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「宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)」(九州 五所別宮(kyushu gosho betsugu)について

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)が造立された背景

朝廷は 承平(shohei)年間(931-938)に起きた「承平天慶の乱」への対応として 八幡宮の造立をしたと伝わります

「承平天慶の乱」は 平安時代中期 ほとんど同時に2つの乱が起こります
①関東では   平将門の乱(taira no masakado no ran)
➁瀬戸内海では 藤原純友の乱(fujiwara no sumitomo no ran)

後世 この反乱は 律令国家の崩壊の始まりと地方武士の台頭を象徴した事件とされています

朝廷は「乱の調伏」の為 宇佐八幡宮の別宮を勧請したという伝承があります

当時 九州には この反乱は 波及していませんでした
朝廷は ゆかりの地である「九州五所」を基点として 九州の要地を確実に掌握しておく目的もあったとも云われています

五社の呼称としては 宇佐八幡宮(宇佐神宮)と石清水八幡宮(京都府八幡市)が 勧請した八幡神の別宮「九州の五所」でしたので
・宇佐八幡宮五所別宮・石清水五所別宮・八幡五所別宮 などとも呼ばれました

その後は 徐々に 宇佐八幡宮の影響力から離れるかのように 石清水八幡宮別宮として「正八幡神」の支配下におかれて 九州を祀りごとから統治していきます 

「宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)」各神社の記事をご覧ください

本宮 宇佐八幡宮(宇佐神宮)

宇佐神宮について 詳しくは 記事をご覧ください

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宇佐神宮(宇佐市南宇佐)

宇佐神宮(うさじんぐう)は 全国4万社余りの八幡社の総本宮です 豊前国一之宮でもあります 神亀2年(725)創建以来 皇室から「伊勢神宮」につぐ「第二の宗廟(sobyo)」としての崇敬を受けています 信仰の地となってから約1300年 境内に足を踏み入れれば 日本の息吹が伝わります

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①第一の別宮 大分宮(福岡県) 筥崎宮(大分八幡宮)の旧鎮座地

大分八幡宮について 詳しくは 記事をご覧ください

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大分八幡宮(飯塚市大分)

大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)は 古代に神功皇后が三韓征伐から帰国して 当地で引率していた軍士を解隊し それぞれの故郷に返した時 その大分(オオワカレ)から大分(ダイブ)と称されるようになったと伝わります 筑前国一之宮の「筥崎宮(福岡市)」の元宮とされています

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①第一の別宮 筥崎宮(福岡県) 大分八幡宮の遷座宮

筥崎宮について 詳しくは 記事をご覧ください

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筥崎宮(福岡市東区箱崎)

筥崎宮(はこざきぐう)は 筑前国一之宮で『延喜式神名帳』所載の名神大社であり 別称を「筥崎八幡宮(hakozaki hachimangu)」とも呼ばれます 宇佐神宮(大分県宇佐市)・石清水八幡宮(京都府八幡市)の2社に鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)or筥崎八幡宮(当社)のいずれかを合わせて三大八幡宮とも呼ばれます

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➁別宮の一社 千栗宮(佐賀県) 724年(神亀1年)の創建

千栗八幡宮について 詳しくは 記事をご覧ください

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千栗八幡宮(みやき町)

千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)は 1200年以上前から続くとても不思議な祭り「お粥だめし」(日本三大粥(かゆ)祭)が毎年3月15日にあり その年の吉凶を占います 大きな鍋でおかゆを炊いて 銅製の鉢に盛り 肥前・肥後・筑前・筑後の4カ国に国分けをするように 東西南北を定めて箸を十文字に渡します 2月26日に本殿に納め3月15日そのおかゆの表面のカビの生え具合によって 4カ国の天候や農作物のでき具合・台風・洪水・干ばつ・地震・火災などを占います 

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➂第三の別宮 藤崎宮(熊本県)935年(承平5年)石清水より勧請 国府八幡宮でもあった

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藤崎八旛宮(熊本市中央区井川淵町)

藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)は 承平5年(935)第61代 朱雀天皇の勅願によって 藤原純友の乱の追討と九州鎮護として 石清水八幡宮から勧請され創建されました 肥後一国の宗廟 熊本大鎮守と公称されて 九州五所別宮(kyushu gosho betsugu)の第三の別宮とされています

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④第一の別宮と称す 新田宮(鹿児島県)

新田神社について 詳しくは 記事をご覧ください

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新田神社(薩摩川内市)

新田神社(にったじんじゃ)は 薩摩国の総鎮守(薩摩国一之宮)として 古くから人々の篤い信仰があります 薩摩川内市街から322段の石段を登ると「亀の形をした神亀山(高さ70m)」の山頂に鎮座します 川内で崩御されたと伝わる御祭神の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の御陵「可愛山陵」が本殿の裏に坐ます 

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➄別宮の一社 正八幡(鹿児島県)1206年(建永1年)石清水八幡宮の末寺となる

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鹿児島神宮(霧島市隼人町)

鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は 社伝によると 創始は 遠く神代とも「神武天皇の御代に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮」ともされます 和銅元年(708)現在地に遷座されて 高千穂宮跡の旧鎮座社地には 現在は 摂社 石体宮(石體神社)が鎮座しています

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宇佐八幡宮 五所別宮(九州 五所別宮(kyushu gosho betsugu)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

宇佐神宮について 詳しくは 記事をご覧ください

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宇佐神宮(宇佐市南宇佐)

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