実践和學 Cultural Japan heritage

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布勢神社(さぬき市寒川町石田西)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢神社(ふせじんじゃ)は 天平年間(729~749年)行基が菩薩藥師堂〔極樂寺〕を石田に建て 當社を鎭守神とした旨が記されるので天平以前の創祀と云う 祭神は大彦命〔第八代 孝元天皇の皇子〕を祀る 一説には 伏雷(ふせいかずち)則ち雷神なりとも云う 延喜式内社 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

布勢神社(Fuse shrine

【通称名(Common name)】

【鎮座地 (Location) 】

香川県さぬき市寒川町石田西3642

〈旧住所〉香川県大川郡寒川町石田西乙3642

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大彦命(おほひこのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

布勢神社 改修事業竣功記念碑

 布勢神社は天平元年(七二九年)以前に創建され神社であり、祭神は大彦命(第 孝元天皇の皇子、四道将軍のお一人)であります。また、延喜式内 讃岐二十四社の一社でもあり、古来 石田西村の鎮守として崇拝され、格式高い由緒ある神社であります。千数百年の歴史の内、貞享年(一六八六年)作の銘のある「面」が当社に現に保存されており、現有の御神輿は明和年(一七六七年)月作のものであります。
社殿の修理については、宝永年(一七〇八年) 拝殿建更の棟札、文化年(一八〇八年) 社殿修復の棟札があったと寒川町史には記述されています。その後も幾度かの修復工事を行い現在に至りましたが、この度、老朽化に伴う、神・拝殿の改修御神輿庫の新築、御神輿の修理などを余儀無く実施する事になりました。布施自治会一戸当たり十五万円のご負担をお願い致し、不足財源については、自治会内外の多くの方々に御協賛をお願い申し上げ、多額の御賛同を頂きました。
事業は平成十四十五両年度にわたり実施し、その総てが竣功致しました。
 平成十五月吉日

現地石碑文より

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【由 緒 (History)】

由緒

 当社は延喜式神名帳に「讃岐国寒川郡小布勢神社」とあり、延喜式内当国24社の1なり創建年代詳ならずと雖も 極楽寺記に天平年間行基菩薩薬師堂を石田に建て、極楽寺と云い当社をもってその鎮守神と為せし旨記されたれば 天平以前の創始なるべし、祭神 大彦命を祀る。大彦命は孝元天皇の皇子に坐して四道将軍の御一人に座す、新撰姓氏録に「阿部朝臣 布勢朝臣 同祖 孝元天皇皇子 大彦命の後也」とありて 延喜式内神社に、越中国射水郡布勢神社、備前国赤坂郡布勢神社ありて共に大彦命を祀れり。一説によれば伏雷(ふせいかずち)、則ち雷神なりとも云う。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

『香川県神社誌』上巻〈昭和13年〉に記される内容

【抜粋意訳】

布勢神社

 石田村大字石田西字道味(布勢)

祭神 大彦命

由緒

 石田村 郷社 石田神社 境外末社。 延喜神名式に『讃岐國寒川郡 小布勢神社』とあり。延喜式內當國二十四社の一なり。
創建年代詳ならずと雖も、極楽寺記に、天平年間 行基 菩薩藥師堂を石田に建てて 極樂寺と云ひ、當社を以てその鎭守神と為せし旨 記されたれば 天平以前の創祀なるべし。

祭神 大彦命は 孝元天皇の皇子にして 四道將軍の一人に座す。新撰姓氏録に『阿都朝臣 布勢朝臣 同租 孝元天皇皇子 大彦命之後也』とありて、延喜式内神社に越中國射水郡 布勢神社、備前國赤坂郡 布勢神社ありて 共に大彦命を祀れり。
全讃史に「極楽寺以ニ 布勢神爲ニ 鎮守 蓋 布勢 亦 地名是亦 其地所ニ 社祭 就以爲 鎭也』と載す。

天正十年 長曾我部氏の兵乱に石田左兵衛矩弘 當社を守護して兵難を免れしこと載せて三代物語にあり。(三代物語 生駒記 全讃史 名勝圖會 官社考證 特選神名牒)

祭 日 陰曆九月九日
主なる建造物 本殿 幣殿 拜殿 神輿庫
寶 物 棟札〔寶永五年〕
境内坪数 五百二十九坪
崇敬者人員 百二十人

【原文参照】

香川県神職会 編『香川県神社誌』上巻,香川県神職会,昭13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1227836

【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

布勢神社 本殿

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布勢神社 拝殿

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・注連柱

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・鳥居

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・社頭

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・参道

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)讃岐國 24座(大3座・小21座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)寒川郡 5座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 布勢神社
[ふ り が な ](ふせの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Fuse no kaminoyashiro

【原文参照】

[件名・細目]「延喜式 巻10」(特026-0001-0005)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/item/4028148

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載される「布勢・布制神社(ふせの かみのやしろ)」の論社について

東山道 信濃國 更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布制神社(長野市篠ノ井石川)

一緒に読む
布制神社(長野市篠ノ井石川)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせじんじゃ)は 創立年代不祥ですが ロ碑に「奈良朝以前から鎮座していたと云ふ」「古昔 布勢朝臣某 下向ありて士賊を教化し 地を拓きて此處に館せしより布制郷と云ふ」とあり 布勢氏は第8代 孝元天皇の皇子 大彦命を祖とする氏族であり 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社となっています

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・布制神社(長野市篠ノ井布施五明)

一緒に読む
布制神社(長野市篠ノ井布施五明)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせじんじゃ)は 社伝に「第八代 孝元天皇の皇子 大彦命の本貫を瀬原田の長者窪に移し 北陸を巡按し 東夷を鎭撫させたが 終に長者窪に於て薨ぜられ 布施氏の御祖 大彦命の神靈を鎭齋し奉った」とあり 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社とされます

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・臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明 布施神社旧鎮座地〉

一緒に読む
臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明の布施神社 旧鎮座地〉

臼女神社(うすめじんじゃ)は 古老の言い伝えによると「神社の前身は六百数十年続いた鎌倉時代の豪族 布施八郎と後に天照大神とを奉斎した布施神社」で 明治41年(1908)国の合併令により 五明の布制神社に御神体などを引き渡したと云う 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社の旧鎮座地です

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・布制神社(長野市篠ノ井山布施)

一緒に読む
布制神社(長野市篠ノ井山布施)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせいじんじゃ)は 口碑に「寶龜八年(七七七)伊勢神宮より天照大神の御分靈を迎へ(當地を開拓した「布施氏」公の租神 大彦命)を祀り 寶祚長久・國家隆昌・生業家内安全を祈願し 両柱の神を産土の大神として奉祀したのが當社の起源」と云う 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社となっています

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北陸道 越中国 射水郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(氷見市布施)《主》大彦命

一緒に読む
布勢神社(氷見市布施)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢神社(ふせじんじゃ)は 布勢の円山と云う小山に鎮座します 今から約1300年前は 周囲の田園一帯は「布勢水海(ふせのみずうみ)」と呼ばれる大きな水海で湖に浮かぶ小山でした その頂きに「水影明神の祠」が祀られ手織りこの祠は 延喜式内社 越中國射水郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます

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北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

一説に
布施川と片貝川の川中島に鎮座していたが 宝永5年(1708)6月の洪水で流失し 芦弁寺がこの神社を引きとったと云われ 芦弁寺の雄山神社の境内社若宮神社に合祀と伝わります

・布勢神社(魚津市布施爪)《主》五十猛命 五十日足彦命

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布勢神社(魚津市布施爪)〈『延喜式』〉布勢神社

布勢神社(ふせじんじゃ)は 社伝に 創立は第26代 継体天皇(507~531)の時とあります 鎮座地の布施川流域は 阿古屋野古墳群などの遺跡が多数あり 古代 北陸道の布勢驛があった 新川東部では最も早く拓けた地域とされます 延喜式内社 北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます

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・布勢神社 の論社
〈雄山神社 中宮 若宮に合祀〉

一緒に読む
雄山神社 中宮祈願殿(立山町芦峅寺)〈『延喜式』雄山神社〉

雄山神社 中宮祈願殿(おやまじんじゃ ちゅうぐうきがんでん)は 社伝に「文武天皇 大宝元年(701)景行天皇の後裔 越中国司 佐伯宿禰有若公の嫡男 有頼少年が白鷹に導かれ熊を追い岩窟に至り 雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山」と伝わり 現在・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成る宗教法人です

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山陰道 出雲国 出雲郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

〈奥宇賀神社に合祀〉奥宇賀布勢鎮座 籠守明神《主》伏雷神 武内宿禰命 息長足姫命 大己貴神

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奥宇賀神社(出雲市奥宇賀町)〈『出雲國風土記』・彌努婆社・布世社・布西社〉

奥宇賀神社(おくうがじんじゃ)は 明治十五年(1882)に・奥宇賀 和田に鎮座「美奴麻神社」・奥宇賀 布勢に鎮座「布勢神社」・奥宇賀 池田に鎮座「伊勢神社」の三社を合祀して「奥宇賀神社」と称したものです 『出雲國風土記』の「彌努婆社」「布世社」「布西社」に該当します

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山陽道 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(赤磐市仁堀西)《主》大穴牟遅神

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布勢神社(赤磐市仁堀西)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢神社(ふせじんじゃ)は 古伝に 往古 中勢實村龍天山に鎭座 垂仁天皇の御字 瀬戸内海で渡船の転覆の難が続き 占うと「吉備の国布勢大明神の神威なり 社殿を七谷七畝の山麓に遷し 北面に勧請ありたし」と奏上があり 現在の山麓の地に勧請し 社殿を北向きに造営 延喜式内社 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)です

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・布勢巨神社(赤磐市中勢実)《主》事代主命

一緒に読む
布勢巨神社(赤磐市中勢実)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢巨神社(ふせこじんじゃ)は 龍天山の山頂の眺望絶佳の地に鎮座します 古昔 式内社布勢神社は此の山に御鎮座せられていたが 後世仁堀西に遷され 現在は布勢巨神社のみとなっています 延喜式内社 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社です

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南海道 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(さぬき市寒川町)

一緒に読む
布勢神社(さぬき市寒川町石田西)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢神社(ふせじんじゃ)は 天平年間(729~749年)行基が菩薩藥師堂〔極樂寺〕を石田に建て 當社を鎭守神とした旨が記されるので天平以前の創祀と云う 祭神は大彦命〔第八代 孝元天皇の皇子〕を祀る 一説には 伏雷(ふせいかずち)則ち雷神なりとも云う 延喜式内社 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)です

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・造田神社(さぬき市造田是弘)

式内社「布勢・布制神社(ふせの かみのやしろ)」の類社として

東山道 近江國伊香郡 布勢立石神社(ふせのたていしの かみのやしろ)

・布勢立石神社(長浜市木之本町赤尾)

北陸道 越後國蒲原郡 小布勢神社(をふせの かみのやしろ)

・小布勢神社(三条市上保内丙)

・五泉八幡宮(五泉市宮町)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR高徳線 神前駅から県道141号経由で南下 約3.4km 車での所要時間は6~7分程度

社殿 境内は南向き 参道も南へと延びています

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布勢神社(さぬき市寒川町石田西に参着

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社頭には「布勢神社」の社号標
境内参道の入口に鳥居が建ちます

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鳥居をくぐり抜けると 石燈籠 狛犬が座し 注連柱があり注連縄をくぐり抜けて

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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鳥居の先には 南へと伸びる参道があります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 布勢神社について 所在は゛石田石田西村布勢に在す゛〈現 布勢神社(さぬき市寒川町石田西〉と記しています

【抜粋意訳】

布勢神社

布勢は假字也

○祭神詳ならず考證云、大彦命、比保古云、大己貴命と云、今從はず。〕

〇石田石田西村布勢に在す〔讃岐網目、神社考、名勝國會、式社畧記、〕

例祭 九月九日

〇姓氏録、〔左京皇別下〕布勢朝臣、孝元天皇皇子 大彦命之後也、また、〔山城國皇別〕布勢公、仲哀天皇皇子 忍稚命之後也、

類社
 信濃國更級郡 布制神社の條見合うべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 布勢神社について 所在は゛今 石田郷布勢村にあり、布勢宮といふ゛〈現 布勢神社(さぬき市寒川町石田西〉と記しています

【抜粋意訳】

布勢神社、

 石田布勢村にあり、布勢宮といふ〔讃岐國官社私考、識州府志、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 布勢神社について 所在は゛石田西村(大川郡石田村大字石田西)゛〈現 布勢神社(さぬき市寒川町石田西〉と記しています

又゛產土の八幡宮を布勢神社と云るは非說なり゛(現 造田神社(さぬき市造田是弘)は違う)と記しています

【抜粋意訳】

布勢神社 

祭神 大彥命  布勢宮

 今按 讃岐國官社考證 また明細帳ともに祭神 大彦命とあり
 姓氏錄に布勢朝臣 阿部朝臣 同祖孝元天皇皇子 大彦命之後とみえ 社地を布勢と云 ここに由あり

祭日
社格 (無格社)

所在 石田西村(大川郡石田村大字石田西)

 今按 官社考證に此郷の產土の八幡宮を布勢神社と云るは非說なりとみえ
 明細帳にも同八幡の攝社に布勢神社とあれは 此社なる事疑なし

【原文参照】

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布勢神社(さぬき市寒川町石田西 (hai)」(90度のお辞儀)

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讃岐国 式内社 24座(大3座・小21座)について に戻る

一緒に読む
讃岐国 式内社 24座(大3座・小21座)について

讃岐国(さぬきのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 讃岐国 24座(大3座・小21座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています