石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 旧号「石神宮」中古「八幡宮」と称されました 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)として 寛延三年(1750)十二月「石門別神社」に改号されました 備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あり いづれが どちらかは確定判別できていません
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
石門別神社(Iwatowake shrine)
【通称名(Common name)】
旧号「石神宮」中古「八幡宮」と称されました
【鎮座地 (Location) 】
岡山県岡山市北区奥田南町4−48
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天津石門別命(あまついわとわけのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
石門別神社の由来
この神社は、近世には石神宮・石神社と呼ばれていたが、寛延三年(一七五〇年)十二月大守肥後守を中心とする 式内社再興運動が展開されたとき、この宮が古来から延喜式内社であり、祭神は従二位 天津石門別神(あまついわとわけのかみ)であることから 当時の国司が岡山平野に石門別(いわとわけ)神社と改号し、こゝ田住と大供に祭られたと伝えられる。
天孫降臨にあたり天岩屋に神こもりし天照大神を、天児屋根命(あめのこやねのみこと)が神楽を奏し、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞楽をなし 天津石門別神や手力男命(たちからおのみこと)などがおつれ申したと伝えられる。また元明天皇が和銅五年(七一二年)大安麻呂(おおのやすまろ)に命じ作られた、我が国最古の古典「古事記」には、光華明彩(ひかりうるわし)・六合照徹(あめつちてりとおる)と云われ、その御威光は広大無辺で宇宙万物を生成化育する御本源であらせられる大日霎貴(おおひるめのむち)、別名 天照大神が天孫降臨に際し、「天津石門別神など」の功績が記され、古くからの伝説にもされている。
神は、人間にとって超越的な存在とされるあるもので 宗教的信仰の対象として、原始時代から人々が何らかの不可知なものゝ存在に気づいたときに発する 此の氏神は 八世紀以前の時代から、地域の血縁地縁的な集団の精神的統合と社会的連帯の強化の中心として、人々から鎮守さま(別名 産土神 うぶすなかみ)として信仰され 祭られて参りました。
人々は自己の神性をとり戻し(ご利益を蒙るの意)社会生活の意義を確め、神威を畏こみ神の恵みを仰いで 神の御加護によって(神の顕現発揮(けんげんはっき)という)生きることの喜びをかみしめ、明日の生産、生活に希望と力を得る源泉としてきました。
また境内地の中には、武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祭神とする石神と呼ばれる石 及び「あしおうさん」と呼ばれる足の病を治して下さる石神のほか、末社として若宮、荒神社、注連(しめ)神社、愛宕神社がある。
いづれも簡素な建物ながら、その時代その時代の地域住民の連帯意識の拠所として引継がれている。
こゝに由来を記して、あらたかな御神徳を偲ぶと共に 広く地域の方々の信仰の拠りどころにして戴きたいと念じます。
現地案内板より
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【由 緒 (History)】
石門別神社 イワトワケジンジャ
由緒
延喜式に石門別神社、本国総社神名帳に天津石門別神社、一宮左楽頭本に天津石門別神社と記してある式内の社である。創建年代は不詳である。
岡山県神社庁HPより抜粋
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/16432/
『岡山市史』第5に記される内容
【抜粋意訳】
二十二 石門別神社
奧田字免田に鎭座。祭神は天津石門別命にして式內の古社なり。『池田家神社明細』には「祭神〔櫛磐窓命 豊磐窓命〕舊號 石神宮、中古稱 八幡宮、寛延三年午十二月改號于 石門別神社にして、祭日九月六、七日。
末社は合社にて若宮〔祭神 天日鷲命〕、荒神社〔祭神 火産靈神、奥津彦命、奥津姫命〕、注連神社〔祭神 鈿女命〕、愛宕神社〔祭神 火産靈神〕とあり。氏子は奥田字川住なり。
【原文参照】
岡山市 編『岡山市史』第5,岡山市,昭11至13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1261486
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)備前國 26座(大1座・小25座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)御野郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 石門別神社
[ふ り が な ](いはとわけの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ihatowake no kaminoyashiro)
備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あるが いつれの式内社が どちらの論社に当るのか確定判別はできていません
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「(いはとわけのかみ)」の呼称を持つ神社について
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に「いはとわけのかみ」の呼称を持つ延喜式内社は 12ヶ所あります
①延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕
②延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社
③延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社
④延喜式内社 近江國 伊香郡 天岩門別命神社
⑤延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社
⑥延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社
⑦延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社
⑧⑨延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社
⑩延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕
⑪延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社
⑫延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社
各々の論社について
①延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕(あまつ いはとわけ わかひめの かみのやしろ)の論社について
・嚴島神社(京都市北区雲ケ畑中畑町)
・岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)
②延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)の論社について
・天津石門別神社(高市郡高取町越智)
・天太玉命神社(橿原市忌部町)
③延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社(あまの いはとはけの かみのやしろ)の論社について
・天石門別神社(茨木市元町)
④延喜式内社 近江國 伊香郡 天石門別命神社(あめ いはかとわけのみことの かみのやしろ)の論社について
・森本神社(長浜市高月町森本)
⑤延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について
・伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)
伊波止和氣神社(いわとわけじんじゃ)は 江戸時代には゛戸隠大明神゛と呼ばれていましたが 慶應年中(1865~1868年)に 神主の鎌田光雄が 兼務の時 この松尾社〈境内社か?合祀社か?〉を伊波止和氣神社と云ったとあり 延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社となっています
伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)
・白河神社(白河市旗宿関ノ森)
白河神社(しらかわじんじゃ)は 社伝によれば 第13代 成務天皇五年(135年)白河國造命と天太玉命を奉祀し 勅命により鎮座 のち白河の関設置に当たり 関所南北に住吉 玉津島明神を祀る と伝わります 二つの式内社①伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)②白河神社(しらかはの かみのやしろ)の論社となっています
白河神社(白河市旗宿関ノ森)
・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)
〈旧鎮座地とも云う〉
磐戸別神社(いわとわけじんじゃ)は 白河の関山に鎮座します 延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の旧鎮座地とも 三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云うと伝わります
磐戸別神社(白河市関辺丸沢)
・都都古和氣神社(馬場)の奥宮 都々古別神社(表郷三森 都々古山)
《三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云う》
都々古別神社(つつこわけじんじゃ)は 馬場都々古別神社の旧蹟 日本武尊(やまとたけるのみこと)が 都々古山(つつこやま)〈別名を建鉾山(武鉾山)江戸期までは入山禁足〉に「鉾(ほこ)」を立て地主神として「味耜高彦根命」を祀った創祀の地 山頂には梵天の祠があり 山麓には当社があり 延喜式の頃には祭祀が行われていた奥院と伝
都々古別神社(表郷三森 都々古山)〈『延喜式』都都古和気神社〔名神大〕〉
《参考》・石都々古和気神社(石川町)
石都々古和気神社は 約一万年位前から信仰されていたとされている古代の祭祀遺跡の跡地に鎮座しています これは全国的にも数少ない大変重要な遺跡といわれています その様子は 山には 全山に花崗岩の巨石が連なる多くの磐境が点在していて・屏風岩・船形岩・鏡岩(2基)・亀石・天狗石・石門(鳥居)更に 三種の神器と言われている・剣・玉(勾玉)・鏡岩等があります
石都々古和気神社(石川町)
⑥延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社(おほまつり あめいはかとひこの かみのやしろ)の論社について
・大祭天石門彦神社(浜田市相生町)〈石見國三之宮〉
⑦延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)の論社について
・天石門別神社(美作市滝宮)〈美作國三之宮〉
天石門別神社(あめのいわとわけ じんじゃ)は 第10代崇神天皇の御代 四道将軍 大吉備津彦命が 吉備地方平定報賽のため自ら鎮斎したと伝えられます 『三代實録』貞観5年 神階従五位下から従五位上に昇叙せられ 『延喜式』に美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)とある式内社です
天石門別神社(美作市滝宮)〈『三代實録』天石門別神『延喜式』天石門別神社〉
⑧⑨延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について
備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あるが いつれの式内社が どちらの論社に当るのか確定判別はできていません
・石門別神社(岡山市北区大供表町)
・石門別神社(岡山市北区奥田南町)
石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 旧号「石神宮」中古「八幡宮」と称されました 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)として 寛延三年(1750)十二月「石門別神社」に改号されました 備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あり いづれが どちらかは確定判別できていません
石門別神社(岡山市北区奥田南町)〈『延喜式』石門別神社〉
⑩延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕(あまの いはとわけ やくらひめの かみのやしろ)の論社について
・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)
天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉
・上一宮大粟神社(神山町)
〈一宮神社(徳島市)の元宮とされる〉
上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)は 御祭神として 古事記に記載されている゛大宜都比売命(おほげつひめのみこと)゛を祀ります 粟国(阿波)を開かれた祖神で 五穀養蚕の神として 古代から農耕を守り生命の糧を恵みむ神で 式内社 天石門別八倉比売(あめのいわとわけ やくらひめの)神社(大月次新嘗)の論社です
上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角)〈阿波国一之宮〉
・一宮神社(徳島市)
一宮神社(いちのみやじんじゃ)は 元々は阿波国一之宮であった上一宮大粟神社(名西郡神山町)の分祠として 平安時代後期に国府の近くであったこの地に下一宮として祀られて 阿波国一之宮とされていました しかし 室町時代以降は 細川氏の台頭とともに 大麻比古神社が阿波国一之宮となっていきます
一宮神社(徳島市一宮町西丁)〈阿波国一之宮〉
⑪延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社(あまの いはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)の論社について
・雨降神社(徳島市不動西町)
雨降神社(あまたらしじんじゃ)は 創建年代は不祥です 『延喜式神名帳(927 AD.)』に所載の 二つの式内社〈①天石門別豊玉比賣神社(あめのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)②和多都美豊玉比賣神社(わたつみとよたまひめの かみのやしろ)〉の論社です 近世では゛雨降大明神゛と称し 雨乞の霊験が伝わります
雨降神社(徳島市不動西町)〈延喜式神名帳所載 論社〉
・龍王祠〈廃社〉
徳島市の徳島中央公園(城山)〉にあった竜王祠は 徳島城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀
・竜王さんのクス(もと徳島城城山に鎮座した竜王祠〈廃社〉の付近)
・国瑞彦神社(徳島市伊賀町)
※式内社(阿波國名方郡 天石門別豊玉比賣神社)の論社二つ
①境内社゛龍王神社゛〈現在は 廃社 本殿に合祀されている〉
※国瑞彦神社の境内社゛龍王神社゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされていた
②竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座
国瑞彦神社(くにたまひこじんじゃ)は 文化3年(1806)藩祖 家政公を偲び゛国瑞彦゛の神号を受け この地に奉祀 式内論社の境内社 龍王神社〈現在 廃社 本殿に合祀〉と゛もと徳島城城山に鎮座の竜王祠゛を合祀した時期もあり 式内社 天石門別豊玉比賣神社(あまのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)の論社とされます
國瑞彦神社(徳島市伊賀町)〈式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社〉
・豊玉比賣神社(徳島市眉山町)〈春日神社 境内〉
竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座
春日神社は 慶長年間 藩祖 蜂須賀家政公が 渭の津に築城の際 名西郡入田の里より神霊を奉遷され創建 境内社 豊玉比賣神社(とよたまひめじんじゃ)は もと徳島城(城山)にあった゛竜王祠゛城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀 その後 ここに遷座された 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社です
春日神社& 境内社 豊玉比賣神社(徳島市眉山町)
・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)
天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉
⑫延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまの いはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)の論社について
・天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)
天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんしゃ)は 棟札「天野岩戸分安國玉之天神社 天文九年・・・」が元禄5年(1692)巌穴より発見され 藩は式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社と正式認定したが 黒瀬村の社の棟札が「流れ着いた」新宮の扱となり 郷社 貴船神社を合祀 現在に至ります
天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〈『延喜式内社』〉
・天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)
天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんじゃ)は 古老の口碑に 往古洪水ありて社地崩壊し 神寶神器流失し 棟札流下して神谷村に漂着したといふことで 元々はこちらが延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)であると伝えています
天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)〈『延喜式』天石門別安國玉主天神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR岡山駅から南下して約3.8km 車での所要時間は15~16分程度
徒歩ならば 岡山電気軌道に乗り 清輝橋停留所で下車 R30号を南下約1.3km 徒歩での所要時間15~20分程度
岡山県立岡山南高等学校の南側 ニトリの西隣に鎮座します
石門別神社(岡山市北区奥田南町)に参着
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鳥居をくぐり抜けると すぐに拝殿がある 小さな境内です
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鳥居の先 すぐ右手に 境内社の祠・石祠が祀られています
この石祠は武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祭神とする石神と呼ばれる石 及び「あしおうさん」と呼ばれる足の病を治して下さる石神です
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拜殿の奥には幣殿 本殿の覆い屋が繋がっています
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本殿の向かって左には 境内社 稲荷大明神が祀られています
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本殿の裏手に石祠が4宇祀られています
この4宇の石祠は
「末社は合社にて若宮〔祭神 天日鷲命〕、荒神社〔祭神 火産靈神、奥津彦命、奥津姫命〕、注連神社〔祭神 鈿女命〕、愛宕神社〔祭神 火産靈神〕」と記載されている 末社でしょうか?
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あるが いつれの式内社が どちらの論社に当るのか確定判別はできていません
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 石門別神社について 所在は゛田住村に在す、゛〈現 石門別神社(岡山市北区奥田南町)〉と記しています
【抜粋意訳】
石門別神社
石門別は伊波止和氣と訓べし
○祭神明か也
〇田住村に在す、〔式社考、〕例祭 月 日、
類社
大和國 高市郡 天津石門別神社の條見合すべし、又 當郡 石門別神社、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
式内社 石門別神社について 所在は゛大供村に在す、今 戸隠宮と稱す、゛〈現 石門別神社(岡山市北区大供表町)〉と記しています
【抜粋意訳】
石門別神社
石門別は前に同じ
○祭神明か也
○大供村に在す、今 戸隠宮と稱す、〔備陽國誌、式社考、〕
類社
前に同じ、又 當郡石門別神社あり、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 石門別神社について 所在は゛今 田住村石神にあり、゛〈現 石門別神社(岡山市北区奥田南町)〉と記しています
【抜粋意訳】
石門別(イハトワケノ)神社、
今 田住村石神にあり、〔備前式社考、備前式內書上〕
盖 天石門別命を祭る、〔参酌古事記、新撰姓氏録、延喜式、〕
凡 十月二十六日二十七日祭を行ふ、〔備前式內書上〕
式内社 石門別神社について 所在は゛今 田住村にあり、石神宮と云、゛〈現 石門別神社(岡山市北区奥田南町)〉と記しています
【抜粋意訳】
石門別(イハトワケノ)神社、
今 田住村にあり、石神宮と云、〔備前式社考、備前式內書上考録、〕
蓋 天石門別命を祀る、〔参酌古事記、延喜式、備前神明帳、〕
天石門別命は天手力雄命也、〔神社書上帳、〕
凡 十一月三日四日祭を行ふ、〔岡山縣式証〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 石門別神社について 所在は゛田佳村〔字石神〕(御津郡鹿田村大字奥田)゛〈現 石門別神社(岡山市北区奥田南町)〉と記しています
【抜粋意訳】
○御野郡八座〔並小〕
石門別神社
祭神 天津石門別神
今按 式帳に石門別神社とあるを本國神名帳 總社本 吉備津宮本庄樂頭家本並に天津石門神とあり 故今 天津二字を加へて記せり
祭日 十月廿六日七日
社格 村社所在 田佳村〔字石神〕(御津郡鹿田村大字奥田)
式内社 石門別神社について 所在は゛大供村(御津都鹿田村大字鹿田)゛〈現 石門別神社(岡山市北区大供表町)〉と記しています
【抜粋意訳】
石門別神社
祭神 天津石門別神
今按 社傳 祭神 手力雄命と云ひ 神社を戸隠宮と云ふによる時は 石門別神の一名を手力雄命と申せる證とすべし 國内神名帳に天津石門別とあるによりて此に記すり
祭日 十一月三日四日
社格 村社所在 大供村(御津都鹿田村大字鹿田)
今按 同山藩神社書上に當社は はやく廃絶に及びたるにや社地分明ならず 出石郷石山と云あり 吉備前鑑に岡山城 百六十年前は今の木丸廻り砂山にして南西の麓に小詞あり 之を岡山殿と稱す 此砂山につづきたる西方に石山聳たり 是亦ありて石山大明神と云 寛文五年 北山の金山寺に遷宮なり〔採要〕とあり 往昔 石山にませる程を思やり奉るに 彼處は五百筒磐村ここしくて實に石門別の大神を齋奉べき清地なれば 疑なく石山明神 即 石門別神なるべし
又 伊福郷岩井と云處あり 大石疊々として實に石村の隠しき山にはあれど此社の坐けんと覚ゆる名所もなく 靈妙の地も見えず されど此山上にも八幡宮の社あり此山ならんかと思ひて尋るに據とすべき事もなしとあれども 大供村戸隠宮を備陽國志に神名帳に御野郡 石門神社とあるは 當社ならんかとみえ 貞享元年 神社書上帳に戸隠宮とあり 社司の記録に備前國御野郡大供村 戸隠宮者 奉祭 手力雄命とあるもの證とするに足れり 故今之に從ふ
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
石門別神社(岡山市北区奥田南町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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備前国(びぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 備前国には 26座(大1座・小25座)の神々が坐します 現在の論社について掲載しています
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