- 2025.09.27
- 石部神社(朝来市和田山町宮)〈『延喜式』刀我石部神社〉
- 2025.09.26
- 石部神社(朝来市山東町滝田字マリ)〈『延喜式』朝來石部神社〉
- 2025.09.25
- 熊野神社(朝来市山東町塩田)〈『延喜式』朝來石部神社〉
- 2025.09.24
- 菅生石部神社(加賀市大聖寺敷地)〈加賀國二之宮〉
- 2025.09.23
- 宮村岩部神社(加賀市宮町)〈『延喜式』宮村いそ部神社〉
実践和學 Cultural Japan heritage
石部神社(いしべじんじゃ)は 創建について「口碑には 垂仁天皇の朝 敕を奉して祭祀する所と云ふ」と社伝にあります 又 神社の北を流れている東河川の「東河」と「刀我」は同じとされます 延喜式内社 但馬國 朝来郡 刀我石部神社(とかのいそへの かみのやしろ)の論社です
石部神社(朝来市山東町滝田字マリ)〈『延喜式』朝來石部神社〉
石部神社(いしべじんじゃ)は 正しくは磯部神社で別名「鞠の宮」または「山王社」とも云う 滝田村の北 石部山の南麓に鎮座する延喜式内社 但馬國 朝来郡 朝來石部神社(あさこのいそへの かみのやしろ)の論社と伝えています 石部山の北麓には 同じく式内社の刀我石部神社(とかのいそへの かみのやしろ)が鎮座しています
熊野神社(くまのじんじゃ)は 創建年代は不祥 幕末~明治時代の神職 宮本池臣(みやもと いけおみ)の説によれば゛瀧田村に山王社と稱するあり 礒部庄に塩田明神と稱するあり 礒部の方よき社地なり何れか式社なりとも分きかたし゛ 延喜式内社 但馬國 朝来郡 朝來石部神社(あさこのいそへの かみのやしろ)の論社と伝えています
菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)は 宮中でお祀りしていた神様を用明天皇ご即位元年(五八六)この地にお遷ししたことが創始 六国史『日本三代実録』に菅生神・『延喜式』には菅生石部神社(すかふのいそへの かみのやしろ)と所載される由緒ある古社で 加賀國二之宮とされています
宮村岩部神社(みやむらいそべじんじゃ)は 創建年代 祭神ともに不祥 祭神は 天神 或いは櫛日方命とも云う 現在も本殿はなく 瑞垣(土塀)にて囲む内に磐座が祀られる謎多き古社で 古へに社地の南方2km程に遙拜所があった所に 今は鳥居のみが残っています 延喜式内社 加賀國 能美郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)です
箭代神社(やしろじんじゃ)は 元は現在地の後方 中山丘陵にあったとされる 延喜式内社 越中國 射水郡 箭代神社(やしろ かみのやしろ)で 祭神は武内宿禰の第八子 葛城襲津彦命とされますが 武内宿禰の子 波多八代宿禰とする別説もあります いずれにしても氏子にも武内宿禰の後裔が多く「氏祖の神社」と里人に呼ばれています
神明宮(しんめいぐう)は 磯部神社(氷見市磯辺)の旧社地とも云われ 延喜式内社 越中國 射水郡 礒部神社(いそへ かみのやしろ)の論社となっています 磯部集落の中でも山間部の上宮(かみや)集落に鎮座したが 集落過疎化の為 神社の維持管理ができなくなり 礒部神社に合祀の神事〈2022年11月26日〉が執り行われました
磯部神社(いそべじんじゃ)は 氷見のヤマフジの名所として知られ見頃には多くの人々が参拝します 古代に八代谷(旧 氷見郡八代村一帯)の土地開拓をした礒部氏が 祖神 天日方奇日方命を御祭神として祀ったと云う 延喜式内社 越中國 射水郡 礒部神社(いそへ かみのやしろ)とされます
柏木神社(かしわぎじんじゃ)は 白鳳元年(673)創建 山王社〈祭神 大己貴命〉でした 建久元年(1190)源頼朝が上洛の折 鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を合祀し社名を若宮八幡宮とした 明治4年(1871)柏木神社と改称しました 延喜式内社 近江國 甲賀郡 石部鹿鹽上神社(いそへのかしほのかみの かみのやしろ)の論社です
上葦穂神社(かしほじんじゃ)は 孝徳天皇 白雉元年(650)阿星嶽より五色の御旗が降り祀られたのが創祀 この御幡の降った地を御幡塚として現在も聖地と伝える その後社殿を設け 旧社号を白雉神社(博智・博打・薄知)と云う 延喜式内社 近江國 甲賀郡 石部鹿鹽上神社(いそへのかしほのかみの かみのやしろ)論社の一つです
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