石津太神社(堺市西区浜寺石津町中)〈『延喜式』石津太社神社〉

石津太神社(いわつたじんじゃ)は 太古 蛭子命が 葦船に乗せられ漂着されたと伝承される聖地(石津浦)が現在の御旅所〔発祥の地〕孝昭天皇7年(紀元前469年)創建と伝え 孝徳天皇が白雉3年(653)孝謙天皇も天平勝宝元年(749)に参拝したと云う 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 石津太社神社(いはつたの かみのやしろ)です

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美多彌神社(堺市南区鴨谷台)〈『延喜式』美多彌神社〉

美多彌神社(みたみじんじゃ)は 創建年代等詳らかではありませんが 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 美多彌神社(みたみの かみのやしろ)と伝わります 南北朝時代には 楠木正成の守護神として崇められ広大な境内に大樹が生い茂り堂々とした神社でしたが 天正5年(1577)兵火にかかり消失し文禄元年(1592)本殿が再建されました

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美歎神社(鳥取市国府町美歎)〈『三代實録』美歎神『延喜式』美歎神社〉

美歎神社(みたにじんじゃ)は 『三代實録』貞観十六年(八七四)「因幡国従五位下 美歎神に従五位上を授く」とあり 又『延喜式』因幡國 法美郡 美歎神社(みたにの かみのやしろ)です 元々は昔 因幡山の頂上付近 屋敷鳴に氏神として祀られていたが 金内(屋敷谷)に移転更に現在地に奉遷されたと云う

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御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)〈『延喜式』御谷神社〉

御谷神社(みたにじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 御谷神社(みたにの かみのやしろ)と伝わります 鎮座する浄土谷宮ノ谷の一帯は 平安時代以前に開かれたらしく「観音檀(かんのんだん)」からは九世紀の千手観音立像が出土し「釈迦(しゃか)ん谷」「たいこん堂」「欄杆房(なんかぶ)」などの地名も残っています

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櫟谷宗像神社(西京区嵐山中尾下町)〈『三代実録』宗像・櫟谷神『延喜式』櫟谷神社〉

櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ)は 『三代実録』貞觀十二年(870)「葛野鋳銭所に近い宗像・櫟谷・清水・堰の小社五神に 新たに鋳造した銭を奉納した」とあるように 宗像社・櫟谷社は元々独立した別々の社でした 又 櫟谷社は『延喜式』に山城國 葛野郡 櫟谷神社(いちいたにの かみのやしろ)とある延喜式内社です

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向日神社(向日市向日町北山)〈『延喜式』乙訓坐火雷神社〔名神大月次新嘗〕・向神社〉

向日神社(むこうじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 向神社(むかへの かみのやしろ)後に同じく式内社 乙訓坐大雷神社(火雷神社)〔名神大 月次新嘗〕(をとくににます おほいかつち(ほのいかつち)の かみのやしろ)を合祀と伝わり この両社は 同じ向日山に鎮座 向神社は上ノ社 火雷神社は下ノ社と呼ばれていたと云う

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角宮神社(長岡京市井ノ内南内畑)〈『延喜式』乙訓坐大雷神社〔名神大月次新嘗〕〉

角宮神社(すみのみやじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 乙訓坐大雷神社(火雷神社)〔名神大 月次 新嘗〕(をとくににます おほいかつち(ほのいかつち)のかみのやしろ)の論社 承久の変(1221)で灰燼に帰し容易に復興を許されず 旧社地 井ノ内の西部(宮山)から文明16年(1484)現在地に再興 井ノ内の産土神です

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大井神社(名古屋市北区如意)〈『延喜式』大井神社〉

大井神社(おおいじんじゃ)は 社伝によれば 和銅・養老年問(700年代)に 現社殿の北西にあった大井の池のほとりに産土神として勧請された延喜式内社 尾張國 山田郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社です 中世 大水の難を避けて現在地へ遷座し 江戸時代には六所明神社と称されていました

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國中神社(越前市国中町)〈『延喜式』國中神社二座〉

国中神社(くになかじんじゃ)は 元は 当社の北西にある三里山の山上に二座が鎮座しており 七堂伽藍を具備し 奉仕の社僧も多かったが 延元天正數度の兵燹に罹り 悉く焼亡してしまった 当郡一の大社であったと云う 延喜式内社 越前國 今立郡 國中神社二座(くになかの かみのやしろ ふたくら)とされます

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國中神社(越前市中津山町)〈『延喜式』國中神社二座〉

國中神社(くになかじんじゃ)は 社伝によれば 当社は越前の中央にあり 越の中山と称し 和名抄に中ツ山の郷とあります 祭神は越國の御霊彦姫の二柱を祭る 延喜式内社 越前國 今立郡 國中神社二座(くになかの かみのやしろ ふたくら)とされ 往古より上宮外宮と分け祀り 当社は上宮の一座であったとされます

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