実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

茨木神社(茨木市元町)&〈奥宮〉天石門別神社〈『延喜式』天石門別神社〉

茨木神社(いばらきじんじゃ)&〈奥宮〉天石門別神社(あめのいわとわけじんじゃ)は 大同2年(807)坂上田村麿が荊切(いばらき)里をつくった時 天石門別神社が今日の宮元町に鎮座 元和八年(1622)茨木神社の社殿修築の時 延喜式内社 攝津國嶋下郡 天石門別神社(あまのいはとはけの かみのやしろ)を奥宮として現在地に遷座

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

茨木神社(Ibaraki shrine)&〈奥宮〉天石門別神社(Ameno Iwatowake shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

大阪府茨木市元町4番3号

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

茨木神社
《主》建速素盞嗚尊(たけはやすさのをのみこと)

《配》天屋根命(あめのこやねのみこと)
   誉田別命(ほんたわけのみこと)

〈奥宮〉天石門別神社
《主》天手力男命(あめのたちからをのみこと)

《配》天宇受賣命(あめのうずめのみこと)
   豊國神(とよくにのかみ)〈豊臣秀吉公の神号〉
   東照神(とうしょうしん)〈徳川家康公の神号〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『大阪府誌』第5編〈明治36年〉に記される内容

【抜粋意訳】

茨木神社 附、天石門別神社

茨木市街の西端、停車場の東方四丁に在りて素盞鳴命天児屋根命、八幡大神を祀れり、創建の年月詳かならず、古は町の宮本坊に在りて、天正年中 織田氏の異を信じて處在の神社佛閣を焼き、、天照大神、春日大神、八幡大神 及び 牛頭天王は焼くべからずと為しし 此の社も天石門別神社を以つて偽りて

牛頭天王とに劫火をを得、後、更に勧請し、いて社を今の地に移し明治五年に至りて郷に昇格せ

天石門別神社。

 茨木神社社殿の後方に在りて天児屋根命の外 天石門別命と天宇受命とを合せり、式内の神社にして 古は茨木神社と共に宮本町に在り、後共に此に移りて岡大神、天照太を配祀せり、、境内の一小たるに過ぎざりしが市民事由を具して昇格を官にひ、明治十二年初めて鄕社に列せられたり。

天滿神

 茨木神社の境内東方に在り楠正成の攝河泉守護として茨木城を築きし時 勧請しての鎮守と為し、世々の城主深く崇敬し来たりしが城の廢せらるに及びてに遷り、降りて明治十二年村社に列せられたり。

地は古の茨木城趾の一部にして茨木川の右岸に沿ひて南北に長く、東は市街に連なり南は直ちに道路に接して一大表を立てたり。社殿は南面して壮麗なり。
天石門別神の床下に赤井あり 西に井ありて共に名水たり、其の他、末數座境内に在りて老松十數章落々として舞し、櫻桃其の間を點綴して風致に富めり。

寶庫に後小松後花園天皇の宸翰及び古代の占鈴、信國俊等の名せり。

【原文参照】

『大阪府誌』第5編,大阪府,明36.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765475

【由  (History)】

茨木神社 由緒

 今から1100余年の昔、平城天皇の御代 大同2年、坂上田村麿が荊切(いばらき)りの里をつくった時、当神社奥宮 天石門別神社が今日の宮元町に鎮座されたと伝えられています。
 平安時代の延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳にも嶋下郡十七座の一つとして天石門別神社の名が記されています。

 以来、中条村、茨木村の氏神として多くの人々の崇敬をあつめ、楠木正成公が茨木城築城の際、現在の地へ奉遷し、以後代々の城主は厚い崇敬を捧げてまいりました。
 特に、豊臣時代には、城主中川清秀、片桐貞隆等が上田を寄進し、徳川時代には、藩主永井家、大阪城代等から祭礼毎に重役を代参させるなど氏子と共に尊崇の誠を捧げてきました。
その間の元亀、天正の頃、織田信長は天下統一の手段としてキリスト教の布教につとめ近畿一円の神社仏閣を多数焼却するに際して天照大神、春日大神(天児屋根命)、八幡大神(誉田別命)および牛頭天王(信長の産土神)の諸神は恐れ畏んで破壊しませんでした。そこで天石門別神社の社名を隠して牛頭天王社と称して焼却を免れ、後実際に素盞嗚尊を合祀したと摂津名所図会(寛政10年刊)にも記されています。
後水尾天皇の元和八年(1622)9月10日に社殿を新築して、天石門別神社を奥宮に遷し、素盞嗚尊を正殿に斎き相殿として天児屋根命、誉田別命を合わせ祀り本社としました。

明治五年、郷社に列せられ、昭和21年、神社制度の改革により宗教法人として新たに発足し、現在に及んでいます。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

〇大阪府 三島郡 郷

○大阪府 攝津國 三島郡茨木町大字茨木

郷社 茨木神社

祭神 素戔嗚尊

相殿 天兒屋根命 應神天皇

座年月詳かなら、舊神官 宇治家の口によれば、往古より天石門別神社と四座び祀られたりといふ、

名所圖會の説に、當社はもと式内小社 島下郡十三座の内なる天石門別神社なりしが、元、天正の頃、信長公 四海掌握の對策によりて蠻國より邪宗門を招き、大に近傍の神社佛閣を焼滅せりと雖も、天照大神、春日大神、八幡宮及牛頭天王の社は之を存置せり、されば延喜式の古き社名をかくして牛頭天王として愁訴し、因て火災を免かれたり、故に後更に素戔嗚尊を祀りて牛頭天王と稱したりと、
後陽成天皇 元和八年九月十日社殿の修築あり、此時 天石門別神社を別殿にうつし、素戔嗚尊を正殿に齋き祀りし由 茨木隨筆(享保二十一年三月神主宇治延真考記)に見えたり、此時より茨木大明神のあり、今の境内社 天石門別神社は是なり、

中御門天皇 享保五年二月正二位神祇權大副吉田家の筆にて正一位茨木大明神の額を寄進せらる、當村の産土神たり、明治五年郷社に列す、境内千四百七十五坪(官有地第一種)、社殿は本殿其他神樂所、社務所等の建物あり、地南北に長く、西は茨木川堤を界とし、東は茨木の町に接す、老松多く近年  大に櫻樹を植ゑ風致をそべたり。

 境内社 天石門別神社は 天石戶別命を祭り、天宇受賣命 豊園神 東照公を相殿とす、創建年代詳ならねど、延喜式所載 天石門別神社は即當社な、攝津志に「茨木村に在り、上中条下中条と共に祭事に預る」とありて、三村の産土神たりしなり、前記 茨木隨筆にるに、天正年間兵燹にかりて神官 宇治家 類焼し、社傳及び 正成 以來 領主代々の寄進狀焼失せしといふ、
後荒木攝津守村重 當園を領するや、天正五年中川 茨木城に居住して神領十三石を寄附し、境内に禁札を建つると共に崇敬頼る厚く、其後 慶長五年片桐主膳正 當地を除地とし、祝田を寄せて神楽料に當て重また替る事なし、元和八年 茨木神社を本社として村の氏神となすに及びて境内社となる、
明治十二年五月更に官に請ひて郷社に列せり、本殿、神楽殿、神器所、社務所等の建物あり。

天滿神社は菅原道真を祭る、建武年間楠正成 攝河泉の守護となり茨木城を築くや、親ら菅公の像を写して城の鎮守となす、其後 數百年を経て片桐且元、同隆に至るまで代々の城主智之を崇敬せしが、元和三年五月茨木城を毀つに當、當地に奉遷すと傳ふ、明治十二年村社に列す、本殿、雨覆、拝殿あり。

境内神社

 天石門別神社 天滿神社 皇大神社 愛宕神社
 稲荷神社 猿田彦神社 事平神社 嚴島神社

例祭日 七月十四日

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・〈奥 宮〉天石門別神社

《主》天手力男命(あめのたちからをのみこと)

《配》天宇受賣命(あめのうずめのみこと)
   豊國神(とよくにのかみ)〈豊臣秀吉公の神号〉
   東照神(とうしょうしん)〈徳川家康公の神号〉

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延喜式内社 攝津國嶋下郡 天石門別神社(あまの いはとはけの かみのやしろ)

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天石門別神社の後 境内社〉赤井

天石門別神の床下に赤井あり 西に井ありて共に名水たり」とあり おそらく この赤井か?

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天石門別神社の奥 境内社〉黑

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・〈天石門別神社の向かって右奥 境内社〉稲荷神社《主》宇迦御魂神・北参道口

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・〈天石門別神社の向かって右 境内社〉皇大神宮《主》天照大御神

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・〈天石門別神社の向かって左前 境内社〉愛宕神社《主》火産霊命

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茨木神社 本殿

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茨木神社 拜殿

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・手水舎

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・〈茨木神社の向かって右前 境内社〉皇太神社《主》天照大御神

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4社合殿〔天満宮・主原神社・多賀神社・事平神社

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・〈境内社〉天満宮《主》菅原道眞公
・〈境内社〉主原神社《主》応神天皇,天児屋根命
・〈境内社〉多賀神社《主》伊射奈岐尊
・〈境内社〉事平神社《主》崇徳天皇,《配》大物主神,金山彦命

※天満宮・主原神社・多賀神社の3社は西向き・〔向って右〕事平神社は1社のみ南向き

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・東参道〈茨木城搦手門〉

茨木城搦手門

茨木城は、建武年間(1334~1336)に楠正成が築いたと伝えられ、城主はしばしば変わったが特に有名な人物は中川清秀と片桐且元である。

 城郭の位置は、現在の茨木小学校付近に本丸があり城郭の跡は残っていないが、わずかに茨木神社東門が茨木城の「搦手門」を移築したものとされている。

 その他、大手門・殿町・本丸などの地名や町並みに残るT字路が、かつて城下町であったことをあらわしている。

現地案内板より

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・〈参道向かって左 境内社〉厳島神社《主》市杵島姫命

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・〈参道向かって左 境内社〉恵美須神社《主》事代主命,大国主神

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・〈境内〉参集殿・境内参道

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・〈社頭〉大鳥居

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・〈社頭〉社号

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈奥 宮〉天石門別神社の旧鎮座地〉宮元町付近だったと云う

茨木神社 由緒には

今から1100余年の昔、平城天皇の御代 大同2年(807)坂上田村麿が荊切(いばらき)りの里をつくった時、当神社奥宮 天石門別神社が今日の宮元町に鎮座された」と伝えられています。

その後 長くその地に鎮座していたが 楠木正成が砦を築き 後に茨木の地が城下町となり 後水尾天皇の元和八年(1622)に茨木神社の社殿を修築して 天石門別神社を奥宮に遷し 現在地に遷座されたと伝える

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津國 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)島下郡 17座(大5座・小12座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 天石門別神社
[ふ り が な ](あまの いはとはけの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Amano Ihatowake no kaminoyashiro

【原文参照】

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「(いはとわけのかみ)」の呼称を持つ神社について

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)にいはとわけのかみ」の呼称を持つ延喜式内社は 12ヶ所あります

延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕
延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社
延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社
延喜式内社 近江國 伊香郡 天岩門別命神社
延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社
延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社
延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社
延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社
⑩延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕
延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社
延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社

各々の論社について

①延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕(あまつ いはとわけ わかひめの かみのやしろ)の論社について

・嚴島神社(京都市北区雲ケ畑中畑町)

・岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)

②延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)の論社について

・天津石門別神社(高市郡高取町越智)

・天太玉命神社(橿原市忌部町)
〈境内社〉杵築神社 又は天太玉命神社に合祀

③延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社(あまの いはとはけの かみのやしろ)の論社について

・天石門別神社(茨木市元町)

一緒に読む
茨木神社(茨木市元町)&〈奥宮〉天石門別神社〈『延喜式』天石門別神社〉

茨木神社(いばらきじんじゃ)&〈奥宮〉天石門別神社(あめのいわとわけじんじゃ)は 大同2年(807)坂上田村麿が荊切(いばらき)里をつくった時 天石門別神社が今日の宮元町に鎮座 元和八年(1622)茨木神社の社殿修築の時 延喜式内社 攝津國嶋下郡 天石門別神社(あまのいはとはけの かみのやしろ)を奥宮として現在地に遷座

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④延喜式内社 近江國 伊香郡 天石門別命神社(あめ いはかとわけのみことの かみのやしろ)の論社について

・森本神社(長浜市高月町森本)

⑤延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について

・伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)

一緒に読む
伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)

伊波止和氣神社(いわとわけじんじゃ)は 江戸時代には゛戸隠大明神゛と呼ばれていましたが 慶應年中(1865~1868年)に 神主の鎌田光雄が 兼務の時 この松尾社〈境内社か?合祀社か?〉を伊波止和氣神社と云ったとあり 延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社となっています

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・白河神社(白河市旗宿関ノ森)

一緒に読む
白河神社(白河市旗宿関ノ森)

白河神社(しらかわじんじゃ)は 社伝によれば 第13代 成務天皇五年(135年)白河國造命と天太玉命を奉祀し 勅命により鎮座 のち白河の関設置に当たり 関所南北に住吉 玉津島明神を祀る と伝わります 二つの式内社①伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)②白河神社(しらかはの かみのやしろ)の論社となっています

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・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)
〈旧鎮座地とも云う〉

一緒に読む
磐戸別神社(白河市関辺丸沢)

磐戸別神社(いわとわけじんじゃ)は 白河の関山に鎮座します 延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の旧鎮座地とも 三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云うと伝わります

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・都都古和氣神社(馬場)の奥宮 都々古別神社(表郷三森 都々古山)
《三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云う》

奥宮
都々古別神社(表郷三森 都々古山)〈『延喜式』都都古和気神社〔名神大〕〉

都々古別神社(つつこわけじんじゃ)は 馬場都々古別神社の旧蹟 日本武尊(やまとたけるのみこと)が 都々古山(つつこやま)〈別名を建鉾山(武鉾山)江戸期までは入山禁足〉に「鉾(ほこ)」を立て地主神として「味耜高彦根命」を祀った創祀の地 山頂には梵天の祠があり 山麓には当社があり 延喜式の頃には祭祀が行われていた奥院と伝

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《参考》・石都々古和気神社(石川町) 

一緒に読む
石都々古和気神社(石川町)

石都々古和気神社は 約一万年位前から信仰されていたとされている古代の祭祀遺跡の跡地に鎮座しています これは全国的にも数少ない大変重要な遺跡といわれています その様子は 山には 全山に花崗岩の巨石が連なる多くの磐境が点在していて・屏風岩・船形岩・鏡岩(2基)・亀石・天狗石・石門(鳥居)更に 三種の神器と言われている・剣・玉(勾玉)・鏡岩等があります

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⑥延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社(おほまつり あめの いはかとひこの かみのやしろ)の論社について

・大祭天石門彦神社(浜田市相生町)〈石見國三之宮〉

⑦延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)の論社について

・天石門別神社(美作市滝宮)〈美作國三之宮〉

一緒に読む
天石門別神社(美作市滝宮)〈『三代實録』天石門別神『延喜式』天石門別神社〉

天石門別神社(あめのいわとわけ じんじゃ)は 第10代崇神天皇の御代 四道将軍 大吉備津彦命が 吉備地方平定報賽のため自ら鎮斎したと伝えられます 『三代實録』貞観5年 神階従五位下から従五位上に昇叙せられ 『延喜式』に美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)とある式内社です

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延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について

備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あるが いつれの式内社 どちらの論社に当るのか確定判別はできていません

・石門別神社(岡山市北区大供表町)

一緒に読む
石門別神社(岡山市北区大供表町))〈『延喜式』石門別神社〉

石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社ですが 備前國御野郡には式内社 石門別神社が二社あり どちらの論社とは確定判別できていません 『神社明細帳』に「御野郡伊福郷の大安寺山に祀られていたのを延喜6年(906)正月に現在の場所へ遷座した」と記されます

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・石門別神社(岡山市北区奥田南町)

一緒に読む
石門別神社(岡山市北区奥田南町)〈『延喜式』石門別神社〉

石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 旧号「石神宮」中古「八幡宮」と称されました 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)として 寛延三年(1750)十二月「石門別神社」に改号されました 備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あり いづれが どちらかは確定判別できていません

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延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕(あまの いはとわけ やくらひめの かみのやしろ)の論社について

・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)

一緒に読む
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉

天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります

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・上一宮大粟神社(神山町)
〈一宮神社(徳島市)の元宮とされる〉

元宮
上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角)〈阿波国一之宮〉

上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)は 御祭神として 古事記に記載されている゛大宜都比売命(おほげつひめのみこと)゛を祀ります 粟国(阿波)を開かれた祖神で 五穀養蚕の神として 古代から農耕を守り生命の糧を恵みむ神で 式内社 天石門別八倉比売(あめのいわとわけ やくらひめの)神社(大月次新嘗)の論社です

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・一宮神社(徳島市)

遷座の宮
一宮神社(徳島市一宮町西丁)〈阿波国一之宮〉

一宮神社(いちのみやじんじゃ)は 元々は阿波国一之宮であった上一宮大粟神社(名西郡神山町)の分祠として 平安時代後期に国府の近くであったこの地に下一宮として祀られて 阿波国一之宮とされていました しかし 室町時代以降は 細川氏の台頭とともに 大麻比古神社が阿波国一之宮となっていきます

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延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社(あまの いはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)の論社について

雨降神社(徳島市不動西町)

一緒に読む
雨降神社(徳島市不動西町)〈延喜式神名帳所載 論社〉

雨降神社(あまたらしじんじゃ)は 創建年代は不祥です 『延喜式神名帳(927 AD.)』に所載の 二つの式内社〈①天石門別豊玉比賣神社(あめのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)②和多都美豊玉比賣神社(わたつみとよたまひめの かみのやしろ)〉の論社です 近世では゛雨降大明神゛と称し 雨乞の霊験が伝わります

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・龍王祠〈廃社〉

徳島市の徳島中央公園(城山)〉にあった竜王祠は 徳島城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀

・竜王さんのクス(もと徳島城城山に鎮座した竜王祠〈廃社〉の付近)

・国瑞彦神社(徳島市伊賀町)

※式内社(阿波國名方郡 天石門別豊玉比賣神社)の論社二つ

①境内社゛龍王神社゛〈現在は 廃社 本殿に合祀されている〉
※国瑞彦神社の境内社゛龍王神社゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされていた

②竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座

一緒に読む
國瑞彦神社(徳島市伊賀町)〈式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社〉

国瑞彦神社(くにたまひこじんじゃ)は 文化3年(1806)藩祖 家政公を偲び゛国瑞彦゛の神号を受け この地に奉祀 式内論社の境内社 龍王神社〈現在 廃社 本殿に合祀〉と゛もと徳島城城山に鎮座の竜王祠゛を合祀した時期もあり 式内社 天石門別豊玉比賣神社(あまのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)の論社とされます

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・豊玉比賣神社(徳島市眉山町)〈春日神社 境内〉

竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座

一緒に読む
春日神社& 境内社 豊玉比賣神社(徳島市眉山町)

春日神社は 慶長年間 藩祖 蜂須賀家政公が 渭の津に築城の際 名西郡入田の里より神霊を奉遷され創建  境内社 豊玉比賣神社(とよたまひめじんじゃ)は もと徳島城(城山)にあった゛竜王祠゛城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀 その後 ここに遷座された 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社です

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・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)

一緒に読む
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉

天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります

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⑫延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまの いはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)の論社について

・天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)

一緒に読む
天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〈『延喜式内社』〉

天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんしゃ)は 棟札「天野岩戸分安國玉之天神社 天文九年・・・」が元禄5年(1692)巌穴より発見され 藩は式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社と正式認定したが 黒瀬村の社の棟札が「流れ着いた」新宮の扱となり 郷社 貴船神社を合祀 現在に至ります

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・天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)

一緒に読む
天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)〈『延喜式』天石門別安國玉主天神社〉

天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんじゃ)は 古老の口碑に 往古洪水ありて社地崩壊し 神寶神器流失し 棟札流下して神谷村に漂着したといふことで 元々はこちらが延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)であると伝えています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

阪急京都線 茨木市駅から東へ約700m 徒歩での所要時間7~10分程度

社殿 境内 参道 社頭の鳥居は 南向きてす

式内 天石門別神社 茨木神社の社号看板があります

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茨木神社(茨木市元町)&〈奥宮〉天石門別神社に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて 境内参道を進みます

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拝殿にすすみます

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参道向かって右手に〈境内社〉4社合殿〔天満宮・主原神社・多賀神社・事平神社〕と〈境内社〉皇太神社

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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当社は 「茨木神社」の社殿が手前側にあり 後方に〈奥宮〉として式内社「天石門別神社」の社殿が建てられています 独特の配置です

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〈奥宮〉式内社「天石門別神社」の後ろから見ると 茨木神社の社殿との 配置が良くわかります

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〈奥宮〉式内社「天石門別神社」に進みます

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天石門別神社の向かって右に〈境内社〉が2社祀られています
〈境内社〉稲荷神社・皇大神宮

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〈奥宮〉式内社「天石門別神社」向かって左前〈境内社〉愛宕神社があります

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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〈奥宮〉式内社「天石門別神社」の奥には「黒井の清水」があります

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 天石門別神社について 所在は゛茨木村に在す゛〈現 茨木神社&奥宮 天石門別神社(茨木市元町)〉と記しています

【抜粋意訳】

天石門別神社

天石門別は安麻乃伊波止和氣と訓べし

○祭神明か也

○茨木村に在す
連胤按るに、天石門別神と申さは(校正者云以下文なり)

類社
 美作國英多郡 天石門別神社、
 近江國伊香郡 天石門別命神社、
 大和國高市郡 天津石門別神社、
 陸奥國白川郡 伊波止和氣神社、
 備前國御野郡 石門別神社、二社

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 天石門別神社について 所在は゛ 茨木村に在り、゛〈現 茨木神社&奥宮 天石門別神社(茨木市元町)〉と記しています

【抜粋意訳】

天石門別(アマノイハトワケノ)神社、

 茨木村に在り、攝津志、名所

 太玉命の兒 天石戶別神  櫛磐窓神を祭る、〔古事記、古語拾遺、〕〔〇按 延喜式、山城葛野郡 天津石門稚姫神社、伴氏神社、大酒神社を並擧たるを、此の新屋神三座の内 伴酒若神あり、次に此神社を載たるは、極めて由縁ある事なるへし、姑附て考に備ふ、

凡 毎年九月十日、祭を行ふ、〔式社取調帳、式社考証、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 天石門別神社について 所在は゛茨木村〔茨木神社境内〕(三島郡茨木町大字茨木 茨木神社境内゛〈現 茨木神社&奥宮 天石門別神社(茨木市元町)〉と記しています

【抜粋意訳】

天石門別(アメノイハトワケノ)神社

祭神 天石門別神

 今按 大阪府注進狀に祭神 天石門別神 天字受賣神とあれど加納藩取調帳には櫛磐間戸命 豊磐間戸命とあり このまされるに似たり 附て後考をまつ

 九月十日
社格 郷社

所在 茨木村〔茨木神社境内〕(三島郡茨木町大字茨木 茨木神社境内

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

茨木神(茨木市元町)社&〈奥宮〉天石門別神社 (hai)」(90度のお辞儀)

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摂津国 式内社 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)について に戻る

一緒に読む
摂津國 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)

攝津國(せっつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 摂津国の 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)の神社のことです

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています