逆松社(和歌山市鳴神)〈延喜式内社 香都智神社の旧鎮座地〉

逆松社(さかさまつのやしろ)は 延喜式内社 紀伊國 名草郡 香都知神社(かつちの かみのやしろ)の旧鎮座地で 坂松明神と呼ばれていました 天正の兵乱に荒廃して廃絶しましたが 慶安三年(1650)石祠を建て 明治6年(1873)村社列格し 明治40年(1907)鳴神社境内に遷座〔堅真音神社と合祀〕されて現在に至ります

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鳴神社(和歌山市鳴神)〈『三代実録』鳴神『延喜式』鳴神社〉

鳴神社(なるじんじゃ)は 古代 紀伊湊を開拓した紀伊忌部氏により創建された 延喜式内社 紀伊國 名草郡 鳴神社(名神大月次相嘗新嘗)(なるの かみのやしろ)とされます 又 境内には 二つの式内社〈香都知神社(かつちの かみのやしろ)・堅眞神社(かたまの かみのやしろ)〉の論社が境内社として祀られています

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川内多々奴比神社(丹波篠山市下板井)〈延喜式内社〉

川内多々奴比神社(かわうちたたぬひじんじゃ)は 社伝に第10代 崇神天皇の御代 四道将軍 丹波道主命が創建と伝え 別説には 社名の多々奴比(たたぬひ)は楯縫(たてぬい)の訛りで『延喜式』にある神楯を奉仕する斎部の楯縫氏の事 楯縫氏が祖神 彦狭知命を川内郷に祀ったので 川内多多奴比神社と伝わります

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由豆佐賣神社(鶴岡市湯田川)〈『三代實録』由豆佐乃賣神『延喜式』由豆佐賣神社〉

由豆佐賣神社(ゆずさめじんじゃ)は 『三代實録』仁和元年(885)11月21日条に由豆佐乃賣神を篤く奉るように勅命が下され 『延喜式927 AD.』には式内社 出羽國 田川郡 由豆佐賣神社(ゆつさひめの かみのやしろ)と記載のある由緒ある古社です 和銅5年(712年)開湯 湯田川温泉の鎮護の神社として崇拝されてきました

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天地神社(田方郡函南町平井)〈『延喜式』阿米都瀬氣多知命神社の論社〉

天地神社(てんちじんじゃ)は 延喜六年(906)創建 棟札に平安時代前半 伊豆山大権現から遷したとあり 稲作の豊作を願い 天(天候)地(土 地方)の恵みを祈願し 天地大明神と称したが 天地神社と改称(明治六年) 延喜式内社 伊豆國 田方郡 阿米都瀬氣多知命神社(あめつせのけたちのみことの かみのやしろ)の論社です

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気多神社(沼津市内浦三津)〈『延喜式』阿米都瀬氣多知命神社・井田神社の論社〉

気多神社(きたじんじゃ)は 社記によれば 貞観元年(859)に当地に鎮座したと云い 祭神は意氣長多羅司姫命(おきながたらしひめのみこと)〈神功皇后〉とされます 二つの式内社〈阿米都瀬氣多知命神社(あめつせのけたちのみことの かみのやしろ)・井田神社(ゐたの かみのやしろ)〉の論社となっています

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井田神社(沼津市井田)〈『延喜式』井田神社・『伊豆國神階帳』ゐたの明神〉

井田神社(いだじんじゃ)は その歴史は古く 慶長12年(1607)の上梁文には゛井田荘七箇村鎮守 井田明神゛とあり 『伊豆國神階帳(康永2年(1343)』には゛従四位上 ゐたの明神゛ さらに『延喜式927 AD.』には 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)と所載される由緒を持ちます

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井田神社(豊岡市日高町鶴岡字城山)〈延喜式内社〉

井田神社(いだじんじゃ)は 創建は不祥ですが 元々は倉稲魂命を祀っており 嘉祥元年(848)悪疫流行の際 山城国 石清水八幡宮より誉田別命・気長足姫命の二柱を勧請したと伝わる 延喜式内社 但馬國 氣多郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)です 中世には下津谷伯耆守の居城〔伊福城〕があり 伊福部氏と関係があるのでしょうか

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楯縫神社(豊岡市日高町鶴岡字保木)〈延喜式内社〉

楯縫神社(たてぬいじんじゃ)は 白鳳時代(645~710年)の往昔 出雲国から丹波国を経て当国〈但馬國〉で栄えた楯縫連(たてぬいのむらじ)が 遠祖 彦狭知命を楯屋丘 多田谷に祀ったのが始りと伝わる 延喜式内社 但馬國 氣多郡 楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)です 昭和22年(1947)現在地に遷座奉祀されました

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齋神社 & 境内摂社 楯縫神社(養父市長野字東山)

齋神社(いつきじんじゃ)は 聖武天皇 天平二年(730)創立 境内摂社 楯縫神社と共に 延喜式内社 但馬國 養父郡 楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)の論社です 伝説には 神代の昔 但馬は泥海だった 但馬五社の神様が養父明神を遣わし 斎神社に坐す彦狭知命に泥海を切り開くことを願い 豊かな大地が生まれたと伝わります

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