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信濃国 式内社 48座(大7座・小41座)について

信濃国(しなののくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 信濃国(しなののくに) 48座(大7座・小41座)の神社です

信濃国(しなののくに)について

信濃国Shinanonokuniは  令制国の一つ〈東山に属する
現在の長野県、岐阜県中津川市の一部

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「信濃(しなの)」の名称は 古くには「斯那奴(しなぬ)」呼ばれていました
 『古事記』には 「科野国造(しなののくにのみやつこ)されています

信濃国(しなののくに) 48座(大7座・小41座)

大社 7は 5〈すべて名神大社
小社41は41
 48は46

※座は神の柱数 社は神社数

〈延喜式神名帳に記載〉
伊那郡(いなの こおり) 2座(並小)
諏訪郡(すはの こおり) 2座(並大)
筑摩郡(つかまの こおり) 3座(並小)
安曇郡(あつみの こおり) 2座(大1座・小1座)
更級郡(さらしな こおり) 11座(大1座・小10座)
水内郡(みのち こおり) 9座(大1座・小8座)
髙井郡(たかゐの こおり) 6座(並小)
埴科郡(はにしな こおり) 5座(並小)
小縣郡(ちいさかた こおり) 5座(大2座・小3座)
佐久郡(さくの こおり) 3座(並小)

伊那郡(いなの こおり) 2座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

大山田神社(おほやまたの かみのやしろ)

阿智神社(あちの かみのやしろ)

諏訪郡(すはの こおり) 2座(並大)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

南方刀美神社二座(並名神大)(みなみかたとみの かみのやしろ ふたくら)

・諏訪大社 上社 前宮

一緒に読む
諏訪大社 上社 前宮(茅野市)

諏訪大社 上社 前宮は 4つの諏訪大社の中でも 諏訪の祭祀の発祥地とされます 古来より諏訪明神の住まう所で 現人神とされた諏方の大祝(オオホフリ)の居舘があり 上社の祭祀の中心地でした 神長官(ジンチョウカン)の守矢氏が 神秘にして原始的なミシャグジ神を降ろして 諏訪明神の重要な祭祀・神事を取り行った聖地とされています

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・諏訪大社 上社 本宮

一緒に読む
諏訪大社 上社 本宮(諏訪市)

諏訪大社 上社 本宮は 全国に1万以上の御分社をもつ諏訪神社の総本社です 諏訪湖を挟んで 南に上社「本宮・前宮」北に下社「秋宮・春宮」があり この4宮を諏訪大社と呼びます 上社本宮は諏訪湖の南東に佇む守屋山の麓に位置し 参道は 北と東から2つ参道がありますが 正式な参拝路は 前宮から続く東参道とされています

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・諏訪大社 下社 春宮

一緒に読む
諏訪大社 下社 春宮(下諏訪町)

諏訪大社 下社 春宮は 諏訪湖北側の下諏訪町に位置しています 下社は「春宮と秋宮」に分かれていて「半年ごとに神様が遷座して移る」という特徴があります ご祭神は 2月から7月まで春宮に鎮座し 8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し 翌2月1日に春宮に帰座されます 又 厳冬の諏訪湖で見られる「御神渡り」では 上社の御祭神の男神(彦神)が 下社の女神に通った「神様の通り道の跡」とされています

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・諏訪大社 下社 秋宮

一緒に読む
諏訪大社 下社 秋宮(下諏訪町)

諏訪大社 下社 秋宮は 諏訪湖北側の下諏訪町に位置しています 下社は「春宮と秋宮」に分かれていて「半年ごとに神様が遷座して移る」という特徴があります ご祭神は2月から7月まで春宮に鎮座し 8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し 翌2月1日に春宮に帰座されます 又 厳冬の諏訪湖で見られる「御神渡り」では 上社の御祭神の男神(彦神)が 下社の女神に通った「神様の通り道の跡と」されています

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筑摩郡(つかまの こおり) 3座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

岡田神社(をかたの かみのやしろ)

沙田神社(いさこのたの かみのやしろ)

阿禮神社(あれい かみのやしろ)

安曇郡(あつみの こおり) 2座(大1座・小1座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

穂髙神社(名神大)(ほたかの かみのやしろ)

・穗髙神社(安曇野市穂高)

・穗髙神社 奥宮(松本市安曇上高地)

川會神社(かはあひの かみのやしろ)

・川会神社(北安曇郡池田町)

一緒に読む
川會神社(北安曇郡池田町会染)

川會神社(かはあいじんじゃ)は 海の底の神を祀り 時を超えて 私達に真実を伝えています 遠い昔 ここ安曇野は山に囲まれて一面の湖だったという 民話『泉小太郎』は山を破り 湖の水を抜き あらわれた湖底が 里人を潤う田となります 遠い神代から 現在も人々は神に感謝を捧げます

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更級郡(さらしな こおり) 11座(大1座・小10座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

布制神社(ふせの かみのやしろ)

・布制神社(長野市篠ノ井石川)

・布制神社(長野市篠ノ井布施五明)

・臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明 布施神社旧鎮座地〉

・布制神社(長野市篠ノ井山布施)

波閉科神社(はへしなの かみのやしろ)

佐良志奈神社(さらしなの かみのやしろ)

當信神社(たにしな かみのやしろ)

長谷神社(なかたにの かみのやしろ)

日置神社(ひおきの かみのやしろ)

清水神社(しみつの かみのやしろ)

氷鉇斗賣神社(ひのかなとめの かみのやしろ)

頤気神社(いけつ かみのやしろ)

治田神社(はたの かみのやしろ)

武水別神社(名神大)(たけみつわけの かみのやしろ)

水内郡(みのち こおり) 9座(大1座・小8座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

美和神社(みわの かみのやしろ)

・美和神社(長野市三輪)

一緒に読む
美和神社(長野市三輪)

美和神社(みわじんじゃ)は 善光寺七社の一つとされ 長野電鉄本郷駅の西側に鎮座します 『延喜式神名帳927 AD.』信濃国 水内郡九座の筆頭に記される式内社で 三輪山をご神体とする奈良県〈大和国〉の大神神社と同じく古代の大三輪氏大神一族によって祀られたとされます 社頭には三輪鳥居が構え 美和神社付近の住所は三輪(みわ)と呼ばれています

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伊豆毛神社(いつもの かみのやしろ)

・伊豆毛神社(長野市豊野町)

一緒に読む
伊豆毛神社(長野市豊野町)

伊豆毛神社(いづもじんじゃ)は 大永3年(1523)上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座した『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 里俗の口碑によれば 神代には水内海の沿岸に在ったとされ 大湖の水理に関連する神ともされます

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伊豆毛神社【旧鎮座地】 

一緒に読む
伊豆毛神社【旧鎮座地】(長野市豊野町)

伊豆毛神社【旧鎮座地】は 八雲台古墳の上に鎮座しています 里俗の口碑によれば 太古には水内海の沿岸に在ったとされ 大湖の水理に関連する出雲族の神社とも考えられます『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の古社で 大永3年(1523)上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座しました

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妻科神社(つましなの かみのやしろ)

小川神社(をかはの かみのやしろ)

守田神社(もりたの かみのやしろ)

粟野神社(あはのの かみのやしろ)

風間神社(かさまの かみのやしろ)

白玉足穂命神社(しらたまたりほのみこと かみのやしろ)

健御名方富命彦神別神社(名神大)(たけみなかたとむみこと かみのやしろ)

・善光寺 本堂の奥地に〈江戸時代まで〉鎮座した 歳神堂の跡地【水内社 旧鎮座地】

・健御名方富命彦神別神社(長野市長野)〈水内大社〉

・健御名方富命彦神別神社(飯山市豊田伊豆木原)

・健御名方富命彦神別神社(信州新町水内)

髙井郡(たかゐの こおり) 6座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

墨坂神社(すみさかの かみのやしろ)

越智神社(をちの かみのやしろ)

・越智神社(須坂市幸高)

一緒に読む
越智神社(須坂市幸高)

越智神社(おちじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「信濃國 高井郡 越智神社」の論社です 湧水池の多いこの地に移住した越智氏の祖神 饒速日命を産土神として 後 諏訪神 建御名方神を勘請し神社名を諏訪大明神とし 寛延3年(1750)神社名を越智神社に改め 延喜式内社として今日に至ります

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・越智神社(中野市越)

一緒に読む
越智神社(中野市越)

越智神社(おちじんじゃ)は 口碑によれば 天武天皇 白鳳13年(684)の勧請 往古 越智山の頂上に鎮座し その嶺が険しく里社を造営し後 現地に奉遷 旧地には石祠を建て天神社と称し 旧越村の産土神である 即ち延喜式神名帳に高井郡 越智神社とあるはこれなりとする 式内社の論社です

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・小内神社(長野市若穂綿内)

一緒に読む
小内神社(長野市若穂綿内)

小内神社(おうちじんじゃ)は 社伝及び古文書に 住古は妙徳山頂の小祠が本社で 越智神社と称し 幾度かの水害により社号額流失の伝承が残る 永正元年(1504)2月現在地に遷宮 寛延年間の式内社定め時(1624~1644)互いに論争を醸し 幸高村が旧社号 越智神社の許可を得たりと聞き驚き 小内神社の称号は未定であったためにそれを願い出て寛永3年(1624)現小内神社称号を拝載する

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・諏訪社(長野市若穂綿内)〈小内神社 鎌倉時代(1192~)の古社地〉

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諏訪社(長野市若穂綿内)

諏訪社(すわしゃ)は 式内社 越智神社(をちの かみのやしろ)の旧社地とされ その跡地に諏訪神を祀って氏神としたものです 越智神社の創建は 天平9年(737)霊峰妙徳山頂に祠を祀ったのが開基で 『延喜式神名帳(927年編纂)』の頃は 現 宮王神社(長野市若穂綿内)に鎮座 鎌倉時代頃(1192~)清水の片山地籍〈当社 諏訪社〉へ さらに室町時代後期の永正元年(1504~)現 小内神社に遷座と伝わります

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・宮王神社(長野市若穂綿内)〈小内神社 延喜式(927年12月編纂)の頃の古社地〉

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宮王神社(長野市若穂綿内)

宮王神社(みやおうじんじゃ)は 創建は天平9年(737)霊峰妙徳山頂に祠を祀り「越智神社」本宮を開基したときの「前宮」で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の頃には この地に鎮座したと伝わります 越智神社は 鎌倉時代(1192~)に清水の片山地籍へ さらに室町時代後期の永正元年(1504)に現 小内神社に遷座しました 現在の宮王神社はその跡地に諏訪神を祀って氏神としたものです

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小内神社(をうちの かみのやしろ)

・小内神社(長野市若穂綿内)

一緒に読む
小内神社(長野市若穂綿内)

小内神社(おうちじんじゃ)は 社伝及び古文書に 住古は妙徳山頂の小祠が本社で 越智神社と称し 幾度かの水害により社号額流失の伝承が残る 永正元年(1504)2月現在地に遷宮 寛延年間の式内社定め時(1624~1644)互いに論争を醸し 幸高村が旧社号 越智神社の許可を得たりと聞き驚き 小内神社の称号は未定であったためにそれを願い出て寛永3年(1624)現小内神社称号を拝載する

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・小内八幡神社(中野市安源寺)

一緒に読む
小内八幡神社(中野市安源寺)

小内八幡神社(おうちはちまんじんじゃ)は 貞観年間(859~877)の草創といわれ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社とされます 永禄4年(1561)社殿が 戦火にかかり烏有に帰し 寛文5年(1665)飯山藩主松平忠倶により再建されました 明治6年4月には郷社に列しました

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・欅原神社(小布施町六川)

一緒に読む
欅原神社(小布施町都住)

欅原神社(くぬぎはらじんじゃ)は 高井郡に鎮座した式内社「小内神社」の論社とされます 有力論社の小内八幡神社の神職家である片山家は六川(小布施町)で神官を担っていたと伝えられ 六川(小布施町)に隣接する小布施町都住に鎮座する〈当社〉﨔原神社も同じく論社とされています

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笠原神社(かさはらの かみのやしろ)

・笠原神社(中野市笠原)

一緒に読む
笠原神社(中野市笠原)

笠原神社(かさはらじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社です 元々は現在地より東北300mほどの字天神前に鎮座していたが 寛文11年(1671)湯交川〈夜間瀬川〉の大洪水によって社殿を流失 その後 祭祀を委ねた若宮八幡宮が笠原神社の額を掲げたが 江戸寺社奉行の決裁で笠原村の勝訴となり 文化12年(1815)現在地に再建

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小坂神社(をさかの かみのやしろ)

髙社神社(たかもり かみのやしろ)

埴科郡(はにしな こおり) 5座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

粟狭神社(あはさの かみのやしろ)

坂城神社(さかき かみのやしろ)

中村神社(なかむらの かみのやしろ)

玉依比賣命神社(たまよりひめのみこと かみのやしろ)

祝神社(はふらの かみのやしろ)

小縣郡(ちいさかた こおり) 5座(大2座・小3座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

生嶋足嶋神社二座(並名神大)(いくしまたるしま かみのやしろ)

山家神社(やまいへ かみのやしろ)

鹽野神社(しほのの かみのやしろ)

子檀嶺神社(このゆみのみねの かみのやしろ)

佐久郡(さくの こおり) 3座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

英多神社(えたの かみのやしろ)

長倉神社(なかくらの かみのやしろ)

・長倉神社(軽井沢町長倉)

 

・熊野皇大神社(軽井沢町峠町)

 

・碓氷峠 熊野神社(松井田町峠)

 

・長倉神社・諏訪神社合殿(北佐久郡御代田町)

 

・遠近宮(軽井沢町長倉)

 

大伴神社(おほともの かみのやしろ)

東山道に鎮座する 382座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る   

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東山道に鎮座する 382座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「東山道」に鎮座する(382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340)神社の一覧表です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています