矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野)(『延喜式』矢田神社)

矢田八幡神社(やたはちまんじんじゃ)は 崇神天皇の御代 四道将軍 丹波道主命が勅命により丹波国に至り 山陰の平定祈願のため矢田神社〈矢田部の祖神〉を創祀 奈良朝に至り蘇我氏との争いに物部氏亡び 恐れた矢田部氏は宇佐八幡宮を勤請し矢田八幡と改称 延喜式内社 丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)の論社です

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矢田神社(京丹後市久美浜町海士)〈『延喜式』矢田神社〉

矢田神社(やたじんじゃ)は 口碑によれば 元の鎭座地は 御祭神 建田背命〈丹後国造 但馬国造等の祖〉別名 神服連海部直(かんはとりのむらじあまべのあたえ)の館跡 六宮廻(ろくのみやまわり)辺り 矢須田(久美浜町橋爪)と云い 廃絶後 中世に現在地に遷座した 延喜式内社 丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)です

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伊豆志彌神社(京丹後市久美浜町出角宮ノ谷)〈『延喜式』伊豆志彌神社〉

伊豆志彌神社(いずしやじんじゃ)は 『丹後舊事紀』に第11代 垂仁天皇の時代〈皇紀632年~皇紀730年〉川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)によって勧請と記されています 延喜式内社 丹後國 熊野郡 伊豆志彌神社(いつしみの かみのやしろ)です 江戸時代の旧称は 筈森大明神(箱森大明神)と呼ばれていました

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圓田神社(上越市名立区丸田)〈『延喜式』圓田神社〉

圓田神社(まるたじんじゃ)は 『神社明細帳』によると 天應元年(781)四月の創立 社殿は大同二年(807)飛騨の内匠の作と伝える 丸田を中心に名立谷に勢力をもつた有力氏族が奉斎したのであろうとされます 延喜式内社 越後國 頸城郡 圓田神社(まろた〈えんた〉の かみのやしろ)です

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蛭子神社&奥宮〈末社〉丸田神社(京丹後市久美浜町関家ノ上)〈『延喜式』丸田神社〉

蛭子神社(ひるこじんじゃ)は 関地区の氏神で 奥宮〈末社〉丸田神社(まるたじんじゃ)〔境内に合併とも〕は 創立年代等不詳ですが 往古 七ケ村の氏神であったと伝わります「丸田神社は奥宮」「蛭子神社は里宮」の関係にあり 奥宮〈末社〉丸田神社は 延喜式内社 丹後國 熊野郡 丸田神社(まろたの かみのやしろ)の論社とされます

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丸田神社(京丹後市久美浜町甲山亀石)〈『延喜式』丸田神社〉

丸田神社(まるたじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の時代 川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)によって建立されたと伝わります 神体山 甲山(カブトヤマ)山上の〈式内社〉熊野神社を奥宮とし 里宮として大膳職(食物)の神を祀られた 延喜式内社 丹後國熊野郡 丸田神社(まろたの かみのやしろ)です

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三嶋田神社(京丹後市久美浜町金谷今ゴ田)〈『延喜式』三嶋田神社〉

三嶋田神社(みしまだじんじゃ)は 七代孝靈天皇の御宇 武諸隅命(海部直の祖)が 往古 川上谷にあった三ヶ所の嶋に神々を祀り 生嶋(金谷)に大山祇命・上津綿津見命・表筒男命を祀り三嶋神社と称した 又 別説には 垂仁天皇の朝 川上摩須の勸請なりとも云う 延喜式内社 丹後國 熊野郡 三嶋田神社(みしまたのかみのやしろ)です

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布森神社〈布杜神社〉(京丹後市久美浜町女布)〈『延喜式』賣布神社〉

布森神社〈布杜神社〉(ふもりじんじゃ)は 由緒など不祥ですが 賣布神社の神幸時の御旅所で 元宮であるとも云います 里での呼称も 賣布神社を大宮 布杜神社を小宮と呼んでいます 延喜式内社 丹後國 熊野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)の参考論社とも考えられています

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賣布神社(京丹後市久美浜町女布初岡)〈『延喜式』賣布神社〉

賣布神社(ひめふじんじゃ)は 『丹後一覧記』等によると第11代 垂仁天皇の御代 川上麻須の勧請に係れりと云う 延喜式内社 丹後國 熊野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)です 当初の鎮座地は「久美浜町谷の足洗井戸があり 祭神が始めて留りし地であり 野中 安養寺を経て船にて女布に着き小字舟處に上陸された」と伝わります

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衆良神社(京丹後市久美浜町須田天王谷)〈『延喜式』衆良神社〉

衆良神社(すらじんじゃ)は 延喜式内社 丹後國 熊野郡 衆良神社(もろよしの かみのやしろ)とされます 創建は 第11代 垂仁天皇の朝の勸請と伝わり 祭神は川上麻須(かわかみます)〈娘の川上麻須郎女は 丹波道主命の妃となり 孫の日葉酢媛は 垂仁天皇の皇后となり 第12代 景行天皇の外祖父〉とされます

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