嚴島神社(いつくしまじんじゃ)は 平安京造営の際に用材を伐り出した地域と云われる雲ヶ畑に鎮座します 平安時代以前からの集落で 祭神の天津石門別稚姫が出現したという石門岩が本社後ろの山麓にあり 延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次新嘗〕(あまついはとわけ わかひめの かみのやしろ)とも云われます
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
嚴島神社(Itsukushima shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
京都府京都市北区雲ケ畑(くもがはた)中畑町54
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天津石門別稚姫神(あまつ いわとわけ わかひめのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
厳島(いつくしま)神社
平安時代中期に編纂された律令の施行細則『延喜式(えんぎしき)』に「天津石門別稚姫(あまついわとわけわかひめ)神社」と記載される神社と考えられている。
この地周辺の雲ヶ畑中畑町・中津川町は、平安時代以前からの集落で、平安京造営の際に用材を伐り出した地域であるとも言われ、当社は産土神(うぶすながみ)として信仰されてきた。
祭神の天津石門別稚姫が出現したという石門岩が本社後ろの山麓にあり、約五メートルの二つの巨岩が十五メートル程離れてそびえ立っている。
祭神・天津石門別稚姫が女神のため、弁財天(知恵や音楽を司る女神)信仰が生じ、明治以前は石門別(いわとわけ)弁財天、雲ヶ畑弁財天と称したが、明治の初め廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際、弁財天のままでは廃止されるため厳島神社と改称した。
境内には、中畑町・中津川町の各所にあった宮が集められ、小宮として祀られている。
平成二十一年三月 京都市現地立札より
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【由 緒 (History)】
『雲ヶ畑、波多野六之丞家文書史料翻刻』に記される内容
【抜粋意訳】
【史料13】 〔厳島神社由緒〕
祭神 天津石門別稚姫神
創立
年代幽還ニシテ記録 〈国ニ元弘年間北条高時六波羅ニ破ルヽ際、残党当庄ノ官人出京常勤シテ、主上三公ニ随ヒ帝王所々ヘ御立退アラセラレ候節、壮丁等ヲ率ヒテ供奉シ、老幼婦女ノミ在村ノ際当庄ヘ押寄来リ、神社寺院諸家ニ火ヲ掛ケ人家残ラズ焼亡ス、実ニ社寺并ニ諸家ノ由緒記録累代ノ什器具等悉ク灰燼ス云々(古文書抜萃) 〉ノ徴スベキモノ無ク推考スベカラズト雖モ、貞観五年以前ナルヲ知ルベキナリ、或ハ曰ク岩屋神降巌窟ニ垂跡アラセラレ同山ニ奉祀セラレシヲ、弘法大師御再興ノ砌当所ニ移祀セラレシナラン、元弘ノ焼災ニ以前ノ記録及当社モ災害ニ罹リ徴スベキナキハ痛歎ニ堪ヘザルナリ
由緒不詳
備考 桓武天皇延暦十三年〈紀元千四百五十四年〉平安京ヘ御遷都ニ際シ皇室ノ御用水タル水源ヲトシ、又御用材御伐出ノ地域トシテ御新政ノ御初皇祖ノ石門ヨリ御出現ノ神容ヲ奉祀セラレシナラン乎、囙ニ当地〈御用水ノ水源ナル〉ニ墳墓地ヲ置カズ、古来 今ニ至ルモ死屍ハ山ヲ越ヘ水流ノ桂川ニ落ツル所ニ葬ル
・・・〈以下略〉・・・
【原文】
京都府立大学文化遺産叢書 第 23 集「文化財の保存活用と地域コミュニティ」発 行 京都府立大学文学部歴史学科より抜粋
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・嚴島神社 本殿
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・〈本殿横〉神輿
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・嚴島神社 本殿覆い屋〈拝所〉
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・嚴島神社 拝殿
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・〈境内社〉4社が覆い屋の中に鎮座
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向って左〈奥〉から順に
・〈境内社〉八幡神社
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・〈境内社〉稲荷神社
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・〈境内社〉大山祇神社
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・〈境内社〉天御中主神社
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・手水鉢
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・境内
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・鳥居
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・社頭〈社号標〉
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・社頭
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
天津石門別稚姫神が 官社に列しています
【抜粋意訳】
卷十一貞觀七年(八六五)六月廿二日辛未
○廿二日辛未
山城國 從五位上 天津石門別稚姫神を 列に於官社に
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=
『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭
月次祭(つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め三〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」
大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています
【抜粋意訳】
月次祭(つきなみのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並大社 一百九十八所
〇座別に以下のように 社ごとに幣帛(神への供物)を奉る
・絁(あしぎぬ)五尺
・五色の薄絁(うすぎぬ)各一尺
・倭文(やまとぬの)一尺
・木綿(ゆう)二両
・麻五両
・倭文・絁・布をそれぞれ刀の形にしたもの(まきかたなかた)各一口
・四座をまとめて一束 八座をまとめて一束とする
・弓一張、靫(ゆき)一口
・楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿
・鹿の角一隻、鍬一口
・庸布(ちょうふ)一丈四尺
・酒四升
・鰒(あわび)・堅魚(かつお) 各五両
・腊(ほしにく)二升
・海藻・滑海藻・雑海菜 各六両
・堅塩一升
・酒坩(かめ)〈酒を入れる壺〉一口
・裹葉薦(うらはこも)五尺
・祝詞(のとこと)を奏する座の敷物として短畳一枚〇前一百六座(下位の神)への奉献
次に 前一百六座の神々(小社)は次の幣帛を奉る
・絁五尺
・五色薄絁各一尺
・倭文一尺
・木綿二両、麻五両
・四座ごとに一束 八座ごとに一束とする
・楯一枚
・槍鋒一口
・葉薦五尺〇特別な奉献を受ける神々
これらの神々への祭祀は 祈年祭(2月)と同様に行うが 特に次の四神には馬一疋を加えて奉る
太神宮(内宮:伊勢神宮)
度会宮(外宮:伊勢神宮)
高御魂神(たかみむすびのかみ)
大宮女神(おおみやめのかみ)ただし 太神宮と度会宮にはさらに「籠頭料(こもがしらりょう)庸布一段」を加える
〇祭の準備と執行
祭の五日前に 忌部(いんべ)九人と木工一人を召して 神に供えるための器物(供神調度)を作らせる
その監造者および清浄な衣 食の費用は 祈年祭の例に準じる
祭が終わると 中臣官(なかとみのつかさ)の一人が宮主および卜部らを率いて宮内省へ行き 神に供える「今食(いまけ=その日の御饌)」の奉仕者(小斎人(みのひと)を卜占によって定める〇今食(いまけ)に供する品目
神に供える「今食(いまけ)」の品およびその料(材料)は次の通り
・紵(からむし)一丈二尺(御巾料)
・絹二丈二尺(篩(ふるい)料)
・絲四両(縫篩などの料)
・布三端一丈(膳部巾料)
・曝布一丈二尺(覆水甕料)
・細布三丈二尺(戸座襅(へさたまき)および褠料)
・木綿一斤五両(結ふ御食(みけ)料)
・刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚
・筥(はこ)六合 麁(あら)筥二合、明櫃三合
・御飯・粥料の米 各二斗、粟二斗
・陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶(かめ)各五口
・都婆波・匜(はふさ)・酒垂 各四口
・洗盤・短女杯(さらけ) 各六口
・高盤二十口、多志良加(に瓶のような器)四口
・陶鉢八口、叩盆四口、臼二口
・土片椀(もひ)二十口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口
・手洗二口、盤八口、土手湯盆(ほん)二口、盆(ほとき)四口、堝十口
・火炉二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚
・槲(かしわ)四俵、匏(ひさご)二十柄
・蚡鰭(えひのはた)槽(二隻:御手水用)
・油三升
・橡帛三丈(戸座服料、冬絁一疋、綿六屯、履一両)〇供御の奉仕と終了後の処理
右に掲げた供御および雑物は それぞれ内膳主水などの司に付け 神祇官の官人が神部を率いて 夕暁(よひあかつき)〈夕方と翌朝〉の二度 内裏に参って奉仕する
供え終わった諸物は 祭が終わると中臣・忌部・宮主らに下賜され その取り扱いは 大嘗会(だいじょうえ) の例に準じて行う
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式(Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭
新嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り 天皇がその年の新穀(しんこく)を神に供え みずからもこれを食して その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り
式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する
【抜粋意訳】
新嘗祭(にいなめのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所
座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺
前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
天津石門別稚姫神社(山城国愛宕郡)は 『延喜式』神名帳において名神大社に列格していますが 名神祭(名神祭祀)の対象としては記載されておらず この不一致は専門的な校訂本や史料解析で言及されています
【抜粋意訳】
巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座
園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉
賀茂別雷神社一座 賀茂御祖神社二座 松尾神社二座 稲荷神社三座 貴布祢神社一座 鴨川合神社一座 御井神社一座 葛野月読神社一座 木嶋坐天照御魂神社一座 平野神社四座 梅宮神社四座 乙訓神社一座 酒解神社一座〈亦号山崎神、已上山城国、〉
・・・〈中略〉・・・
座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)葛野郡 20座(大14座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕
[ふ り が な ](あまつ いはとわけ わかひめの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Amatsu Ihatowake wakahime no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「(いはとわけのかみ)」の呼称を持つ神社について
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に「いはとわけのかみ」の呼称を持つ延喜式内社は 12ヶ所あります
①延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕
②延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社
③延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社
④延喜式内社 近江國 伊香郡 天岩門別命神社
⑤延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社
⑥延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社
⑦延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社
⑧⑨延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社
⑩延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕
⑪延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社
⑫延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社
各々の論社について
①延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕(あまつ いはとわけ わかひめの かみのやしろ)の論社について
・廃絶につき 所在不明ともされます〔式内調査報告〕
・嚴島神社(京都市北区雲ケ畑中畑町)
嚴島神社(いつくしまじんじゃ)は 平安京造営の際に用材を伐り出した地域と云われる雲ヶ畑に鎮座します 平安時代以前からの集落で 祭神の天津石門別稚姫が出現したという石門岩が本社後ろの山麓にあり 延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次新嘗〕(あまついはとわけ わかひめの かみのやしろ)とも云われます
嚴島神社(京都市北区雲ケ畑)〈『延喜式』天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕〉
・岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)
②延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)の論社について
・天津石門別神社(高市郡高取町越智)
・天太玉命神社(橿原市忌部町)
〈境内社〉杵築神社 又は天太玉命神社に合祀
③延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社(あまの いはとはけの かみのやしろ)の論社について
・天石門別神社(茨木市元町)
茨木神社(いばらきじんじゃ)&〈奥宮〉天石門別神社(あめのいわとわけじんじゃ)は 大同2年(807)坂上田村麿が荊切(いばらき)里をつくった時 天石門別神社が今日の宮元町に鎮座 元和八年(1622)茨木神社の社殿修築の時 延喜式内社 攝津國嶋下郡 天石門別神社(あまのいはとはけの かみのやしろ)を奥宮として現在地に遷座
茨木神社(茨木市元町)&〈奥宮〉天石門別神社〈『延喜式』天石門別神社〉
④延喜式内社 近江國 伊香郡 天石門別命神社(あめ いはかとわけのみことの かみのやしろ)の論社について
・森本神社(長浜市高月町森本)
⑤延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について
・伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)
伊波止和氣神社(いわとわけじんじゃ)は 江戸時代には゛戸隠大明神゛と呼ばれていましたが 慶應年中(1865~1868年)に 神主の鎌田光雄が 兼務の時 この松尾社〈境内社か?合祀社か?〉を伊波止和氣神社と云ったとあり 延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社となっています
伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)
・白河神社(白河市旗宿関ノ森)
白河神社(しらかわじんじゃ)は 社伝によれば 第13代 成務天皇五年(135年)白河國造命と天太玉命を奉祀し 勅命により鎮座 のち白河の関設置に当たり 関所南北に住吉 玉津島明神を祀る と伝わります 二つの式内社①伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)②白河神社(しらかはの かみのやしろ)の論社となっています
白河神社(白河市旗宿関ノ森)
・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)
〈旧鎮座地とも云う〉
磐戸別神社(いわとわけじんじゃ)は 白河の関山に鎮座します 延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の旧鎮座地とも 三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云うと伝わります
磐戸別神社(白河市関辺丸沢)
・都都古和氣神社(馬場)の奥宮 都々古別神社(表郷三森 都々古山)
《三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云う》
都々古別神社(つつこわけじんじゃ)は 馬場都々古別神社の旧蹟 日本武尊(やまとたけるのみこと)が 都々古山(つつこやま)〈別名を建鉾山(武鉾山)江戸期までは入山禁足〉に「鉾(ほこ)」を立て地主神として「味耜高彦根命」を祀った創祀の地 山頂には梵天の祠があり 山麓には当社があり 延喜式の頃には祭祀が行われていた奥院と伝
都々古別神社(表郷三森 都々古山)〈『延喜式』都都古和気神社〔名神大〕〉
《参考》・石都々古和気神社(石川町)
石都々古和気神社は 約一万年位前から信仰されていたとされている古代の祭祀遺跡の跡地に鎮座しています これは全国的にも数少ない大変重要な遺跡といわれています その様子は 山には 全山に花崗岩の巨石が連なる多くの磐境が点在していて・屏風岩・船形岩・鏡岩(2基)・亀石・天狗石・石門(鳥居)更に 三種の神器と言われている・剣・玉(勾玉)・鏡岩等があります
石都々古和気神社(石川町)
⑥延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社(おほまつり あめの いはかとひこの かみのやしろ)の論社について
・大祭天石門彦神社(浜田市相生町)〈石見國三之宮〉
⑦延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)の論社について
・天石門別神社(美作市滝宮)〈美作國三之宮〉
天石門別神社(あめのいわとわけ じんじゃ)は 第10代崇神天皇の御代 四道将軍 大吉備津彦命が 吉備地方平定報賽のため自ら鎮斎したと伝えられます 『三代實録』貞観5年 神階従五位下から従五位上に昇叙せられ 『延喜式』に美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)とある式内社です
天石門別神社(美作市滝宮)〈『三代實録』天石門別神『延喜式』天石門別神社〉
⑧⑨延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について
備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あるが いつれの式内社が どちらの論社に当るのか確定判別はできていません
・石門別神社(岡山市北区大供表町)
石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社ですが 備前國御野郡には式内社 石門別神社が二社あり どちらの論社とは確定判別できていません 『神社明細帳』に「御野郡伊福郷の大安寺山に祀られていたのを延喜6年(906)正月に現在の場所へ遷座した」と記されます
石門別神社(岡山市北区大供表町))〈『延喜式』石門別神社〉
・石門別神社(岡山市北区奥田南町)
石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 旧号「石神宮」中古「八幡宮」と称されました 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)として 寛延三年(1750)十二月「石門別神社」に改号されました 備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あり いづれが どちらかは確定判別できていません
石門別神社(岡山市北区奥田南町)〈『延喜式』石門別神社〉
⑩延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕(あまの いはとわけ やくらひめの かみのやしろ)の論社について
・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)
天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉
・上一宮大粟神社(神山町)
〈一宮神社(徳島市)の元宮とされる〉
上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)は 御祭神として 古事記に記載されている゛大宜都比売命(おほげつひめのみこと)゛を祀ります 粟国(阿波)を開かれた祖神で 五穀養蚕の神として 古代から農耕を守り生命の糧を恵みむ神で 式内社 天石門別八倉比売(あめのいわとわけ やくらひめの)神社(大月次新嘗)の論社です
上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角)〈阿波国一之宮〉
・一宮神社(徳島市)
一宮神社(いちのみやじんじゃ)は 元々は阿波国一之宮であった上一宮大粟神社(名西郡神山町)の分祠として 平安時代後期に国府の近くであったこの地に下一宮として祀られて 阿波国一之宮とされていました しかし 室町時代以降は 細川氏の台頭とともに 大麻比古神社が阿波国一之宮となっていきます
一宮神社(徳島市一宮町西丁)〈阿波国一之宮〉
⑪延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社(あまの いはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)の論社について
・雨降神社(徳島市不動西町)
雨降神社(あまたらしじんじゃ)は 創建年代は不祥です 『延喜式神名帳(927 AD.)』に所載の 二つの式内社〈①天石門別豊玉比賣神社(あめのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)②和多都美豊玉比賣神社(わたつみとよたまひめの かみのやしろ)〉の論社です 近世では゛雨降大明神゛と称し 雨乞の霊験が伝わります
雨降神社(徳島市不動西町)〈延喜式神名帳所載 論社〉
・龍王祠〈廃社〉
徳島市の徳島中央公園(城山)〉にあった竜王祠は 徳島城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀
・竜王さんのクス(もと徳島城城山に鎮座した竜王祠〈廃社〉の付近)
・国瑞彦神社(徳島市伊賀町)
※式内社(阿波國名方郡 天石門別豊玉比賣神社)の論社二つ
①境内社゛龍王神社゛〈現在は 廃社 本殿に合祀されている〉
※国瑞彦神社の境内社゛龍王神社゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされていた
②竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座
国瑞彦神社(くにたまひこじんじゃ)は 文化3年(1806)藩祖 家政公を偲び゛国瑞彦゛の神号を受け この地に奉祀 式内論社の境内社 龍王神社〈現在 廃社 本殿に合祀〉と゛もと徳島城城山に鎮座の竜王祠゛を合祀した時期もあり 式内社 天石門別豊玉比賣神社(あまのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)の論社とされます
國瑞彦神社(徳島市伊賀町)〈式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社〉
・豊玉比賣神社(徳島市眉山町)〈春日神社 境内〉
竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座
春日神社は 慶長年間 藩祖 蜂須賀家政公が 渭の津に築城の際 名西郡入田の里より神霊を奉遷され創建 境内社 豊玉比賣神社(とよたまひめじんじゃ)は もと徳島城(城山)にあった゛竜王祠゛城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀 その後 ここに遷座された 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社です
春日神社& 境内社 豊玉比賣神社(徳島市眉山町)
・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)
天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉
⑫延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまの いはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)の論社について
・天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)
天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんしゃ)は 棟札「天野岩戸分安國玉之天神社 天文九年・・・」が元禄5年(1692)巌穴より発見され 藩は式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社と正式認定したが 黒瀬村の社の棟札が「流れ着いた」新宮の扱となり 郷社 貴船神社を合祀 現在に至ります
天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〈『延喜式内社』〉
・天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)
天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんじゃ)は 古老の口碑に 往古洪水ありて社地崩壊し 神寶神器流失し 棟札流下して神谷村に漂着したといふことで 元々はこちらが延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)であると伝えています
天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)〈『延喜式』天石門別安國玉主天神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
地下鉄 北大路駅から賀茂川を遡るように加茂街道〈府道38号〉鞍馬街道を北上 鞍馬川と賀茂川の分岐をさらに賀茂川の上流へ雲ケ畑街道〈府道61号〉を進み約11.7km 車での所要時間は20~25分程度
当日は 山國神社(京北鳥居町宮ノ元)から嚴島神社(京都市北区雲ケ畑中畑町)へと向かいました
延喜式内社 丹波國 桑田郡 山國神社(やまくにの かみのやしろ)
・山國神社(京北鳥居町宮ノ元)
山國神社(やまぐにじんじゃ)は 第50代垣武天皇の平安遷都(794)の際 山国の郷が 御所の大内裏造営の木材を切り出す天皇の所用地゛御杣御料地(みそまごりょうち)゛と定められて 宝亀年間(770~780)修理職が本殿を造営したと伝わります 延喜式内社 丹波國 桑田郡 山國神社(やまくにの かみのやしろ)です
山國神社(京北鳥居町宮ノ元)〈『延喜式』山國神社〉
R477号からR162号経由で京都方面へ
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県道31号 鷹峯街道へ左折
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真弓方面へ県道107号
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県道107号を持越峠方面へ 道が狭くなりました
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持越峠を越えて 賀茂川に架かる持越橋を渡ると 県道61号の雲ケ畑(くもがはた)中畑町になります
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持越橋から500メートルで嚴島神社です
神社の目の前〈南側〉を流れているのが「賀茂川」〈京都市街を流れている鴨川の上流〉です
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道路を隔てて 鳥居が東向きに建てられています
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社号標には「式内 厳島神社」と刻字されています
嚴島神社(京都市北区雲ケ畑中畑町)に参着
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大杉が注連柱の様に聳える後ろに 朱色の鳥居があり 一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて石段を上がります
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境内に進むと 正面に拝殿 向かって右手には覆い屋の中に〈境内社〉4社が祀られています
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〈境内社〉4社 向って左〈奥〉から順に
・〈境内社〉八幡神社・〈境内社〉稲荷神社・〈境内社〉大山祇神社・〈境内社〉天御中主神社
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拝殿にすすみます
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拝所は本殿の覆い屋となっています
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覆い屋の扉に「戸を開き、自由に御入りください」と張り紙がありましたので
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戸を開けて 本殿に向い
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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本殿の脇には 神輿がありました
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社殿に一礼をして 境内を戻ります
ここで気づいたのですが 境内の南側に 石灯籠が4組程並んでいます
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案内書きには
「境内には、中畑町・中津川町の各所にあった宮が集められ、小宮として祀られている」
とありますので この石灯籠は 境内の北側に祀られて 南を向いていて その前に並べられていますので〈境内社〉4社の物だったのだと思われます
向って左〈奥〉から順に
・〈境内社〉八幡神社・〈境内社〉稲荷神社・〈境内社〉大山祇神社・〈境内社〉天御中主神社
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境内社に一礼をして 境内を戻ります
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県道61号〈雲ヶ畑街道〉を京都方面に向かいます
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京都市立雲ケ畑小学校・雲ケ畑中学校の校舎がありました
過疎化により 雲ケ畑中学校は2011年(平成23年)から、雲ケ畑小学校は2012年(平成24年)から休校しているとの事
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 天津石門別稲姫神社〔名神大 月次 新嘗〕について 所在は゛在所詳ならず゛〈不明である〉と記しています
又『山城志』に 今は愛宕郡に属している場所だが 鷹峰北に在り「石門」と呼ばれ 妙見祠がある〈これは 愛宕神社の旧鎮座地であると伝えられています〉
【抜粋意訳】
天津石門別稲姫神社〔名神大 月次 新嘗〕
天津石門別雅姫は、阿麻都伊波止和氣和加比賣と調べし、
○祭神明か也
〇在所詳ならず
山城志に、在ニ鷹峰北、今呼ニ石門、巨巖並立高丈餘、以ニ門關之狀、有ニ妙見祠、俱廢、今屬ニ愛宕郡と云り、猶 土人に問ひて慥に定むべし、
官社
三代實錄、真親七年六月廿二日辛未、山城國從五位上 天津石門別雅姫神 列ニ 於官社、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 天津石門別稲姫神社〔名神大 月次 新嘗〕について 所在は゛今廃れたり、゛〈廃絶している〉と記しています
【抜粋意訳】
天津石門別稚姫(アマツイハトワケワカヒメノ)神社、
今廃れたり、〔山城志〇按今、愛宕郡鷹ヶ峯の北に石門と云ふ大巌ありて、自ら門の状をなせり、蓋神社の舊趾なり〕
清和天皇 貞観五年二月丁未、従五位下、天津石門別稚姫神に従五位上を授け、 〔〇按、本書、従五位下の上、大和国の字ありて、彼國 高市郡 天津石門別神社なるか如く思はるれど、稚姫の二字にて本社なる事しるく、七年の条と位階も同じきを思ふに、大和は山城の謬なる事明かなり、故に之を訂す〕
七年六月辛未、従五位上天津石門別稚姫神社を官社とす〈三代実録〉
醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列り、月次新嘗祈年案上の幣帛に預る〈延喜式〉
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493
栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 天津石門別稲姫神社〔名神大 月次 新嘗〕について 所在は゛今廃たるにや゛〈廃絶している〉と記しています
一説として゛葛野郡小野上村 落葉社 相殿に岩戸神社なるもの゛〈現 岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)〉を挙げています
【抜粋意訳】
天津石門別稚姫(アマツイハトワケワカヒメノ)神社、〔名神大 月次 新嘗〕
祭神 天津石門別雅姫(アマツイハトワケワカヒメノ)神
官社 清和天皇 貞觀七年六月二十二日辛未 山城國從五位上 天津石門別稚姫神 列於官社
祭日
社格所在
今按 山城志在ニ 鷹峰ノ北 今呼ニ 石門,巨巌並立高丈余以ニ 門關之状有るニ 妙見ノ祠 俱廃ス 式属 葛野郡 今入ニ 本郡とある本郡は愛宕郡なり されど式内考證に此地 古へ愛宕神社の鎭座せし所なれば 葛野郡の式社 此地にありとは定め難きか
又 葛野郡小野上村 落葉社 相殿に岩戸神社なるものあれども 是亦 由來詳ならずして徴するに足ものなき也と云り 今廃たるにや
【原文参照】
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嚴島神社(京都市北区雲ケ畑中畑町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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山城国 式内社 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)について に戻る
山城国(やましろのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 山城国 の122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)の神社のことです
山城國 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)