実践和學 Cultural Japan heritage

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布勢神社(氷見市布施)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢神社(ふせじんじゃ) 布勢の円山と云う小山に鎮座します 今から約1300年前は 周囲の田園一帯は「布勢水海(ふせのみずうみ)」と呼ばれる大きな水海で湖に浮かぶ小山でした その頂きに「水影明神の祠」が祀られ手織りこの祠は 延喜式内社 越中國射水郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

布勢神社(Fuse shrine

【通称名(Common name)】

水影明神の祠

【鎮座地 (Location) 】

富山県氷見市布施1826

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大彦命(おほひこのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

『越中地誌略』〈明治12年〉に記される内容

【抜粋意訳】

圓山は、布勢村に在り、古は湖中に在りて、絶景の地なりしが、土地の変遷、今は湖南の一小山となれり。山上に一祠あり、布勢神社〔又 水影明神の祠といふ大毘古ノ命を祭り 大伴ノ家持を合祀す〕といふ。

【原文参照】

三宅少太郎 編 ほか『越中地誌略』,益智館,明12.1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764523

『高岡誌・射水誌・氷見誌』〈明治33年〉に記される内容

【抜粋意訳】

布勢神社

 布勢丸山に在り 大彥命を祀る式內の一にして 古は末社多く 田間に遺蹟尙存す
 又 境內に御影社あり 後人 大伴家持の德を追慕して此に祀ると云ふ

社地風景絕た佳し

【原文参照】

 

和田文次郎 編『高岡誌・射水誌・氷見誌』,佐伯新聞舗,明33. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764647

【由 緒 (History)】

氷見市指定名勝 昭和五十五二十五 指定

布勢(ふせ)の円山(まるやま)

布勢の円山は、高さおよそ二十メートルの独立した丘陵である。

万葉集に詠われている「布勢の水海」は、この辺りに広がっていたと想像され、古くから文人墨客が布勢の円山を、そこに浮かぶ小島か崎として考えた、風光すぐれる万葉ゆかりの地である。

全国で初めて大伴家侍を祀った御影社(みかげしゃ)や県内最古の万集歌碑などが建てられている。

また、式内社 布勢神社の祭神は、四道将軍の一人 大彦命(おおひこのみこと)で、布勢一族の祖先神と伝えられている。

氷見市教育委員会

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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

布勢神社 社殿

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・境内

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・〈境内社〉御影社(みかげしゃ)

《主》大伴家持命

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・石段

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・鳥居

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・社頭

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

布勢の円山布勢神社の鎮座する小山

1300年前には 湖に浮かぶ小山であった

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布勢(ふせ)の円山(まるやま)

今から約1300年前は、ここから見える田園一帯は「布勢水海(ふせのみずうみ)」と呼ばれる大きな水海(みずうみ)でした。大伴家持(おおとものやかもち)は、746年かた751年まで越中の国守(こくしゅ)として越中国府(現在の伏木)に住んでいました。

大伴家持は、布勢水海をこよなく愛し、遠く都から訪ねてきた友人らと舟遊びをし、美しい風景を数多く歌に詠んでいます。

 布勢(ふせ)の海の沖(おき)つ白波あり通(かよ)
  いや年のはに見つつ偲(しの)はむ (3992)
(布勢の水海の沖に立ちさわぐ白波の美しい景色を、
 こうしていつも通ってきて、毎年眺めることとしよう)

環境省 富山県

現地案内板より

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越中國 34座(大1座・小33座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)射水郡 13座(大1座・小12座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 布勢神社
[ふ り が な ](ふせの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Fuse no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載される「布勢・布制神社(ふせの かみのやしろ)」の論社について

東山道 信濃國 更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布制神社(長野市篠ノ井石川)

一緒に読む
布制神社(長野市篠ノ井石川)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせじんじゃ)は 創立年代不祥ですが ロ碑に「奈良朝以前から鎮座していたと云ふ」「古昔 布勢朝臣某 下向ありて士賊を教化し 地を拓きて此處に館せしより布制郷と云ふ」とあり 布勢氏は第8代 孝元天皇の皇子 大彦命を祖とする氏族であり 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社となっています

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・布制神社(長野市篠ノ井布施五明)

一緒に読む
布制神社(長野市篠ノ井布施五明)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせじんじゃ)は 社伝に「第八代 孝元天皇の皇子 大彦命の本貫を瀬原田の長者窪に移し 北陸を巡按し 東夷を鎭撫させたが 終に長者窪に於て薨ぜられ 布施氏の御祖 大彦命の神靈を鎭齋し奉った」とあり 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社とされます

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・臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明 布施神社旧鎮座地〉

一緒に読む
臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明の布施神社 旧鎮座地〉

臼女神社(うすめじんじゃ)は 古老の言い伝えによると「神社の前身は六百数十年続いた鎌倉時代の豪族 布施八郎と後に天照大神とを奉斎した布施神社」で 明治41年(1908)国の合併令により 五明の布制神社に御神体などを引き渡したと云う 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社の旧鎮座地です

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・布制神社(長野市篠ノ井山布施)

一緒に読む
布制神社(長野市篠ノ井山布施)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせいじんじゃ)は 口碑に「寶龜八年(七七七)伊勢神宮より天照大神の御分靈を迎へ(當地を開拓した「布施氏」公の租神 大彦命)を祀り 寶祚長久・國家隆昌・生業家内安全を祈願し 両柱の神を産土の大神として奉祀したのが當社の起源」と云う 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社となっています

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北陸道 越中国 射水郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(氷見市布施)《主》大彦命

一緒に読む
布勢神社(氷見市布施)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢神社(ふせじんじゃ)は 布勢の円山と云う小山に鎮座します 今から約1300年前は 周囲の田園一帯は「布勢水海(ふせのみずうみ)」と呼ばれる大きな水海で湖に浮かぶ小山でした その頂きに「水影明神の祠」が祀られ手織りこの祠は 延喜式内社 越中國射水郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます

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北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

一説に
布施川と片貝川の川中島に鎮座していたが 宝永5年(1708)6月の洪水で流失し 芦弁寺がこの神社を引きとったと云われ 芦弁寺の雄山神社の境内社若宮神社に合祀と伝わります

・布勢神社(魚津市布施爪)《主》五十猛命 五十日足彦命

一緒に読む
布勢神社(魚津市布施爪)〈『延喜式』〉布勢神社

布勢神社(ふせじんじゃ)は 社伝に 創立は第26代 継体天皇(507~531)の時とあります 鎮座地の布施川流域は 阿古屋野古墳群などの遺跡が多数あり 古代 北陸道の布勢驛があった 新川東部では最も早く拓けた地域とされます 延喜式内社 北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます

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・布勢神社 の論社
〈雄山神社 中宮 若宮に合祀〉

一緒に読む
雄山神社 中宮祈願殿(立山町芦峅寺)〈『延喜式』雄山神社〉

雄山神社 中宮祈願殿(おやまじんじゃ ちゅうぐうきがんでん)は 社伝に「文武天皇 大宝元年(701)景行天皇の後裔 越中国司 佐伯宿禰有若公の嫡男 有頼少年が白鷹に導かれ熊を追い岩窟に至り 雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山」と伝わり 現在・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成る宗教法人です

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山陰道 出雲国 出雲郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・〈奥宇賀神社に合祀〉奥宇賀布勢鎮座 籠守明神《主》伏雷神 武内宿禰命 息長足姫命 大己貴神

一緒に読む
奥宇賀神社(出雲市奥宇賀町)〈『出雲國風土記』・彌努婆社・布世社・布西社〉

奥宇賀神社(おくうがじんじゃ)は 明治十五年(1882)に・奥宇賀 和田に鎮座「美奴麻神社」・奥宇賀 布勢に鎮座「布勢神社」・奥宇賀 池田に鎮座「伊勢神社」の三社を合祀して「奥宇賀神社」と称したものです 『出雲國風土記』の「彌努婆社」「布世社」「布西社」に該当します

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山陽道 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(赤磐市仁堀西)《主》大穴牟遅神

一緒に読む
布勢神社(赤磐市仁堀西)〈『延喜式』布勢神社〉

布勢神社(ふせじんじゃ)は 古伝に 往古 中勢實村龍天山に鎭座 垂仁天皇の御字 瀬戸内海で渡船の転覆の難が続き 占うと「吉備の国布勢大明神の神威なり 社殿を七谷七畝の山麓に遷し 北面に勧請ありたし」と奏上があり 現在の山麓の地に勧請し 社殿を北向きに造営 延喜式内社 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)です

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・布勢巨神社(赤磐市中勢実)《主》事代主命

南海道 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(さぬき市寒川町)

・造田神社(さぬき市造田是弘)

式内社「布勢・布制神社(ふせの かみのやしろ)」の類社として

東山道 近江國伊香郡 布勢立石神社(ふせのたていしの かみのやしろ)

・布勢立石神社(長浜市木之本町赤尾)

北陸道 越後國蒲原郡 小布勢神社(をふせの かみのやしろ)

・小布勢神社(三条市上保内丙)

・五泉八幡宮(五泉市宮町)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR氷見線 氷見駅から仏生寺川に沿って西方向へ約5km 車での所要時間は10~11分程度

今から約1300年前は ここから見える田園一帯は「布勢水海(ふせのみずうみ)」と呼ばれる大きな水海(みずうみ) 布勢の円山布勢神社の鎮座する小山は 湖に浮かぶ小山であった と伝えています

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県道76号沿いに

「延喜式内 布勢神社」の社号標
布勢の円山の案内板があり 社頭となっています

布勢神社(氷見市布施)に参着

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「延喜式内 布勢神社」の社号標の文字は「内閣総理大臣 濱口雄幸」書とあります

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参道の途中に鳥居があり 一礼をしてからくぐり抜けます

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布勢の円山へは 長い石段を上がります

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石段を上がり切ると 布勢の円山の頂上となり 境内地があり 正面に東南方向を向いて拝殿が建ちます

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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石段を下ります
古は この下には「布勢水海(ふせのみずうみ)」と呼ばれる大きな水海(みずうみ)が広がっていたこと想い浮かべながら石段を下ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 布勢神社について 所在は゛布施村に在す、゛〈現 布勢神社(氷見市布施)〉と記しています

【抜粋意訳】

勢神社

布勢は假字也、和名鈔、〔郷名部〕布西

○祭神 大彦命〔神社帳〕

〇布施村に在す、〔同上〕

例祭 月 日

〇姓氏録、〔左京皇別上〕布勢朝臣、阿部朝臣 同祖、孝元天皇皇子 大彦命之後也、

〇萬葉集十七に、遊ニ 覽布勢水海 賦〔北海者、在ニ 射水郡 舊江村云云、

新川郡 布勢神社もあり

類社

 出雲國出雲郡、備前國赤坂郡、讃岐國寒川郡 布勢神社、〔各座〕
 信濃國更級郡 布制神社、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 布勢神社について 所在は゛今 布勢村圓山にあり、゛〈現 布勢神社(氷見市布施)〉と記しています

【抜粋意訳】

布勢神社、

 布勢村圓山にあり、〔越之下艸、新川縣式社調帳 布勢朝臣祖 大彥命を祀るね〔參酌新撰姓氏録、延喜式、土人傳説〕

凡 三月十五日、九月廿三日祭を行ふ、〔新川縣式社調帳

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 布勢神社について 所在は゛布施村字圓山(氷見郡布施村大字布施)゛〈現 布勢神社(氷見市布施)〉と記しています

【抜粋意訳】

布勢神社

祭神 大彦命
祭日 今三月十五日 八月二十三日
社格 村社

所在 布施村字圓山(氷見郡布施村大字布施)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

布勢神社(氷見市布施) (hai)」(90度のお辞儀)

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越中国 式内社 34座(大1座・小33座)について に戻る

一緒に読む
越中國 式内社 34座(大1座・小33座)について

越中国(えっちゅうのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 越中国には 34座(大1座・小33座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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  • B!

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています