実践和學 Cultural Japan heritage

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臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明の布施神社 旧鎮座地〉

臼女神社(うすめじんじゃは 古老の言い伝えによると神社の前身は六百数十年続いた鎌倉時代の豪族 布施八郎と後に天照大神とを奉斎した布施神社」で 明治411908国の合併令により 五明の布制神社に御神体などを引き渡したと云う 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社の旧鎮座地です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

臼女神社(Usume shrine

〈五明の布施神社 旧鎮座地〉

【通称名(Common name)】

臼女(うすめ)さん

【鎮座地 (Location) 】

長野県長野市篠ノ井布施高田唐臼234

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天照大神(あまてらすおほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

臼女(うすめ)神社

 (旧布施神社の変遷)

所在 篠ノ井布施高田臼女234番弛

社絡 無資格社
面積 二〇〇平方(約一八二坪)

 古老の言い伝えによると、神社の前身は六百数十年続いた鎌倉時代の豪族 布施八郎と後に天照大神とを奉斎した布施神社である。

 明治四十一(一九〇八)国の合併令により五明の布制神社に御神体などを引き渡した。

 昭和に入り長野県が養蚕業(ようさんぎょう)の隆盛期に、皇居の紅葉山の養蚕神社からご分体されさらに再分体された更級養蚕神社が篠ノ井の地に奉斎されていたのであるが、神社が諸般の情勢により解体されることになり、識者の尽力により昭和二十三年ご神体と社殿とを布施神社跡地に遷座されたものである

 平成二十三年十月吉日 唐臼区 唐臼歴史保存会

現地案内板より

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【由 緒 (History)】

臼女(うすめ)さん(石臼)

形状
 自然石(玄武岩)
 直径85糎(cm 短径50糎(cm
 高さ45糎(cm 上面偏った所に
 直径20糎(cm加工凹面あり

 此の石臼は古くより「碓女(うすめ)」さんと、親しみをもって呼ばれ。唐臼区の守護神として多くの人々に崇拝されて来た

神社不在の時期に於いても区民により手厚く保護され現在は臼女神社の象徴として一体をなし信仰されているものである

平成二十四月 唐臼区 唐臼歴史保存会

現地案内板より

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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

〈五明の布施神社 遷座先〉

・布制神社(長野市篠ノ井布施五明)

一緒に読む
布制神社(長野市篠ノ井布施五明)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせじんじゃ)は 社伝に「第八代 孝元天皇の皇子 大彦命の本貫を瀬原田の長者窪に移し 北陸を巡按し 東夷を鎭撫させたが 終に長者窪に於て薨ぜられ 布施氏の御祖 大彦命の神靈を鎭齋し奉った」とあり 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社とされます

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)信濃國 48座(大7座・小41座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)更級郡 11座(大1座・小10座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 布制神社
[ふ り が な ](ふせの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Fuse no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載される「布勢・布制神社(ふせの かみのやしろ)」の論社について

東山道 信濃國 更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布制神社(長野市篠ノ井石川)

一緒に読む
布制神社(長野市篠ノ井石川)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせじんじゃ)は 創立年代不祥ですが ロ碑に「奈良朝以前から鎮座していたと云ふ」「古昔 布勢朝臣某 下向ありて士賊を教化し 地を拓きて此處に館せしより布制郷と云ふ」とあり 布勢氏は第8代 孝元天皇の皇子 大彦命を祖とする氏族であり 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社となっています

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・布制神社(長野市篠ノ井布施五明)

一緒に読む
布制神社(長野市篠ノ井布施五明)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせじんじゃ)は 社伝に「第八代 孝元天皇の皇子 大彦命の本貫を瀬原田の長者窪に移し 北陸を巡按し 東夷を鎭撫させたが 終に長者窪に於て薨ぜられ 布施氏の御祖 大彦命の神靈を鎭齋し奉った」とあり 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社とされます

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・臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明 布施神社旧鎮座地〉

一緒に読む
臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明の布施神社 旧鎮座地〉

臼女神社(うすめじんじゃ)は 古老の言い伝えによると「神社の前身は六百数十年続いた鎌倉時代の豪族 布施八郎と後に天照大神とを奉斎した布施神社」で 明治41年(1908)国の合併令により 五明の布制神社に御神体などを引き渡したと云う 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社の旧鎮座地です

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・布制神社(長野市篠ノ井山布施)

北陸道 越中国 射水郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(氷見市布施)《主》大彦命

北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

一説に
布施川と片貝川の川中島に鎮座していたが 宝永5年(1708)6月の洪水で流失し 芦弁寺がこの神社を引きとったと云われ 芦弁寺の雄山神社の境内社若宮神社に合祀と伝わります

・布勢神社(魚津市布施爪)《主》五十猛命 五十日足彦命

一緒に読む
布勢神社(魚津市布施爪)〈『延喜式』〉布勢神社

布勢神社(ふせじんじゃ)は 社伝に 創立は第26代 継体天皇(507~531)の時とあります 鎮座地の布施川流域は 阿古屋野古墳群などの遺跡が多数あり 古代 北陸道の布勢驛があった 新川東部では最も早く拓けた地域とされます 延喜式内社 北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます

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・布勢神社 の論社
〈雄山神社 中宮 若宮に合祀〉

一緒に読む
雄山神社 中宮祈願殿(立山町芦峅寺)〈『延喜式』雄山神社〉

雄山神社 中宮祈願殿(おやまじんじゃ ちゅうぐうきがんでん)は 社伝に「文武天皇 大宝元年(701)景行天皇の後裔 越中国司 佐伯宿禰有若公の嫡男 有頼少年が白鷹に導かれ熊を追い岩窟に至り 雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山」と伝わり 現在・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成る宗教法人です

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山陰道 出雲国 出雲郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

〈奥宇賀神社に合祀〉奥宇賀布勢鎮座 籠守明神《主》伏雷神 武内宿禰命 息長足姫命 大己貴神

一緒に読む
奥宇賀神社(出雲市奥宇賀町)〈『出雲國風土記』・彌努婆社・布世社・布西社〉

奥宇賀神社(おくうがじんじゃ)は 明治十五年(1882)に・奥宇賀 和田に鎮座「美奴麻神社」・奥宇賀 布勢に鎮座「布勢神社」・奥宇賀 池田に鎮座「伊勢神社」の三社を合祀して「奥宇賀神社」と称したものです 『出雲國風土記』の「彌努婆社」「布世社」「布西社」に該当します

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山陽道 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(赤磐市仁堀西)《主》大穴牟遅神

・布勢巨神社(赤磐市中勢実)《主》事代主命

南海道 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(さぬき市寒川町)

・造田神社(さぬき市造田是弘)

式内社「布勢・布制神社(ふせの かみのやしろ)」の類社として

東山道 近江國伊香郡 布勢立石神社(ふせのたていしの かみのやしろ)

・布勢立石神社(長浜市木之本町赤尾)

北陸道 越後國蒲原郡 小布勢神社(をふせの かみのやしろ)

・小布勢神社(三条市上保内丙)

・五泉八幡宮(五泉市宮町)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR信越本線 篠ノ井駅から県道385号経由で東方向へ約1.1km 車での所要時間は5~6分程度

県道385号を進み 篠ノ井駅入口の交差点を左折〈北へ〉して県道77号を北上 唐臼の交差点を右折〈東へ〉するとすぐに唐臼公民館があります
唐臼公民館の敷地の中に鎮座しています

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臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明の布施神社 旧鎮座地〉に参着

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鳥居が建ち 玉垣に囲まれて 一段高くなった壇に社殿 その両脇に石祠が祀られています

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殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 布制神社について 所在は゛川中嶋布瀬村に在す゛〈現 臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明の布施神社 旧鎮座地〉〉もしくは〈現 布制神社(長野市篠ノ井石川)〉と記しています

【抜粋意訳】

布制神社

布制は假字也

○祭神

○川中嶋布瀬村に在す考証

○姓氏録、〔左京皇別上布勢朝臣、阿倍朝臣同祖、孝元天皇皇子大彦命之後也、同、山城皇別布勢公、仲哀天皇皇子忍稚命之後也、

類社

出雲郡備前國赤坂郡讃岐國寒川郡布勢神社信濃國更級郡布制神祉、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 布制神社について 所在は゛今 石川村布施山にあり、゛〈現 布制神社(長野市篠ノ井石川)〉と記しています

【抜粋意訳】

布制(フセノ)神社、

 石川村布施山にあり、〔式内神社考按〕 布勢朝臣祖 大彥命を祀る、新撰姓氏録、参取社傳説〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 布制神社について 所在は゛石川村〔字布施山〕 (更級郡川柳村大字石川 )゛〈現 布制神社(長野市篠ノ井石川)〉と記しています

その他の説として 他二説を挙げています
゛布施五明村の社゛〈現 臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明の布施神社 旧鎮座地〉〉
゛山布施村の社゛〈現〉布制神社(長野市篠ノ井山布施)

【抜粋意訳】

○更級郡十一座小十座

布制神社

祭神 大彥命

 今按 社傳 祭神 大倭根古彥國玖琉ノ天皇 相殿 大彥命彥 太忍信命とあれど 布制神と云時は布勢朝臣の祖を祭べし
新撰姓氏錄に布勢朝臣 阿倍朝臣 同祖とあり 阿倍氏の條に孝元天皇 皇子 ノ命之後也とあれば 相殿にます大彦命こそ主神なるべけれ  今之を訂せり

祭日 五月十五日 八月二十七日 十一月十日
社格 村社(郷社)

所在 石川村〔字布施山〕 (更級郡川柳村大字石川 )

 今按 長野縣式社考 按に布制神社と稱する社 三所にあり
一は石川村宇布施山
一は布施五明村
一は山布施村字山布施に鎭座是也

件ノ三社 由緒上申によるに

布施五明村の社は 寛政中出願の時 本郡神官大凡諾印もあり 當時 交換の證書もあれば 此社に定べきに似たれど 古昔 布施郷は廣大にして此遷の總稱なるを以て 今も布施五明 布施高田山 布施上 布施下布等の稱を存し 又 布勢同祖の諸氏 石川 田口 櫻井等を以て稱したる村名もあり 里俗傳へて布施十六村と總稱すれば 布制神社は其中にあるべしと雖も 當社とも治定し難く

山布施村の社は 祭神を布施朝臣大神と云るを始め 由緒曖味にして確実ならねば採がたし

獨り石川村は 布施郷の中首に位し社の正後に塚ありて王塚と稱する 或は布勢石川等の祖先の皇子もしくは諸王の陵墓なるべく 此郡の人民も布制神社は此村を以て眞なりと云傳ふる上は 姑く石川村を以て式社と定むべしと云る 此考按の説は 石川朝臣に由ありて布勢朝臣には遠きが如くなれど布施郷中にて布施山に鎭座なるは極めて由あることなるべし 故令之に従ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明の布施神社 旧鎮座地〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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信濃国 48座(大7座・小41座) に戻る

一緒に読む
信濃國 式内社 48座(大7座・小41座)について

信濃国(しなののくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 信濃国(しなののくに)には 48座(大7座・小41座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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