ)は 延喜式内社 出羽國 田川郡 遠賀神社(をかの かみのやしろ)とされ 古くは岡山の岩台に鎮座したが 天長年間(825年)当地に遷座したと云う 中世に至り神佛混淆し 井岡寺を創設し 別當を置き゛岡大権現゛と称していたが 明治維新の際 神佛分離により 延喜式 遠賀神社と改称しました

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