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五泉八幡宮(五泉市宮町)〈延喜式内社 宇都良波志神社・小布勢神社 論社〉

五泉八幡宮(ごせんはちまんぐう)は 創建は元慶3年(879)と伝えられ かつて五泉城があった地に鎮座 本殿には四十柱を超える神々が合祀される五泉城跡総鎮守です 越後國蒲原郡の二つの式内社の論社〔・本殿合祀の白山社は 宇都良波志神社(うつらはしの かみのやしろ)・本殿は 小布勢神社(をふせの かみのやしろ)〕とされます

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

八幡宮(はちまんぐう)

【通称名(Common name)】

五泉八幡宮(Gosen hachimagu)

【鎮座地 (Location) 】

新潟県五泉市宮町5-46

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神》
誉田和気命(ほんだわけのみこと)
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
 田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

《合祀神》
八衢比売神,久那斗神,神直日神,大直日神,速秋津比売神,速佐須良比売神,弥都波能売神,迦具土神,埴山比売神,白山比売命,天児屋根命,大名持命,少彦名命,天香語山命,大物主命,大山祇命,健御名方命,八坂戸女命,天津麻良命,石凝姥命,表筒男命,中筒男命,息長足比売命,神大市比売命,大己貴命,大国主命,少彦名命,八衢比古神,

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

 

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社

【創 建 (Beginning of history)】

『式内社調査報告』第17巻〈式内社研究会編、皇学館大学出版部、昭和59年(1984年)刊〉「宇都良波志神社」の項に記される考証

①越後國蒲原郡 宇都良波志神社〈五泉八幡宮 本殿に合祀の白山社〉

由緒書によれば、白山社がどこから勧請されたかは「相知れ申さず」(分からない)とされる一方、「尤も以前は宇都良波志の神社と唱え申し候」(以前は宇都良波志神社と称していた)という伝承があったことが記されています。また、慶長5年(1600年)夏に焼失した記録や、宝暦9年(1759年)に現在の八幡宮隣接地へ移転した経緯も伝わっています。

一方、白山社を合祀することから八幡宮そのものを宇都良波志神社と見る見方もありますが、『式内社調査報告』は、八幡宮自体はそのようには称しておらず、むしろその由緒では「小布勢神社」と称してきたとされ、その「コブセ」という地名が「ゴセン(五泉)」に転訛したとする説を紹介した上で、「大方の採用するところとはなっていない」と評しています。同書はあわせて、八幡宮自体の創建を元慶3年(879年)と伝え、当時の神主・近藤素陳氏が24代目にあたること、現在の社地は永禄年間(1558〜1570年)に上杉謙信の家臣・甘粕備後守らが拠点とした場所とも伝わることを紹介しています。

こうした記述は、あくまで『式内社調査報告』という一つの調査報告書による考証であり、宇都良波志神社の所在地については、確定した史実としてではなく、数ある見解の中の一つとして理解する必要があります。

【抜粋原文】

 (五泉市大字宮町に所在する八幡宮合殿の白山神社も宇都良波志神社とされる。)この神社はもと五泉の市街を東西に流れる白山川の川邊にあつたものであるが、寶暦九年(一七五九)に八幡宮の隣地に移り、寶暦九年十一月の『上五泉町神社書上帳』(寫)によつて、由緒の一端を知ることができる。内容は左の通りである。

一、(同国同町)白山社 壹ケ所
吉田派社人居掛 近藤伊予守  但 神殿両殿共長五間半 横拾三間半
社地長拾八間 横拾五間半被計候也 是者何國何所ゟ勧請仕候哉相知不申、尤以前神宇都良波志之神社と唱申候由ニ御座候 為社領拾貫文之御朱印有之候得共、慶長五年之夏焼失ト申候。右年來并ニ社人何代と申儀相知不申候。

祭神は明治十六年の『神社明細帳』によつて白山比賣命であつたことが分る。社人は同じ近藤姓でも八幡宮の近藤家とは別である。

白山神社を合殿するところから、八幡宮自體を宇都良波志神社とみるむきもあるが、八幡宮は宇都良波志神社を唱へない。むしろその由緒には、小布勢神社と稱してきた、その「コブセ」が地名の「ゴセン」に誤つたものとする。これは大方の採用するところとはなつてゐないが、創建は元慶三年(八七九)と傳へ、現社の神主 近藤素陳氏は二十四代目といふ。現在地は永祿年中(一五五八~七〇)に上杉謙信の家臣 甘粕備後守らの據つたところともいはれる。

【現代語訳(大意)】

 (五泉市大字宮町にある、八幡宮に合殿されている白山神社も、宇都良波志神社の論社とされています。)この神社はもともと、五泉の市街を東西に流れる白山川のほとりにあったものですが、宝暦9年(1759年)に八幡宮の隣地へ移り、同年11月の『上五泉町神社書上帳』(写本)によって、由緒の一端を知ることができます。内容は次の通りです。

一、白山社(同国同町) 一ヶ所
(吉田派の社人が管理 近藤伊予守) 神殿は両殿とも長さ5間半・横13間半、社地は長さ18間・横15間半ほど。
これがどこの国のどこから勧請されたのかは分からないが、以前は「宇都良波志の神社」と称していたという。 社領10貫文の御朱印状があったが、慶長5年(1600年)夏に焼失したという。それ以前の年代や社人の代数については分からない。

祭神は、明治16年の『神社明細帳』によって白山比賣命であったことが分かります。社人は八幡宮の近藤家と同じ「近藤」姓ですが、別系統です。

白山神社を合祀していることから、八幡宮そのものを宇都良波志神社とみる見方もありますが、八幡宮自体はそのようには称しておらず、むしろその由緒では「小布勢神社」と称してきたとされ、その「コブセ」という地名が「ゴセン(五泉)」に転訛したとする説があります。この説は広く採用されているわけではありませんが、(八幡宮自体の)創建は元慶3年(879年)と伝えられ、当時の神主・近藤素陳氏で24代目にあたるといいます。現在の社地は、永禄年間(1558〜1570年)に上杉謙信の家臣・甘粕備後守らが拠点とした場所とも伝わっています。

【原文参照】 式内社研究会 編『式内社調査報告』第17巻,皇学館大学出版部,昭和59年(1984年).(p.31「宇都良波志神社」の項)

【由 緒 (History)】

五泉八幡宮 ごせんはちまんぐう

かつて五泉城があった地に鎮座する五泉城跡総鎮守五泉八幡宮。40以上の多彩な神々が合祀される御本殿の他に、疫病や大病を治すと言われがある末社「青麻神社」。学業芸能の菅原道真公を祀る「天満宮」「古峯神社」「稲荷神社」「水神社」、織物産業の神様として信仰されてきた機神さまを祭る「服部神社」が鎮座しています。

春季(4月)・秋季(9月)の例大祭を始め、織物の姫神を祀る事から7月には、県下最大【七夕風鈴祭☆天の川巡り】が行われ、日本全47都道府県・世界の風鈴約4,500個が飾られます。

銭洗い所、水みくじ所、おもかる石、季節ごとに変わる「花手水」など見どころ溢れるパワースポットです。

期間限定の御朱印もいただけます。

一般社団法人 五泉市観光協会HP
https://gosen-kankou.niigata.jp/spot/231/

【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・五泉八幡宮 本殿

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・五泉八幡宮 幣殿 本殿

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・五泉八幡宮 拝殿

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・八幡宮境内略図

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・〈境内社〉天満宮《主》菅原道真朝臣

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・石祠多数〈・青麻社《主》須佐男尊・水神社《主》水波女命・薬神社《主》大穴持神,少彦名神〉

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・〈境内社〉稲荷神社《主》天宇受売命,倉稲魂命,猿田彦神

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・〈境内社〉古峯神社《主》大山積神,日本武尊

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・〈境内社〉服部神社《主》天日鷲命,万幡豊秋津比売命,長白羽命

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・神輿庫

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・参集殿

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・神楽殿

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・御守所・境内

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・南参道口

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・史跡 五泉城跡

史跡 五泉城跡 (五泉八幡宮)

 五泉城は永徳二年(一三八二)年、長尾憲顕公により築かれ、初代城主は五泉数馬

天正十一(一五八三)年 上杉景勝の家臣 甘粕備後守景継は、護摩堂山城(田上町)より禄高二万石を与えられ、雑兵九十六人と共に五泉城に移る。

 甘粕は上田坂戸城主 長尾政景家臣、登坂家の出身 景勝が上杉家の養子に迎えられた時も、春日山城へ一緒に入っている。謙信公死後の「御館の乱」で、直江兼続と共に景勝のため奮闘した。

文禄二(一五九三)年 五泉城から庄内酒田城へ移り、上杉家会津米沢移封に同行し 慶長十六(一六一一)年米沢で没し、墓は米沢市林泉寺にある。

 五泉はその後、天領となり、五泉城は八幡宮社地として整地し、慶安二(一六四九)年 社殿を調えて宮腰より遷宮鎮座し 今に至る。

 城跡石碑は社務所玄関先に在ります。

現地案内より

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【この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)】

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています

・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

五泉八幡宮(五泉市宮町)は 二つの式内社の論社となっています

①越後國蒲原郡 宇都良波志神社〈五泉八幡宮 本殿に合祀の白山社〉
②越後國蒲原郡 小布勢神社〈五泉八幡宮 本殿〉

①越後國蒲原郡 宇都良波志神社〈五泉八幡宮 本殿に合祀の白山社〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越後國 56座(大1座・小55座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)蒲原郡 13座(大1座・小12座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 宇都良波志神社
[ふ り が な ](うつらはしの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Utsurahashi no kaminoyashiro)

【原文参照】

[件名・細目]「延喜式 巻10」(特026-0001-0005)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/item/4028148

②越後國蒲原郡 小布勢神社〈五泉八幡宮 本殿〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越後國 56座(大1座・小55座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)蒲原郡 13座(大1座・小12座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 小布勢神社
[ふ り が な ](をふせの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Wofuse no kaminoyashiro)

【原文参照】

[件名・細目]「延喜式 巻10」(特026-0001-0005)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/item/4028148

【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

五泉八幡宮(五泉市宮町)は 二つの式内社の論社となっています

①越後國蒲原郡 宇都良波志神社〈五泉八幡宮 本殿に合祀の白山社〉
②越後國蒲原郡 小布勢神社〈五泉八幡宮 本殿〉

①越後國蒲原郡 宇都良波志神社〈五泉八幡宮 本殿に合祀の白山社〉

北陸道 越後國蒲原郡 宇都良波志神社(うつらはしの かみのやしろ)の論社

・鶉橋之史蹟(五泉市橋田丙)〈中山神社の境内 天神宮の旧鎮座地〉 ・天神宮(五泉市橋田戊)〈中山神社の境内 天神宮〉

『式内社調査報告』第17巻〔A〕天神社の項によれば、天神社はもと中蒲原郡橋田村字鶉橋にあり(『神社明細帳』)、神社のそばには「鶉橋」という橋もあったといいます。明治35年(1902年)の校地拡張にともなって中山神社境内に移され、昭和19年(1944年)に中山神社へ合祀されました。移転前(明治16年『神社明細帳』)の記録では、祭神は少名彦名命・穂日命、創立年月は不詳、社殿は本殿・拝殿とも小規模なもので、境内坪数は342坪、信徒7人であったといいます。『中山神社沿革簿』はこれを補い、社殿は西向き、例祭日は2月15日、末社に舞篆社(天照皇大神・保倉神・倉稲魂命)があったと伝えます。

「鶉橋」という小字名が今も残ることから、天神社を宇都良波志神社にあて、宝亀11年(780年)の「西大寺資財流記帳」に見える蒲原郡「鶉橋庄」も橋田付近にあったのではないかとする説が有力とされます。ただし宝亀11年(780年)と延喜式が成立した延長5年(927年)の間にはかなりの年代差があり、鶉橋庄と宇都良波志神社の関係は具体的なところまでは判然としない、というのが実情のようです。なお、中山神社自体は宇都良波志神社を名乗っていませんが、「橋田村とは鶉橋田の略名であり、惣鎮守の日枝社の宇都良波志神社に座すべき」とする説(『神社考証』)もあるとして、同書はあわせて紹介しています。

【原文参照】 式内社研究会 編『式内社調査報告』第17巻,皇学館大学出版部,昭和59年(1984年).(〔A〕天神社の項)

・鶉橋之史蹟(五泉市橋田丙)〈中山神社の境内 天神宮の旧鎮座地〉
・天神宮(五泉市橋田戊)〈中山神社の境内 天神宮〉

・中山神社(五泉市橋田戊)

中山神社(五泉市橋田戊)は式内社・宇都良波志神社の論社として二説あります〈中山神社本社に合祀する説、または境内社・天神社とする説〉

・五泉八幡宮(五泉市宮町)〈合祀 白山社〉

一緒に読む
五泉八幡宮(五泉市宮町)〈延喜式内社 宇都良波志神社・小布勢神社 論社〉

五泉八幡宮(ごせんはちまんぐう)は 創建は元慶3年(879)と伝えられ かつて五泉城があった地に鎮座 本殿には四十柱を超える神々が合祀される五泉城跡総鎮守です 越後國蒲原郡の二つの式内社の論社〔・本殿合祀の白山社は 宇都良波志神社(うつらはしの かみのやしろ)・本殿は 小布勢神社(をふせの かみのやしろ)〕とされます

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・慈光寺(五泉市蛭野)
〈白山頂上への登山道の3合目 白山明神祠〉

『式内社調査報告』第17巻は、村松町瀧谷の白山権現を宇都良波志神社の候補とする『越後國式内神社案内』の説もあわせて紹介しています。同書によれば、古くは深山幽谷にあった社地を、楠正成の三男・楠庄五郎と伝える人物が一宇を造立し、山上に遷し祀ったといいます。ただし元禄2年(1689年)の『寺社・山伏・堂宮・神木開基年数改帳』には「白山権現 瀧谷 慈光寺守ル、応永8年(1401年)より元禄2年まで二百八十九年」とあるのみで、必ずしも古代にまで遡る確証はなく、山頂にあったという社も現存しません。同書は、越後の禅門四ヶ道場の一つである明白山慈光寺が白山妙理大権現を守護神としており、白山堂は山から移されたものと伝えることを紹介したうえで、応永年間(1394〜1428年)以前に遡るかどうかは分からないとしつつも、それ以後は慈光寺と密接に結びついてきたと考えてよいだろう、と結んでいます。

②越後國蒲原郡 小布勢神社〈五泉八幡宮 本殿〉

・五泉八幡宮(新潟県五泉市宮町5366) 小布勢神社と同じく、越後国蒲原郡の式内・小布勢神社の論社として名前が挙がる神社です。なお、『式内社調査報告』第17巻(皇学館大学出版部、昭和59年)は、この五泉市の八幡宮を論社とする見解について「大方の採用する所とはなっていない」と評しており、必ずしも有力な説ではないようです(内部リンクは下記「全国に広がる『布勢・布制』を名に持つ式内社ネットワーク」を参照ください)。

全国に広がる「布勢・布制」を名に持つ式内社ネットワーク

『延喜式神名帳』には「布勢」「布制」を社名に含む式内社が全国に点在しています。布勢立石神社は、その中でも近江国伊香郡に単独で立つ式内社(論社なし)ですが、社名の共通性から見ると、次のような式内社群と同じ「類社」の輪に連なっています。

東山道 信濃國 更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布制神社(長野市篠ノ井石川) URL: https://shrineheritager.com/fuse-shrine-2/ 

一緒に読む
布制神社(長野市篠ノ井石川)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせじんじゃ)は 創立年代不祥ですが ロ碑に「奈良朝以前から鎮座していたと云ふ」「古昔 布勢朝臣某 下向ありて士賊を教化し 地を拓きて此處に館せしより布制郷と云ふ」とあり 布勢氏は第8代 孝元天皇の皇子 大彦命を祖とする氏族であり 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社となっています

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・布制神社(長野市篠ノ井布施五明) URL: https://shrineheritager.com/fuse-shrine-3/ 

一緒に読む
布制神社(長野市篠ノ井布施五明)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせじんじゃ)は 社伝に「第八代 孝元天皇の皇子 大彦命の本貫を瀬原田の長者窪に移し 北陸を巡按し 東夷を鎭撫させたが 終に長者窪に於て薨ぜられ 布施氏の御祖 大彦命の神靈を鎭齋し奉った」とあり 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社とされます

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・臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明 布施神社旧鎮座地〉 URL: https://shrineheritager.com/usume-shrine/ 

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臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明の布施神社 旧鎮座地〉

臼女神社(うすめじんじゃ)は 古老の言い伝えによると「神社の前身は六百数十年続いた鎌倉時代の豪族 布施八郎と後に天照大神とを奉斎した布施神社」で 明治41年(1908)国の合併令により 五明の布制神社に御神体などを引き渡したと云う 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社の旧鎮座地です

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・布制神社(長野市篠ノ井山布施) URL: https://shrineheritager.com/fusei-shrine/ 

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布制神社(長野市篠ノ井山布施)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせいじんじゃ)は 口碑に「寶龜八年(七七七)伊勢神宮より天照大神の御分靈を迎へ(當地を開拓した「布施氏」公の租神 大彦命)を祀り 寶祚長久・國家隆昌・生業家内安全を祈願し 両柱の神を産土の大神として奉祀したのが當社の起源」と云う 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社となっています

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北陸道 越中国 射水郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(氷見市布施)《主》大彦命 URL: https://shrineheritager.com/fuse-shrine-4/ 

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布勢神社(氷見市布施)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢神社(ふせじんじゃ)は 布勢の円山と云う小山に鎮座します 今から約1300年前は 周囲の田園一帯は「布勢水海(ふせのみずうみ)」と呼ばれる大きな水海で湖に浮かぶ小山でした その頂きに「水影明神の祠」が祀られ手織りこの祠は 延喜式内社 越中國射水郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます

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北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

一説に、布施川と片貝川の川中島に鎮座していたが、宝永5年(1708年)6月の洪水で流失し、芦峅寺がこの神社を引きとったと云われ、芦峅寺の雄山神社の境内社・若宮神社に合祀されたと伝わります。

・布勢神社(魚津市布施爪)《主》五十猛命・五十日足彦命 URL: https://shrineheritager.com/fuse-shrine/ 

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布勢神社(魚津市布施爪)〈『延喜式』〉布勢神社

布勢神社(ふせじんじゃ)は 社伝に 創立は第26代 継体天皇(507~531)の時とあります 鎮座地の布施川流域は 阿古屋野古墳群などの遺跡が多数あり 古代 北陸道の布勢驛があった 新川東部では最も早く拓けた地域とされます 延喜式内社 北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます

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・布勢神社の論社〈雄山神社中宮 若宮に合祀〉 URL: https://shrineheritager.com/oyama-shrine-chugu-kiganden/ 

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雄山神社 中宮祈願殿(立山町芦峅寺)〈『延喜式』雄山神社〉

雄山神社 中宮祈願殿(おやまじんじゃ ちゅうぐうきがんでん)は 社伝に「文武天皇 大宝元年(701)景行天皇の後裔 越中国司 佐伯宿禰有若公の嫡男 有頼少年が白鷹に導かれ熊を追い岩窟に至り 雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山」と伝わり 現在・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成る宗教法人です

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山陰道 出雲国 出雲郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・奥宇賀布勢鎮座 籠守明神〈奥宇賀神社に合祀〉《主》伏雷神・武内宿禰命・息長足姫命・大己貴神 URL: https://shrineheritager.com/okuuga-shrine/ 

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奥宇賀神社(出雲市奥宇賀町)〈『出雲國風土記』・彌努婆社・布世社・布西社〉

奥宇賀神社(おくうがじんじゃ)は 明治十五年(1882)に・奥宇賀 和田に鎮座「美奴麻神社」・奥宇賀 布勢に鎮座「布勢神社」・奥宇賀 池田に鎮座「伊勢神社」の三社を合祀して「奥宇賀神社」と称したものです 『出雲國風土記』の「彌努婆社」「布世社」「布西社」に該当します

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山陽道 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(赤磐市仁堀西)《主》大穴牟遅神 URL: https://shrineheritager.com/fuse-shrine-5/ 

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布勢神社(赤磐市仁堀西)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢神社(ふせじんじゃ)は 古伝に 往古 中勢實村龍天山に鎭座 垂仁天皇の御字 瀬戸内海で渡船の転覆の難が続き 占うと「吉備の国布勢大明神の神威なり 社殿を七谷七畝の山麓に遷し 北面に勧請ありたし」と奏上があり 現在の山麓の地に勧請し 社殿を北向きに造営 延喜式内社 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)です

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・布勢巨神社(赤磐市中勢実)《主》事代主命 URL: https://shrineheritager.com/fuseko-shrine/ 

一緒に読む
布勢巨神社(赤磐市中勢実)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢巨神社(ふせこじんじゃ)は 龍天山の山頂の眺望絶佳の地に鎮座します 古昔 式内社布勢神社は此の山に御鎮座せられていたが 後世仁堀西に遷され 現在は布勢巨神社のみとなっています 延喜式内社 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社です

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南海道 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(さぬき市寒川町) URL: https://shrineheritager.com/fuse-shrine-6/ 

一緒に読む
布勢神社(さぬき市寒川町石田西)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢神社(ふせじんじゃ)は 天平年間(729~749年)行基が菩薩藥師堂〔極樂寺〕を石田に建て 當社を鎭守神とした旨が記されるので天平以前の創祀と云う 祭神は大彦命〔第八代 孝元天皇の皇子〕を祀る 一説には 伏雷(ふせいかずち)則ち雷神なりとも云う 延喜式内社 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)です

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・造田神社(さぬき市造田是弘) URL: https://shrineheritager.com/zota-shrine/ 

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造田神社(さぬき市造田是弘)〈『延喜式』布勢神社〉

造田神社(ぞうたじんじゃ)は 口伝に「往昔 少童命を奉斎して造田明神と奉稱し 新年祈雨の祭事を行う 仁和二年(886)京師より石清水八幡宮の御分霊を勧請 相殿に奉祀 天暦元年(947)極樂寺の僧 観清導師となり 現今の地に遷座」と云う 延喜式内社 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社となっています

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式内社「布勢・布制神社(ふせの かみのやしろ)」の類社として

東山道 近江國伊香郡 布勢立石神社(ふせのたていしの かみのやしろ)

・布勢立石神社(長浜市木之本町赤尾) URL: https://shrineheritager.com/fuse-tateishi-shrine/ 

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「布勢」一族の謎──近江の式内社・布勢立石神社(長浜市木之本町赤尾)

北国街道の宿場町・木之本から山あいへ分け入った赤尾の集落に 地元で「山王さん」と呼ばれる 布勢立石神社(ふせたていしじんじゃ)は 鎮座しています 祭神は記紀に名を残す古代皇族・意富々杼王と 比叡山の神・大山咋神 二柱がなぜこの伊香の里に並び祀られているのか 由緒をたどっていきたいと思います

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北陸道 越後國蒲原郡 小布勢神社(をふせの かみのやしろ)

・小布勢神社(三条市上保内丙) URL: https://shrineheritager.com/obuse-shrine/ 

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小布勢神社(三条市上保内丙)-源義家と榎の神体・大彦命の由緒

小布勢神社(おぶせじんじゃ)は 新潟県三条市上保内丙に鎮座します 延喜式神名帳 越後国蒲原郡 小布勢神社(をふせの かみのやしろ)論社の一つとされ 大彦命を御祭神とお祀りしています 今は「布勢谷」という谷の名にわずかにその名残をとどめるのみとなった「布勢」の地名を手がかりに この社の由緒をたどってみたいと思います

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・五泉八幡宮(五泉市宮町) URL: https://shrineheritager.com/gosen-hachimagu/ 

一緒に読む
五泉八幡宮(五泉市宮町)〈延喜式内社 宇都良波志神社・小布勢神社 論社〉

五泉八幡宮(ごせんはちまんぐう)は 創建は元慶3年(879)と伝えられ かつて五泉城があった地に鎮座 本殿には四十柱を超える神々が合祀される五泉城跡総鎮守です 越後國蒲原郡の二つの式内社の論社〔・本殿合祀の白山社は 宇都良波志神社(うつらはしの かみのやしろ)・本殿は 小布勢神社(をふせの かみのやしろ)〕とされます

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR五泉駅から北へ約1.2km 車での所要時間4分程度

五泉八幡宮(五泉市宮町)に参着

「八幡宮」の扁額を掲げた朱塗りの大きな両部鳥居が 社頭にどっしりと構えています こちらは南からの入口です

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一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けて 境内へ進みます

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境内に進むと 社殿は東向きに建てられています

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拝殿にすすみます

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拝殿の前には 奉献の酒樽「菅名岳」〈新潟県五泉市にある近藤酒造が醸造する銘柄〉とあります

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拝殿に掲げられた「額の彫刻」は見事です

「獅子の彫刻」

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「鳳凰(ほうおう)を表した木彫」で 鳳凰が桐(きり)と思われる植物と組み合わされています
鳳凰と桐の組み合わせは「鳳凰は梧桐(ごとう・アオギリ)に棲む」という中国由来の伝承を背景とする吉祥意匠で 「桐鳳凰文(きりほうおうもん)」か

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又 「仰神威(神威を仰ぐ)」の額

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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南側から社殿〔拝殿・幣殿・本殿〕を見ると

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北側から拝殿を見ると

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本殿は透塀で囲まれていますが 裏側〈西側〉にも「門」が設けられています

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本殿の後方〈西側〉には〈境内社〉天満宮《主》菅原道真朝臣

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

南側には 行きに入って来た朱色の大きな両部鳥居があります

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東側 こちらが表参道であろうと思われます 石畳の境内参道を戻ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

五泉八幡宮(五泉市宮町)は 二つの式内社の論社となっています

①越後國蒲原郡 宇都良波志神社〈五泉八幡宮 本殿に合祀の白山社〉
②越後國蒲原郡 小布勢神社〈五泉八幡宮 本殿〉

『神社覈録』下編〈鈴鹿連胤撰、皇典研究所、明治35年(1902年)刊〉に記される考証

①越後國蒲原郡 宇都良波志神社〈五泉八幡宮 本殿に合祀の白山社〉

『神社覈録』は、宇都良波志神社について「瀧谷村に在り、今は白山権現と称する」とする一説を紹介しています。この「瀧谷村」は五泉八幡宮のある宮町ではなく、前述の【オタッキーポイント】でご紹介した村松町瀧谷(現・慈光寺周辺)の白山権現を指すと見られ、『式内社調査報告』が候補の一つとして挙げる「瀧谷の白山権現」説(〔C〕白山権現の項)に対応するものです。つまり同じ「白山権現・白山社」でも、『式内社調査報告』は八幡宮本殿合祀の白山社(〔B〕)と瀧谷の白山権現(〔C〕)の両方を宇都良波志神社の候補として挙げており、『神社覈録』はそのうち瀧谷側の説を採っていることになります。このように、宇都良波志神社の鎮座地については、橋田村(前掲『神祇志料』)・瀧谷村(本項『神社覈録』)・五泉八幡宮の白山社(『式内社調査報告』〔B〕)と、史料によって異なる候補地が伝えられており、確定した史実としてではなく、複数の見解が併存しているものとして理解する必要があります。

【抜粋原文】

「宇都良波志神社 宇都良波志は假字也○祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊〈風土記節解〉○瀧谷村に在す、今白山權現と稱す、〈案内〉 〔○節解云、在ニ 勇體郷、〕」

【現代語訳(大意)】

宇都良波志神社。「宇都良波志」は仮の文字(当て字)である。祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊とする(『風土記』の節解による)。瀧谷村にあり、今は白山権現と称している、という一説がある。〔『風土記』節解によれば、(宇都良波志神社は)勇体郷にあるという。〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

②越後國蒲原郡 小布勢神社〈五泉八幡宮 本殿〉

『神社覈録』は、小布勢神社が「布勢村」に鎮座し「今は八幡宮と称する」と、現在の社名まで踏み込んで言及している点が特徴的です。ここでいう「八幡宮」は、小布勢神社(三条市上保内丙)自身の旧称を指すものであり、当記事の五泉八幡宮(五泉市宮町)とは別の社です。「八幡宮」は全国に数多く見られる社名であるため、両者を混同しないようご留意ください。後述する『神祇志料』は、「保内村布勢谷」という地名の痕跡を根拠に鎮座地を語っています。「布勢村」はのちに保内村に組み込まれ、その中の「布勢谷」という字(あざ)として名残をとどめたと考えられ(後掲の『特選神名牒』も参照)、両史料は同一の地点を指しているものと見られます。

【抜粋原文】

 「小布勢神社  小布勢は假字也、和名鈔郷名小伏、  ○祭神大彦命〈風土記節解〉  ○布勢村に在す、今八幡宮と称す、〈案内〉」

【現代語訳(大意)】

小布勢神社。「小布勢」は仮の文字(当て字)である。『和名類聚抄』に見える郷名では「小伏(おぶせ)」とする。祭神は、『風土記』によれば大彦命である。(この神社は)布勢村にあり、今は八幡宮と称している。

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料』第15-17巻〈栗田寛編、温故堂、明治9〜20年(1876〜1887年)刊〉に記される考証

①越後國蒲原郡 宇都良波志神社〈五泉八幡宮 本殿に合祀の白山社〉

『神祇志料』は、宇都良波志神社を橋田村(現・五泉市橋田)にあるものとし、その根拠として、社地に「鶉橋(うずらばし)」という橋があり、付近の字(あざ)も「鶉橋」と呼ばれ、日吉社と称されていることを挙げています。この「日吉社」は、下記【オタッキーポイント】でご紹介している中山神社(五泉市橋田戊)の旧称にあたります。「宇都良波志」と「鶉橋」の音の通じるところから、この地を式内社の旧地と見る考証です。これは、白山社(八幡宮本殿合祀)を宇都良波志神社の論社とする『式内社調査報告』『神社覈録』の見方とは異なる、もう一つの比定地であり、確定した史実としてではなく、編者ごとに異なる見解の一つとして理解する必要があります。なお、この橋田の伝承地は、下記【オタッキーポイント】でご紹介している「鶉橋之史蹟」「天神宮」「中山神社」(いずれも五泉市橋田)そのものにあたります。

【抜粋原文】

 「宇都良波志神社、今橋田村にあり、又其邊の字を鶉橋と云あり、日吉社と云、按、社地に鶉橋と云橋あり、盖し是なり、凡五月五日八月十五日祭を行ふ、『式社考証』」

【現代語訳(大意)】

 宇都良波志神社は、今の橋田村にある。また、その付近の字(あざ)を「鶉橋」と言い、日吉社と称している。考えるに、社地に「鶉橋」という橋があり、(社名はこれに由来するのであろう)、これのことであろう。おおむね5月5日と8月15日に祭りを行う。(『式社考証』の項による)

【原文参照】下部参照

②越後國蒲原郡 小布勢神社〈五泉八幡宮 本殿〉

『神祇志料』の時点ですでに「布勢谷は小伏郷の遺れるなり」と、「布勢」と「小伏」を結びつける見方が示されている点は注目されます。この「小伏」表記との対応は、後年の『神社覈録』(「小布勢は假字也、和名鈔郷名小伏」)にも引き継がれており、両者は明治期を通じて共有されていた理解であったことがうかがえます。

『神祇志料』の記述は、あくまで明治期の一編纂者による考証であり、「保内村布勢谷=式内小布勢神社の旧地」とする比定を、確定した史実としてではなく、数ある見解の中で採用されている一つの説として理解する必要があります。

【抜粋原文】

「小布勢神社、今保内村布勢谷にあり、谷は布勢郷の遺名なりと云ふ、布勢〇接保内もと布勢村と云ふ、布勢谷は小伏郷の遺れるなりとぞ、凡 三月八月十五日祭を行ふ、『式社考証』 」

【現代語訳(大意)】

小布勢神社は、今の保内村(現在の三条市上保内)にある「布勢谷」に鎮座している。この「谷」という地名は、古代の「布勢郷」の名残であるという。また一説には、保内はもともと「布勢村」と呼ばれており、「布勢谷」は「小伏郷」の名残であるともいう。祭りはおおむね三月と八月十五日に行われる。(『式社考証』の項による)

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

①越後國蒲原郡 宇都良波志神社〈五泉八幡宮 本殿に合祀の白山社〉

『特選神名牒』が候補地として挙げているのは、前に見た『神祇志料』や『式内社調査報告』〔A〕天神社の項と同じ、橋田村です。ただし、同じ橋田村の中でも、どの神社を宇都良波志神社にあてるかという点で見解が異なります。

橋田村には、鶉橋のそばにある天神社(下記【オタッキーポイント】の「鶉橋之史蹟」「天神宮」にあたります)と、村全体の氏神である日枝社(日吉社)の、いわば本社・末社の関係にある二つの社があります。『神祇志料』や『式内社調査報告』〔A〕は、このうち末社の天神社(別名・鶉橋神社)を宇都良波志神社にあてていました。これに対して『特選神名牒』は、末社の天神社ではなく、本社にあたる日枝社〈中山神社(五泉市橋田戊)〉の方こそが宇都良波志神社にふさわしい、と主張しています。

その理由として、まず同書は「祭神を大己貴命・大山咋神とする社伝」自体に疑問を投げかけます。大山咋神は「日吉神」という呼び名から出た神であり、社名の「宇都良波志神」とは結びつきにくい、というのです。そのうえで、天神社を「鶉橋神社」と見る説があることも認めつつ、橋田村という村名自体が「鶉橋田(うずらはしだ)」の略称であることを根拠に、「(鶉橋にちなむ社なら、末社の天神社ではなく)村の惣鎮守である日枝社〈中山神社(五泉市橋田戊)〉こそが宇都良波志神社にあたるはずだ」とする古い「注進状」の説を採用する、と結論づけています。

このように、宇都良波志神社の鎮座地については、橋田村(天神社・日枝社。『神祇志料』『式内社調査報告』〔A〕は天神社を、本項『特選神名牒』はその本社である日枝社〈中山神社(五泉市橋田戊)〉を、それぞれ有力視)、瀧谷村の白山権現(『神社覈録』『式内社調査報告』〔C〕)、五泉八幡宮合祀の白山社(『式内社調査報告』〔B〕)と、大きく三つの候補地・見解が史料上並び立っています。いずれも確定した史実としてではなく、編者・時代の異なる複数の見解の一つとして理解する必要があります。

【抜粋原文】

「宇都良波志神社 祭神 日吉大神

祭神 今按社傳祭神大巳貴命大山咋神とあれど 大山咋神は日吉神と云より云出たるにて 宇都良波志神の御名にはあるべからず

祭日 五月五日八月十五日
社格 村社(明細帳になし)
所在 橋田村(中蒲原郡橋田村大字橋田)

今按 橋田村日吉社其地景を察するに式内の古社とおぼゆ 末社天神社の側に鶉橋と云橋あり 其邊の田地の字を鶉橋と云事 御圖帳に確に記せり 依て其天神社を鶉橋神社と云へども橋田村は鶉橋田の異稱にて 日枝社ぞ宇都良波志神社なるべしと注進状に云る實にあたれり故今之に從ふ」

【現代語訳(大意)】

 宇都良波志神社。祭神は日吉大神。

祭神について。今考えるに、社伝の祭神は大己貴命・大山咋神とあるが、大山咋神は「日吉神」という呼び名から出た神であって、(社名の)「宇都良波志神」の御名にはふさわしくないはずである。

祭日は5月5日、8月15日。
社格は村社(『神社明細帳』には記載なし)。
所在は橋田村(中蒲原郡橋田村大字橋田)。

今考えるに、橋田村の日吉社は、その土地の様子から見て式内の古社と思われる。末社の天神社のそばに「鶉橋」という橋があり、その付近の田地の字(あざ)を「鶉橋」ということが『御図帳』に確かに記されている。これによってその天神社を「鶉橋神社」とする説もあるが、橋田村そのものが「鶉橋田」の異称であることから、(天神社ではなく)日枝社こそが宇都良波志神社にあたるはずだと注進状にあるのは、まさに実情にかなっている。そこで今はこの説に従う。

【原文参照】下部参照 

②越後國蒲原郡 小布勢神社〈五泉八幡宮 本殿〉

この『特選神名牒』の記述は、『神社覈録』とは対照的に、上保内(保内村)こそが古い「布勢村」の後身であるとする地元の伝承を紹介しており、現在の小布勢神社そのものを式内社の直接の後裔と見る立場に近いものです。加えて、社殿がもと「膳殿」という山中にあり、後に遷座したという伝承、そして長泉寺がかつて当社の別当(神仏習合期に神社を管理した寺院)であったとする伝承も含まれ、単なる論社比定にとどまらない貴重な情報を伝えています。式内社「小布勢神社」の比定については、確定した史実としてではなく、こうした複数の史料・編者による見解が並立しているものとして理解する必要があります。

【抜粋原文】

 「小布勢神社
 祭神 大彦命
 祭日 三月八月十五日
 社格 村社

 所在 上保内村(南蒲原郡今大崎村大字上保内)

  今按土人の説に、保内村はもと布勢村と云ひしを、二百年以来 村内の稱に覆はれて布勢は支村の如くなれり、小布勢神社 膳殿と云ふ山中にありしを、後今の地に遷座ありし也、又 神社に並びたる神官宅地につゞきて小布施山石塚長泉寺あり 是本社の別當なりしと云ふもの證とすべし」

【現代語訳(大意)】

小布勢神社。

祭神は大彦命。祭日は三月と八月十五日。社格は村社。所在地は上保内村(南蒲原郡、当時の大崎村大字上保内)。

編者の考証によれば、地元の人々の言い伝え(「土人の説」)として、保内村はもともと「布勢村」と呼ばれていたが、二百年ほど前から村内での呼び名に覆われて、布勢は(保内の中の)支村のようになったのだという。小布勢神社は、もともと「膳殿」という山中にあったのを、のちに現在の地へ遷座したとも伝える。また、神社に並んで建つ神官の宅地に続けて、小布施山石塚長泉寺という寺院がある。これは、この寺がかつて本社(小布勢神社)の別当であったことを裏付けるものとすべきである。

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

五泉八幡宮(五泉市宮町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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